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僕と人魚

作者: ゆずりは

僕は魚を食べたことがない。

そう、たったの一度もだ。

27年間今まで魚を食べたことはないし、食べようとしたこともない。


しかし僕は、決して魚が嫌いな訳じゃない。

月に一度水族館に行く。そこでは僕は、まず熱帯魚を見る。赤や青や黄色の、色とりどりの小さい魚が水槽の中の水草から顔を覗かせるのをぼんやりと眺める。

そして次に海月を見る。不規則に上下する半透明の生き物を、やはりここでもぼんやりと眺める。

そして大きい魚を眺めて、ペンギンを見て帰る。


つまりは僕は、魚が嫌いだから魚を食べない訳じゃない。

僕は魚が好きだから食べられないのだ。

この話をすると、大抵の人はおかしいと笑う。僕の友達のジェシーもケビンも初めて話した時はそうだった。

魚は食べ物じゃないか、と決まって言う。


それでも僕は魚を食べない。僕にとっては魚を食べるというのは、人間を食べているのと同じなのだ。


話を変えよう。と言っても、僕についての話ではある。

僕は作家をしている。売れている訳ではないが、売れていない訳でもない。

本屋にいけば僕の本は並んでいる。人気作家達の横の棚だ。


作家というのは稼げるのか、と作家をしていると話すとよく聞かれるが、実を言えば全然稼げない。

よく名前を聞く人気作家の奴らなら、金には困らない程稼げるのかもしれないが、僕みたいな連中は残念ながらそうはいかない。


しかし僕は、今まで金に困った事はない。

それはそうだ。何せ資産家だった父が幼い頃に金をたらふく残して死んだ。母もそれに続くように病死した。


だから僕は金に困った事はない。むしろ有り余る程の金がある。

その代わりに、幼い頃に親が死んだからか愛には人一倍飢えていた。


また別の話をしよう。例によって僕の話だ。

僕は数日前ここに越してきた。それなりの大きさの島に、青い屋根の家が一軒。それ以外何もないこの家を島ごと買った。

買い物をするには船で向こうの街まで15分。不便な島だ。

越してきた理由はただの気分だ。都会の喧騒に飽き飽きした、というのが一番の理由だろうか。


前に住んでいた家は、人が大勢集まる駅のすぐ近くだった。

そこは夜景が綺麗で、近くに何でもあるから生活に不自由はしなかった。

しかし僕は引っ越した。前の家は確かに便利だった。普通の人間なら理想の家と言って良かった。

だが僕にとっては違った。

何しろ空気が汚い。すぐ近くに道路があるものだから、空気は透き通ってない。

そして夜もうるさかった。寝静まることなく街は働き続けていた。


だから僕は越してきた。すぐ近くに道路も、大きな会社のビルもないこの島の方が、僕にとっては理想の家だ。

それに、周りが海だ。


僕がこの家に決めた理由に、海は大きく影響した。

ただ空気が綺麗で静かな場所なら、山の中でも良かった。

それでも僕が島を選んだのは、海があったからだ。


海は良い。広くて綺麗だ。そして何より人間の手によってまだ汚されていない。

残念ながら、全ての海がそうではないのだが。


夜の海をバルコニーから眺めながら僕はコーヒーを啜った。

コーヒーの香ばしい独特の香りに打ち付けた波の飛沫の香りが混ざっている。

僕は引っ越してきてから毎晩バルコニーでコーヒーを飲んでいる。

都会の高級なカフェのやつよりも、遙かに旨い。


ふと僕は波打ち際に何か見慣れないものが流れ着いていることに気がついた。

気になった僕は、飲み終えたコーヒーカップを机に置いて家を出た。

階段を降りて砂浜に行くと、そこには人影のようなものが見えた。


僕は護身用の銃を取りに戻ろうか迷った。

しかしすぐに、その必要は無いことが分かった。


人影はゆっくりとこちらを振り向き、その目を見開いた。


「あら?」

透明なガラスを思わせる声で、僕をみて驚いたような顔をした彼女、いや、彼女と呼ぶのを僕は躊躇った。

なぜならそれは、上半身は髪の長い女を、そして下半身は魚の鱗と鰭のついた、映画やドラマで見慣れた人魚の姿をしていたからだ。


「人魚」

僕は自然と口に出してその名を呼んでいた。

すると彼女は「そう、人魚」と答えた。

それが僕と人魚の出会いだった。


後になって彼女は、「あの時はとても驚いたわ。だって人間に会ったのは初めてだったから。それはそうよ、何千年も生きて初めての事だったのよ。それは驚くわ。」と振り返った。


僕は人魚に色々な話をし、また人魚は僕に色々な話をした。


不思議と恐怖は無かった。もちろん彼女が化け猫や、ゾンビの姿をしていれば怖かったのかもしれないが、何せ人魚の姿をしていたのだ。恐怖は無かった。


僕は彼女に話した。

都会が嫌いな事、魚を食べたことが無いことも話した。

彼女は「そういう人間もいるのね」とだけ言った。


彼女から僕は話を聞いた。

人魚といえど不死ではない事、寿命が長い事、そしてその寿命ももうじき終わる事。


僕と彼女は毎晩そこで会った。

海の向こうに見える街の明かりが消え始める頃、僕はバルコニーで飲んでいたコーヒーを飲み終えて砂浜に降りた。

それを7年と半年やった。


僕らの話の話題が尽きる事は無かった。人魚と話すのだ。

話す事も、聞く事も、尽きる事は無かった。


初めて会った時から7年と半年後のある日、彼女は「もうじき私は死ぬよ」と言った。


大して驚きもしなかったし、悲しくもならなかった。

ずっと前からその話を聞かされていたし、受け入れる覚悟も出来ていた。

だから僕は「そうか、それじゃあ一つお願いがある。」

と言ってお願いをした。

死ぬときは、どうか僕の横で死んでくれないかと頼んだのだ。


彼女は泣きそうな顔で「うん」と一つだけ頷いた。


彼女が死んだのはそのお願いをした、次の日の夜だった。

彼女は僕の隣で、肩を僕に委ねながら死んだ。

こんな時、人間なら冷たくなるんだろうなと思いながら、元々冷たい彼女の頬を撫でた。


僕はこの島にひとりぼっちになった。

そんな事、引っ越す前から当たり前に分かっていたはずだった。


この島に越してきて、僕は初めて寂しいと思った。

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