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32 嫉妬

「KYって何の略称なんだ?」


 午前の作業を終えた整備兵が、朝から気になっていた素朴な疑問を同僚に尋ねてみた。


「さぁな。|空気読める(Kuki-Yomeru)とかじゃね?」

「なるほどな」

「……納得しちまったのかよ」

「だって、実際、そういう機能らしいじゃんか」


 彼らが話題にしているのは、今朝方通達されたアーマシング・ファーザーの『新機能』についてである。

 アヤと、彼女をバックアップする操甲技術開発室は、ファーザーが新たに“開示した”データを解析し、その一部を現場の兵士にも公表していた。


 ――『KY電脳機構ファンクション』、実際の含意は危険予測(Kiken-Yosoku)である。

 主たる機能は、蓄積された膨大な戦闘記録を基に事象予測を行い、機体の生存性を高めること。

 これを機体コントロールに適用することで、ファーザーは単座での運用が可能となったのだ。


「なんなんだろうな、あの、ファーザーって機体は。知ってるか? この前、初めて小破して帰ってきただろ?」

「それな。俺らの班で補修作業したから知ってるよ。明くる日になったら、充填しといたナーガレジンが剥がれちまってるんだもんな。マジで“自己再生”してんだぜ?」

「装甲まで『マーラサイン』で作るとか、どこのバカ富豪の仕業なんだかなあ」


 アーマシングの外装を形成する『龍樹脂ナーガレジン』と共に、欠かせない部材が『魔者資マーラサイン』である。

 周囲の物質を取り込んで代謝再生する性質を持つレアメタルで、エンジンとなる無限回転発動機『プラナドライブ』の心臓部に用いられている。


 ファーザーの装甲は、先だってダイオード兄弟のトゥーマ・タイプとの戦闘で損傷を負った。しかし、黒鉄色の装甲部材は一昼夜のうちに元通りに再生していたのである。

 その現象を目の当たりにした整備兵らは、ファーザーの装甲がすべてマーラサインによって造られているものだと理解していた。

 ――実際には、それ以上の再生効率をもった“未知の”結晶物質が用いられているのだが、この事実は一般兵である彼らには“知らされていない”。


「しかしまあ、あれだけのモンをまだ前線で“使う”ってんだから、“大佐殿”のオカンガエは分からんよなァ」

「単座で実戦投入するって話だぜ。怖い怖い――お、噂をすれば」


 野営地に簡易建築された食堂の扉が開き、やってきた青年に整備兵の一人は声をかけた。


「よ、バンカ。お疲れさん、次の“相方”は誰だった?」

「……まだ聞いてねェよ」


 バンカ=タエリは、煩わしそうにクセ毛の金髪を掻くと、見つけた空席のパイプ椅子にドカ、と腰を下ろした。


 ――ファーザーの単座運用は、ヴォルテが担当することになっている。

 必然的にバンカはファーザーから降りることとなり、特殊遊撃分隊からも外された。

 軍での上昇志向の強いバンカにとって、戦果を挙げ注目を一身に浴びているファーザーから降ろされることは、せっかく手にしたチャンスを取り上げられるようなものに思えた。


 焦りがあった。そして、嫉妬もあった。

 その嫉妬が向かうのは――――


「ヴォルテのやつ、うまいことやったよな。知ってるか? あいつ、こないだ少尉ちゃんと二人きりで外出したらしいぜ」


 気がつけば、バンカは椅子を蹴って立ち上がり。

 へらへらと口をきいてくる整備兵の胸倉を掴んでいた。


「――黙れ。ぶっ殺されてえか」


 昼食の喧騒に包まれていた食堂が静まり返る。

 周囲の視線は、剣呑な形相で拳を握るバンカに集中した。


「何やってんの、バンカ」


 注目は、次いで響いた声の主に移る。ヴォルテである。

 普段から仲間内に対して柔和な姿勢を崩さないヴォルテは、この時も、怒るでも戸惑うでもなく、中庸ニュートラルな表情でバンカに問いかけていた。


「チッ……なんでもねェよ」


 バンカは級友で戦友の青年が向けてくる黒い瞳に向かい合えず。

 整備兵を解放し、逃げるように食堂を後にした。


「……バンカ兵長、ショックだったんでしょうか」


 既に周囲には喧騒が戻りつつある中、ヴォルテの影に隠れていたアヤが、脇から顔を出した。

 バンカが立ち去った後の扉を心配そうに見つめるアヤを、上背のあるヴォルテは隣から見下ろしている。


「クラブ活動じゃあ無いんですから、少尉は気にしなくて良いですよ。バンカもその辺りは分かってるはずですし」

「本当にそう、なら良いんですけど」


 彼の冷静さが却って不自然に思えたアヤは、なおも心配そうな上目遣いでヴォルテの顔を覗き込むのだった。


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