その2、コーヒー派でタイピング中毒
私はコーヒー派です。
両親がコーヒー派だからです。
それだけです。
身近な人間がコーヒー飲んで、過去の私もコーヒーを飲んで、継続している今の私もコーヒーを飲んでいるだけです。
私が日記を継続していられるのも同じような理由かもしれません。
昔タイピングゲームをしていたことがあります。
今プライベートでの日記はテキストファイルにキーボード入力をしています。
それだけではないかもしれませんが、体と心に齟齬は感じていません。
惰性で続いているだけなのかもしれませんが、過去にしていたことと関連していたから続けられているかもしれません。
実行する習慣と同様に、実行してこなかった習慣を変えるのも難しいでしょう。
例えば、日記を書かないという習慣だった人とか。
だから、無理して日記を書く必要はないと思います。
今まで選んできた、もしくは避けてきた生き方を変えるのはきっと難しいでしょう。
たかだが日記ですが、無理して続けたって良いことはありません。
無理して書いていく内に、自分の書いた内容どころか文字にすら腹立ちを覚えることになるかもしれません。
私が今こうやって日記を続けていられるのは日記を目的ではなく、手段の1つとして用いているからだと思います。
忘れたくない、見返したい、眺め直したい。
それを体に馴染んでいる方法がたまたまあったから続けていられるだけでしょう。
日記は三日坊主となるもの、飽きやすいものでもあります。
たかだが日記です、投稿などせずこっそり始めてこっそり止めても誰も怒らないでしょう。
しかし、失敗は失敗です。
いかに些細であれ失敗です、小さな失敗も繰り返せば苦味が増して不愉快となります。
いずれその何気ない感覚が重なって、書くことそのものが不愉快であるという無意識の確信になるかもしれません。
失敗する未来を確信できるのなら、無理して失敗する必要も無いでしょう。
自分の書くものではなく、他所様の活動報告という日記を読んで心穏やかに楽しむのがいいかもしれません。
日記をつけましょう。
誰かの日記を楽しめるのであれば、自分自身もあるいは一緒に楽しめるかもしれません。