表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

5/9

虫ケラ令嬢世直し旅マゴット・05 虫と婚約破棄3




 ネムが四歳のある日、ニシカは言った。


「もう、お嬢さまはあたしがいなくても大丈夫ですね」


 そうして、大好きなニシカはネムの前からいなくなってしまった。

 本当は、ネムも分かっていた。ニシカは、本来は王都にいる『お母さま』の幼なじみで、忠臣で、『お母さま』の護衛騎士。貴族の正夫人は王都から出ることは出来ないから、『お母さま』の代わりに、領地で暮らすネムの側にいてくれた。

 ネムが大きくなって、オムツも取れて、おねしょもしなくなって、夜中に一人でトイレに行けるようにもなったから、王都邸の『お母さま』のところに戻ったのだ。

 それでもネムは寂しくて寂しくて仕方がなかった。

 領地には、一緒になって転がり回って遊ぶような幼なじみ達もたくさんいたけれど、それでも一人で寝る夜は心細くて怖かった。ネムは、ニシカが本当に大好きだったから。

 ネムはニシカとの思い出を辿るように、ニシカが捕まえてくれた生き物を捕まえるのに夢中になった。

滅多に会えない父親が帰ってきたときには、ねだりにねだって、『昆虫図鑑』や『生き物の飼育』といった本を買ってもらった。その頃ネムはまだ字が読めなかったけれど、自分のよく知っている虫たちが他の人の書いた本に乗っているのが不思議で楽しくて、読める家人を捕まえては読んでもらい、大のお気に入りになった。

 本に載っているように捕まえたバッタやカエルを飼ってみたけれど、何匹もの生き物を死なせてしまった。だからネムは注意深く、生き物が本来住んでいる環境や食べ物を観察するようになった。水中に棲んでいる生き物がみんな、『ニボシ』と『茹でた菜っ葉』が好きだとは限らない。だって池の中には、『ニボシ』も『茹でた菜っ葉』もないのだから……



◇◇◇



「君は結局、うちの財力目当ての婚約だったのか!?」


 叫んだネムに、カトムが非難の眼差しを向ける。

 カトムの後ろで友人の拘束から抜けようと暴れていたディータまでもが、動きを止めて『そこォ!?』と目で訴えてきている。

 もちろんネムだって、大好きなカトムな婚約破棄を突きつけられたのは、とてもショックだ。悲しい。でも、兄のように慕うカトムに『好きな人が出来たから婚約破棄して欲しい』と言われたなら、『カトムと結婚出来なければ生きていけない』とまで思い詰めているわけでもないネムは大人しく身を引く。

今まで色々と世話になってきたのだ。カトムの幸せのためなら、特に下がるほどの評判のないネムのこと、別に笑い物になったっていいのだ。

 でも、今だけは。

 この時期の婚約破棄だけは、やめて欲しかった。

 何故なら!

 三ヶ月後には、カトムの生家、シルバーコーン公爵家の全面バックアップを受けて、王都の一等地で『凄いぞ昆虫展』が開かれるという重要な時期なのだ。

 ネムは、虫が好きだ。

 もう一度言う。虫が大好きだ。

 王都に出てきて、同年代の貴族子女達に、『虫はキモチワルイ』『虫が好きなんて変だ』と散々言われ、一時期虫を避けていた時期もある。けれど、やっぱりネムは、生き物が、中でも虫が大大大好きなのだ。

 改めて自分の気持ちに気付き、吹っ切れてからは虫研究を仕事にまでしたし、そのために生きていると言っても過言ではない。

 『虫ケラ令嬢』というあだ名も、呼ばれ始めた最初の頃は落ち込んだりもしたけれど、良く考えるとそう悪くないと思うようになった。

 何しろ『虫ケラ』の語源となった説のあるオケラは、水・空・地中と何でもござれの虫界のオールラウンダーで、土の中に棲んでいるくせに翅があったりして、とても不思議で、小さい頃からネムが好きたった虫だ。大爺たち庭師の手伝いをしていると、よく遭遇した。敬意を込めてオケラ先輩と呼びたいくらいだ。

 けれど、ネムが何をどう思っていたとしても、一般的な虫の評価は変わらない。

 『キモチワルイ』『見たくもない』『いなくなればいい』

 ネムの大好きな虫たちの中には、人間の役に立つ虫も大勢いるのに。

 例えばベア医師が提唱しているマゴット・セラピー。

 治癒魔法も効かず、自然治癒に任せても悪化する一方、何なら近年隣国で発見された、菌を殺す高価な抗生物質(くすり)も効かないほどの菌に感染した傷や潰瘍、骨髄炎までを劇的に回復させる。

 結果だけ見るなら、とても有効で安価で優秀な治療法だ。

 にも関わらず、『ウジを使う』というただ一点において、気持ち悪い、不快、非人道的、といったマイナスのイメージが付きまとい、中々広まらず、治療院を訪れる人は少ない。結果、マゴット・セラピーに訪れるのは、『もう後がない』『なりふり構っていられない』『わらにもすがる』といった、悪化しまくった患者さん達ばかりになる。

 シャムナさんはまだ良い方で、中には壊死で指を切断済み、片足切断済み、なんて人もよく訪れる。もっと早く来てくれたなら……と思わずにはいられない。

 さらに、骨髄炎や創傷の感染で治療院を訪れるのは、何も大人ばかりではない。

 子どもにとって、傷口にウジを置くというのはとても怖いことらしく、大抵の子どもは泣いて嫌がる。


『そんなことをされるくらいなら、足がなくなったほうがマシ』『鬼』『悪魔』


 あの優しいベア医師に、そんな言葉が何度投げつけられただろう。

 シャムナさんのように、不承不承にも治療内容に承諾してもらえたなら治療は出来る。が、嫌がる子どもを押さえつけ、親の反対を踏み潰してまでの治療をする権威は、治療院にはない。ベア医師の手をはねつけて帰って行った子ども達は、その後どうなったのだろう……。

治っただろうか。それとも今でも、治らぬ傷に苦しんでいるのだろうか。やるせない思いを抱えても、ベア医師にもネムにも、去って行った子ども達のその後を知る術はない。

 どんなに良質の治療法があっても、結局のところ、患者さんが治療院のことを知り、治療院までやって来てくれなければ、医師にも研究者にも潜在的な患者さんの存在を知ることは出来ないのだ。


『この国の人たちに、何か一つでも好きな虫がいれば違うんでしょうけど』


 そう言ったのはディータだ。

 なるほど、とネムは思った。

 傷口に並んでいっせいに食事するマゴットのお尻を可愛いとネムは思うし、治療を終えた婦人の中にはマゴットを『小さな天使』と呼ぶ人までいたが、人には好き嫌いというものがある。

あのご婦人も、最初はマゴットを怖いと言っていた。マゴット・セラピーを受け、マゴットに親しみ、マゴットが着実に自分を癒やしてくれるのを実感したからこそ、『天使のよう』という感想が生まれた。

 何も、初めからマゴット自体を好ましいと思ってもらわなくてもいいのだ。世の中にはカブトムシやクワガタ、蝶、バッタといった、虫初心者にもとっつきやすいカッコ可愛い虫だっている。そこをとっかかりに、色々な虫に興味を持ってもらえたら。マゴットに対する抵抗感も減るかもしれない。

 カッコ可愛い虫を通して、人の役に立つ虫もいることを知ってもらいたい。虫がいなくなると人間だって生きてはいけない、というのは、何もネムの妄想ではない。

『キモチワルイ』『虫を殺せ』『虫は人間の敵』『駆逐しろ』

 そんな言葉を聞く度に、ネムはキュウっと首を絞められたような心地がする。

 

(それに、ひょっとしたら、黒ケムの『じゅうごねんご』にも関わるかもしれない)


 ずっとモヤモヤしていたネムの目標が決まった瞬間だった。

 方針が決まったら即実行。

 ネムは、道ばたで遊んでいる男の子たちを巻き込み、カブトムシやクワガタ、鈴虫の実物さえ持ち込み、昆虫捕りの網を振り回し、カブトムシのカッコ良さ、蝶の綺麗さ、テントウムシの可愛さ等などを地道にアピールして回った。

そんなネムの話をディータから聞き、呆れた顔でカトムが言った。


『そんな地道なことをしてたら、一生かかっても浸透しないんじゃないか? いっそ、うちが後援するから、昆虫展とか開いたらどうだ?』


 遊べて、楽しめて、学べる昆虫展。

 そのついでに、マゴット・セラピーや、人の役に立つ虫たちに関して知ってもらえれば万々歳だ。足や指を失う前のもっと早期に治療院へと来てもらえるかもしれないし、子ども達にも前向きにマゴットを受け入れてもらえるかもしれない。ベア医師が以前言っていた、『夜眠れない子ども達と、病室でマゴット・レースをしてみたいのです』という夢が叶う日がくるかもしれない。

 二度と、『虫を絶滅させよう』なんて声が上がらないように。

 カトムの提案にネムは喜び、踊り、全力でもって応えてきた。実に三年の年月をかけ、練り上げ築き上げてきた夢の大舞台。王都の人々はもちろんだが、ディータとカトムに一番に見てもらいたいネムの研究の集大成だ。

それなのに。

 ネムの夢を打ち砕いたのは、カトム自身だった。

 「婚約破棄」それ即ち、ネムの長年の夢である、『凄いぞ昆虫展』が立ち消えになる、ということだ。

 ネムのローゼワルテ伯爵家は貧乏だ。小さい頃に、何とかしようとディータと特産品を開発しようとしたくらいに貧乏だ。タンパク質の主要な摂取源が虫であるくらいに貧乏だ。ローゼワルテ伯爵家の領地はほとんど荒野で、豊かになりようがない。

 ローゼワルテ伯爵家単体で、王都の一等地に『昆虫展』を開けるような資金はない。『凄いぞ昆虫展』は、カトムが提案し、大貴族である公爵家がバックアップしてくれるはずだからこそ叶う野望なのだ。

 当然、ネムの願いも努力も、婚約破棄に伴う結果も、カトムは分かっている。

 ネムが、どれほど悲しむかも、ショックを受けるかも。

 婚約破棄するのは構わない。けれど、なぜ今なのか。自分は何か、今日、決定的なやらかしをしてしまったのか?

 ギリギリと胃が引き絞られる。唇を噛み、力の入らない足を無理矢理踏みしめたネムを、カトムは静かに睨み付けた。


「アムネシア、君は何と言った? 恐れ多くも、王家主催の園遊会で、貴族令嬢たるアナーシャ嬢に向かって」


 ネムは記憶を辿る。

 真面目なカトムをここまで怒らせるような、どんな失言をしてしまったのかと。


『蝶が、産まれないのですわ』


 カトムから紹介されたアナーシャ嬢は、鈴を転がすような声でそう言った。











獣人雑学・カヤネズミは、生きたままの草を器用に編んで球形の巣を作る。草の上に住んだり移動したりするので、骨の構造は鳥のように中空になっていて他のネズミより軽い。堤防の大規模ないっせい草刈りなどで住まいを追われることも多い。カヤネズミの丸い巣は縁起物でもある。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ