11.走る男
再度の話し合いは翌日に行われた。
朝食を終え、ネモたちはサザンカの部屋に集まることになった。
座る場所にベッドまで使われて行わる話し合いというのは少々威厳に欠けたが、急遽宿を用意しなければならなかった都合上、そのあたりはどうしようもなかった。
「というわけで一週間後に帝都に滞在している部隊を除き、残りはすべてミューズに戻ることになりました。ネモフィラ様にはそこに紛れてもらうことになります」
「わ、わかりました」
サザンカが本隊と連絡をとって決めた段取りの説明を聞き終わったところだった。
一週間後、というのは引っかかるところではあったが、そこらへんには女神の国側の事情もあるのだろう。
そうして話が終わりかけたところで、部屋の入り口近くに椅子を置いて遠巻きに話を聞いていたロイがネモたちのところまでやってきた。
「わかってないだろ?」
いきなり過ぎてなにがなんだかわからなかった。
「な、なにがですか?」
「一週間後って話だよ。なんか引っかかるところがあったんだろ?」
どうしてそんなことがわかったのだろうか。
ネモの顔や態度に出ていたのか、それともそれ以外のなにかか。
「それは、そうですけど……」
「じゃあそれを言葉にしろ。わがままになれ。前にも言ったがハンパじゃ俺は手伝わんぞ」
そんなロイを見てサザンカがムッとした顔をする。
「なにか問題でも?」
「さあ。問題があるって考えてるのは嬢ちゃんさ」
「あなたが気に入らないだけでは?」
「気に入ってないのは嬢ちゃんさ。俺はそういうことには割と勘が良くてね」
「そもそもあなたは何者なんですか?」
ネモもロイに対しての説明をサザンカから求められたが、うまく説明することが出来なかった。
なにせ、ネモもロイがなんなのかはよくわかっていないのだ。
圧倒者、といっても女神の国の人間であるサザンカには伝わらないだろう。
「俺は嬢ちゃんの用心棒じみたなにかさ。あるいは昨日アンタを救った命の恩人かもしれん」
「その件では感謝してますが……」
とサザンカは言いよどむ。
「で、嬢ちゃんはなにが気に入らないんだ?」
「別に気に入らないわけじゃないですよ」
「その引っ掛かりを言葉にしろって言ってんだよ」
ネモは自分の違和感の正体を考える。
ゆっくり動くのは良くない感じがするのだ。
入念な準備より、備えがなくとも迅速行動を、そういう局面な気がする。
「一週間というのがちょっと、その、悠長すぎる気がするんです。もっと早く動くことはできないんですか?」
それに対しサザンカは少し考え、
「それは難しいと思います。門から西側に向かった部隊も合流しなければなりません。それに帝国側にも話をつけなければなりませんし。人というのは増えれば増えるほどその動きは鈍くなるものです」
「我々だけで先に女神の国へ行く、というのはできませんか?」
「それは許可が降りるかちょっと……ネモフィラ様はなぜそれほど急ぐのですか?」
「えっと、その、なんとなくですけど、わたしたちはまた狙われると思うんです」
「そのアーキ密教という組織にですか?」
「はい」
「でしたらなおのこと、部隊が集結してからの方がいいのでは?」
「女神の国の人たちは、その、なんていうか、お強いんですか?」
「ミューズでも選りすぐりの者たちの集まりです」
そこでロイが割り込んだ。
「ほお、それでおねーちゃんはどのくらいの位置にいるんだ? こっちに来た人間たちの中で」
「自分で言うのもなんですが、五指に入ると思います」
「じゃあ山盛りで死ぬだろうな」
それを聞き、サザンカは聞き捨てならないといった様子だ。
「時間をかければかけるほど相手も準備が整う。集団帰宅しようとしたところにアーキ密教の最大戦力がドカンだろうよ」
「帝都国側も黙ってはいないでしょう?」
「だといいけどな。実際問題すぐに動かせるだけの戦力でいったら帝国とアーキ密教どちらが上か怪しいところだ」
「あの、いいですか?」
二人の視線がネモに集中する。
「ロイさんの言う通り、どんな形になるにせよ、動きの規模が大きくなればなるほどたくさんの人が犠牲になってしまうと思うんです。わたしはそれが嫌です。だからわたしたちだけで先に逃げてしまいたいんです」
サザンカは困ったような顔をして、
「そもそも、相手は本当に私達を狙ってくるのですか?」
「それは確実です」
「根拠は?」
さっきまでならネモは勘です、としか答えられなかったことだろう。
それでも、サザンカとロイが話しているうちに、自分の中の考えはある程度まとまっていた。
「相手の陣営には、かなり優秀な、その、先見とか遠見がいると思います。わたしの存在を特定したわけですし、サザンカさんも特定していました。こちらの行動は筒抜けかそれに近い状態だと考えるべきです」
サザンカが一呼吸分考え、
「でも、ネモフィラ様が突然消息不明になるなら、アーキ密教の人間にとっても都合がいいのでは? その上我々が一時的にせよ永久的にせよ撤退するならばなおさらです。リスクを負ってまで我々を狙う理由がないように思えます」
ネモは自身の、ぼんやりとしたイメージでしかなかったものを言葉にしていく。
「自分でも未だに自信が持てないんですけど、相手はわたしという存在を消し去りたいと考えるはずです。わたしが女神の国に消えたとしても帝国側は交流を続けることに関しては方針を変えないでしょう。アーキ密教が使節団の人間に危害を加えて交流をやめさせようとしても、帝国は諦めないと思います。そうなったら帝国は総力を上げてアーキ密教を滅ぼし、こちらの世界での安全を確保してから交流を再開するよう必死になるはずです。だからアーキ密教は帝国にとって交流の継続が目なしになる状態に早くしなければなりません。アーキ密教はわたしを交渉の道具に使うことで、女神の国側からこちらの世界と完全に関係を断つ状態に持ち込みたいんだと思います。ここでわたしを逃したら、その目が消えてしまう。だから絶対に狙ってきます」
「なる、ほど。わかりました。無理をすれば我々だけで動く、というのも出来なくはないと思います。けれど、少数で動けばその分戦力に不安が出ます。わたしも昨日のような相手が二人以上だとネモフィラ様を守れるかわかりませんし」
「そこはロイさんがいます」
それを聞いたロイはニカリと笑い、
「調子が出てきたじゃねぇか。そういう話なら乗ってやる」
ネモはサザンカに向き直り、
「そういうわけなので、たぶん大丈夫だと思います」
「その人はそんなに強いのですか?」
ロイは愉快そうに笑う。
「ああ、オソロシク強いぞ」
サザンカは怪訝そうな目を向けている。
ネモはロイをフォローするように、
「えーと、こっちの世界の、その、なんというか、伝説的な戦士みたいな人なので……わたしも守ってもらいましたし」
ロイは心なしか嬉しそうに胸を張っていた。
「そういうことだ」
サザンカはあくまでも疑わし気な視線をロイに向けていたが、ネモに向き直り、
「わかりました。我々だけで動きましょう。昨日頂いた器にかけて、このサザンカ、命をかけてもネモフィラ様をお守りいたします」
サザンカの美しいルビー色の瞳が、前髪に隠されたネモフィラの瞳をじっと見つめていた。
改めて見るとサザンカはとんでもない美人だと思う。
そんな美人が、まるで物語の騎士のように自分を守ってくれると言っている、その事実に気づいて、ネモは急に恥ずかしくなってしまった。
「あの、その、それに、もうひとつお願いがあるんですが……」
「なんなりと」
「ネモフィラ様、っていうのやめてもらえますか? それとその堅苦しい話し方も」
「なぜですか?」
「だって、その、なんていうか……」
ネモは正直に言うかかなり迷った。
言わなくても恥ずかしいし、正直に言うのも恥ずかしかった。
それでも言ったほうがいいと思った。言うは一時の恥、言わなければ一生の恥かもしれない。
「恥ずかしいので……」
***
準備は半日で終えた。
午後には出発の準備を整えた三人が街の外に出ていた。
「足はどうするんだ?」
といったロイの質問に、サザンカは薄い布を取り出して答えた。
「なんだそりゃ」
「見てて」
サザンカが地面に布を置いて、その中央にある小さな金具をひっぱり、布の裂け目を開いた。
「こっちの世界で言うアイテムボックスだったかしら? みたいなものよ。ちょっと手伝って」
ネモが手伝おうとするとサザンカから制され、サザンカはロイを手招きした。
めんどくさそうな顔をしながらロイが布へと近づき、二人がかりでその裂け目から大型のなにかを引っ張り出した。
それは、車輪が二つの車に見えた。金属の塊のようにしか見えないが、車輪の存在からなんとかそれが乗り物であることがわかる。こちらの世界にはない異質なデザインで、初見のネモからすると、なにかの兵器のように映った。
「これで移動するわ、それで問題があるんだけど」
サザンカはロイを見て、
「これ、最大でも二人乗りなのよね」
「乗り物なのか?」
「ええ」
「速度は?」
「馬の倍ってとこ、しかも馬と違って疲れない」
「なら余裕だな、俺は走る」
魔導二輪に乗る時、サザンカが後ろにまたがるネモへと声をかけた。
「ネモフィ……ネモは後ろに乗って。しっかり私の腰に捕まってね」
頼んだ通りに言葉遣いを直してくれたのが、ネモにはちょっと嬉しかった。
ネモはサザンカの後ろに座り、サザンカの腰にしっかりとしがみついている。
サザンカのほっそりした腰と体温が伝わって来て最初こそ恥ずかしかったが、すぐにそんなことを思っている余裕はなくなった。
初めての乗り物だがものすごい速度で、馬よりもずっと怖かった。
だが、そんなものよりも怖いものが存在した。
その怖いものは、ネモたちの真横にいた。
「おいおいおいおい、追いてっちまうぞぉ!!」
それは信じられない速度で走りながら、あろうことかサザンカを煽っていた。
ロイである。
ガハハハとおっさんくさい笑いを浮かべながら、ゴキゲンに、あり得ない速度で、自分の足で走っていた。
サザンカはもうロイを相手にしていない。
自分が見ているものが信じられないのか、それとも煽りを無視しているのか、ロイのほうなど全く見ずに眼の前だけを見据えている。
そんなことは気にせず、ロイは砂煙を上げながら爆走している。
無精髭の中年が魔導二輪と並走して走る。