表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
S・D・G  作者: ピジョン
第2章 黄金病

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

52/81

(過去)あの日のエンディング

 イザベラは、ゆっくりと覚醒する。

 灼熱の温度を発する黒い岩盤は『アレスの珠』の加護により、身を温める心地よい温度として体感されている。


「う、ん……」


 どれほど眠っていたか、わからない。

 一陣の風が吹き、未だ立ち込める蒸気の霧を押し流して行く。

 イザベラは身を起こし、辺りを見回す。強大なアレスの珠の力により、傷は癒え、失った魔力も完全に回復している。

 夜の闇の中、煌々と燃え盛る熔岩の濁流の中で、皇竜が固く瞳を閉じ、生の息吹を感じさせない眠りを貪っていた。太く長い首が半ばほど抉れ、そこに煮えたぎった熔岩が流れ込み、今も未だ肉を焼き、血を蒸発させている。


「…………」


 イザベラの頬が、笑みの形に綻ぶ。

 やったのだ。レオンハルト・ベッカーがやったのだ。

 辺りは驚くほどの静寂に包まれている。

 風が流して行く霧の向こう。焦げたマントを纏った騎士が一人、蹲り、草臥れて座り込むようにして皇竜の骸を眺めている。


「れ、お――」


 その名を呼ぼうとして、イザベラは、はっと息を飲む。


 これを見て、あの愉快な髭は笑っていられるだろうか。


 これを見て、あの卑しい泥棒は、まだ奪おうとするだろうか。


 これを見て、あの馬鹿なけだものは、理性を保てるだろうか。


 イザベラには、無理だ。


 レオンハルト・ベッカーは小さくなった。

 百年も千年も生きたと言っても通用しただろう。元は黒かった髪は消し炭のように白くなり、逞しかった身体は二回り程も小さくなっていた。

 星をも揺るがす巨大な力がレオンハルト・ベッカーの全てを奪い取ったのだ。

 望んでこの地に来たのではない。好きで戦ったのではない。だが、戦い続け――



 レオンハルト・ベッカーは、死んでいた。



 燃え尽き、命を使い果たし、小さくなって死んでいた。

 押さえ切れぬ激情がイザベラの胸に突き上げる。


「お……おお……」


 惜しんでしまえば、後悔の言葉を漏らしてしまえば、レオンハルト・ベッカーの全てが嘘になる。

 彼は戦いに斃れ、死ぬのではない。戦い抜いて死んだのだ。勝利は惜別と後悔の言葉で飾られるべきではない。労いの言葉で報われるべきだった。


 だが――これは、あまりに悲しい。


 小さくなったレオンハルト・ベッカーを抱き締める。

 戦い、勝ち続けたこの男は、本当はこんなにも小さかったのだ。その小さな男から、皆がよってたかって力の限り奪い尽くした。

 イザベラの胸は捩れ、張り裂ける。


「……頑張った、頑張ったねぇ……レオ……」


 イザベラはレオを労う。もう、この男を休ませたい。魂の安寧を、ひたすら願う。


 眩しい光が射して来て、朝の到来を告げても、イザベラの涙は止まらない。全身を震わせる嗚咽が、息を詰まらせる。

 今はもう、眠るレオの白くなった髪を撫でる。右手に、銀色の円筒――ライト・セーバーを持ち、左手にグリム・リーパー――死神と呼ばれる剣を持っている。装備品で無事なのはこの二つだけだ。聖柩の島で得た強い加護の力を持つマントは半ば以上が焼け落ち、アルタイルの最先端技術で加工された着込みは所々破け、用を為さなくなっている。

 イザベラは泣き濡れながら、レオの右手からライト・セーバーを受け取る。帰還を待ち侘びているだろうパーティの為にも、せめて、形見が欲しかった。死神の方は無理だった。柄の部分が一部、左手と一体化してしまっている。余程彼のことが気に入ったのだろう。


 イザベラの胸は再び捩れ、張り裂ける。我慢の限界だった。


「返せっ、返せっ、レオンハルト・ベッカーを返せっ……!」


 惜しんでしまえば、後悔の言葉を漏らしてしまえば、レオンハルト・ベッカーの戦いの全てが嘘になる。しかし、我慢の限界だ。なぜなら神は、存在する。


 『アレスの珠』は存在した。『星の船』、コバルト・アローも存在した。メルクーアの創成を綴る聖書は、ありがちな偶像崇拝だけで『記録』されたのではないとするならば、神は必ず存在する。


 レオンハルト・ベッカーを死ぬまで戦わせた、嗜虐的な神が居る。


「卑怯者っ! 出て来なさい! 出て来なさいよ!」


 そして――イザベラの視界は、星の海に包まれる。



◇ ◇ ◇ ◇



 見渡す限り、星の海。

 イザベラは知っている。以前来たことがあるここは――小型宇宙艇『コバルト・アロー』のコクピットにあるディスプレイで見た宇宙空間。

 レオンハルト・ベッカーの説明では、そこに空気は存在しないのだと言う。重力もないのだと言う。

 だが、イザベラは呼吸しているし、抱き締めたレオの重みを感じている。ここはよく似た場所なのだろう。


 やがて、星が流れはじめ、イザベラはレオを抱いたまま、じっとその時を待った。


「…………」


 そして、周囲は真の闇になる。

 その闇の向こうから、擦り切れたローブを纏った女が一人、イザベラとレオの方へ歩いて来る。

 イザベラは、ぐっと上目使いにその女を睨み付ける。


 ……エルフ?


 擦り切れたローブを纏った女は、くすんだ金色の髪をかきあげた。言った。


「おつかれさまでした。エンディングBです」


 ねぎらいの言葉。しかし、その言葉の意味は、イザベラには理解できなかった。だが何故か、酷く不快な気持ちにさせられた。


「なによ、あんた……」


「あなたたちの聖書では、テオフラストとされています」


 イザベラの胸に、猛烈な怒りが燃え上がる。


「あんた……あんたが……! 今更、のこのこ出て来て……!」


 テオフラストは訝しげに首を傾げる。


「怒っているのですか? イザベラ・フォン・バックハウス」


「当たり前よ! ふざけんじゃないわよ!」


 イザベラは、レオを抱く腕に力を込める。爆発した。


「返せっ! レオンハルト・ベッカーを返せっ!」


 テオフラストはまたしても首を傾げる。


「よく分かりません。愛情、というやつですか? その哲学は3722年前に私の中から損なわれました」

「干からびたあんたの都合なんてどうでもいい! 神……? 何よ、何なのよ、あんたは……」


 イザベラの深く青い瞳から、涙が零れる。


「何も、死ぬまでやらせることないじゃない……。神なんでしょ? なんで助けてあげないのよ……」


 それはイザベラ・フォン・バックハウスという一人の女性の切実な魂の悲鳴だった。


「……」


 その真剣な問いに、テオフラストは暫し黙り込み、考え込むようだったが、言った。


「死ぬまでやらせたのは、あなたです」


「……え?」


 イザベラの時間が止まった。テオフラストは言う。


「あのとき、レオンハルト・ベッカーは勝利を投げ出して撤退しようとしました。

 あの人、おかしいんですよ。

 勝ちが目と鼻の先にぶら下がってるのに、

 全てを投げ出して突き進んで来たはずなのに、

 あなたの命を惜しんだ。

 生身のあなたを気遣って、灼熱の地上戦を諦めた」


「それ、は……」


「ああ、それともう一つ。

 イザベラ・フォン・バックハウス。『禁呪』は、発動すれば確実にあなたの命を奪います。あれを使わせなかったのも、あなたのためにしたことです。

 あんなに帰りたがっていたのに、あの人、諦めたんですよ。あなたのために――」




『大丈夫。俺は、大丈夫だ』


 それがレオンハルト・ベッカーの口癖だった。

 戦闘中、腕がもげようが、足がへし折れようが、内臓が零れ落ちようが、彼は不埒に笑って見せた。

 この男の魂は木石のような何か、頑丈で無感覚なもので出来ているに違いない。

 イザベラはそのように認識していた。




 とんだ思い違いだった。

 彼が大丈夫なことは一度もなかった。いつも我慢していたし、いつも強がっていた。今のイザベラなら痛いほど知ってることだ。


 ――イザベラは、「戦え!」と言った。


 彼はイザベラの言葉通り、戦った。


 ――死ぬまで。



◇ ◇ ◇ ◇



「…………」


 言葉もなく、イザベラは、ただ、胸の内に眠る男を抱き締め続けた。


「あなたか、彼か。犠牲は避けられぬものでした。どちらかの命を以てしか、皇竜は止められません。あなたの望み通り、レオンハルト・ベッカーは選択した。それだけです」


「私は、そんなつもりじゃ……」


「はい」


「…………」


 言い訳は全て卑劣だった。

 イザベラ・フォン・バックハウスは『エルフ』である。知勇を均衡の秤に掛ければ、知に傾倒する。安全を優先するが故に、消極的とも取れる判断を下したのは一度や二度ではない。


 星の船を巡る水晶竜クリスタルドラゴンとの死闘も、宇宙の果てで決着した暗黒騎士ダークナイトとの死闘も経験しなかったイザベラが、最後の舞台で勝利をつかみ取る。

 ――ありえない話だった。それでも――


「愛してる……愛してるの……」


 それだけ言って、イザベラは泣き崩れた。

 『性悪女』と揶揄される彼女だ。元が素直ではない。いがみ合った時期もあった。だが誠心誠意、想ったつもりだ。レオンハルト・ベッカーが同情と切り捨てたそれが、ひたすら、胸に、心に、痛い。


「そうですか」


 テオフラストが無感覚に相槌を打つ。

 今は死の淵に眠るレオンハルト・ベッカーが再び立ち上がり、この無機質な神を必要ないと断じるのに、八年の月日を待たねばならない。


「イザベラ・フォン・バックハウス。珠と引き換えです。エンディングBの褒賞は『メインヒロイン』のあなたのものです。何か希望はありますか?」


 イザベラが望むのはただ一つ。


「彼を……帰らせてあげて……お願い……」


「パーソナリティとパラレルパターンに大きな損壊と消失が認められますが、それでも……?」


 イザベラは頷く。

 全身を震わせる魂の慟哭に身を沈め、その青く美しい瞳から尽きることのない涙が溢れ出る。

 伝えたい言葉があった。言わねばならない言葉があった。


 ――レオンハルト・ベッカーに、逢いたい。


 無感覚な神が頷いて見せたのは、どちらの願いに向かってのことか。


 そして――



 Sadistic

 Dramatic

 Game

 が

 終

 わ

 ら

 な

 い

 |

 |

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ