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黄泉比良坂に咲く花は  作者: 麻尾めぐ
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序章



ひやりとした風が、首筋を掠めていく。



もう桜も散り始めたというのに、夜はまだまだ冷える。寒いのは得意ではないから、夏の暑さの方がまだ我慢できる。いっそのこと夏になってしまえ、と思う。


そう思うのも、何回目の夜だろうか。

それでも今日は両サイドに人がいる分、背と正面だけが寒いからまだマシだ。


「来たね」


呟いたのは右側のジャージの男だ。それを聞いて左側にいる女が立ち上がったので、温もりがなくなって途端に寒い。


「じゃあ、私達は隠れているから。今日は80点目標ね」


そう言うと、一人を残して、二人の気配は夜風に連れ去られたかのようにふっと消えた。





 ――すん。



いい匂いがする。甘い匂い。

いるんだ、そこに。やっと見つけた。食いたい。喰いたい、もっと。軟らかな肉を。飲み干したい。渇いた喉を、生温かい血で潤したい。

ああ、その為には力が必要だ。あれを喰えば。ほんの少しでもいい。そうすればもっと満たされるはず。

よこせ。



「よこせ。ちからをよこせ。よこせ。よこせ!よこせぇぇえ!!」




 ――――――ごしゃっ




あっという間だった。

水分を多く含んだ物が壊れた音がして、狂った叫びは消えた。


静寂。

暗闇から叫びの代わりに聞こえてきたのは、近付く足音と、溜め息。


「速さは見事だけど、もっと綺麗に潰してよね。後片付けが大変じゃない」

 

女が肉片と成り果てたソレに近付き、地面に落ちている銘仙(めいせん)で作られた小さな袋を拾う。土埃を払い落とす優しい手つきとは裏腹に、冷やかに言い捨てた。

 

「今日の(かなう)くん、65点。」

「…加減したつもりなんだけど。」


素直に謝る男――叶に対し、女は追い打ちをかけるように厳しく採点する。どうやら、目標とされた80点には届かなかったようだ。普段はしない"くん"付けが小馬鹿にしているのだとわかる。


「まあまあ、そんなに厳しくしないでよヒノ。カナもこの前は50点だったんだし。十分上達してるよ。」


人なつっこそうな笑顔でジャージの男が仲裁に入る。だが、ヒノと呼ばれた女は気に食わないらしく、苦虫を噛み潰したような顔をしている。


「ヒナは甘過ぎるの。叶の為にならないでしょ。」


そんなに怒らないでもいいじゃない。とジャージ男、もとい、陽太(ひなた)は笑いながら潰れた物の片付けに取り掛かる。


「それに、何でジャージなのよ。装束を着なさいよね!」


見るとヒノは全身黒い装束を身に付けている。時代劇やアミューズメントパークで見る、忍者が着ているような物によく似ている。


「洗濯したら乾かなくて。でも、流石にジャージは快適だよ。今夜の仕事は雑魚ってわかってたしさ。」

「午後から雨予報だったのに何で洗ったのよ。本当にぼけっとしてるわね。快適だからってジャージを着てくるなんて自覚が足りないんじゃないの?!」

(ひのえ)、早く帰ろう。」

「はいはい!うわ、裾に付いちゃったし!もー。」


叶に促され、大まかに集めた肉片を中心に、三人で囲むように立つ。


『還りたまえ』


胸の前で合掌し、叶が短く唱えると、肉片が淡い光に包まれ、粒子となって消えていった。肉片は勿論、地面に染み込んだはずの体液も無くなって、周囲と同じ土色に戻っていた。


「よし。後は飛び散っちゃった所をちょちょっとやってお仕舞いだね。」

「それが手間なんだけどね。早く帰りたいなら綺麗にやってもらわないと。」

「ごめん。」

「ま、今日は見た感じ五ヶ所くらいだし、とっとと片付けて本家に報告しちゃおっか。」


本家、とは鬼統(きとう)叶の生家だ。

鬼統――字の如く"鬼を統べる者"


"鬼"というとお伽噺に出てくるような悪役という想像をされると思うが、そうではない。

地獄で罪人を管理している鬼、鬼神を指す。

何らかの理由で現世に留まっている魂。地獄行きをどうにか回避しようと現世にしがみつき、死して尚、悪事を働く魂。こういった者達が現世に影響を及ぼさないよう、黄泉に送るのが鬼統の役目だ。

浮世離れしたそれは、遥か昔、平安時代から始まったと伝えられる。


平安時代の官人 小野篁(おののたかむら)が井戸に落ちて地獄へ行った際、地獄の統治者である閻魔大王に奇才を認められ、現世へ帰す際に命ある人間の身で鬼神と同等の地位を賜った。


賜るというと聞こえは良いが、都合の良い部下にされたと言うのが正しい。

家に帰りたいけどタクシー代持ってません。

じゃあ送ってあげるよ。お礼?うちで働いて身体で返してくれたらいいよ。という訳だ。

 

時は流れ血族が増えるなかで、始祖の血と力を繋ぎ続ける当主のみが「鬼統」を名乗る。

直系の男子だろうと、当主になれなかった者は婚姻を機に別姓が与えられるのだ。


鬼統叶は名前からして直系男子だとわかるが、その能力はまだまだ未熟だ。サポートとして側に仕える陽太と丙が居なくては、浄化もままならない。


「よし、完璧だね!」


抜かりがないか再三確認をする。何事もなかったかのように元通りになった現場を後にして、自宅へと足を走らせた。


叶が時計を確認すると、午前3時半過ぎ。もう少しで早朝と言っていい時間になろうとしていた。


明日、いや、今日は学校があるのに…。


こんな時間に帰宅しても、きっと彼女はいつもと変わらない笑顔で出迎えてくれるのだろうと、家で待つ人の姿が頭に浮かび、申し訳なさと期待とで何とも言えない気持ちになる。


ふた月前までの自分には想像できなかったことだ。家に、自分の帰りを待つ誰かがいるだなんて。

 

彼女と出会って叶の生活は大きく変わった。




「あ、今日も待っていてくれたみたいだね。」


夜明けを待つ静まり返った住宅街の中に、ぽっと灯りのついている我が家を見つけて、陽太が安心した声を出した。叶も、地に足が着いたような感覚にほっと息を吐いて、がらがらと古めかしい音のする戸を滑らせた。



「お帰りなさいませ。お疲れ様でした。」


(あかり)。うん、ただいま。」


いつからここで帰りを待っていたのだろうか。戸を開けてすぐに彼女の姿があった。

待っている人がいる、ということは本当に安心する。帰りたいと思える。自分の帰る場所が確かにあると思える。


今まで自分に向けられる温もりを感じたことのなかった叶にとって、彼女は名前の通り、灯りだ。

叶は心に温かなものを感じる度に、灯と出会えた事が自分の人生にとってどんなに幸いかと、巡り合わせに感謝するのだった。


「叶さん、どこかお怪我されたんですか!?血が…。」


叶と丙の装束に、血液が乾いたかのような朱殷(しゅいん)の色になっている箇所を見つけて、さぁっと灯の顔色が変わる。十円玉くらいのほんの少しの変色だ。


ああ、また心配させてしまった。


「これは返り血というか。いつも通りに、怪しを倒した時に付いた(けがれ)だから、大丈夫。」

「今日は65点だったわよー。」


丙がすかさず横から今日の成果を報告する。

やめろ、恥ずかしい。


「わぁ、凄いです!叶さん。」


顔の前で小さく拍手する灯。

やめてくれ、本当に。


「凄くない!凄くないから!こんな、やっと平均点みたいな出来で…。いつも心配させちゃって、ごめん。」

「そうそう。凄くない凄くない。」

「っ丙。」


うんうん。と頷く丙。

不出来なのは確かにその通りなのだが、事実だとしても人に言われるのは腹が立つ。


「でも、凄いと思うのは本当です。それに、どんなに叶さんが強くなっても、私は心配しちゃうと思います。私は、隠れているばかりで、何も出来ないですから…。」


灯の声はだんだん尻すぼみになる。さっきまで拍手していた小さな両手が、ぎゅっと固く握られた。

何も出来ないなんて、そんなこと有り得ないんだけどな――


「あか「もー、灯ちゃん!そんなことないよ!」


にっこにこ笑顔の陽太のフォローが、叶の声を上から消した。


「僕達にとって、灯ちゃんは帰る場所なんだよ。君が待っていてくれるから頑張れるの。カナもヒノもね、勿論僕も。」

「ヒナ。」


深夜のテンションでおかしくなっているのか、陽太は丙が制止する声にも気付かない。


「それにいつも美味しいご飯を作ってくれるじゃない。本当に凄く美味しいし。バランスも良くてさ。何もしてないなんて、とんでもないよ!いつもありがとう!」


「ヒナ、ちょっと。」


「ん?」


脇腹をつつかれてやっと気付いた陽太が隣を見ると、叶は俯いて固まってしまっている。


「カナ?どうしたの?」


丙が額に手を当てて、やってしまったな、という顔をしている。今なら誰でも容易に丙の心の声を読むことができる。これは、あちゃー、だ。


「叶が言いたかった事を、ヒナが全部言っちゃったよ。」

「え?あっ!あー、ごめん…。」


一言も発しない叶が怖い。


「ごめん、カナ。えと、じゃあ帰るね!また後で――」


陽太はそそくさと出ていった。


「逃げたわね。」

「あの、叶さん?」


灯が声をかけるが、叶は微動だにしない。まったく、と呟いて丙は敷居を外へ跨ぐ。


「私も帰るわ。一応、戸締まり忘れないでね。あとこれ、ありがと。」


ころん、と掌に乗せられたのは銘仙の小袋だ。


「じゃあ、また後でね。」

「はい、また後で。おやすみなさい。」


この家には結界で囲まれていて安全だ。それをわかっていても、毎回戸締まりを促してくる丙を、優しい人だなぁと灯は嬉しく思う。


さて、今日は学校に行かなくてはいけない。残された数時間は貴重だ。


「叶さん?」


恐る恐る顔を覗いてみようとしたが、ふい、と背けられてしまった。

灯は自分の行動に少し反省する。"私の分際"で不躾だったかも…。


「ここは冷えますし、上がりませんか?お風呂の用意ができているので、身体を温めてください。」


長いこと外にいて冷えているだろう身体が心配で声をかけるが、まだ顔を上げてくれない。


「私、お湯加減みてきますね。」


少しでも長く睡眠をとって欲しいので、応じてくれると良いのだが。生憎の雨で布団を干せず、ふかふかの寝床を用意出来なかったことが悔やまれる。


「灯」


叶に向けた背中が、小さな声で呼び止められた。怒りのない、優しい声色で安心する。この人は、出会った時からずっと優しい。


「いつもありがとう。」


叶はまだ俯いたままだったが、いつもより赤く見える耳は夜風に晒されたからではない。

 

もう、春だから。


「こちらこそ、ありがとうございます。」


君がくれた春だから。

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