1.気弱で、追い出されて、身寄りのない、世界の中心になるかもしれない少女
「お前が何者かを一言でわかりやすく教えてやろうか」
その男は、さも愉快そうに言い放った。
「お前はこれからしばらく世界の中心だ」
***
ベース工房の親方であるベース・プラギットが死んだ。
”千の作風を持つ男”としてその世界では名の知られた陶器職人だった。
突然の急死というわけではなく、長い闘病の末であったので工房の引き継ぎは円滑であった。
ベース工房の親方は滞りなく代替わりし、工房は新しい親方の元で動き出すことになった。
そうなると、工房からネモフィラ・ルーベルを追い出すべき理由はみっつある。
ひとつめは、女であること。
工房とは男の仕事場であり、女がいていい場所ではない。
女で職人であることが許されるのは服飾の世界だけだ。
ふたつめは、愛嬌がないこと。
もしネモフィラが快活な美少女であったならば工房の男たちも引き続き所属を許したかもしれない。
しかし、ネモフィラは快活な美少女ではなかった。
長く伸ばした前髪はその目を隠し、態度はおどおどとしていていつもはっきりしない。
ネモフィラは時々親方と話す程度で、それ以外の者とはあまり関わろうとはしなかった。
工房の花というよりも、どこか不気味な少女という形容が相応しかった。
みっつめは、陶器職人としての腕が未熟であること。
先代であるベース・プラギットは、なぜかネモフィラ・ルーベルに対して異例の待遇をしていた。
女であるのに弟子入りを許し、まわりとろくなコミュニケーションを取らずとも怒りもしない。
そういったところも、もし腕があれば許されるだろう。職人とは腕の世界である。
だが、ネモフィラ・ルーベルがそうかと言えば、それはかなり怪しい。
ネモフィラ・ルーベルの陶器職人としての腕は未熟であった。
工房の職人たちの評価は、才能がないとは言い切れない。しかし、天才というわけではないといったところであった。
少なくとも性別や他の欠点を覆すほどの腕はないように思われる。
なぜベース・プラギットがネモフィラ・ルーベルを特別扱いしていたかは誰にもわからない。
そういったわけで、弟子連中が下した結論はこうだ。
先代は、特殊な趣味があったのだろう。
それに加えて追い出すべき理由がもうひとつ。
確証のない話であり、真実かはわからない。
それでも工房の職人たちの中では、おそらくは真実だろうと信じられている話。
ネモフィラ・ルーベルは紫色の瞳をしている。
これは工房内での噂でしかない。誰も確かめていないし、どこから来た噂なのかもわからない。
噂が信憑性のあるものとして扱われている理由に、ネモフィラが前髪で瞳を隠しているのも拍車をかけていた。
この件に関してはネモフィラに直接目を見せてくれ、なんて口説き文句じみた台詞を言う者など誰もいなかった。
ネモフィラは工房の弟子の中では下っ端も下っ端で、工房にいる弟子は自らの腕を磨くのに忙しいのだ。
そんな下っ端にかかずらわっているような暇人はいなかった。
弟子たちの中では結局真相は不明であり、どうでもいいことだとされた。
ただ、それがネモフィラの不気味なイメージを確立した要因のひとつであることは確かだ。
紫は不吉な色であるとされている。
それは、女神を象徴する色だからだ。
女神は神に逆らい、弱き者のための楽園を作った。そのために、神界から追放され、弱き者の救い主とされている。
強く生きることを重要な教えとして説くアーキ教からすれば、それは唾棄すべき存在なのである。
嘘か真か、紫色の髪をした少女の一家が異端者として粛清されたという噂もあるくらいだ。
もし本当にネモフィラが紫色の瞳をしていたら、工房ごと異端者として扱われる可能性がある。
弟子たちが真相を確かめなかった理由は、もしかしたらそれも一因なのかもしれない。
とにかく。
ベース・プラギットの葬儀を終えて、正式な二代目が決まった翌日。
ネモフィラ・ルーベルはベース工房を破門となった。
***
ベース・プラギットの墓標は村のはずれの崖に立っている。
その墓標にはこういった文句が刻んであった。
『彼の魂は旅立ったが、彼の作品は残る』
ネモはその墓標に向かって祈っていた。
スカートが汚れるのも気にせず地面に膝をつき、目をつぶって手を合わせている。
旅立ち前の最後の挨拶のつもりであった。
師匠がどのような理由でネモを弟子にしてくれたかは、結局のところ本人にしかわからない。
が、ネモからすればベース・プラギットは恩人には違いなかった。
「その力、誰にも教えるんじゃねぇぞ」
ベース・プラギットはそう言って、ネモを孤児院から拾い上げてくれたのだ。
ネモには、生まれながらの固有能力があった。
魔法を超えた力、神より授かりし力、理を曲げる理、それが固有能力だ。
そんな固有能力と言えば名だたる英雄を想像するかもしれないが、ネモに備わった力は歴史に名を残せるような華々しいものではなかった。
陶器が創造できる。
素晴らしい能力の備わった陶器が創れる、というはわけでは無論ない。
例えば作った陶器を魔物にぶつけたりすれば、普通にパリンと割れるだけ。運が良ければひるませるくらいはできるかもしれないが、運が悪ければ逆上した魔物に襲われる要因にしかならない。
水が無限に湧き出す壺や、入れた物の状態を保って保存する容器などの、特殊な力を付与された魔導具を生成できる、というわけでもない。
イメージした通りの陶器が創れる、本当にそれだけだ。
しかも、陶器を生成できる間隔はだいたい二週間に一度が限度だ。
とてもではないが、英雄になれる固有能力とは言えない。
それでも、この力が孤児院からベース・プラギットに伝わり、工房の弟子として雇ってもらえるようになったのだ。
その師匠も先日亡くなった。
その後の展開は、ネモが予想していた通りであった。
二代目は、ネモに工房に居てほしくない理由を伝え、先代がいた時のような待遇――具体的には住居と給与だ――はできないと言い、実質的な破門を言い渡した。
ネモとしても色々と言いたいことはあったが、結局は大人しく引き下がった。
怖かったのだ。
二代目の若干不条理とも言える理由に反論して、口論になるのが怖かった。
理由を説明して残れることになったとしても、今度は師匠の庇護がないのだ。
ネモは、工房の面々とうまくコミュニケーションをとれる自信がなかった。
これが自分のだめなところだと思う。
アーキ教でも、勇敢であれと教えている。
臆病者の自分は、このままでは地獄行きになってしまうかもしれない、とネモは半ば本気で心配している。
けれども、怖いものは怖いのだ。
人と話すのは怖い。
誰かに否定されるのが怖い。
傷つくのが怖い。
死ぬのが怖い。
人間とはそういうものなのではないか、とネモは思うのだが、それはおそらくネモが臆病者だからそう思ってしまうのだろう。
物事とは、誰しも自分基準に考えてしまうものなのだから。
この世界の神様は、勇敢な者を褒め称え、臆病者には厳しい。
臆病者に優しいのは、女神様だけだ。
女神様。臆病者の象徴。神から嫌われた存在。
ネモの瞳は薄い紫色をしている。これは女神様の瞳と同じ色らしい。
この目が好ましくないと知ったのは、子供の頃孤児院で、同い年の男の子に石を投げられた時だ。
以来、ネモは前髪を必要以上に伸ばして、瞳の色を隠している。
それでもネモは、どこか女神様に憧れていた。
自分と同じ目の色をしていて、弱き者を助けた救いの主。
弱き者を助けるために、自分の世界を作って神様から追放された存在。
もし本当に女神様の世界があったとしたら、自分のことも受け入れてくれるだろうか、と想像する時がある。
そこまで想像して、ネモは首を振った。
これだから自分はだめなのだ。
師匠の墓標を最後に見据えて、ネモは立ち上がった。
風に運ばれた草の匂いが鼻孔をくすぐる。
今こそ勇気を出すべき時だ。ネモはそう決意をしていた。
帝都に行って、帝都で陶器を作っている職人に弟子入りするのだ。
固有能力とは別に、ネモはネモなりに陶器職人として修行してきた。
これからは、自分ひとりで生きていかなければならない。
今あるネモの能力は、師匠の元で二年間修行して身につけた職人としての力と、生まれながらの陶器を作る力だけだ。
これで、なんとか生きていかなければならないのだ。
もう旅の支度は整っている。
最後の挨拶のために、ネモは師匠の墓標に立ち寄った。
村を出るにあたっての貯金はそれなりにある。帝都まで行ってしばらく滞在する程度には。
だからもう、あとは勇気の問題だった。
女である自分が、帝都の職人の工房に弟子入りを願う。
今から考えても不安で胸が張り裂けそうになるが、もうやるしかないのだ。
背後の橋はもう焼け落ちている。そこまで来て、ネモはようやく決意をした。
今起こっているのは不幸ではなく、いつまでも自分の意思で動かないネモのために、神様が与えてくれた機会に違いない。
だからネモは決めた。
目指すは帝都だ。