優しい怪奇現象
夏の昼間、蝉が鳴きボロアパートは灼熱と化す、唯一の冷房は風鈴の音のみ、窓を開けても温風しか入ってこない。
「貴方が好きです」
突如聞こえた女性の声に俺は心臓が飛び出るほど驚いた、声の聞こえた壁に目をやると薄っすらと黒髪の女が壁から顔だけ出している
え? 何? 隣の部屋から顔面だけ突き破ってんのか?
「ですから貴方が好きなんですよ」
女はジト目でこちらを見つめている、怖いなぁ怖いなぁと思いながらも俺は恐る恐る問いかけた。
「えーと、どちら様? それどういう状況?」
女は俺の言葉を聞いて満面の笑みを浮かべる、壁からにゅっと両腕が出てきて両手を合わせて小首を傾げた。
笑顔の彼女は体制と存在を無視すればかなりの美人さんだが……色々とおかしい。
「見えてる! やはり私が見えてますか!」
「あー、えっとだから、誰?」
「私隣の部屋の元住民です!」
「元?」
「えぇ! 私故人ですので!」
いやいや、喜びながら自分のを故人と呼ぶのはどうかと、てことはこの人は所謂幽霊? ついに出やがった? しかも真昼間から?
このボロアパート何かあると思った、異常に安かったし。
「お引き取りください」
「祟りますよ?」
今度は脅迫してきやがった、俺は洗い場から食塩を一握りして壁に投げつけた。
「悪霊退散!」
すると女の姿が消えた、俺は安堵の息を漏らすが背筋が寒い、振り向くと先程の女が居た、黒いTシャツにショートパンツのラフな格好だが脚が薄く無いに等しい。
目につくのは脚よりそのTシャツだ、胸元に『I'll be back』と記されていた、俺は頭を抱える、戻ってきちゃったんだな、うん。
「おぉ! やっとこっちの部屋に出れたぁ! これがお盆の力!」
霊らしくなく彼女は両手を上げて喜んでいる、何故だろう怖くなくなってきた。
「本物ってやつ?」
「そうですよ? 貴方が好きです」
今日3度目の告白が飛んできた、何なんだこの人は。
「俺は幽霊に好かれるような事しました?」
「幽霊じゃありません! 地縛霊です!」
「余計に悪い!」
彼女は床に腰を下ろし人差し指を立てながら話し始めた。
「私はずっと貴方をあの体勢で見ていたのです、そしたら貴方が遂に私を目視できるようになったのです」
やだこの人やっぱり怖い、常識外れのカミングアウトでお腹いっぱいです、帰っていただきたい。
「へぇ、貴方は壁から顔を出していて俺はそれに気づかなかったと」
「はい!」
よし良い返事だ、躊躇いのなさに俺はどうして良いか解らないぞ?
「何故俺は貴方を見れる様になったんだ?」
「お盆ですから!」
はいストップストップ、彼女は決定的な間違いを起こしている。
「今7月」
「なんと! なら私の想いが貴方に通じたのですね!」
目を丸くする彼女はあり得ないほどの自己完結をしている。
「そもそも何故俺なんだ?」
「近かったからです!」
あまりにも正直過ぎる彼女の答えに最早苦笑いすら出ない、勿論俺は面が良いわけではない、仮にずっと俺を見ていたのなら性格とか、行動とか言ってもらえると期待していた俺が余りに滑稽だ。
「あ、場所の問題?」
「そうですよ? けど最近はかっこいいと思う様になりました」
「へぇ……」
(帰ってくれないかな、でも帰っても隣の部屋なのか……)
「ほらほら! 此間人参切りながら必殺技叫んでた……」
「やめぇい!……!?」
俺の醜態を口走ろうとした彼女の口元を抑えようとしたら彼女の体を通り抜け俺は散らかっている部屋の床にヘッドスライディングを決めた。
「なんて熱いアプローチ!」
「ちゃうわ! それに何で告白しに来たの? 死人に口無しだろ!」
「成仏する為です」
「は?」
俺は鼻を摩りながら起き上がると彼女は寂しげな表情を浮かべていた。
「私は死ぬとき、なんて呆気ないのだろうと、せめて恋をしたかった……」
「はぁ」
「気づくのが遅かった、最初はいつも通り生活していましたが数日経って解りました私は他人に見えていないと、似た様な人は沢山居ましたが、皆無視されているのです、私は恋をしたいと願ってから地縛霊となりこの世のこのアパートに留まり続けましたが、誰も私の事なんて気づいてくれません」
知る事の無かった幽霊事情を知る事のなった俺はこの人の事を同情していたのだろう、見るからに若い、俺と相違ない年頃に見える。
こんなに若くして命を落としたら死んでも死にきれないのだろう。
「あのさ、名前教えてくれないかな」
「朱莉です」
「そうか、朱莉さん……俺も貴方が好きです」
この言葉で彼女が幸せに成仏してくれるなら、俺は生まれて初めて愛の告白をした。
しかし、朱莉さんはジト目でこちらを見つめて成仏する気配がない。
「心が篭ってないです」
「は?」
「私は告白されたいのでは無いのです! 恋をしたいのです!」
「だったら近場で済ますな!」
「貴方から本当に好かれないと私は成仏できません! これはロマンチックな呪いなのです!」
「俺の優しさを返せ!」
こうして俺と地縛霊の生活が始まった、朱莉さんは地縛霊と言いながらも、俺に視線を送り続けるだけで、実害は無かったがそれは場所を選ばない行為で風呂トイレ構わず付いてくる、何だろう慣れって怖いね。
朱莉さんは話し相手になってくれるしいつも笑顔だ、次第に俺は朱莉さんに惹かれていた、いつかその白い肌に触れたいと思っていても無情に俺の手は彼女をすり抜ける、叶ってはいけない恋だと気づいたのは遅すぎた。
俺達の同居が一ヶ月を過ぎた時。
「朱莉さん、どうしたの?」
朱莉さんはそわそわと落ち着きが無い、両手を握りしめ寂しそうな表情を浮かべている。
「いえ、貴方にはお世話になりました」
急に何故そんな事を、俺は慌ててカレンダーを見ると今日は8月16日の送り火。
「朱莉さん……? 待ってまだ! 俺は貴方に!」
辺りは夕方になり気温は下がり過ごしやすい気温になっていた涼しい風が寒く感じるほど俺の気は動転したが汗が止まらない。
朱莉さんは目を閉じ首を横にゆっくりと振った。
「貴方の気持ちは解ります、この一ヶ月で私を愛してくれました」
「待ってくれ、何勝手に取り憑いて勝手に消えようとしてるんだよ!」
朱莉さんの手を取ろうとしてもすり抜けてしまいそれすら出来ない。
「ありがとうございました、私は成仏できそうです」
朱莉さんの身体が透けていく、紅い夕日の中に消えようとしている、俺は涙でぐちゃぐちゃになりながら朱莉さんを止めるために抱きしめようとしてもすり抜けてしまう、もう時間が無い、言わなければ、あの言葉を。
「大好き……です、朱莉さんの事を……俺は……!」
朱莉さんは涙を流しながら最後に笑った。
「ありがとう私の大好きな人、また来年……会いに来ます」
朱莉さんの姿が完全に消えた、俺は雄叫びを上げながら泣いた、冷静になるのに何時間かかっただろう、最初に朱莉さんの現れた壁を見ても何も無い白い壁は返事をくれない。
部屋を出て隣の部屋をノックするが返事はない、この部屋には誰も住んでいない、元住民も先程天に召された。
そのまま街を歩き花屋で白く綺麗な花を買い隣の部屋の玄関の前に手向けた。
両手を合わせて朱莉さんの冥福を祈る、また泣けて来た、知らなかった人がたった一ヶ月で大切な人になった、その優しい怪奇現象は俺に人としての大切な心をくれた。
部屋に戻って見渡す、1人幽霊が居なくなっただけで広く感じる。
I'll be back
朱莉さんがまた戻ってくる事を願いながら俺は風鈴の音に耳を傾ける、また来年お会いしましょう。