第6話 現状
かつて――宇宙の大科学者『アレクエイデス』は、長年の研究の末、終に宇宙創成の秘密を説き明かした。
アレクエイデスは、己の叡知と卓越した技術を後世に託すため、『エリクシール』の集合体である一つの『珠』を完成させる。
アレクエイデスは『珠』の力を用いて惑星『メルクーア』を創造した。
その後、弟子である哲学者『テオフラスト』に『珠』の使用法を伝え、後事を託すと永遠にこの世界から去った。
興味深いのは、『去った』と記述されていることだ。『死んだ』とは一言も記述されていない。その後の記述では、生物としての位相が上がったアレクエイデスは、別の次元に移ったのだとされている。それ故、アレクエイデスはこのメルクーアでは父なる『神』と称される。
テオフラストは『珠』の力を用いてこの惑星『メルクーア』に数々の生命を生み出した。人間やエルフを含む知的生命もこれに含まれる。
かの『皇竜』もテオフラストによって創造された。そしてテオフラストもまた位相を上げ、『珠』を皇竜含むメルクーアの民に委ね、記述では『より高き場所』から世界を『見守る者』になったらしい。
この頃より『珠』は『アレスの宝珠』と呼ばれることになった。
それから数千年の永きに渡り、メルクーアには平和な時間が流れた。
『皇竜』は、メルクーアの民に平和の象徴として崇拝されていたが、その崇拝は破壊者『ダークナイト』と宇宙移民『アルタイル族』により、呪詛と怨嗟の悲鳴で汚されることになる。これが120年前のことだ。
『皇竜』と『アレスの宝珠』の強大な力により、永遠の繁栄を約束されたかのように思われた惑星メルクーアであったが、その平和は破壊者『ダークナイト』の出現により破られることになる。
アレスの宝珠の所在を突き止めた『ダークナイト』に惑星『メルクーア』は襲撃を受けたのだ。
メルクーアの民とダークナイトの戦いは、その戦乱に秘密の匂いを嗅ぎ付けた『アルタイル族』を交え、120年もの間続いた。
その結果、宝珠の守護者である『皇竜』は封印を解かれ、ついにはその強大な力を暴走させるに至る。
木々は枯れ、大地は実りを失った。戦乱は気候にも影響を与え、惑星メルクーアにある多くの島々が海中に没した。
そこでレオは聖書を閉じる。
SDGのマニュアルに書いてあったことだ。
その後、猛威を奮う『皇竜』を討伐するため、テオフラストにより惑星『メルクーア』に下されたのが『レオンハルト・ベッカー』を含む『冒険者』たちだ。
「あの……神官さま」
エルがおずおずと言う。
「……?」
不意に、思索を打ち切ったレオがエルとアルに向き直る。
「神官さまの、その……お名前は?」
「レオ……レオンハルト・ベッカー」
レオンハルト・ベッカーは神父の息子だ。
一二歳の時、テオフラストの天啓を受け、皇竜の討伐に旅立った『冒険者』の一人。
父であるベッカー神父は、テオフラストの天啓を受けた息子を誇らしく思うと同時に、酷くそのことを嘆いた。
「息子が神に選ばれたことは素直に嬉しいが、こうなった以上、息子は死んだも同じ」
かくして、レオンハルト・ベッカーは旅立った。
レオは自虐的な笑みを浮かべる。
(そうか、親父がいるんだったな)
会ったこともなければ、顔も知らないが。無論、プレイヤーとしての話だ。
プレイヤーの現し身であるレオンハルト・ベッカーはその後、六年間(ゲーム内時間)に渡り、惑星メルクーアでの戦いに奔走することになる。
死亡状態からの蘇生(revival) 三回
ペナルティによる加齢込みで、ゲーム内年齢は二一歳。
エミーリア騎士団所属。
アルフリード騎士団所属。
ザールランド騎士団所属。
以上の三騎士団にて、『騎士』の叙勲を受けている。
と同時に、
アルタイル
ノルドライン
オンデュミオン
の三カ国で指名『戦争犯罪人』の指定を受けている。
所属する三騎士団から許可を得て遊歴中。
その後、八年間の生死不明の期間を経て、このSDGの世界でのレオンハルト・ベッカーの評価はどうなっているだろう。
(せめて三カ国の指名手配ぐらいは解けていればいいが……)
「……?」
袖を引かれる感触に思索を停止させる。
「レオ……怒ってる、か?」
ぐっと身を小さくしたニアが、恐る恐る尋ねてくる。
「いや、怒ってないが……なぜ?」
「黙ってる……」
「ああ、すまん。少し考え事をしていたんだ」
そこでレオは、じっとニアの瞳をのぞき込む。
「……俺は、そんなにお前を不安にさせているか?」
質問の後、ニアは長い沈黙を挟み、
「……うん」
と頷いた。
「レオは……ニアを、捨てる……か?」
「なぜそうなる」
「ニア……ばかだから……」
ぐすっ、と大きく鼻を啜る。どうやら、彼女なりに今回の一件を悔いているようだ。
レオは深いため息を吐くと、ニアの隣に腰掛け、ぽんと膝を叩いた。
「おいで、ニア」
言いながら、そういえばナナセも同じような不安をよく口にしたな、と考える。
特別、自分がモテるタイプだとは考えたことはないが、自分はなにか人を不安にさせるような能力でもあるのだろうか。
「ん……」
ニアが遠慮がちに膝の上に腰掛ける。やはり、というべきかなんというべきか、レオより上背のあるニアに座られると少し重い。
「俺はな……おまえに感謝しているんだ」
「かん、しゃ?」
「そう。ニアがいるから、俺は不安にならずにいられる。自棄にならずに、落ち着いていられる。この世界で、おまえだけが、俺のことを……思ってくれてる」
それは紛うことなき彼の本心だった。
「そんなお前を捨てたりしない」
「うん……うん……!」
ニアが熱に浮かれたように強く頷く。
「だからニア、何も変わらない。俺と一緒にいろ」
「うん……!」
「ずっとだ」
「うん、うん……。ニアは、ニアは……!」
しっとりと濃くなる辺りの空気。はぁ~っ、と悩ましげに息を吐くニアとエルとアル。
そう、LとR。
「お前たち、いつまで見てるつもりだ?」
レオは呆れたように首を振り、手で顔を拭った。
「というより、まだいたのか?」
「ひっ、ひどいです! 勝手に犬の従者さんを口説きだしたのは、ベッカー様じゃないですかぁ!」とL。
「そうです! さっきのベッカー様、すごくいやらしかったです!」とR。
「ベッカーはよせ。レオでいい。それと、どう考えてもいやらしいのはお前たちだ」
そこでエルとアルはまたしても互いを見合わせ、再びレオを見つめ返す。
「「愛称で呼ぶことをお許しになるので!?」」
「ああ」
「「獣人のわたしたちに!?」」
「ああ、いやらしいお前たちに」
レオは請け合った。
小うるさいLとRを追い払った後、レオとニアはようやくの入浴を済ませる。
獣人のニアは汗をほとんどかかない。ここ数日一緒に暮らして分かったことだ。これは即ち、彼女が日中の行動を苦手とすることを意味している。体温調節が苦手ということだ。そのためか、ニアは湯船に浸かることを極端に嫌がった。
人肌より少しぬるい湯で入浴を済ませる。それでも最初は少し駄々をこねたが、長い鬣を洗ってやる頃には落ち着いたのか、素直に身を任せた。
犬の獣人であるニアの肌は繊細でデリケートにできていた。ブラシや櫛の使用には難色を示したので、手櫛で鬣を撫でつけるようにして梳いていく。
ニアのむっちりとした肢体を洗ってやりながら、レオは酷い違和感に襲われた。
(俺、なんでニアの身体を洗うんだ?)
前の宿でもそうだったが、この場合、最初が最初だったので、そうなのだろう。そのように結論付けたがどうも違う。
既視感があるのだ。形の良いバストも、ヒップも、確かに見覚えがある。
どこで? わからない。
こうしていることが、至極当然の気がする。
(俺もヤキが回った。異世界トリップで頭もトリップしちまったか……?)
ニアは羞恥からか、うっすらと頬を染め、潤んだ視線でレオの指先を見つめている。
「自分で洗うか?」
「イヤ……?」
「んなことないけどさ……」
小首を傾げるニアに返事をしながらも、手は淀むことなく動き続ける。ほっそりとした腰から、肉付きのよいヒップへ。ぬるぬるする股間を丁寧に何度も洗い流しながら、やはり既視感に襲われる。
「なあ、ニア……俺は……」
以前にもこうしたことがあったか? と聞こうとして、言葉を飲み込む。
(馬鹿な……。ニアはゲームのキャラクターだ。そんなことが……)
あるわけがない、と言い切れないほどの既視感。
それだけじゃない。
この惑星メルクーアの空気は、酷く馴染むのだ。
『赤い川』や『川の道』を見たとき、彼の胸に去来したのはシビアなSDGの緊張感でなく、茫漠とした郷愁の念ではなかったか。
サバントとの戦闘の際、感じたのは恐怖ではなく、身を焦がすような興奮ではなかったか。半ば、命懸けのスリルに溺れそうになったのではなかったか。
(まさか、な……)
湧き上がった疑念を苦笑して圧し殺す。
それは、あってはならないことだ。
二度目などということは――。