邪邪竜戦記その1
大陸歴790年。
ラグーン大陸は永い戦乱の時代へと突入していた。
隆盛を極めた国が次の瞬間には隣の国に滅ぼされ、滅ぼした国も別の国に滅ぼされるという終わりのない戦国時代。
平和という言葉は死に絶え、暴力と欲望が蔓延る現世に現れた地獄。
力無き者は悪であり、力こそが正義の弱肉強食の時代である。
そのいつ果てるとも知れぬ、戦乱は数々の英雄を生み出し続けた。
一人で千人の兵に勝ると言われた豪傑。
本営にいながら、千里も離れた戦場で味方に勝利を呼び込む軍師。
傲慢な他国の王を前に一歩も引かずに自国の益を守った外交官。
己の信義を曲げずに最後まで騎士道に殉じた騎士。
あらゆる外敵から国を守った将軍。
弱小の国家を一代で強国へと生まれ変わらせた名君。
その他ありとあらゆる英雄が誕生しては消え、誕生しては消えていく、幾千もの英雄を生み出した時代である。
そんな、戦乱渦巻くラグーン大陸の南に位置するドライグ帝国は圧倒的な軍事力で他国を睥睨する大陸有数の大国である。
常時10万単位の軍勢を揃え、永らく南方で覇を唱えてきた。
そのドライグ帝国の首都ラドンは上空から見下ろせば、ちょうど星の形をしていることが見て取れることだろう。
その星の形と添うように周りを白い城壁で囲い、更に幾重もの堀が張り巡らされた優美な城郭都市である。
数代前の皇帝ラザロフが現在のラドンに首都を遷都した際に「大陸で最も華やかな城を造れ」と高名な建築家に命じて造らせて出来上がったのが首都ラドンである。
現在では「星の都」という愛称で慕われ、ドライグ帝国の臣民の誇りでもある。
そんな星の都ラドンには多くの人々が行きかっていた。
何せラドンに住む人々の人口だけで30万とも50万とも言われている。
その他にも何千人もの行商人や旅人が訪れてくるのである。
人々の往来が激しければ、当然の如く揉め事の類も比例して多くなるのは必然と言える。
その揉め事を対処する為、首都ラドンには地区ごとに屯所が設けられていた。
屯所には常時数名から十数名からなる下級騎士が詰めており、揉め事が起これば、屯所から下級騎士が駆け付ける仕組みとなっている。
この屯所こそが首都の治安維持を主に担っていた。
そんな数多くある屯所の一つで一人の下級騎士が素っ頓狂な声を上げていた。
◆
「はっ……? 私が近衛騎士ですか?」
生真面目な風貌をした年の頃20代半ば過ぎと思われる青年が目を大きく見開いていた。
普段は細く開いている目を大きく見開いているところに青年の驚き具合が分かる。
近衛騎士団と言えば、数ある騎士団の中でも花形の部署である。
皇帝直属の騎士団にして、ドライグ帝国きっての精鋭集団である。
その為、毎年近衛騎士団への入団希望者は後を絶たない。
巷では近衛騎士になるにはコネか金が必要とまで言われる不始末である。
間違っても屯所勤務の下級騎士に回ってくる役職ではない。
「俺にも訳が分からん。いきなり、人事局の役人が来たと思ったらポイっと書類一枚だけで説明もなしに置いていっただけだしな。ジーク、お前なんかしたのか?」
直属の上司は肩を竦めて無責任に言い放った。
その口調からは冗談の成分が一部たりとも混じっておらず、かりに冗談だったとしたら芸人という職業を選ばなかったことは神に感謝すべきだろう。
これほど笑えない冗談では今ごろ観客から拍手の代わりにトマトや卵が投げつけられていたに違いない。
そんな芸人適正✕の上司の姿に軽く殺気の混じった視線を浴びせつつ「汝を近衛騎士団独立遊撃隊 副隊長に任じる」と簡潔に書かれている通知書についてあれこれとジークは考えを巡らせていた。
「……ドッキリか?」
と呟いたものの、通知書の隅を見てその考えを打ち消す。
そこには王冠を被った龍をモチーフにした印鑑がいかにも偉そうに押されていたからだ。
これはドライグ皇家を表す紋章である。
この印鑑は王家公認と認められる書類にしか押されないはずである。
さすがに下っ端の中のキングオブ下っ端騎士であるジークのドッキリに王家が協力するとも思えない。
かといって、この通知書が同僚の手による偽物の可能性も皆無と思われた。
押印されたものには龍だけでなく、背景の雲や花なども詳細に描かれており、名のある職人の手によるものであることは明白であった。
ここまで精巧な偽物を作れるのであれば、帝国を滅茶苦茶にするのも可能である。
短期的にはやろうと思えば、大臣の首を片っ端から一刀両断にし、自分の好きな人物をその座に付けることも可能だ。
そんな代物をドッキリに使う為だけに作ったとするならば、製作者を小一時間……いや、大二十四時間でも問い詰める自信がジークにはあった。
―――― そんな高等技術があるなら、仕事に生かせよと。
鉄製の籠手を纏った左腕でその製作者にぶん殴りながら、問い詰めることだろう。
「というわけだから、さっさと自分の荷物を纏めな。近衛騎士殿」
やっかみ半分の上司の言葉にジークは渋面を浮かべるしかなかった。
◆
同僚との別れもそこそこに近衛騎士団の本部を猫背気味にジークは歩いていた。
通知書にはすぐに近衛騎士団本部 独立遊撃隊隊長室に出頭せよとも書かれていたからだ。
だが、先程から突き刺さる目線にジークは居心地の悪さを自覚せずにはいられなかった。
そもそも武官にとって近衛騎士になることはエリートコースに乗ることを意味する。
その証拠に帝国の軍のトップである歴代の元帥は例外なく若い頃には近衛騎士であった過去を持つ。
つまりはである。
近衛騎士=上流階級出身者という方程式が成り立つのである。
そんなわけで近衛騎士団本部を歩いている人間は例外なく上流階級出身者と思っていれば間違いは無い。
そして、そんな中を歩くジークは彼らにとっては異物以外の何物でもないのだ。
その為、ジークは綺麗なドレスやタキシードなどで着飾った貴族達がいる舞踏会にスラム街の住人が紛れ込んだような場違いさを先程から感じていた。
「おやおや、こんなところに野良犬が紛れ込んでいるぞ」
後ろから厭味ったらしい声が聞こえたのは、そろそろ独立遊撃隊の隊長部屋を誰かに聞こうかとジークが思った時であった。
振り返ってみると、取り巻きを何人も連れた偉そうな貴族のボンボンらしい若者がいた。
胸元には偉そうにいくつもの勲章をぶら下げていた。
その為、彼が動くたびにジャラジャラと金属音で騒がしい。
とりあえず、名前が分からないので心の中でジークは勲章マニアと名付けてみた。
「何故、お前のような野良犬がここにいる? ここは私のような高貴な近衛騎士のみが立ち入りを許された場所だぞ? 私が心優しい近衛騎士団長でなければ、斬り殺しているところだ。分かったならとっとと出て行きな。薄汚い野良犬が」
侮蔑を隠そうともせずに勲章マニアは言い放った。
勲章マニアがそういうや周りの取り巻きたちもはやし立て始めた。
口々に出てけ、出てけの大合唱である。
まことにボキャブラリーの欠如した集団と言えよう。
それでも、どうしたものかジークは迷っていた。
どうやら、ボキャブラリー欠乏症集団の言葉をよく聞いてみれば、この勲章マニアが近衛騎士団長らしい。
どおりで勲章がたくさんぶら下がっているはずだ。
現在の近衛騎士団長と言えば、帝国の第一皇子にして、皇太子である。
そんなお偉いさん相手に手荒なことは避けたい。
かといって、この場をどう納めるべきか皆目見当がつかない。
事情を話しても信じてくれなさそうな匂いがプンプンする。
ジークとしては途方に暮れるしかなかった。
そんなジークに痺れを切らしたのかボキャブラリー欠乏症に罹った患者のうち2名が腕まくりをしながら近づいてきた。
どうやら、いつまでたっても動き出さないジークを力づくで叩き出すことにしたらしい。
ここは一旦出直すかとジークが覚悟を決めた。
そんな時である、助け舟を出すかのように若い女性の声が聞こえたのは。
「何の騒ぎですか?」
ジークがそちらに目線を移すと……女神がいた。
不覚にも一瞬見惚れてしまった。
人生を20数年と過ごしてきたが、これほどの美女を見たことがない。
顔の造形からスタイルまで文句なしの美女である。
ジークが見惚れている間にも、突っかかってきていた勲章マニア皇子はその美女を見た瞬間何故かたじろいでいた。
「……ふん、何でもない。躾のなっていない野良犬に説教をしていただけだ。行くぞ、お前ら」
何か面倒事を割けるようにそそくさと取り巻き連中を連れて、勲章マニア騎士団長は去っていった。
あとには絶世の美女とジークだけが残されていた。
「す、すみません。ありがとうございます」
とりあえず、助かったことは事実なのでお礼を述べた。
「あれぐらい気にしなくて、いいわよ」
美女は気にするなと言いたげに手をパタパタと左右に振った。
「いえ、助かったことは事実ですので。あっ、私はジークと申します。本日付で近衛騎士団独立遊撃隊に異動を命じられました、万騎将殿」
美女の襟元にある今度は確認できた階級章を見て、ジークは慌てて敬礼した。
ジークには名誉ある戦死(二階級特進)をしても届かない上官であったからだ。
「まさか、知らないのかしら?」
そんな慌てふためいているジークを気にした素振りを見せずに美女はブツブツと呟いていた。
「あの、万騎将殿?」
「何でもないわ。近衛騎士団にようこそ」
ジークの敬礼とは違い、見ていて惚れ惚れするほどの綺麗な敬礼を美女は返した。
『初めての敬礼』というマニュアル本でもあれば、表紙に飾りたいほどである。
「それですみません、万騎将殿。何分初めて本部に来たもので……差支えなければ、独立遊撃隊の隊長室がどこにあるか、お教え頂いても宜しいでしょうか?」
折角だし、これ幸いとジークは聞いてみた。
「そうね……。ちょうど私も隊長室に用があるところだったの。案内してあげるわ」
そういうと、美女は付いてきてと一言。
ジークを追い越していくと、さっさと歩き始めた。
それを見ながら、ジークは良い人に会ったと胸を撫で下ろし、己の幸運を噛み締めたと同時にこの人が上司でないことに落胆した。
何せ平民に理解がある貴族はほとんどいないと言っても過言ではない。
大抵の貴族は平民のことなんか、言葉を喋る家畜ぐらいにしか思わない。
見も知らない平民を助けて、親切に案内してくれる貴族が上司であれば、どんなに良いことだろう。
それが目の保養になる美女であればなおよし。
ジークは神に何かの間違いでこの人が上司になることを心の中で祈った。
とりあえず、本日は3話ほどUP致します