秋の女王の本
本にはところどころ、秋の女王の切ない気持ちがつづられていた。
基本的に淡々と描かれているのだけど、隠しきれていないというか。
そりゃそうだろう、好きな人のところに自分の妹がずっと入り浸って、仕事もせずのんきに暮らしているというのだから。
そう、私たちは姉妹だった。春の女王が長女、夏の女王が次女、秋の女王が三女、そして末っ子が私。
冬がこない年を繰り返すうち、少しずつだけど、人々も、大地も、疲弊していった。
何より厳しい寒さが来ないことでまず人々は貯えを作ることをやめた。
遊んでいても、食べ物がなくなる季節は来ない。
そうした暮らしの中で、、春と秋、誰もが仕事を放り投げ、日がな一日遊んで暮らした。夏の暑さは人々を陽気にし、毎日がお祭りだった。
少しずつ町は荒れ、大地は疲弊し、恵みをもたらさなくなっていった。
まるで季節がなかったころを彷彿とさせるようだった。
国の、大地の力が弱まると、王様の力も弱まっていった。
「塔に戻ってくれないか」
あるときとうとう、王様は言った。
もう手遅れかもしれないが、それでもまた冬が来れば、やり直せるかもしれない、何もかももとに戻るかもしれない、と。
私は王様の隣で震えながら首を横にふることしかできなかった。
私がいなくて喜んでいた人々。
この世界中で、私は必要とされていない。
私の不在を、誰もが喜んでいた。
そして何より、「塔に戻れ」と言われたことで、王様にすら見放されるような気がした。
私は王様の腕にしがみついた。
王様は、もう以前のように抱きしめてはくれなかった。
私はもう、外には出られなくなっていた。
こわい。外に出るのが、こわい。
ほとんど枯れた大地。
ほぼ力を失った王様は、もう私を抱きしめるどころではなかったのだ。
この国では、大地の力と王様の力が直結している。
王様はもともと、大地の力を高めるために季節を廻すことを決めたのだった。
それなのに、私はその役目を怠った。
そしてただ、見放されたとばかり感じていた。
自分のことばかりがかわいかったんだ。
王様は、残りの力を振り絞って、ある儀式を執り行うことにした。
それは、緊急時のために残されていた最後の手段だという。
城に、春の女王、夏の女王、秋の女王も呼ばれ、4人の女王すべてが集まった。
私はほかの女王の目を見ることができなかった。
「王様、お加減はいかがですか」
春の女王は言った。
夏の女王は何も言わなかった。
「だからあれほどやめたほうがいいと、申し上げたんですよ」
秋の女王は言った。秋の女王がそんなに反対していたことなど、知らなかった。
「皆の記憶とこの国の大地ごと私は一度死ぬ。そして生まれ変わる。
儀式に沿って行えば、王には一度だけ、自分の意思で生まれ変わることが許されている。
皆の記憶、特に私に関する記憶は失われるだろう。
そしてもういちど、この大地とともに生まれ変わったそのときには、皆、欠かすことなく季節を廻らせてくれ。」
王様は用意された石の棺に自ら横たわった。
儀式の様式通り、私たち姉妹は王様の胸に手を置いた。
王様は目を閉じたまま、最後に一言、こういった。
「皆、私のせいで―――本当にすまないことをした」
私の手の下の王様の鼓動は止まり、その体はやがて、私の手よりも冷たくなった。
女王たちもいつしか意識を失い、気が付いた時、王様に関する記憶はすべて失われていた。
ただ、自分たちの季節が来れば塔に入るのだということ、そうして季節を廻す義務があるということだけ覚えていた。
だから、女王たちは皆、スムーズに仕事をこなした。
ただ一人、冬の女王をのぞいて。
秋の女王はそう綴っていた。
読み進めるごとに、自分の中に記憶がもどってゆくのがわかる。
冬の女王だけが、王様との記憶がありすぎたからだろうか、目覚めたとき、まるで魂の抜けた人形のように、何もなかった。季節を廻すことすら覚えていなかった。あの人型が現れたのを見ると、何らかの形で固く封印されていたのだろうか。
秋の女王はそんな私に冬が来たら塔に入ること、春が来たら交代すること、を教え込み、春と夏の女王に自分がいない間冬の女王の様子を見ていてくれるように頼んだ。
冬の女王は外の世界に対する恐怖感があることがわかったので、人里離れたところに家を用意した、とも。
私が普段住んでいる氷の家のことだろう。どれだけマメな人なんだ。
秋の女王は王様に恋した感情・記憶こそ最初は消えていたものの、逐一記録を付けていた書物はそのまま残っていたので秋になり塔に入るとそれを読み、自分たちとこの国に何が起こったかを全て理解した。
そしてそのことを全て本に書きしたため、春の女王、夏の女王と情報を共有した。もう二度と儀式は執り行えないのだ。同じ過ちを繰り返さぬように、と。
冬の女王は、一応は季節を廻した。
塔に入ればとりあえずは冬は来る。
ただ、その冬は、どこか味気ないものだった、と秋の女王は書いていた。
「儀式の前、まだ冬の女王が王様にかなわぬ恋をしていたころのあの冬の、せつないまでに冷たく澄んだ空気が、私は好きだった」
ほとんど客観的な事実ばかり書かれている本の中でその文章だけは、明らかに秋の女王の独白だった。
私はやっと気が付いた。
塔の中で過ごす者の意識や感情で、その季節の良し悪しは決まるのだ。
今まで見てきた女王たちの部屋に思いを馳せた。
春の女王は、春という季節が生命にもたらす幸せを願っていた。
夏の女王は、全身で夏という季節を楽しんでいた。
秋の女王は、秋という季節がもたらす恵みについて、深く深く考えていたに違いない。
私がずっと塔の中で遊び暮らした冬。
秋の女王の本の最後の方には、こうも書いてあった。
「冬の女王は記憶を封じられ過ぎて、冬という季節を廻らすことすら忘れてしまった。
このままでは冬という季節の力は弱まって行ってしまう。そうすれば、また以前のような滅びがやってくる。
もう儀式は執り行えない。過ちは繰り返してはならない。
冬の女王の記憶を戻すべきだと、私は王様に進言した。
冬の女王の記憶を取り戻し、冬という季節の力を再び強固なものとすべきだ。
彼女は儀式の前の疑心暗鬼から他人に心を開かなくなっている。
誰が説得しても受け入れることはないだろう。
彼女自身の力で、冬という季節の力を取り戻すのが唯一の道と思われる。」
そして最後のページにはメモ用紙がはさまれていて、こう書いてあった。
「春の女王からの報告があった。
季節を止めてみたらいいのではないかと冬の女王が言ったという。
冬の女王が季節について考え始めたのはいい傾向だ。
提案通り、一時的に冬の季節で止めてみて、冬の力を取り戻すように働きかけることにする。
ひとまずメモ、結果が出次第新しく本に書き加える」
本の最後の方は現在進行形のメモ書きだった。
私は本からはみ出たメモ用紙をもう一度深く挟みなおし、本を閉じて棚に戻した。
冬を、取り戻さなければ。