第45話 水の星より
――世界は謎に包まれている。
大陸の西に位置する砂漠の国、ザールランド。その南のフォルター砂漠には直径3~5mになる石の真球が無数に転がっているが、これは自然に生成されたものではない。明らかに人の手に依るものだ。
一部材質を削り出し、アルタイルの研究機関に調査を要請した所、真球の生成には高度な技術力が必要であり、原住民であるメルクーアの人々にこの真球は制作不可能であるという報告書を受け取った。
その報告書によると、真球の製造時期は凡そ15億年前のことであるらしい。
神はアルタイルの仕業だろうと言った。
一二〇年ほど前に移民して来たアルタイルが15億年も昔の出来事に関与することは不可能だ。原住民には制作不可能。そもそも真球が存在する理由すら謎である。そもそも15億年という時間は『聖書』にあるアレクエイデスによるメルクーア『創世』を否定している。
◇◇
竜の巣の麓にある岩床地帯には無数の巨岩が転がるが、その一部の岩石に奇妙な二つの『穴』を発見した。この近くで狩猟を行う冒険者の話では、意識したことはないが時おり見かけるものらしい。
『穴』を慎重に掘り返し、調査した所、断線して使用不可能であったものの、それは『コンセント』であると断定するに及んだ。
神は面白い冗談だと言った。
世界は謎に包まれている。
――『冒険者』Leonhard Bekerより――
◇◇
◇◇
夜の闇に青白い軌跡を残し飛んだ錨は、アルタイルの戦闘挺『アルバトロス』の右翼に命中した。
瞬間、引っ張られるようにしてレオは翔んだ。
――世界は謎に包まれている。
『移民』より一二〇年。アルタイルは世界の多層化を証明した。
巡航艦の乗組員を訊問して得た情報ではまるで足らない。
アルタイルはどのようにして世界の多層化を証明したのか。そこで何を見たのか。何を知ったのか。
何が起こったのか。
夜の闇を翔ぶ。
戦闘挺『アルバトロス』にも機体を保護する為の特殊な磁場が形成されているが、その強度は巡航艦のものとは比較するべくもない。紙のように右翼を竜錨に貫かれたが、それ自体は飛行に問題ないようだ。多少減速したものの、ニューアーク上空を街道『真っ直ぐな道』に向けて飛んでいる。
(縮め!)
魔剣『グリムリーパー』は竜の手より膨大な量のエリクシールを吸い上げ、機能を増している。
高速で空を駆けたレオはアルバトロスの機体に着地した。
――機体に張り付いた。
それを嫌ったのか、アルバトロスは機首を直上に向け、赤黒い雲を突き破って飛んだ。
ぐんぐんと高度を増し、星の瞬きが目に入る頃になると、レオは今も抱いたままでいるエルに視線を落とし、薄く周囲を包むようにしてエリクシールのバリアを形成した。そうせねば高速移動により発生する衝撃波に、彼はともかく、エルの肉体は耐えられず吹き飛んで行ってしまう。
続けてレオは腰のベルトに差したサーマルガンを引き抜き、同時にアルバトロスの機首を蹴飛ばした。
コクピット部分を守るキャノピーを吹き飛ばし、パイロットを剥き出しにしてしまうと、レオは薄い笑みを浮かべた。
「抵抗すると殺す」
レオンハルト・ベッカーは左腕に死せる少女を抱き、竜の右手に銃を構えている。
「よお、赤ラッキョウ」
頭部を覆うヘルメットは遮光バイザーの黒いスモークが掛かっていてその表情を伺い知ることはできないが、バトルスーツは『赤』。
『士官』クラスの戦闘員である。
レオは、ぐいと身を乗り出してコクピットにある操縦桿を踏みつけた。
「星の外まで行ってみようか……!」
気流の渦巻く高速飛行中である。風を裂く際に生じる騒音はバリア超しとはいえ人間の可聴領域を超えており、会話など到底不可能な状況だが、高性能の集音機能を持つヘルメットを装備しているアルタイルの戦闘員なら聞こえている。そして『レオンハルト・ベッカー』はグローバルパワーを展開した『チート』な状況である。会話も問題なく行える。
アルタイル兵(赤)は、レオが向けたままでいるサーマルガンの銃口を見詰めたまま動かない。高速飛行中の戦闘挺に、生身の人間に張り付かれ、且つ主導権を握られるというこの状況に辟易しているのか、或いは何らかの算段があるのか。
「……水星」
大気圏の構造は「対流圏」「成層圏」「中間圏」「熱圏」の4つに分けられる。一般的には『大気圏』の外を『宇宙』と呼び、各層の境界の高度は概ね10km、50km、80kmで気温変化により分けられる。
操縦桿を前倒しにしたままのアルバトロスはみるみる内に高度を上げ、その高度が10kmを超え『成層圏』に達したとき――
アルタイルの士官は両手を上げて降伏の意思表示をして見せた。
「や、やめてくれ。このスーツは大気圏を突破するようにできてない……」
レオは応えず、胸に抱いたままのエルの髪を、そっと指で撫で付ける。右足は操縦桿を踏みつけたままだ。
「……」
言外に、勝手に死ね、という身勝手で残酷な意味を持った沈黙があった。
そして――
アルバトロスは猛烈なスピードで高度を上げて行く。
アルタイル兵が言った。
「その亜人の娘は……我等が……」
「……」
レオは応えない。
「……なあ、見ていたぞ。ニーダーサクソンの連中とやりあっていたよな?」
「……」
やはりレオは応えない。
「……レオンハルト・ベッカー。お前は――」
「うるさい。暫く黙ってろ」
ここは少しだけ天国に近い場所だから。
レオは遠くなり始めた地表を見下ろした。
「水の星か……」
殆どの陸地が水没してしまい、ひたすら蒼く見える水の星を見下ろす。
言葉遊びだ。
しかし、『しるし』は必ず何処かに現れる。このゲームではいつも。
悪趣味だ。
そう思わずに、いられない。
だが、そう思う反面で『冒険者』レオンハルト・ベッカーは考えずにはいられない。
これから先、彼――レオンハルト・ベッカーには『逃れようのない終わり』が訪れる。
何処で間違えた?
今回の『冒険』で、何処を、どう間違えたのか。
幾つかのイベントを失敗させたこと? ――no
大魔法を発動させ、自死を目論んだこと? ――no
神と決裂し、あまつさえ戦いに及んだこと? ――no
サクソンの騎士……人間を大勢殺したこと? ――no
彼の知っているSDGは、そんなに狭量なゲームではない。エンディング数こそ限られるが、自由度は高く、あらゆるプレイスタイルを受け入れた。
テオフラストは順番が違う、ここに来るのが早すぎると言っていた。
つまり――
幾つかのイベントを失敗して誰かを死なせてしまったことや、誰かを助けたことは問題ではない。テオフラストと敵対したことさえ……
☆テオフラストの祝福を得る。
彼――レオンハルト・ベッカーという男が、あのインチキな神の存在を赦すことは世界が終わったとしても有り得ない。順番を守ろうが、どうだろうが有り得ない。だとすれば、『神の祝福』とは……
End of The World
レオは其処で見たものに思いを馳せる。
(あれが、おそらく……なら……)
そこでレオは果てしないまでの夢想を打ち切り、目の前のアルタイル士官に視線を戻した。
「なあ、おい……」
昨夜の食事内容を話すかのように、他愛ない世間話をするかのように、レオは言った。
「事象の地平面を超え、特異点の向こうで何が起こった?」
「……」
赤いバトルスーツのアルタイル士官に動揺は見られない。
両手を上げたまま、遮光バイザーにより表情の伺えない顔をこちらに向けている。
「答えられないか?」
情報統制されている。そう考えるに及び、白けたように言って、レオは更に操縦桿を踏み込んだ。
◇◇
さて、『ブラックホール』の誕生には『星の死』が深く関係している。
――End of The World――
レオンハルト・ベッカーはその身を以て体験した訳であるが……『超新星爆発』。
星の最期。
収縮と共に重力の収縮が起こる。この重力の収縮こそスーパーノヴァの正体だ。
超新星爆発後の核の収縮を『重力崩壊』と呼び、この状態になった天体がブラックホールになる。
ブラックホールは強い重力を持ち、その半径より内側では脱出するための速度が光の速さを超えるとされる。この半径を『シュヴァルツシルト半径』と呼び、この半径を持つ球面を『シュヴァルツシルト面』と呼ぶ。
ブラックホールの周囲では時間の流れが緩慢になる。シュヴァルツシルト面を超えると時間が止まるとさえ言われるが、レオの予想が確かなら、アルタイルはその向こう側を観測することに成功している。
シュヴァルツシルト面(事象の地平面)からは光であっても脱出することはできない。
その先に特異点が存在する。
特異点では人智を超えた何かが起こると言われるが……
――Strange Room――
そこまで考え、レオは面白くもなさそうに鼻を鳴らした。
「質問を変えよう」
馬鹿にしたように。
「相変わらず『魔法』は使えないままか?」
侮蔑の念を込めて。
「死んでも生き返れない。この世界の理とは無縁のままか?」
レオンハルト・ベッカーは嘲笑った。
「お前らはこの世界の異物だよ、地球人」
そこでアルタイル兵は漸く口を開く。
呻くように言った。
「何故お前だけが特別なんだ……何処まで知って……一体、何者だ……?」
最早、興味無さそうに彼は答えた。
「soldier ID 0211。 Leonhard Beker」
◇◇
損なわれた記憶は乱れた麻のようだ。しかし纏まりを持ちつつある。
大いなる『謎』の正体に近付きつつある。その自信があった。しかし……
レオンハルト・ベッカーという男にはいつも時間がない。核心に詰め寄る時間がない。
「お前は……何処かの組織に所属するということか?」
アルタイル士官のその問いに、レオは首を振った。
「……分からない」
この世界には謎が多すぎる。そして『システム』に縛られる彼には、秘密を解き明かすのに必要な時間がない。
アルバトロスは上昇を続け、機体が中間圏を超え、『熱圏』に差し掛かったとき。アルタイル士官のバトルスーツが発火した。
「……」
アルタイル士官は手を上げたまま動かない。
どうやら腹は座っている。お互い殺し合いをやっているという自覚はあるようだ。
レオは小さく息を吐き、踏み込んだままの操縦桿から足を離した。
「疲れた。自分で運転してくれないか……?」
必要のない殺しは避けたい。今さらの詰まらない欺瞞だが、ないよりマシである。
レオンハルト・ベッカーという男は人間なのだ。
「行って欲しい場所があるんだが、送ってくれないか?」
コントロールを失い上下に暴れる操縦桿に、アルタイル士官が慌てて飛び付いた。
その背中に、レオは言う。
「用件が済めば、身柄を解放することを約束しよう」
アルバトロスは急激に高度を下げ、その制動に機体の端々から煙が上がる。磁場バリアの喪失。機能不全。熱圏の高熱は、スーツだけでなく、機体の耐久も大きく削り取ったようだ。
「まだ飛べるかね」
「あ、ああ……」
こうして『レオンハルト・ベッカー』から秘密が抜けて行く。幾つかの謎の解明がアルタイルに任されることになる。
苦肉の策。答えは次の『レオンハルト・ベッカー』が受け取ることになるだろう。
「なあ、エル……」
この蒼い星は憎らしいほど美しい。
それを知るのに、世界中見て回る必要なんてあるだろうか。
死せる少女を抱き、蒼き水の星の英雄は考える。
――Leonhard Beker――
メルクーアの英雄。
211番目の戦士。




