▽▽チョコレート革命(2年後)
【シャンパンブラン】
朝、椅子に座ろうとしたアレクシスを阻むように、教室のアレクシスの席には山と箱や袋が積んであった。
ひとつひとつ手に取り確認すると、関係を持ったものから名前すら知らないものまで、幅の広いバリエーションの名前が列挙されている。
「(今日は、そうか。バレンタインか。)」
どういうイベントかと言われたらチョコレートが胸を悪くするほど貰える日という認識でしかないが、ひとつとして手作りのものが無い事に機嫌を良くしていそいそとチョコレートを纏めてしまい、バレンタインを察してか付いてきていた使用人に全て任せてしまう。
帰ったらアリシアに丸投げするのだ。
優しい彼女は、名前さえ確認しておいたら、それに相応しいお返しをホワイトデーまでに用意してくれる。できた姉なのである。
代わりに、チョコレートの山は全てアリシア行きとなる。
令嬢ともなれば、お抱えのパティシエがいるのも当たり前なので、名家のスイーツを楽しめるイベントがアリシアは好きなのだ。
自分にはただ一つのチョコレートがあれば十分である。
幼い頃よりこの日には特別に作ってくれる事になっているチョコレート。
恐く、もうアリシアの部屋に用意されているだろうそれを思うと心が解けていきそうだ。
白ぶどうのシャンパンを効かせたガナッシュをコーティングし、赤のハート型に成形したチョコレート。
昔、父のチョコレートを作っていたアリシアに駄々を捏ねて、アルコールが入っているから一つだけね。と貰ったのを皮切りに、毎年バレンタインには強請っているチョコレートだ。レシピは頭にあるので、アリシアが眠っている間は自分で作ってみたりしたが、どうしてもチョコレートにならず、なぜか消し炭にしかならなかった。
酒が好きな訳ではなく、アリシアとの秘密を持てるのが嬉しかったのだ。
ああ、早く帰りたいなぁ。と先程別れたばかりなのに既にアリシアに会いたくなっている。
アリシアの作るチョコレートだけを食べて、血肉全てがアリシアで構成されてしまえばいいのに。
赤い赤いチョコレート。シャンパン香るこれだけは僕のもの。
【シャンパンノワール】
「お母様、これは…」
「ああ、それはアリシア様からだそうよ。眠っている間、毎日お見舞いに来てくれた御礼とのことだけど、あなたまだアリシア様を追いかけていたの?」
お仕事ちゃんとしてる?と呆れたような声を母が発しているが、全く頭に入ってこない。
黒い箱に濃紺のリボンを掛けられたそれは、今日という日を考えても間違いない。チョコレートだ!
勿体なくて開けられないが、開けなくてはそこに見えているメッセージカードが取れない仕掛けになっており、長い長い葛藤の末、リボンに手をかけた。
葛藤の割に、高級そうなリボンはするりと机の上に落ちて、包装紙を慎重に開き、メッセージカードを手にした。
〘 アレクシスを支えてくれてありがとう〙
それだけ。それだけのコトバが身に染み入って、零れないように胸にきつく抱いた。
まだ許されたとは思えない。ただ今回の件に礼を言われただけ。油断するな。
何度も何度も字を目でなぞってから、箱を開けると、真っ黒なのにツヤツヤと光沢のあるハート型が6つ並んでいた。
まるでそう、アリシアの瞳と髪のように黒々とした美しいチョコレートが。
抗いきれぬ誘惑に負け、保存しようと思っていたチョコレートのひとつに手が伸びる。歯を立てると、コーティングされたチョコレートの中から黒ぶどうのシャンパンが使われたガナッシュが滑らかに下の上を通り過ぎていく。絶品だ。今まで食べたことの無い、史上の甘味がここにあった。
もう1つ、と手を伸ばしかけてなんとか箱を閉じ、リボンと包装紙を元に戻した。
次にこれを食べるのは、アリシアに本当に許された時だ。と腹に決め、今日の日課を熟すべく、騎士は部屋を出ていった。
【レモンキャラメル】
婚約者になって、ほぼ10年。言葉を禁じられて、だいたい8年。
もうすぐだ。
もうすぐ、アリシアに声をかけ、正真正銘の婚約者として、いや、伴侶として一緒にいることが出来る。
だから落ち着こう。
ここ10年、というかアリシアは眠っていたから実質4年間欠かさず贈られてきた手作りのチョコレートが届かない。
僕はチョコレートのみならず、甘い物を全て排除して生きているが、なにも嫌いなわけじゃない。寧ろ好きだ。だが、アリシアに近づけなくなった原因であり、アリシアも食べないことを望むのなら、甘い物を憎むくらい容易いだけのことだ。
そんな僕に、アリシアは毎年、飾るためのお菓子を贈ってきてくれていた。
例えば、マジパンで作った人形であるとか、砂糖の入っていないパンで作った飾り用品などだ。
だが、今年は何も来ない。
普段の僕からは考えられない失態だが、時計が進む事にだんだんとイライラが募っていって、家に帰っても何も手につかなかった。
嫌でも書類は溜まるもので、なんとか進めようと悪戦苦闘していると、突然ドアが叩かれ使用人が小さな箱を手に入ってきた。なにやら使用人は怯えており、なんとかいつもの平静を保って応対すると、門外で女生徒から預かり物を持ってきたと言い、箱を机に置いて去ってしまった。
躾の行き届いていないことだ、と頭痛を感じながら箱を見ると「Fromアリシア」とだけ書かれており飛び跳ねていてもおかしくない程驚いた。
アリシアが、そこまで来ていた。
僕のために。
教室ではもっと近くに座っているというのに、彼女自ら来てくれたのかと思うとそれだけで胸がいっぱいになった。
箱を開けると、エメラルドグリーンのチョコレートがひとつだけ。
あとは緩衝材だ。
「レモンとチョコレートを今まで食べていて苦しくなったことがなければ食べてください。」
カードを裏返すとそのようなことが書かれていた。
チョコレートを手に取り、光にかざすとキラキラと輝き、さながら宝石のようだ。パクリと一口で食べて、口内で転がしコーティングを剥ぐと、ガナッシュとレモンの風味が口いっぱいに広がった。こくりと飲み干した久しぶりの甘味に酔う。どうやら痒みも腫れも無いようだ。
しかし。
「苦しいなぁ…。」
アリシアに直接ありがとうを、美味しかったを言う力のない自分が悔しくて苦しかった。
【フランボワーズキャラメル】
「ハッピーバレンタイン!」
おはようよりも早く両手をこちらに差し出してきた担任には笑うしかない。
「はい、ハッピーバレンタイン。」
お中元のように大きな箱を侍女から受け取り、担任ことミッチェルに渡す。
「わぁ!大きな箱!開けてもいい?」
勿論、と苦笑しながら頷くと、ミッチェルはビリリと音を立てながら鼻歌交じりに箱を暴いていく。
「すごくいい香り!フランボワーズだね?」
「はい。以前フランボワーズのケーキをお好きな様子だったので、今手に入るフランボワーズ全てを詰め込んでみました。」
ミッチェルに渡したのは、上がフランボワーズ、下がキャラメルの2層構造になっているガナッシュ。それをありったけ。
「うふふ、好きな物覚えてくれてたのも、僕だけ特別なのも凄く嬉しい。ありがとうね。」
ホワイトデー期待してて!とチョコレートを口に含みながら、おいしい!と言い残してミッチェルは去っていった。教員は、特にミッチェルのような若くて美しい上に家柄もある教員は、今日は大忙しだろうに、チョコレートを受け取りにだけ出てきてくれたようだ。
みんなの前で渡そうものなら、サポートキャラとはいえバッドエンドにダッシュをかましてしまいそうなので困ったなと思っていたので本当に良かった。
【シトロン】
「え、兄にチョコレートをですか?」
「ええ。お願いできるかしら?代わりに渡して欲しいの。」
「…そんなLove Situationを壊す訳には!是非、兄にはアリシア様御本人がチョコレートを渡してやってください!」
「えええ。」
スカイに渡してもどうせ食べるのは妹のミカだから、どっちでもいいやと主人公に渡すことで兄に懸想する悪役令嬢のイメージを出来るだけ消そうと思ったのに、そのミカから直接渡すよう説得されてしまった。目がランランと輝いている。迫力美人怖い。
「スカイ先生、お邪魔だとは思うんですが、チョコレートを貰っていただけませんか?」
「どうしたのぉ?貰い過ぎて困っちゃってるとか?」
目を見ようとすると首が!と苦痛を感じていると、長身が少し目線を合わせてくれる。そういう気遣いができるところもイケメンですね。
「いえ、私は貰っていませんよ。貰えるほどの人物では無いので。」
この世界にも友チョコや義理チョコは存在するが、アリシアは生まれてこの方貰ったことがないタイプの悪役令嬢だ。
「え?嘘でしょ。アリシアの周りは節穴だらけなのかなぁ?」
本気のハテナを飛ばしてくれているが、現実なんてそんなものというか、悪役令嬢は多分尊敬とか御礼とかとは遠いところにいるのではないだろうか。
「前に先生方の模範演習の時に差し入れしたはちみつレモンを大層気に入られていたようだったので、はちみつレモンのジュレとガナッシュで作ってみました。お口に合うと良いのですが。」
「よく覚えてたね〜。」
「ミッチェル先生にも言われたんですが、喜んでくださると嬉しくて印象に残ってしまうんです。変わり映えしなくてすみません。」
「嬉しいよぉ。ミカと一緒に美味しくいただきます。」
最近スカイはとてもよく笑うようになった。もともと朗らかに笑っていたが、キラキラと何かフェロモンをも感じさせる勢いでとても眩しい。
ミカも学校にすっかり馴染んで、肩の荷が降りたのかもしれない。
「ホワイトデー、どうしようかなぁ。もう返しきれないくらいだよ。」
ボソリと呟いたスカイと別れて、バレンタインの日はすぎていく。




