第26話 果てしない戦いの序曲を
人気のないレストランの奥まった窓際の席で、二人は沈黙を選んだ。
レオンハルト・ベッカーはテーブルの上で指を組み、静かに思索を重ね、その対面ではアキラ・キサラギが静かに涙を流している。
レオは言った。
「アキラ、砂時計を……」
「嫌だ……」
「…………」
それ以上レオは言葉を継がず、再び沈黙を選んだ。
窓ガラス越しに見える空が、少し曇り始めたころ、アキラが小さく肩を震わせた。
『時の砂時計』が、ついに明確な時を刻み始めたのだ。容量を減らし始めたそれに、レオはちらりと視線を走らせ、ゆっくりと立ち上がった。
「頃合いだな。いいタイミングだ」
「ま、まだ……!」
動揺したアキラが砂時計を引き寄せる傍らで、レオはマントを纏い、グリムの包みを解くと窓際に歩み寄る。
窓ガラスに映る彼は、静かに瞳を閉じ、軽く握った手を胸に添えている。
戦いの予兆に高揚し、集中を高めるその様子は、アキラのよく知るメルクーアの英雄『レオンハルト・ベッカー』だった。
「勢いが強すぎる! レオ、エーテルを――」
「断る」
苦しそうに言うアキラに無下に言い放ち、煙るような視線を向けるレオの瞳は、うっすらと赤く燃えている。言った。
「戦闘に移行する可能性が極めて高い。迷いは切り捨てて集中しろ」
メルクーアに於いて、『レオンハルト・ベッカー』は戦場の雄であった。彼が名を馳せたのは『冒険者』としではなく、戦場の『騎士』としてだ。
おかしなことに、最早『レオンハルト・ベッカー』であることを望まぬであろう彼は、アキラにはどう見ても戦場の雄『レオンハルト・ベッカー』であった。
彼は無駄に口を開かず、険しい視線でアキラを窘める。
「……」
アキラは涙を拭うと、のろのろと菊一文字と脇差を包んだ布に手を掛ける。
レオはクレジットカードをテーブルの上に置き、それから困ったように眉を寄せる。
「あ……車が……まあ、しょうがないか……」
駐車場に置き去りになってしまう車と、今もまだ病院にいるだろう『彼』を思い出し、レオは心の中で手を合わせる。
(治療費としては安いもんだろう。許せよ……)
目を覚ましたのは外ならぬ『彼自身』だ。
これからも生きて行く『彼自身』が、ナナセを幸せにするだろう。その思いがある意味、彼を自由にしている。
(もう、思い残すことはない。だから、一人でも大丈夫……)
時間の砂が尽き、『アーティファクト』――時の砂時計を起点に、暗色のスクリーンが広がった。
その瞬間、足場を失ったように、がくんとバランスを崩したアキラが、あっと悲鳴を上げた。
「!」
瞬間、レオは稲妻のように飛び出して、星空のスクリーンの中を『落下』しかけたアキラの腕を引っ掴み、ぐいっと胸元に引き寄せた。
「な、なに? どうなったの!? ここ、どこ!?」
「星の部屋……」
レオは唇を噛み締めた。
――アキラの『脇差』と『菊一文字』は、スポーツバッグと共に、星空のスクリーンの中をどこまでも落下して行った。
この失態に、アキラも唇を噛み締め、コバルトブルーの瞳に涙を浮かべる。
「ごめん、ごめん……! 油断した……」
「ああ……立てるか?」
泳ぐように足をじたばたとさせた後、アキラは悔しそうに言った。
「……無理だ。キミは立てるのに、ボクだけなんで……!」
しっかりとアキラの腰を抱いたままのレオは、油断なく辺りを警戒する。
「落ち着け、出来ることをするんだ……」
『忍者』であるアキラ・キサラギの索敵範囲は『騎士』であるレオンハルト・ベッカーよりはるかに優秀である。そのことに気づいたアキラは、はっとして、抱き着くようにしてレオの胸に顔を埋めると口を噤み、集中を始める。
ぴん、と張り詰めたような静寂が続く。
ややあって、未だ周囲の警戒を続けるレオに、アキラは言った。
「上だ。上に、誰かいる……!」
レオは、睨みつけるようにして天を見上げる。そこには――
見下しているのは『見守る者』にして、『より高き者』。そして、メルクーアの偉大な『哲学者』。
キンッ、と軽い音がして、視界の隅で突如解放されたバトルステータスを一瞥する。
エンカウントした。敵意ある者と遭遇したのだ。
――party battle(通常戦闘)――
アキラ・キサラギ rescue!
レオンハルト・ベッカー weight over……
――OFE(攻撃力)30%down
――DEF(防御力)30%down
――AGL(敏捷値)30%down
ぴったりとしたスーツでなく、擦り切れたぼろぼろのローブを身に纏い、珠の付いた木の杖を持ち、眉間に怒気を感じさせる皺を寄せているのは――
――無関心な神。
テオフラストだ。




