1話:私
小さい頃に、たくさんの夢を持つ。アレになりたい、これになりたい。遠くの、まだ深くは考えなくていい将来のことに、憧れと綺麗な未来をみていた。
10代後半になれば、将来なりたいものが明確になり始める。自分の能力にあったものを目指す者もいれば、なりたいものに自分の能力を合わせる者もいる。
そして、20代前半に将来のために己を磨き上げていき、やがて自分の夢を掴み取る。
さも当たり前のように口にしたが、自分のなりたい職業につける人なんて一握り。そして、その中で思い通りに事が運ぶ人もまた一握り。
私は、なりたいものになれたけど、ひどく不自由な状態だった。つまり、後者の人間だ。
「ですから、そもそも考え方が違うんです。悪役とはいえ、彼女の行いは正しいんですよ」
パソコンの画面に映る文字を見つめながら、私は耳に当てているスマホに向かって言葉を発する。
だけど、私がどんなに自分の想いを、考えを伝えても、相手は納得してくれない。当然だ。相手は、私の言葉なんてどうでもいいんだ。彼が……彼らが求めるのは大衆ウケする売れる作品。
「……わかりました。なら、後日編集長さんにもお話しします。同じ返答であれば、指示通りに王道の……悪役が淘汰されて、ヒロインたちが幸せになる物語にします。それじゃあ失礼します」
スマホの通話を切り、私はそのまま椅子の背もたれに体を預けた。
仕事をしているよりも、先ほど話してた相手との会話の方が、酷く疲れて、精神的にくる。
ずっと夢見てきた小説家になって、自分の作品が多くの人の手に渡って喜んでもらえるのは嬉しかった。
だけど、自分が書きたいものが書けていたのは最初だけ。ここ数年は、ずっと大衆ウケする作品ばかり。恋愛なら王道のヒロイン成り上がり。冒険ものなら、少年漫画のような熱いものを。
当然さっきみたいに反発したりする。それでも、担当はいつもそれをはねのけ、売れる内容にするように言ってくる。
いつからか、私の作品なのに、私の作品じゃないように感じた。
「私は……みんなが幸せになる作品が書きたいだけなのに……」
画面に映るのは書きかけの原稿。担当に言われた、王道恋愛作品。一般市民が、王子様と結ばれる物語。そして、そんな二人を邪魔するが者は淘汰される。だけど、作品は作者の大事な子供。登場人物もまた同じだ。だから、淘汰されるとしても、そうせざる得なかった理由。淘汰後の対応は納得のいくものでないといけない。なのにあの担当は!
「はぁ……あ、コーヒー無くなった。新しいのとってこないと」
梓楓(あずさ_かえで)。30を目前にした、朝出和恵(あさで_かずえ)という名前で、それなりに有名な小説家として活動中。作品は映像作品にもなったことあるし、関連グッズも多く出ていた。
現在、恋人と同棲中だが、結婚するかは正直わからない。そう言った話題が出ないから。とりあえずは、今の執筆作業が落ち着いたらその話もしようかと。
実家に帰るたびに、両親からその手の話をされるからな。うんざりするぐらい。
「あれ?帰ってきてるのかな?」
仕事している部屋は、集中するために防音。その上窓もない缶詰部屋。部屋を出ないと、日付も時間も天気も何もわからない。
朝は晴れていたはずの天気が、いつの間にか荒れていた。その影響なのか、主に外仕事がメインの彼が、お昼を少し過ぎた時間に帰ってきていた。
どうしてわかったのか、それは、寝室から声が聞こえたからだ。
彼と、知らない女の子声。
しかも、明らかに最中の声だった。そう、今まさに彼は浮気をしているところなのだ。
なんて大胆な。同棲している彼女が家にいて、いつ部屋から出てくるかもわからないのに、平然と一緒に寝ているベッドで……。
でもそうか……つまり彼は、私と結婚する気は無いんだ。
なんでだろう……さっき仕事で言い合いをしていたせいかな……感情が変だ。ずっと押さえつけていたものが、今すぐにでも閉めている蓋を押しのけて外に出ようとしていた。
「いや、いいよ。我慢なんて……だって、もう苦しい思いは嫌だよ」
私はそのまま寝室の扉を勢いよく開けた。
ビクリと体を震わせ、ベットで裸でいる男女の視線が私に注がれる。嫌という程、生々しく、その行為の光景が視界に広がる。あぁヤダヤダ。
相手は若い女性。私なんかよりもよっぽど。年齢的に大丈夫なのか?
「ずいぶん大胆だね」
「か、楓……」
焦った顔をする彼に私は、怒鳴ることはなかった。なんていうかどうでもいいといった感じだ。気持ちがひどく冷めているのを感じる・
今の彼らのように、体を重ねたのはもう数年以上前。私が休みでも、彼が仕事だったり、疲れていたりで出かけることもない。
同棲というよりは、シェアハウスに近く、完全にレス状態。
「……別れるってことでいいんだよね?」
「いや、違うんだ楓。これは……」
「違う?何が違うの?今まさに現状が物語っているでしょう?誘惑されたされてない関係なく、やっちゃってるわけでしょ?」
「いや、えっと……」
「お相手は随分若いみたいだけど、年齢的に大丈夫なの?あぁ別に浮気してることに怒る気は無いわ、それに、別に結婚してるわけでもないし」
「そ、そんな……わ、別れるだなんて……」
どう考えても別れられて当たり前なのに、それでも彼は、私と別れたく無いようだった。まぁ理由はわかってるけど、もう私は彼を愛することはできない。親には申し訳ないけど、結婚はまだ先になりそうだ。
「そうよ。私たち愛し合ってるの。だから、早くあなたはここから出ていって!」
話に割って入った浮気相手は彼の首に腕を回しながらそう言ってきた。
彼から事実を聞かされてないようで、私に出て行けと当然のように言ってきた。まぁそんな発言をするってことは何も聞かされてないみたいだな。
それに、彼が私と別れたくないところを見ると、彼は体目当てで浮気相手と付き合ってるようだ。女の方は……言うまでもなく、金目当てだろう。
「……勘違いしてるけど、ここは私名義で借りてるの」
「なら、名義を彼に変更して早く出て行って!」
「お、おい!やめろ!」
「……何か勘違いしてるみたいだけど、確かに名義は私で彼に変更するのは可能よ。じゃあ、今後誰がここの家賃や水道代とかを払うの?貴女払えるの?」
「何言ってるの。そんなの彼が払うに決まってるじゃない!彼は私に色々プレゼンントしてくれたの。ご飯ももちろんだけど、ブランドのバックも」
「へぇー……」
体目当てにしては、随分と見栄を張って貢いだものね。でもこれ以上は彼がなんとなく可哀想ね。あーあ、顔面蒼白って感じ。
「何か勘違いしてるけど、この部屋の家賃も電気代も水道代も全部私が払ってるのよ?彼が払ってるのは自分の携帯代と車のローンと食費ぐらいよ」
それを伝えれば、女は「は?」と言葉を漏らす。まぁ当然の反応ね。多分、彼が口から出まかせを言っていたんだろう。まぁそりゃあこんな高級マンションに住んでいれば、自慢をしたくなるだろう。仮令他人の金で住んでいたとしても。
「彼の稼ぎでこんなマンション住めるわけないでしょ?稼ぎは私の方が圧倒的に上よ。ゼロの数が2つ以上違うし」
「ど、どういうこと!今まで騙してたの!?」
浮気相手は必死に問い詰めた。だけど男は答えない。
私はそんな様子を早く終わらないだろうと思いながら見つめていた。すると、彼が鋭い目で私の方を見てきた。
今まで見たことがないほどの怒りに満ちた目だった。
「なんだよその上から目線……ただ家で文字打ちしてるのに、なんで俺より金があんだよ……ふざけんなよ……女のくせに、女のくせに」
ベットから降り、私の方に近づいてくる彼はブツブツと何かを呟きながらこちらに近づいてくる。
いつもと違う彼に、私は逃げようとしたが、連日の仕事での徹夜作業のせいで体がふらつき、その場で尻餅をついた。
すぐに彼の顔を見ようとしたが、もう遅かった。
彼の手には、普段使用しているガラスの灰皿が握られており、それが勢い良く振り下ろされた。
私はその場に倒れたが、彼は何度も何度も私の頭をその灰皿で殴りつけてきた。
規則正しく鐘がなる。それと同時に、私の意識が遠くなっていく……