第35話 明日が壊れても
神の住まうより高き場所(星の部屋)にて、レオンハルト・ベッカーとテオフラストは、再び対峙する。
アキラを抱き締めたまま、レオは天を睨みつける。
最早、神は神足り得ず、人は人足り得ない。
レオの視線を追うように、アキラが視線を上げた先では、デジタル模様の大輪がゆっくりと花開き、そこからローブ姿の一人の女が現れた。
女は立っていることもままならぬようで、伏すようにして前方に倒れ込み、四つん這いの姿勢で動かない。
「あれは……?」
アキラのその問いに、レオは短く答える。
「神」
「え!?」
目を白黒させるアキラのこの反応も二度目だ。面倒な説明を避け、
――Leonhard Beker
――perfect field
レオは自身を中心に、パーフェクトフィールドを広域に展開させた。
新たに展開したパーフェクトフィールドは、アキラの足場を確保するためのものだ。これにより、レオはパーフェクガードの防御を使用出来なくなるが、同時にテオフラストを逃すこともない。
レオはパーフェクトフィールドの床にアキラを投げ出すと、腰の死神を抜き放った。
唐突に投げ出されたアキラは、盛大に尻餅をついた後、不平の声を上げた。
「わたたっ! おいっ、今のは酷いんじゃないか!?」
レオは、返事代わりに『菊一文字』とスポーツバッグを二つ、アキラに投げ渡した。
「下がってろ。ケリを着ける。手は出すな」
――Leonhard Beker
――teo-frust 211
――Duel
抜き放ったグリムを水平に構え、レオは頭上を睨みつけるようにして見上げた。
這いつくばるようにして、しゃがみ込んだ姿勢のテオフラストは、瞬きすらせず、呼吸を荒くして、額から汗を吹き出している。
明らかに平静を欠く様子のテオフラストは、定まらぬ視線を左右させ、視界にレオを見つけると、口元を引きつらせ、恐怖の色を浮かべた。
「あ、あああ、あ……!」
油断なく厳しい表情のレオは、小さく鼻を鳴らした。
「まともに話すことすらできんか」
メシアの使用から来る特性値の変動に因る失調と見て間違いない。
きらめく星々が流れ行き、決着を催促する――。
グローバルパワーの発現により、周囲に青白いエリクシールの波動をスパークさせるレオンハルト・ベッカーがマントを翻し、姿勢を低くすると、再び投擲準備を開始する。
死神が再びテオフラストを縫い止めんと、形状変化が始まった。
周囲に迸るエリクシールが電撃のように黒い蔦を伝って死神に流れ込み、その刃身が短く、鋭く、捩れ、凶悪な返し持つ『竜錨』に変化して行く。
アキラが視線を上げた先には、ぼろぼろに擦り切れたローブを纏う人影が蹲っている。
――くすんだ色の金髪。やや尖った耳。彼我間の距離があるため視認出来ないが、瞳の色はおそらくは金。メルクーアの創成を綴る聖書の挿絵にある『神』――テオフラスト。
アキラは、湧き出した唾を飲み込んだ。
「……神を、殺すの……?」
「もう、殺したよ」
レオは呟きながら、身を捩り、投擲体制に入った。
「い、いい、や……!」
メシア――『奇跡』の使用により、特性値に変動のあるテオフラストに最早戦意はないようだ。這うようにして逃げ出そうとする。
グローバルパワーの青白い輝きがレオの身体から稲妻のように迸り、周囲を駆け巡る。
「テオ、二度は言わん。珠をよこせ……!」
『グローバルパワー』の発動は多大な犠牲を要求する。チートスキル『グローバルパワー』とチートアイテム『アレスの珠』は二つで一つ。死の危険すらある特性値の変動を回避するためには『アレスの珠』が必要不可欠となる。それ故のレオの要求だったが、
「だめ、です……!」
テオフラストは呻き、だらだらと脂汗を流しながらも首を振り、拒絶の意思表示をして見せる。
容赦なく、レオは言った。
「じゃあ、死ね」
SDGのゲームシステムは犠牲を恐れる者に厳しい。それ故のレオの言葉ではあるが、そもそも抜かれた剣は血塗られずには置かぬ。
「う、ああ……」
テオフラストは、目前に白いコントロールパネルのエフェクトを出現させた。
稲光にも似たエリクシールの奔流により、光り輝くレオの姿は視認すら難しい状況にある。
その力強さと、儚さと、美しさに、アキラは涙すら流した。
かつて、『聖柩の島』にて水晶竜を討ち取った力だ。アキラがこの『力』を直に目撃するのは二度目になる。
こうなった『レオンハルト・ベッカー』は強い。人間離れした力を奮い、譬え手足が千切れようとも、死ぬまで戦うことができる。
これを使う以上、彼もただではすまない。
『レオンハルト・ベッカー』――死亡状態からの蘇生(revival)三回。
この内、二回までがこの『グローバルパワー』の発現に因るものである。
もう――止められない。
最悪のケースを想定し、至急エミーリア騎士団と合流しなければならない。湧き上がる無力感に、アキラは臍を噛む思いだった。
テオフラストはコントロールパネルのエフェクトを操作する。力なく指先は震え、その様子はたどたどしく、頼りない。
レオは嘲笑った。
「何処に送ろうと無駄だ! お前の命運は尽きている!!」
転移させられたとしても、タイムラグが発生する。転移前にテオフラストを打倒することは充分可能だ。言った。
「くたばれ……!!!」
SDGの主人公『レオンハルト・ベッカー』が決着の一撃を放たんと、一段と激しいエリクシールの輝きを身を纏ったその瞬間――
◇ ◇ ◇ ◇
流星が雨のように降り注ぐ星の部屋にて対峙するレオとテオフラストの間に、大きな赤い亀裂が発生した。
亀裂の向こうに覗く町並みは――
(ニューアーク!?)
レオは、眉間に険しい縦皺を刻んだ。
今まさに死の危機に瀕したテオフラストの最後の一手がこれだ。
(何の真似だ……?)
赤い亀裂の向こうには夜の闇が広がっている。
アニメや映画等の仮想以外では、幾度となく見た、しかし、実際に『それ』を見るのは初めてだ。だが『解る』。
夜空に浮かぶ二つの巨大な円筒は、凹凸の少ないフォルムをしており、胴体部分には所々、赤や青の電飾が輝きがちらついている。彼が持つ情報が確かなら、『砲身』は艦体内に収納されている筈だ。
空に停留している円筒から放たれる白いサーチライトの光が、ニューアークの町並みを嘗めるように照らしている。
レオは、初めて目の当たりにする『宇宙船』に意識を奪われ、息を飲む。
「マジか……」
『アルタイル』型巡航艦――『ギフトシュランゲ』。
全長約650m。収容人数300~500人。多数のミサイルと対人兵器を搭載しており、単座式戦闘艇を10機まで収納可能。設定としては知っている。それが二隻、ニューアーク上空に停泊している。
ステータスウインドウが幾重にも展開し、赤く閃く文字は――
a state of emergency!
a state of emergency!
レオは瞬時に投擲体勢を解き、パーティの火急を告げる表示を睨みつける。
そしてニューアーク上空に停留するアルタイルの『巡航艦』。テオフラストはこれを見せたかったのだ。
『アルタイル』にとって、『レオンハルト・ベッカー』は、国の重鎮を無差別に殺戮したテロリストだ。そして『アレクサンダー・ヤモ』殺害の実行犯でもある。思い当たることは山ほどある。あり過ぎるくらいだった。
レオは強い苛立ちを込めた縦皺を眉間に刻む。
『生命の水』。
あの得体の知れない劇薬が、『レオンハルト・ベッカー』と『アルタイル』の避けようのない運命の交差を示唆している。
レオは唇を軽く噛み締め、この現状を突き付けたテオフラストと二隻の巡航艦とを見比べた。
ニューアーク上空に停留する軍艦がアレクサンダー・ヤモの所属艦隊であるなら、時を経て旗艦『シルクレーテ』の到着が予想される。
メシアに因る特性値の変動から来る失調で、未だ冷たい汗を流すテオフラストは、震える声で言った。
「えら、びなさい……
わたしを殺すために、たたかうか……
ニューアークを守るために、たたかうか……
……いまの、おまえに、たまは、わたさない……!」
旗艦級戦艦『シルクレーテ』は、その言葉の示す通り『亀』である。巨大な『主砲』を搭載し、旗艦として三十隻にも及ぶ戦闘艇を収容可能な『戦艦』だが、その分ペイロードが高く、移動速度には優れない。当然だがこの『宇宙船』は『戦争用』であり、通常の移動手段として用いるには大仰すぎる。アレクサンダー・ヤモが単独行動を好んだ理由の一つでもある。
『シルクレーテ』の到着前に所属艦隊を叩き、各個に撃破するとしたらタイミングは今しかない。
「貴様……!」
レオの激しい怒りを反映するかのように、周囲のエリクシールが荒れ狂い、スパークして弾け飛ぶ。
ステータスは操作不能の状態だ。だが、ニューアークにて決定的な何かが起こり、パーティが危機的状況にあることは間違いない。
俄に揺れるレオに、テオフラストは途切れがちな言葉で繰り返す。
「今、決め、なさい。迷う暇など、ない……!」
戦うか。
守るか。
戦闘を続行し、テオフラストから『アレスの珠』を奪取することが出来れば、今後全ては彼の思うままになるだろう。
だが、ニューアークは、ニアは、ジークリンデは、エルは、アルは、損なわれる可能性がある。
レオは眼前の赤い亀裂から覗くニューアークを睨むように見つめる。
葛藤は一瞬。
SDGの主人公『レオンハルト・ベッカー』の手は守る手だ。ほかならぬ彼がそのように作った。彼自身が守るタイプの主人公を望んだ。いつも――答えは一つ。
壊すよりも、守りたい。
この場での決着を諦めることは、逃れようのない死に直結する判断かもしれない。
余りにも強大な『グローバルパワー』が、『レオンハルト・ベッカー』の魂すら焼き尽くすかもしれない。それでも……
喉元まで競り上がる戦意を飲み下し、レオは言った。
「また来る……」
或いはもう、『彼自身』がこの高みへ来ることはないかもしれない。チート使用の代償が生命力の限界を超えた時、彼は死ぬ。
『レオンハルト・ベッカー』は一人ではない。なんらかの目的を持つテオフラストは、『彼』が死ねば、喜々として再召喚を行うだろう。
いずれ現れる新しい『レオンハルト・ベッカー』に決着を託すことになる。
ステータスウインドウに新たな表示が閃く。
――ニューアークを守れ! (new)
レオは声を上げて笑った。
サディスティックシステムは神を見限った。同時に、レオンハルト・ベッカー――お前もいらぬ、そういうことだろう。ある意味、公平ではある。
「また来る。それまで――」
『レオンハルト・ベッカー』は、絶対にテオフラストとは相容れることはない。自分のことだ。保証してもよい。
Leonhard Beker
VS
teo-frust 211
draw……
「震えて眠れ」
今は――振り返らずに、駆け抜ける。
その選択を祝福するかのように、星々が一斉に流れ出し、そして――
物語は、大きな節目を迎える。




