邪邪竜戦記その2
「万騎将殿、独立遊撃隊とはどういう任務をする部署なのでしょうか?」
黙って歩くのも居心地が悪く、その空間に耐え切れなくなったルークは前を歩く美女に問いかけた。
実際、近衛騎士団については知っていても、その中の部署については詳しく知らなかった。
己の配属場所でもあることだし、この機会に聞いてしまおうとルークは思った。
「うーん、そうね。読んで字の如くね。近衛騎士団に縛られずに自由に行動をする部署よ」
「そうなのですか? どうも、私は無知なもので知りませんでした」
「それもしょうがないわね。今年出来たばかりの出来たてほやほやの部署だから」
「あっ、そうなのですか」
どうやら、配属先は出来たてほやほやの湯気が立っている部署らしい。
「では、隊長のことも御存じでしょうか?」
近衛騎士団の隊長になるような人である。
どう考えても貴族出身者に違いないとジークは睨んでいた。
それなら同じ貴族出身者っぽい、この美女も知っているに違いない。
「独立遊撃隊の? そうね。良い人よ。部下を大切にするし、近衛騎士団の中でも人格者で有名よ。神様も裸足で逃げ出しちゃうぐらい慈悲深いんだから」
美女は己のことのように胸を張った。
それと同時に豊かな胸が制服を押し上げていき、ジークは慌てて目線を逸らした。
「そうですか、それを聞いて安心しました」
「そうそう、涙を流して神様に感謝するわよ。きっとね……う~んと、隊長室はここよ」
そう言うと、美女は突き当りにあった古びた扉を勢いよく開けた。
人ごとながらもジークはノックをしなくて良かったのかと思った。
「ほら、何しているの。さっさと入った、入った」
そんなジークに頓着せずに先に中に入った美女は手で招いた。
美女の手招きに誘われてジークが部屋の中に入ってみると、数人の男女がいた。
その中には童顔の可愛らしい女性と妙に不格好な体型をした青年がいた。
基本的にぽっちゃりとした体型なのだが、左半身が妙に発達していて全体的にアンバランスな印象を与えていた。
「う~ん、君が新しく来るっていう騎士かい? 初めまして、僕はカラミス。宜しく頼むよ」
まず、ふくよかな青年……カラミスが手を差し伸べた。
その手をジークは一瞬手を取るか迷った。
彼の手は日差しを浴びて、初老の男性の頭皮のようにテカテカと光り輝いていたからである。
どうやら、傍らにある山盛りに盛られたお菓子を直前まで食べていたらしい。
ジークの迷いを感じ取ったのかアラミスは
「おっと、失礼。栄養補給をしていたものでね。君も食べるかい?」
胸元のポケットに仕舞われていたハンカチを慣れた手つきで取りだすと、軽く手を拭った。
「いえ、結構です」
山盛りに盛られたお菓子を見ているだけで胸やけがしてきたジークは丁重に断った。
「そうかい、それは残念だ。そうそう、それでこちらがアリス嬢だ」
恭しい手つきで隣にいるカラミスが童顔の女性を紹介する。
「あなたがジーク様ですね~? わたしはアリスです。宜しくですよ」
目を輝かせたアリス嬢が外見に違わずにたおやかで折れてしまいそうなぐらい細い手を
差し伸べてきた。
これにはジークも素直に握手をした。
今までの握手ランキングの中でもトップを走る気持ちの良いすべすべとした手である。
恥や外聞を気にしない性格であれば、そのまま頬ずりして舐めたいぐらいである。
「あれ、クリスティーヌはどこにいったしら?」
美女がキョロキョロと誰かを探すかのように首を動かした。
「クリスなら今日は本業のほうです」
「そう、ならクリスティーヌの紹介はまたあとね。ジーク、隊長室はこっちよ」
美女の言葉に名残惜しげにジークはアリスの手を離した。
「では、私は隊長に着任の挨拶をしてきます」
「挨拶です……か? そうですね。すぐに挨拶と自己紹介をしたほうがいいですよ」
アリスはジークと美女のほうを見ながら苦笑した。
その様子に少し疑問を思ったが、ジークは上官を待たせる訳にもいかずに隊長室のほうへと足を向けた。
部屋の奥を見てみると四角く迫り出した壁があり、そこに扉が付いている。
おそらく、それが隊長室なのだろう。
その扉の前には美女が立っている。
「それでは、ここが隊長室よ」
「ありがとうございます、万騎将殿。お陰で助かりました」
ここまで案内をして来てくれた美女の上官にもう一度丁寧にお礼を述べると、ジークは軽く扉を叩き、中に入った。
「この度、近衛騎士団独立遊撃隊に配属を命じられたジーク十騎将です。宜しく、お願い……」
近衛騎士団の本部に来る途中で考えていた着任の挨拶を淀みなく述べたが、途中でおかしいことに気付いた。
小部屋には上等な机が置かれており、その上には書類が置かれている。
ここまではおかしくないのだが、一緒に置かれている椅子は主の不在を告げるかのように机の中に戻されていた。
隊長は留守であったらしい。
そして、アリスが苦笑していた意味をルークは悟った。
どうやら、留守と言うことを知っていて、からかわれたらしい。
性格は見た目に似ず、イタズラっ娘だったようだ。
軽く溜息を付き、ジークは振りかえった。
「どうやら留守のようですね。万騎将殿はいかがいたしますか?」
仕方が無く、先程の部屋で待たせて貰おうとジークは思ったが、隊長に用があるらしい万騎将殿はどうするのだろうかと問いかけた。
「……そうね?」
扉の前で立っていたジークを軽く押しのけると、美女は主の帰りを待つ椅子を引き出すと、座った。
「自己紹介をするなんてどうかしら? 私は近衛騎士団独立遊撃隊の隊長のティア万騎将よ。ほら、どうしたの? 涙を流して、神に感謝しても良いわよ」
とりあえず、ジークは心の中で静かに涙を流すことにした。
◆
見目麗しい女性と個室で二人きり。
大抵の男なら狂喜乱舞、裸でグヘヘヘヘと叫びながら帝都を走り回り、ところかまわず女性(美人に限る)に抱きつくぐらいの楽しいシチュエーションだったが、ジークはこの状況を喜べずにいた。
「万騎将殿もお人が悪い。名乗って下さっても」
ジークは直立不動したまま、新しい上司に恨めしげに見つめた。
「あら、名乗らなかったかしら?」
首を可愛らしく傾げて、おかしいわねと心にもないことを呟いている。
出会って間もないが、絶対に確信犯だとジークは思った。
「それで、万騎将殿。私は何故、こちらに配属されるのでしょうか?」
これ以上粘ってもはぐらかされるだけだと感じたジークは疑問に思っていたことを聞いてみることにした。
人事異動の通知書を貰った時から疑問に思っていたからだ。
というのも近衛騎士になるには金とコネとまでも言われるエリートコース。
金もコネもないジークには近衛騎士になれる要素など一欠けらもない。
「単純な話しよ。独立遊撃隊は出来たばかりの部署で人手が足りないのよ。そして、あなたをスカウトすることにした。お分かりかしら、元ルグント王国の騎士さん?」
「……っ!?」
最後に告げられた言葉にジークは戦慄した。
それもそのはず、この国に来てからは誰にも告げたことのない故郷での地位であるからだ。
「本名アルベルト・ジーク。元ルグント王国の騎士。最初、ヒルデガード第一王女付きの騎士として仕え、側近となった。しかし、4年前に何故か伯爵と騎士の位を捨て、出奔。その後の足取りは掴めないが、3か月前にドライグ帝国の下級騎士試験を受け、合格。同日付で帝国軍皇都防衛連隊に配置される。以後、大きな活躍はないが、真面目な仕事ぶりで職務を全う。この調査に相違は無いわね?」
ティアは机の引き出しから一枚の紙を取り出すと、内容を読み始めた。
「……で私をどうするつもりですか?」
ジークは気が付くと、ギリッと歯を食いしばっていたことに気付いた。
思った以上に過去のことを引きずっていたらしい。
--何とも未練たらしいものだ
軽く溜息を付きジークは心を落ち着かせた。
「どうもこうも、私の部下になって貰うわ。私はあなたを欲しいと思った。あんたは自分の能力を発揮できる環境を手に入れられる。問題あって?」
「……それが祖国を捨てた卑怯者でもですか?」
下っ端の騎士ならいざ知らず、近衛騎士の採用ともなれば、実力と人格の両方が重視されるのは常識である。
近衛騎士は仕事柄、王族とも接する機会の多い職業だ。
叛意の意思を持った奴が近衛騎士にいれば、これほど危険なことはないだろう。
普通に考えれば、どんな過去があるにせよ、祖国を捨てた男を取りたてるはずがない。
普通に考えればだが……
「私がそんな、ちんけな過去に拘ると思っているの? あなたを祖国は使いこなせんかった。だから、あなたは祖国を捨てた。私はあなたをつかいこなす自信がある。つまり、あなたは今日からここで働くの。はいっ、決定!」
――問題はこの万騎将が普通の考えの持ち主ではないことだ。
「……。」
その白い喉の奥に遠い東の国で崇められているという千本の手で人々を救済するという神でも飼っているのかというどうでもいい考えがよぎりつつも、ジークはある噂を思い出していた。
ドライグ帝国の第一皇女は剣を持てば、一騎当千の強者。
また、幼き頃よりあらゆる専門書を読破し、並みの専門家では裸足で逃げ出すほどの才人。
芸術に関しても造詣が深く、美術、音楽、文芸、建築、演劇の全てに精通。
更にあらゆる美女が裸足で逃げ出すほどの美貌。
全知全能の神が己の力を全て使って作りだしたとしか思えないほどの佳人である。
そんな、欠点という欠点がない皇女だが、彼女には一つの悪癖があった。
奇人変人の類が大好きであるという悪癖が。
「……もしや、万騎将殿はティア第一皇女でございますか?」
「んふっ、そうよ」
やっと気付いたかというような顔で嬉しそうにティアは頷いた。
どうやら、自分は奇人変人の類にカテゴリーされたらしいことにジークは深い溜息と共に悟った。
同時に退路を塞がれたことも。
◆
ジークが諸々の手続きをする為に去った隊長室ではティア皇女とカラミスの二人の姿があった。
「う~ん、あれがずっと殿下の欲しがっていた人材ですか? あまり、そうは見えなかったですね」
弛み切った二重顎に手を当てカラミスが呟いた。
第一印象としては中の上程度。
ティア皇女がなりふりかまわず欲しがったという人材の割にはぱっとしないというのが正直な感想だった。
「あれで間違いないわよ。一度だけ、会ったことあるもの」
間違いないと言うかのようにティアは何度も頷いた。
「顔見知りですか? その割に彼は気付いていなかったようですが」
その割にはジークの態度は初めて会ったかのような態度だったようにカラミスには思えた。
「まぁ、会ったと言っても6年前に一度だけだしね。その時は名前も名乗らなかったし」
「左様で。それはともかく、本当に大丈夫なのですか? 何が原因か分かりませんが、祖国を捨てた男ですよ? 主に一生仕えるという、騎士の誓いを破ってまで。下手をすると……。殿下の計画の邪魔になるかもしれませんが」
それまでの快活そうな声から一転、深刻そうにカラミスは小声で言った。
まるで誰にも聞かれたくないように。
それはティア皇女と側近の数名しか知らない計画であった。
もし外に漏れれば、良くて縛り首、悪くて一つの血族が絶えるほどのものである。
カラミスは慎重に行動をしているが、それでもまだときおり不安を感じてしまう。
そんな、カラミスの不安をティア皇女は一蹴した。
「問題ないわ。あれの人柄については私が知っている。知っているうえで私の駒に加えたいの。分かる? 私が直々に見て欲しいと思ったの。さて、これ以上の保証はあるかしら?」
「また、殿下の悪い癖が出ましたな。まぁ、そこまで言うなら大丈夫でしょう。殿下の人物観には毎度脱帽しますからね」
肩を竦めながら、カラミスは言った。
実際、この皇女の人物評は外れたことが無い。
そのことを思い出して、カラミスはやっと安堵した。
「うふふふふ、明日からが楽しみね」
新しいオモチャを手に入れた子供のような笑顔でティア皇女は言った。
--さてさて、この新しいオモチャでどう遊ぼうかしら
それを考えるだけでティアは気分が高揚していることを感じた。
早速、明日からのスケジュールをああでもないこうでもないと考え始めた。
次回は更新予定は未定ですのでご了承下さい。