その8、同じ風景を一緒に見たかった
感想が欲しいと思うのは、自分が作った風景を自分が思ったように見えているか確認したいからでしょうか。
私が感想を欲しくないと思う理由の1つは、各人それぞれ胸の底にある一番の見たい風景のある場所が日記であると思うからです。
自分の風景を一番見たいのはきっと自分自身でしょうからね。
だから私がその風景を見ることはきっと叶わないでしょう。
貴方の中で貴方が一番見たいものが見れたらなら、それを捨てた私の時間も無駄ではなかったことに出来ますから。
結果その風景が見つかったとしても、独り占めしたかったり、人様には到底見せられないようなものかもしれません。
形にしないことが、一番美しい形であるかもしれません。
それを自慢したくて、小説やその他色々な形にするのもきっと間違ってはいないです。
だからこそ自分以外の誰かに見て欲しくて形にしたくはなります。
しかし今の私が見せたい風景は、小説を書くことを諦める前まで感じていた全てが零れ落ちていく感覚です。
考えた端からぽっかりと空いた穴の中に全部飲み込まれるように、何を考えてもどこかへ消えていきました。
絶対に断念してなるものかと意固地になり、無理して書くことを続けていました。
何度も何度も繰り返し自身には何も形を残すことが出来ないことを確信してしまったため、私は止めることを決めました。
諦めると決めた時、心の底からよかったと思ってしまいました。
私と同じ風景が見えたなら、立ち止まって欲しいですしむしろ逃げて欲しいです。
全てが穴の中に消えていく先に新しい風景が広がっていたかもしれません。
そのために同じ無力感を味い続けろとは思いませんし、自分の書きたい夢を投げ捨ててホッとする風景まで進ませたくありません。
もしエターしそう、もうエターしたいと考えている誰かがいたら、頑張ることを一瞬だけでも踏みとどまって欲しいです。
私は抜け出す方法も助かり方も知りません。
だから、ただ一度手を止めて休んで欲しい、振り返ってみて欲しいとしか書けません。
無理した先には投げ出すことしか見つけられませんでしたから。
仮に諦めることを選んだとしても、少しでも私よりはマシな終わり方を見つけて欲しいです。
日記をつけましょう。
過去の自分にあの風景を教えられたら、まだ続けられたかもしれません。