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S・D・G  作者: ピジョン
第1章 失われた英雄
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第5話 アデライーデにて


 ニューアークでやらなければならないことは多々あった。そのため、レオはまとまった時間思考する必要があった。


「今日の散策は終わりだ。もう、宿に行こう」


 ニアを伴い宿に向かう。レオが向かったのはアルタイルの技術を導入している高価な宿だ。外観は立派なもので壁面には鉄のパイプが剥き出しになってなっており、離れにはボイラー室のようなものが見受けられる。


「ここ、に?」


 ニューアーク一の宿『アデライーデ』に明らかに気後れした観のあるニアは、やや身を小さくしてレオの反応を伺う。


「ああ」


 木賃宿はまっぴらだ。レオは内心吐き捨てる。部屋は汚い。風呂は真水。明かりは蝋燭。トイレは共用。『赤い川』の河原の方がまだマシだ。

 陽はまだ中空に差しかかったばかりだが、今夜の宿をここ『アデライーデ』に定め、早々にチェックインする。一人一泊二〇〇〇GPだったが、ここでも半額でいいと言われ、言われるまま二人の宿泊費をかさ張る銀貨で支払いを済ませる。

 ホテルの名を持つ支配人『アデライーデ』はエルフの美しい中年女性だった。ぴんと尖った耳、切れ長の瞳の目元には齢を現すように小じわがよっている。


「支配人のアデライーデでございます。アデル、とお呼びくださいませ」


 アデルはすました顔で、ニアをちらりと見やったが、その表情が一瞬嫌悪に歪んだのをレオは見逃さなかった。


「ようこそ、当ホテル『アデライーデ』へ。神官……騎士様? お連れの方と同室でごさいますか?」

「そうだ」


 レオは買ったばかりのブロードソードを、がちんと床に圧し付け、そのまま柄に手を掛け、静かにアデルを見つめ返す。


「お、お連れの方は当ホテルの雰囲気にはそぐいませぬ。別室をご用意致しますが」


 アデルは、レオの威嚇に少し腰が引けていたが、それでも言い切った。


「いらん世話だ。早く部屋に案内しろ」


 レオは激しく舌打ちした。


「いいか? 二度は言わん。連れの前で俺に恥をかかせるつもりか? 無駄な時間を使わせるんじゃない」

 モブキャラの分際で、と内心付け加える。


(この無法地帯ニューアークでホテルの雰囲気もクソもあるか)


 ニアに対するあからさまな蔑視を感じ取り、レオを中心に緊迫した空気が流れ出す。


「マダム……!」


 そこに黒服を着込んだ牡の猫型の獣人が現れ、慌てたようにアデルに何やら耳打ちすると、さっとその顔色が青くなった。


「き、騎士様。失礼ですが、ニューアークにはいつ?」

「そんなことがお前に関係あるか?」

「それでは、どちらから、いらっしゃいましたか?」


 顔色の悪いアデルに、レオは雄弁な溜め息を以て応える。


「いいか、質問に質問を返すんじゃない。アデル、お前も、あの壊れたサバントたちと同じで話が通じないのか?」


 アデルは、ひっと息を飲み込む。


「しっ、失礼いたしました! すぐに部屋へ案内いたします。――そこのおまえ!」


 アデルに呼び止められたメイド服を着た猫型の獣人が、きょとんとして振り返る。それを遮るように、


 がちん! と、またしてもレオがブロードソードを圧し鳴らす。


「アデル、お前が部屋に案内するんだ……。二度は言わん」

「はっ、はい! ただいま!」


 失禁しそうなくらい恐縮するアデルに案内され、レオとニアはようやく部屋に通された。逃げるように去るアデルの背中に、


「愚図が」


 と声を掛けることも忘れない。

 これでも加減した方だ。レオは内心、鼻を鳴らす。そもそもゲームキャラに差別され、黙っているプレイヤーなど存在しない。相手が気に入らないなら尚更のことだ。この受肉したSDGの世界がプレイヤーである彼の新しい現実だとしても、それに従う理由など全く見い出せない。



 脅え切ったアデルが去り、室内は二人きりになった。

 レオは広い室内を見回し、満足そうに頷いた。

 離れに在った小屋は、やはりボイラー室だったようで久しぶりにお湯につかれそうだ。そのことに、ほっと胸を撫で降ろす。

 清潔な浴室とトイレ。これも満足する。現代日本人の彼は最低限の生活環境の整っていない宿にはどうしても我慢ならない。


(この世界のインフラはどうなっているんだ?)


 このSDGの世界でも社会形成が成されている以上、あって当然の仕組みだ。調度品のソファに腰掛け、そのことに思いを巡らせる。

 学校、病院等の公共施設。道路の整備状況。通信手段。上下水道。天井に瀟洒たシャンデリアがある以上、発電設備もあるのだろう。

 全てが木賃宿とは大違いである。


(上下の差が激しすぎるな……)


 問題はそこだ。この世界でインフラがまともに機能しているとは思えない。日本人の彼には思いもよらない形で機能しているに違いなかった。


(アルタイルの技術を導入しているとホテルの謳い文句にあったな……)


 アルタイルは『アレス』の珠を求め、別の惑星からやって来た宇宙移民である。そのことから察するに、この世界の文明は、貧富の差に沿って一部突出した形で歪んだ発展を遂げたのだろう。

 知らないことが多すぎる。この惑星メルクーアでは彼はあくまでも異邦人であった。


「レオっ……!」


 そしてニアは落ち着きがない。先程から、ふらふらと室内を歩き回っている。最初、室内設備に目を奪われているのかと思ったが違うようだ。普段から下がりがちな眦を、さらに下げ、瞳に大粒の涙を湛えている。


「どうした?」

「……!」


 ニアは無言で尻を見せつけてくる。購入したばかりのズボンには尻尾を出す穴がなく、そのため歪んだ形で収納されている。どうやらそれが彼女の居心地を悪くさせているようだった。

 レオはアデルを呼び付け、ニアの着衣の仕立て直しを依頼した。

 アデルは、着衣を受け取るや否や、逃げるように立ち去ろうとしたが、それを引き留め、代償としてかさ張りがちな銅貨を全て押し付けると手のひらを返したように満面の笑みを浮かべ、貴夫人らしい優雅な仕草で挨拶をして、その場を後にした。


 この時点でレオとニアの二人は、少数ながらもニューアーク随一の実力派暴力集団として不名誉な名声を得ていたのだが現時点では知る由もない。


 一方でアデルは、この物騒な二人を金回りの良い上客と見做したようだった。猫型獣人のメイドを二人伴い、再びやって来ると先ず、ニアに非礼を詫び、


「ご用件があれば、この二人に何でもお申し付け下さいまし」


 そう言い残し、つっとスカートの端を持ち上げ一礼して去って行った。その際、化粧と衣装を改めており、その様子はアデルの内心の変化を強く物語っていた。

 レオの内心の思惑は『金は正規の額払うので不快と面倒を押し付けるな』というものであった。その思惑を感じ取ったアデルが応じた形となる。無言の内にではあるが、予定調和が成立してしまえば話は早い。早いはずなのだが……

 去り際に見せたアデルのハの字に寄った眉が気になった。そこに嫌悪感はない。むしろ困惑に近いものがあった。

 レオはピンと来た。なんらかのイベントフラグだ。二人のメイドに入浴の指示を出して退出を命じる。

 イベントフラグが立った。それはよい。SDGの世界に属する以上、避けようがない。問題はそれがどのようなイベントであるか。

 神官としてのものなら問題はない。イベントは治癒を行う慈愛に溢れた内容になるだろう。騎士としてのイベントなら、大なり小なりの流血は避けられない。パーティイベントなら、ニアの協力が必要不可欠となる。

 問題は神官騎士としてのイベントであった場合である。このSDGの世界では神官騎士は非常にレアな職業である。イベント達成の難易度もそれに準ずる。前者二つの混同したものをこなさなくてはならないため、難易度が格段に跳ね上がるのだ。難易度が跳ね上がるという事実は、死亡率が跳ね上がるという事実にも直結する。なお、イベントがどの類いに属するかの判断はプレイヤーに委ねられる。勿論、イベントの取捨選択の自由はある。強制でない限りだが。




 レオがイベント確認のため、ステータス画面を開いたとき、浴室から甲高い女性の悲鳴が響いて来た。

 慌てて浴室に駆けつけると、全裸のニアがずぶ濡れの身体を震わせて、メイドの一人を床に押さえ付けている。もう一人は額から血を流し、浴室の隅で頭を抱えて震え上がっていた。

 ニアは全身を怒りで震わせながら、片言の言葉でわめき散らしている。酷く興奮しているようで意味は殆ど分からない。繋ぎ合わせるとこうだ。


「猫! 触る! 気持ち悪い! 殺す! 性悪女! 泥棒猫! 死ね!」


 ニアの吐き出す言葉には、所々剣呑な単語が含まれている。


「落ち着けっ、ニア!」


 メイドからニアを引きはがすと、レオは改めて二人のメイドに視線を向ける。震えている方は特に問題無さそうだが、床に押さえ付けられた方は、可哀想に右腕があり得ない方向に曲がってしまっている。


「なにがあったんだ?」


 レオはなるべく平静を装い、未だ憤懣やる方ならぬニアの身体にバスタオルを巻き付け、そっと肩に手を乗せる。


「ふーーーっ、ふーーーっ」


 ニアは大きく肩で息をしながら眦を吊り上げ、牙を剥き出しにしてメイドたちを睨みつけている。

 レオは、そんなニアを叱り付けることはしなかった。逆上したこの状態にありながら、手加減した形跡が見て取れたからだ。もし、彼女が手加減なしに力を振るえば、メイドたちは生きていなかっただろう。


「よく我慢したな……」


 実際のところ、レオはこの惨状に泣き出したい気持ちだったのだが、それは内心に止め置く。

 怒りに震えるニアをリビングのソファに座らせ、メイドの怪我の具合を見る。アデルの手前もある。この一件を部屋から外に出すわけには行かなかった。


 レオは先ず、右腕が折れた重傷のメイドの治療に取り掛かる。麻痺パラライズの魔法を使い激痛を抑えた後、骨を接ぎ、ヒールの魔法で怪我を治癒させる。レベルの高低差があるためか、魔法のパワーレベルは最小限で済んだ。

 続いてもう一人のメイドには、ヒールの魔法を掛け、額の血をふき取ってやる。そこで辺りを見回し、備品には被害がないことを確認してメイドに謝罪の言葉を掛けた。


「連れが申し訳無い」


 その言葉に、きょとんとした様子で二人のメイドは、お互いの顔を見合わせた。上目使いに、


「あの、そのう……理由は聞かれないので?」


 と恐縮しながら問うてくる。


「ニアが君たちに怪我をさせたんだろう?」


 レオはこの不始末の原因に興味がない。原因がニアにあろうが、メイドにあろうが構わない。結果を受け、どうするかだ。

 興奮したニアを寝室に放り込み、メイド二人とレオはリビングに場を移した。


「これで許してほしい」


 レオは銀貨を与えて二人を口止めしようとしたのだが、二人のメイドはそれを固辞して受け取ろうとしなかった。


「いえ! そんなめっそうもない!」

「……」


 二人が脅えていないのが唯一の救いだ。そのため、レオは二人の言葉に黙り込む。そもそもこの日に限って言えば、自分は金にものを言わせ過ぎではないか? そのようなやり方が人として許されるのか? 元々、潔癖というわけではないが、この日の自分はいささか悪辣が過ぎるのではないだろうか。血を流し、激痛に悲鳴を上げる二人を見て、所詮ゲームのキャラクターに過ぎないと思うほど厚顔無恥にはなれない。

 レオは居住まいを正すと、二人に改めて謝罪の言葉を述べた。


「本当に申し訳ないことをした。俺にできることがあれば何でも言ってほしい」

「…………」


 猫型獣人の二人のメイドは、お互いに顔を見合わせ、視線をレオに移すという行為を何度も繰り返した。二人揃って、ぽかんと口を開けたまま、頭を下げたまま微動だにしないレオを黙って見続けた。

 一方、レオは面倒なことになった、と内心焦る。しかし、メイドたちは怒りが収まらないというわけでもなさそうなのだが……黙っていられるのは非常に居心地が悪い。


「その、金が足りないというのであれば――」


 あまりにも歯切れの悪いレオを遮って、


「そんな、とんでもありません!」

「どうか面をお上げ下さいませ!」


 二人のメイドが口々に恐縮の言葉を上げる。

 謝罪を受け取ろうとしない二人に、レオはますます途方に暮れてしまう。


「では……俺は、どうすればいいだろう……」

「…………」


 メイドたちは、困ったようにお互いを見合わせていたが、はっと閃いたように息を飲むと、二人揃ってその場に平伏した。口々に言う。


「では、神官さま! お言葉に甘えてお願いがあります!」

「父の!」

「母の!」

「「病を治して下さいませ!」」


 あっ……と、レオは呻いて眉間を押さえた。


(そういうことか……これもイベントフラグか……)


「わかった……話を聞こう……」


 自棄っぱちでレオはそう答えた。



 その後、二人のメイドは口々にレオを褒め千切った。

 痛みを抑えるため、パラライズの魔法を使った点はポイントが高かったとか、獣人に対して差別意識が無い点も人格者として非常に認められるなど、瞳の聖痕はアスクラピアの加護の証しで、これ以上の聖人は見たことも聞いたこともない、と聞くほうが赤面してしまうほど手放しの賛辞だった。


 そして話は『病気』の内容に移る。


 総括すると、二人の家族が悩んでいる病気は『内耳炎』のようだ。ただ、この内耳炎というのが、犬猫の種別なく獣人の間では不治の病なのだと言う。死に至ることこそないものの、不治であるから、その後命が続く限り症状に悩まされる。主な症状として、頭痛、痒み、炎症側への傾斜、回頭運動、眼振(目の揺れ)などがあるようだ。

 慢性的になると食欲不振になったり、自傷したりして始末に負えないのだという。

 これは分かりやすい。『神官』の治癒イベントだ。

 だが、このイベントの帰結する先は分からない。飛び火して他のイベントに連鎖するかもしれない


。その危険を踏まえつつ、レオはこのイベントフラグを敢えて『立てる』ことにする。


「わかった、では、明日ロビーまで家族を連れて来るといい」

「はっ、はいい!」


 メイドたちはひれ伏してしばらく動こうとしなかった。この二人に関心はないので、やりたいようにさせておく。この時、レオは酷いヘマをやらかしたのに気づかなかった。

 低身低頭の姿勢でメイドたちは、エルとアルと名乗った。

 長身の方がエルで、低い方がアルだ。二人は姉妹らしい。どちらも美人といっていい顔立ちだ。犬型獣人であるニアとの違いは骨格にある。ニアが、むっちりであるなら、二人は、ほっそりと言ったところか。


「LとRね。ゲームらしくていい名前じゃないか」


 モブキャラの名前を一々覚えるほど暇ではない。そう考えるレオの興味は既にイベントに向かっている。


(内耳炎か……)


 SDGの治癒魔法には病気に対応するものがある。キュア・ライト・コンディション(CLC)とキュア・ヘヴィ・コンディション(CHC)の二つだ。CLCは軽症。CHCは重症の病気に対応している。

 治癒魔法の検証には持って来いのイベントである。


「ニア、来てもいいぞ?」


 ドアの向こうから恨めしげにこちらを睨むニアに声を掛け、レオは調度品である鏡台と向かい合う。

 鏡の向こうには、現実世界と寸分違わぬ彼が見つめ返している。

 瞳の『聖痕』がゲームクリアのシンボルマークであることは、すぐ分かった。アイテムの購入費や宿泊費が半額になったことと無縁ではないだろう。他にも何か意味が隠されているかもしれない。この考察もこれからの課題だ。

 背後では、エルとアルがニアに謝罪している。どうやら、入浴しようとしたニアの身体に触れたのが原因であるらしい。

 振り向くとニアと一瞬、目が合ったが、むすっとした顔ですぐ目を逸らされてしまった。

 犬型獣人と猫型獣人の違いも気になるところだ。ニアと同じように、顔、胸、腹、股間、手のひらなどの正面部位は無毛なのだろうか。機会があれば脱がせてみたい。

 レオが知的欲求? を膨らませる一方で、ニアは気分悪そうにエルとアルに手を振った。あっちに行け、という意志表示だ。

 レオは鏡台の引き出しにある聖書を手に取った。



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