第30話 Dramaticに!
星空のスクリーンを、二人目がけ、頭上からゆっくりと迫る輝きを前に、アキラは急にそわそわし始めた。
「レオ、あれは……やばい。逃げよう……」
何処へ? レオはその言葉を飲み込む。
スーパーノヴァの輝きがゆっくりに見えるのは、互いの質量差に因るものだ。余りにも巨大なそれは、余りにも小さな二人にはゆっくりに見える。爆発の衝撃波は広範囲、且つ回避不能な速度で迫る。逃げ場など何処にもない。――それ故、テオフラストはこれの回避に時間と手間を割いた。
レオは瞳を閉じ、大きく深呼吸する。
SDGの主人公『レオンハルト・ベッカー』の手は守る手だ。ほかならぬ彼がそのように作った。
(アキラだけは……)
絶体絶命、究極の瞬間、人の本性は露になる。
何処へ行き、何をしようとも、変わらぬものがある。全てを失ってなお、譲れないものがある。
胸の奥に消えることのない激しい怒りの炎がある。
生きながら腐り、死を懇願した少女の顔も、娘の苦痛に神を呪った母の涙も、決して忘れはしない。
流れた涙と怨嗟の声が、剣を奮えと彼を押す。
だが今は――壊すよりも守りたい。悲しい物語は望まない。かつて、彼はエンディングBを選んだ……。
end of the world――世界の最後のきらめきが、彼の中に眠る壊れた記憶を刺激する。
『愛してる……愛してるの……』
それはいつの日か、この『星の部屋』にて吐き出された悔恨の言葉。
背負った悲劇、流れた涙が、守れ守れと彼を押す。
彼という男は決して善人ではない。世界の半分に死ねと言い切れる。だが、選ぶことのできない無力な残りの半分に関しては、横着にも、これを守りたい助けたいと考える。
それ故、世界は『彼』に光を見いだした。
ぎゅう、と拳を握り込む。力は無限に湧いて来る。
天使が歌う。
「 命 を 刻 め ! 」
レオは直上の光りに向けて叫んだ。
「来やがれ!!」
残存する召喚兵、ヴァルキリア七体、グラディエーター四体、サジタリウス三体をも取り込み、レオはパーフェクトガードを球形に展開させた。
「うおおおおおおおおおおおおお!!!」
不可侵、絶対防御の盾に天からの光が降り注ぐ。
スーパーノヴァ――アキラが『太陽』と言い表した光の正体は、恒星がその命の終わりに放つ最後の輝き。
『終わる世界』――よく言ったものだ。レオはそんなことを考える。
視界を目映い光が塗り潰し、白くなった世界でアキラが強く抱き着いて来る。
「うわあああっ! レオ、レオーーーーっ!!」
レオは手足を突っ張るようにして、パーフェクトガードの盾越しにスーパーノヴァを受け止めた。
◇ ◇ ◇ ◇
パーフェクトガードはしっかり働いている。この絶対防御の盾がなければ最初の衝撃で瞬時に蒸発し、消えていただろう。しかし、超高圧の深海で発泡スチロールの容器が圧迫されて体積を失うように、内部の空間が狭まりつつあった。
チュートリアルの女――テオフラストが完璧と言ったこの防御は……
「圧される……パーフェクトじゃ、ない!!」
そんなことだろうとは思っていた。このSDGで、絶対安心などあり得ない。全身を突っ張るようにしてパーフェクトガードを支えるレオは叫ぶ。
「うおおおお! 援護だ! おまえたち、援護しろーーーーッ!!」
レオンハルト・ベッカー
――power strike――600%(限界値)!!
(潰される!)
圧倒的危機感にレオは息を飲む。
パーフェクトガードの守りに残存する一四体の召喚兵を取り込んだのは、この攻防を予感してのことではない。戦力の温存の為だ。
「 血 を 流 せ ! 」
「うるさい!!」
おかまいなしに歌い続ける天使に皮肉をぶつけると同時に、レオは全身を緊張させ、じわじわと迫るパーフェクトガードの壁を全力で押し返す。
グラディエーターは盾で押し返し、サジタリウスは肩口で押し込む。ヴァルキリアは周囲を旋回する光球を一層強く輝かせ、大盾で迫る壁を押し返す。
だが、空間の圧迫速度は一向に収まらず――レオは全身で吠える。
「おおおおおお! まだだ! システム! 俺に力を!!」
SDGというゲームは攻略不能の無理ゲーではない。絶体絶命の危機に於いては裏返り、プレイヤーに力を与える『サディスティックシステム』が存在する。
ここに至り、レオは新なる力を獲得する。
レオンハルト・ベッカー
―― limit break ――master!
戦士系アクティブスキル。リミットブレイク(限界突破)の修得である。
潜在能力に関わるこのスキルの使用は諸刃の刃だ。キャラクターの特性値――腕力(STR)生命力(VIT)知性(INT)敏捷(AGL)魔力(MAG)――命を削り、限界を超えて力を奮う。
レオンハルト・ベッカー
――limit break!
――power strike 1270%!!
血が沸き返り、胸中で心臓が爆発するかのような強い鼓動を刻む。みしみしと全身の骨が歪み、ぶつり、ぶつりと筋が弾ける。
ステータスウインドウで生命力とスタミナの値を示すバーが見る見る内に減少して行くが、回復を行う余剰は、レオには存在しない。
「…………!!」
全身を暴れ狂う苦痛に上げる悲鳴すらなく、レオはただ、耐える。
『あいしてる……』
アキラ・キサラギの言葉だ。
絶体絶命の危機にありながら、レオは僅かに笑みを浮かべる。
――死なせたくない。勝手な男だ。
そのアキラ・キサラギは、ぐしゃぐしゃに泣き濡れた表情で何かを叫び続けている。
「やめろやめろ! キミはもう頑張るな! それ以上、擦り減るな!!」
(アキラだけは……)
勝手な男だ。
『ニアは、レオだけなんだ……』
いつかのニアの言葉。レオは自嘲の笑みを浮かべると苦しそうに言った。
「大丈夫……大丈夫だよ……」
勝手な男だ。――愛して、やらないくせに。
「――うわあああああああああああ!」
その瞬間、アキラは火が点いたかのように悲鳴を上げた。
「何が大丈夫だ! キミは全然大丈夫なんかじゃない!」
「…………」
「もうやめろ! キミはもう支払うな! ボクを守るな! ボクは……ボクは……!」
白くなった世界。スーパーノヴァの衝撃は全てを飲み込む。
その衝撃は水中で感じるそれに似ていた。全身を包み、静かに圧しつける。
轟音。星の輝き。五感の二つは用を為さなくなり、押し寄せる衝撃が意識を削り取るかのような錯覚を覚え――意識の境が曖昧になる。
何もかもが、遠くなる。
(これは……)
音もなく、一面の白に塗り潰された世界。
ぬるま湯のように締まりなく、間延びしたかのような時の中で、レオは……
◇ ◇ ◇ ◇
女だ。
ぎらぎらと七色に揺れる世界――虚数空間の一つ。アビス(深淵)。
獣のように這いつくばり、闘志を剥き出しにして唸る女には尻尾があった。
牙を剥き、全身を青白い命の輝き――『グローバルパワー』で包んでいる。
(あいつ……)
時が、ゆっくりと流れる世界の中、レオは視線を左に滑らせる。
こっちは男だ。
円形の盾を持ち、片手剣を構え、姿勢を低くしている。ごついミスリル(魔法銀)の甲冑を装備しており、彼もまた全身を命の輝き――『グローバルパワー』で包んでいる。
(これは……)
それらの光景は、レオの瞳には薄い皮膜を通したかのように、ぼやけて映る。
いつか、出会う。
それは漠然とした、だが、確固たる予感。確信。
彼らとは、何時か何処か――物語の向こうで出会うだろう。
薄い皮膜越しに、こちらに向けて女がぱちりとウインクして来る。余裕がある。
視線をずらす。
男は兜の面頬を上げ、淡いグリーンの瞳に笑みを浮かべる。
彼らは、強い。『レオンハルト・ベッカー』より。
それらは、別の『物語』の主人公。
『グローバルパワー』――世界規模の力。
『現実』と『ゲーム』。それらを含む全ての『世界』規模の力。
それが彼ら、と『レオンハルト・ベッカー』を結び付ける。異なる世界の戦士たちとの共通点。
レオは忌ま忌ましそうに鼻を鳴らす。
「おまえらなんぞ知るか。馴れ合うんじゃない」
誰もが、戦っている。
戦いの記憶。――星の見る夢。
それだけのことだ。
◇ ◇ ◇ ◇
スーパーノヴァの爆発で激しく揺れる世界の中で、アキラは半狂乱の悲鳴を上げた。
四肢を突っ張り、レオは目を閉じ、固く食いしばった口元から血を流しパーフェクトガードの盾を支えている。
「ボクはもう何も欲しくない! キミからは何も奪いたくないんだ!」
「……!!」
レオの身体は、全身が硬直し首筋には太い筋肉の筋が浮かび上がる。
「レオ! レオ……?」
それに気づき、アキラは押し黙った。
レオンハルト・ベッカーが支える絶対防御の盾の向こうには、新星爆発の虹色の空間が広がる。
時には白く。時には赤く。時には黒く。時には青く。世界は最後の輝きを見せる。
レオはスーパーノヴァの衝撃に専心防御の構えだ。瞳を閉じ、口を噤み、全身の力を振り絞り、ひたすら耐え続ける。
頑張れ――アキラには口が裂けても言えない言葉だ。涙を拭う。
「行きたかったなぁ……キミと、何処までも……」
物語の向こうまで。
アキラ・キサラギの持つ不思議な運命がそう言わせるのか。それとも――
頑張れとも止めろとも言わない。全てを委ね、受け入れる。
「あいしてる」
アキラは呟き、唇をレオの頬に寄せる。その背後で――
teo-frust 211
――suspended game
――now loading
――repley
酷く、無関心な声が響いた。
「大ピンチですね。絶体絶命というやつです。そして今度こそ、本当に――」
ごくり、と息を飲むアキラの頬に、冷たい汗が伝う。
「チェック・メイト」
王手、詰み――。




