(過去)あの日のエンディング
イザベラは、ゆっくりと覚醒する。
灼熱の温度を発する黒い岩盤は『アレスの珠』の加護により、身を温める心地よい温度として体感されている。
「う、ん……」
どれほど眠っていたか、わからない。
一陣の風が吹き、未だ立ち込める蒸気の霧を押し流して行く。
イザベラは身を起こし、辺りを見回す。強大なアレスの珠の力により、傷は癒え、失った魔力も完全に回復している。
夜の闇の中、煌々と燃え盛る熔岩の濁流の中で、皇竜が固く瞳を閉じ、生の息吹を感じさせない眠りを貪っていた。太く長い首が半ばほど抉れ、そこに煮えたぎった熔岩が流れ込み、今も未だ肉を焼き、血を蒸発させている。
「…………」
イザベラの頬が、笑みの形に綻ぶ。
やったのだ。レオンハルト・ベッカーがやったのだ。
辺りは驚くほどの静寂に包まれている。
風が流して行く霧の向こう。焦げたマントを纏った騎士が一人、蹲り、草臥れて座り込むようにして皇竜の骸を眺めている。
「れ、お――」
その名を呼ぼうとして、イザベラは、はっと息を飲む。
これを見て、あの愉快な髭は笑っていられるだろうか。
これを見て、あの卑しい泥棒は、まだ奪おうとするだろうか。
これを見て、あの馬鹿なけだものは、理性を保てるだろうか。
イザベラには、無理だ。
レオンハルト・ベッカーは小さくなった。
百年も千年も生きたと言っても通用しただろう。元は黒かった髪は消し炭のように白くなり、逞しかった身体は二回り程も小さくなっていた。
星をも揺るがす巨大な力がレオンハルト・ベッカーの全てを奪い取ったのだ。
望んでこの地に来たのではない。好きで戦ったのではない。だが、戦い続け――
レオンハルト・ベッカーは、死んでいた。
燃え尽き、命を使い果たし、小さくなって死んでいた。
押さえ切れぬ激情がイザベラの胸に突き上げる。
「お……おお……」
惜しんでしまえば、後悔の言葉を漏らしてしまえば、レオンハルト・ベッカーの全てが嘘になる。
彼は戦いに斃れ、死ぬのではない。戦い抜いて死んだのだ。勝利は惜別と後悔の言葉で飾られるべきではない。労いの言葉で報われるべきだった。
だが――これは、あまりに悲しい。
小さくなったレオンハルト・ベッカーを抱き締める。
戦い、勝ち続けたこの男は、本当はこんなにも小さかったのだ。その小さな男から、皆がよってたかって力の限り奪い尽くした。
イザベラの胸は捩れ、張り裂ける。
「……頑張った、頑張ったねぇ……レオ……」
イザベラはレオを労う。もう、この男を休ませたい。魂の安寧を、ひたすら願う。
眩しい光が射して来て、朝の到来を告げても、イザベラの涙は止まらない。全身を震わせる嗚咽が、息を詰まらせる。
今はもう、眠るレオの白くなった髪を撫でる。右手に、銀色の円筒――ライト・セーバーを持ち、左手にグリム・リーパー――死神と呼ばれる剣を持っている。装備品で無事なのはこの二つだけだ。聖柩の島で得た強い加護の力を持つマントは半ば以上が焼け落ち、アルタイルの最先端技術で加工された着込みは所々破け、用を為さなくなっている。
イザベラは泣き濡れながら、レオの右手からライト・セーバーを受け取る。帰還を待ち侘びているだろうパーティの為にも、せめて、形見が欲しかった。死神の方は無理だった。柄の部分が一部、左手と一体化してしまっている。余程彼のことが気に入ったのだろう。
イザベラの胸は再び捩れ、張り裂ける。我慢の限界だった。
「返せっ、返せっ、レオンハルト・ベッカーを返せっ……!」
惜しんでしまえば、後悔の言葉を漏らしてしまえば、レオンハルト・ベッカーの戦いの全てが嘘になる。しかし、我慢の限界だ。なぜなら神は、存在する。
『アレスの珠』は存在した。『星の船』、コバルト・アローも存在した。メルクーアの創成を綴る聖書は、ありがちな偶像崇拝だけで『記録』されたのではないとするならば、神は必ず存在する。
レオンハルト・ベッカーを死ぬまで戦わせた、嗜虐的な神が居る。
「卑怯者っ! 出て来なさい! 出て来なさいよ!」
そして――イザベラの視界は、星の海に包まれる。
◇ ◇ ◇ ◇
見渡す限り、星の海。
イザベラは知っている。以前来たことがあるここは――小型宇宙艇『コバルト・アロー』のコクピットにあるディスプレイで見た宇宙空間。
レオンハルト・ベッカーの説明では、そこに空気は存在しないのだと言う。重力もないのだと言う。
だが、イザベラは呼吸しているし、抱き締めたレオの重みを感じている。ここはよく似た場所なのだろう。
やがて、星が流れはじめ、イザベラはレオを抱いたまま、じっとその時を待った。
「…………」
そして、周囲は真の闇になる。
その闇の向こうから、擦り切れたローブを纏った女が一人、イザベラとレオの方へ歩いて来る。
イザベラは、ぐっと上目使いにその女を睨み付ける。
……エルフ?
擦り切れたローブを纏った女は、くすんだ金色の髪をかきあげた。言った。
「おつかれさまでした。エンディングBです」
ねぎらいの言葉。しかし、その言葉の意味は、イザベラには理解できなかった。だが何故か、酷く不快な気持ちにさせられた。
「なによ、あんた……」
「あなたたちの聖書では、テオフラストとされています」
イザベラの胸に、猛烈な怒りが燃え上がる。
「あんた……あんたが……! 今更、のこのこ出て来て……!」
テオフラストは訝しげに首を傾げる。
「怒っているのですか? イザベラ・フォン・バックハウス」
「当たり前よ! ふざけんじゃないわよ!」
イザベラは、レオを抱く腕に力を込める。爆発した。
「返せっ! レオンハルト・ベッカーを返せっ!」
テオフラストはまたしても首を傾げる。
「よく分かりません。愛情、というやつですか? その哲学は3722年前に私の中から損なわれました」
「干からびたあんたの都合なんてどうでもいい! 神……? 何よ、何なのよ、あんたは……」
イザベラの深く青い瞳から、涙が零れる。
「何も、死ぬまでやらせることないじゃない……。神なんでしょ? なんで助けてあげないのよ……」
それはイザベラ・フォン・バックハウスという一人の女性の切実な魂の悲鳴だった。
「……」
その真剣な問いに、テオフラストは暫し黙り込み、考え込むようだったが、言った。
「死ぬまでやらせたのは、あなたです」
「……え?」
イザベラの時間が止まった。テオフラストは言う。
「あのとき、レオンハルト・ベッカーは勝利を投げ出して撤退しようとしました。
あの人、おかしいんですよ。
勝ちが目と鼻の先にぶら下がってるのに、
全てを投げ出して突き進んで来たはずなのに、
あなたの命を惜しんだ。
生身のあなたを気遣って、灼熱の地上戦を諦めた」
「それ、は……」
「ああ、それともう一つ。
イザベラ・フォン・バックハウス。『禁呪』は、発動すれば確実にあなたの命を奪います。あれを使わせなかったのも、あなたのためにしたことです。
あんなに帰りたがっていたのに、あの人、諦めたんですよ。あなたのために――」
『大丈夫。俺は、大丈夫だ』
それがレオンハルト・ベッカーの口癖だった。
戦闘中、腕がもげようが、足がへし折れようが、内臓が零れ落ちようが、彼は不埒に笑って見せた。
この男の魂は木石のような何か、頑丈で無感覚なもので出来ているに違いない。
イザベラはそのように認識していた。
とんだ思い違いだった。
彼が大丈夫なことは一度もなかった。いつも我慢していたし、いつも強がっていた。今のイザベラなら痛いほど知ってることだ。
――イザベラは、「戦え!」と言った。
彼はイザベラの言葉通り、戦った。
――死ぬまで。
◇ ◇ ◇ ◇
「…………」
言葉もなく、イザベラは、ただ、胸の内に眠る男を抱き締め続けた。
「あなたか、彼か。犠牲は避けられぬものでした。どちらかの命を以てしか、皇竜は止められません。あなたの望み通り、レオンハルト・ベッカーは選択した。それだけです」
「私は、そんなつもりじゃ……」
「はい」
「…………」
言い訳は全て卑劣だった。
イザベラ・フォン・バックハウスは『エルフ』である。知勇を均衡の秤に掛ければ、知に傾倒する。安全を優先するが故に、消極的とも取れる判断を下したのは一度や二度ではない。
星の船を巡る水晶竜との死闘も、宇宙の果てで決着した暗黒騎士との死闘も経験しなかったイザベラが、最後の舞台で勝利をつかみ取る。
――ありえない話だった。それでも――
「愛してる……愛してるの……」
それだけ言って、イザベラは泣き崩れた。
『性悪女』と揶揄される彼女だ。元が素直ではない。いがみ合った時期もあった。だが誠心誠意、想ったつもりだ。レオンハルト・ベッカーが同情と切り捨てたそれが、ひたすら、胸に、心に、痛い。
「そうですか」
テオフラストが無感覚に相槌を打つ。
今は死の淵に眠るレオンハルト・ベッカーが再び立ち上がり、この無機質な神を必要ないと断じるのに、八年の月日を待たねばならない。
「イザベラ・フォン・バックハウス。珠と引き換えです。エンディングBの褒賞は『メインヒロイン』のあなたのものです。何か希望はありますか?」
イザベラが望むのはただ一つ。
「彼を……帰らせてあげて……お願い……」
「パーソナリティとパラレルパターンに大きな損壊と消失が認められますが、それでも……?」
イザベラは頷く。
全身を震わせる魂の慟哭に身を沈め、その青く美しい瞳から尽きることのない涙が溢れ出る。
伝えたい言葉があった。言わねばならない言葉があった。
――レオンハルト・ベッカーに、逢いたい。
無感覚な神が頷いて見せたのは、どちらの願いに向かってのことか。
そして――
Sadistic
Dramatic
Game
が
終
わ
ら
な
い
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