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S・D・G  作者: ピジョン
第2章 黄金病

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(過去)いつかのメインヒロイン


「大丈夫。俺は、大丈夫だ」


 それがレオンハルト・ベッカーの口癖だった。

 戦闘中、腕がもげようが、足がへし折れようが、内臓が零れ落ちようが、彼は不埒に笑って見せた。

 この男の魂は木石のような何か、頑丈で無感覚なもので出来ているに違いない。

 イザベラ・フォン・バックハウスはそのように認識していた。



◇ ◇ ◇ ◇



 メルクーア暦6118年。

 レオンハルト・ベッカーが皇竜の打倒を志し、冒険を開始してから四年の月日が流れている。


 ニーダーサクソンの首都『サクソン』の酒場で、エミーリア騎士団准将(当時)のイザベラ・フォン・バックハウスが泣いている。

 皇帝ヘルムート三世より、イザベラに皇竜討伐の勅命が下ったのは、つい先日のことだ。

 随員の一人もなく、軍資金も金貨一枚たりとて下賜されなかった。

 無論、不服を口にするイザベラに向けられた、父、クラウディオの言葉はこうだ。


『陛下は、独力での任務達成を望んでおられる。なんらかの成果を上げるまで、サクソンへの帰還は許さんとのことだ』


 イザベラは泣くしかなかった。これは事実上の追放宣言に他ならないからだ。


 なぜそんなことになったのか。


 とある貴族の主催した園遊会の席上で、ふとした悪戯心を起こしたイザベラは、たまたま出席していた皇帝の息子フリートヘルムを、主催者の席に着席させた。

 フリートヘルムは皇位継承権第七位とは言え、公爵の家柄であった。不敬にはならず、その場の冗談で終わるはずだった。

 しかし――これが、なんと毒殺されてしまう。

 フリートヘルムは、主催者が口にする予定のワイングラスを傾けた直後、昏倒し、そのまま息を引き取った。

 高名な神官が、直ちに『蘇生』の術を試みたがこれは失敗し、焦るイザベラをあざ笑うかのように、フリートヘルムは強情に死に続け――そしてついに、『蘇生限界』とされる三日が過ぎ去った。

 その後、犯人は捕まり、様々な陰謀が暴かれはしたものの、フリートヘルムの死の責任はイザベラの行為に因る所が大きい。

 周囲では、臣籍の降下や、爵位の剥奪、或いは死罪という罰則が囁かれたものの、現宰相であるイザベラの実父クラウディオ・フォン・バックハウスの立場と面目を鑑み、下った裁定が、事実上、達成不可能な任務――皇竜の討伐、という勅命を賜るというものである。

 一切の援助なく、単身での達成を旨とするこの勅命。

 表立っての処罰ではない。イザベラを罰するなら、その実父であり宰相のクラウディオにも類が及ぶ。しかし、完全に咎無しというわけにもいかぬ。そういう事情から下された裁定であった。

 命までは奪わぬ。だが、出て行け。そういうことだ。

 イザベラ・フォン・バックハウスという一六歳の小娘は、ニーダーサクソンという国家に捨てられたのだった。

 当時、若くしてエミーリア騎士団の将官とはいえ、貴族の世間知らずのイザベラに為す術はなく、途方に暮れるはめになった。

 傭兵を雇おうにも、冒険者を雇おうにも、皇竜を討伐するのだと告げた所で、鼻で笑われるばかりだった。

 むきになって本気だと繰り返すイザベラに、ある者は怒り出し、ある者は呆れ返った。

 父、クラウディオからも援助は受けられず、ご機嫌伺いに忙しかった中流貴族の子弟や商人、その他の面々も潮が引いたように消え失せた。その内、金も底を尽き、最早、進退窮まった。


 その高貴な家柄に相応しくない場末の酒場で、イザベラは俯き、鼻水と一緒に大量の涙を流した。


 そこに現れたのが当時アルフリードの騎士であったレオンハルト・ベッカーだった。


「おまえがイザベラ・フォン・バックハウスか? レオンハルト・ベッカーだ。皇竜の打倒を志している。俺の仲間になれ」


 有無を言わせぬ横暴な、そして心強い言葉だった。イザベラに選択の余地はなく、この誘いに頷くよりなかった。



 このような顛末でレオのパーティに加わることになったイザベラは、最初の内こそしおらしくしていたものの、日を経て、『性悪女』の本性を現すようになって行く。

 そもそも、イザベラ・フォン・バックハウスというエルフの女は、元が高慢ちきの臍曲がりであった。貴族の家柄という出自も相俟って、その横着ぶりは徹底を極めた。

 折しもレオンハルト・ベッカーのパーティでは、アキラ・キサラギの破天荒が収まりつつあったから、次なる問題児の出現に、皆が頭を痛めることになった。


 イザベラ・フォン・バックハウスはエルフである。

 エルフという種族は、体格こそ華奢であるものの、類い希な知性と美貌を兼ね備え、神の加護篤く、魔力に富む。優秀な種族ではあるが、プライドが高く、先祖崇拝のきらいがあり、純血に拘りを持つ。無論、他種族との相性はよくない。取り分け職人気質で、やはり強い拘りを持つドワーフとの相性はよくない。

 そのドワーフの血を引く重騎士アレンと、イザベラとの間に走った亀裂は致命的なものだった。

 普段は豪快で竹を割ったように、さっぱりとした性格の髭の大男アレン・バラクロフだが、彼がレオンハルト・ベッカーのパーティに加わった理由は『復讐』であった。


 髭の大男、アレン・バラクロフが所望するのは、ただひたすらに『暗黒騎士ダークナイト』の命のみ。


「復讐? ばかなんじゃない? 暗黒騎士は、あんたの名前も知りゃしないわよ」


 人生というものは、一度きりしかない。それを復讐などという不毛な行為に費やすのは時間の無駄である。ある意味、親切心から出たイザベラの言葉だったが、言い方が不味かった。その言葉は、アレン・バラクロフという男が生きる意味を踏み躙った。


 アレン・バラクロフは、涙ながらに焼き払われた故郷のことを語り、そこには彼の妻や生まれたばかりの彼の息子も含まれることを語った。

 イザベラは悪いことを言ったと思いつつ、そのプライドの高さからか、或いはその根性の悪さからか、結局、謝罪することはなかった。

 レオンハルト・ベッカーのパーティでは仲間内での揉め事は御法度である。アレンは頑固なドワーフの血を引く男らしく、リーダーの言い付けを守り、激発することこそなかったが、


「エルフの小娘。おまえさんが死んだら、さぞかし胸がスっとすんだろうなぁ」


 と言って、大声で笑った。

 彼が何故、生きるか。五回ものデスペナルティに耐え、尚も復讐を忘れなかった男だ。根に持つのは当然のことだった。


 エルフの『性悪女』こと、イザベラ・フォン・バックハウスが続いて揉めたのは、チームリーダーのレオンハルト・ベッカーだ。

 下級種族のアダン(人間)にリーダーは相応しくない。自分と代われと要求し、べったりとくっついて離れないニアとの関係を爛れていると非難した。

 これに対するレオの態度は寛容で、


「所詮、エルフの言うことさ」


 と肩を竦め、お道化るのみに留めた。


 そんなある日の朝のこと――イザベラは、食事の一つを地べたに置き、ニアにそこで食事を取るよう命じた。

 イザベラは言葉巧みにニアを誘導した。

 アダンという生き物は、獣人のように爪や牙はなく、肉を生では食べないこと。毛皮もなく、野山に住まないこと。基本的に獣人は不衛生でアダンとの共生には向かないこと。それは詭弁であったものの、一部、事実が含まれており、ニアは悔しそうにしたものの、レオを思いやるが故に、従順な気質故に、悩みながらもこの勧めに応じた。全て、イザベラの思惑通りになった。


 アレン・バラクロフは憎たらしそうに。アキラ・キサラギはニヤニヤ笑ってこの成り行きを見守った。


 そこにレオと司教のルークが帰って来た。

 いつものように食卓を囲む三人と、一人地べたで食事をするニアを見たとき、その日のアスクラピアの沈黙は早めの終わりを告げた。


 数分後、地べたで食事を取るイザベラの姿があった。レオに力づくで強制された姿だった。

 イザベラは激しく抵抗したが、結果は器の中身を半分、地べたに撒き散らすのみに止まった。


 アレン・バラクロフは気分よさそうに。アキラ・キサラギはニヤニヤ笑ってその光景を見つめていた。

 レオンハルト・ベッカーという男は善人でもなければ、無制限にお人よしというわけでもない。それをイザベラが思い知った出来事であり、レオンハルト・ベッカーという男を徹底的に嫌う理由が生まれた瞬間でもあった。


 当時、レオとイザベラの関係は、パーティ内で互いの能力にマイナス補正を齎す『ヘイト』の間柄であった。

 レオンハルト・ベッカーが言った。


「おい、性悪女。俺たちは、これから『コバルト・アロー』で暗黒騎士の宇宙母艦『クルーエル』に乗り込むが、おまえは来るんじゃない」


 レオが『聖柩の島』から『コバルト・アロー』を持ち帰ったときのイザベラの驚きは並大抵のものではなかった。

 小型宇宙艇『コバルト・アロー』は、『悲しみの海』を一カ月も航海した絶海の孤島『聖柩の島』に眠る『アーティファクト』だ。

 『コバルト・アロー』――聖書では『星の船』と呼ばれている。存在すらも疑わしいそれの探索と『皇竜の討伐』は関係ない。イザベラは『聖柩の島』への同行を断った。


「ふん、あんたに言われなくても行かないわよ」


「俺らも、みそっかすの手助けはいらねぇなぁ!」


 アレン・バラクロフが豪快に笑う。彼は、貶すも褒めるも忌憚ない。コバルト・アローの発見、入手以降、イザベラのことを完全に見下し、『みそっかす』又は『おまけ』と呼ぶようになった。


「僕も残るんだけどね……」


 ハーフエルフの司教ルーク・エリオットが悔しそうに言う。


「ルーク! おめぇさんが残るのはレオの指示じゃねえか! どっかのおまけとは違う! 長くやってりゃ、んなこともあらあな!」


 エリクシールの存在しない宇宙空間は魔法の無効空間だ。当然、宇宙船内でも魔法は使用できない。例外として魔法を使用するには特殊霊薬『エーテル』が大量に必要となる。魔法を主戦力とするイザベラとルークにはきつい。イザベラの同行を禁じたのは、憎らしげではあるが、それ故のレオの決定だった。


 小型宇宙艇『コバルト・アロー』にはルークとイザベラが居残ることになり、残りのメンバーが決死の覚悟で暗黒騎士との決戦に臨むことになった。


 アレン・バラクロフは静かに闘志を燃やし、アキラ・キサラギは宇宙艇のディスプレイに映る美しい星の海に夢中だった。

 ニアは不安を隠せない面持ちで、コクピットで操縦管を握るレオンハルト・ベッカーから離れなかった。

 魔法の無効空間で最大限に威力を発揮するのは『超能力』だ。暗黒騎士の宇宙母艦『クルーエル』で最も活躍が期待されるのはニアだった。


 ……バランスの良いパーティだ。


 イザベラはそのように考える。このパーティは、あらゆる状況に臨機応変に対応することが出来る。


 ……何もかも分かっていて、備えていたかのように……。


 イザベラ・フォン・バックハウスの目的は、あくまでも『皇竜の討伐』である。『暗黒騎士の打倒』ではない。この戦いに向かえないことに不満はなかった。


 レオンハルト・ベッカーが勝って帰って来るか。

 負けてしまうようなら、皇竜の討伐など夢のまた夢だ。イザベラの帰還も夢と消える。だがもし、勝って帰って来るようならば、勅命『皇竜の討伐』にも成功の目が出て来る。願わくば――


「ねえ、あんた。勝ちなさいよね」

「勿論。俺は……帰るんだ……」


 このようにして、レオンハルト・ベッカーを始めとする四人は死地に赴いた。


 小型宇宙艇『コバルト・アロー』で待っている間、イザベラは退屈していた。


「暇だわ、ハンブン」


 ハーフエルフの司教、ルーク・エリオット。エルフの父とアダン(人間)の母を持つ彼は、半分は高貴。半分は下賎。イザベラは彼を『ハンブン』と呼んでいる。

 その『ハンブン』こと、ルーク・エリオットは『神』に会うために、レオンハルト・ベッカーと行動を共にするのだという。

 イザベラにも信仰はあるが、聖書の登場人物が実在すると思うほど信仰は篤くない。皇竜は実在するが、アレクエイデスやテオフラストに関しては偶像崇拝の一つ。存在するわけがない。

 ――神などというものが存在するならば、何故、皇竜のような『災厄』を野放しにしている。それが答えだ。


 かわいそうに、この男は頭を打ったに違いない。それがイザベラの見解だった。


 下級種族のアダン(人間)『救急箱』はレオンハルト・ベッカー。

 暑苦しい大男『髭』はアレン・バラクロフ。

 巻き毛のハーフエルフ、『ハンブン』はルーク・エリオット。

 元貧民の『泥棒』はアキラ・キサラギ。

 犬の獣人、『けだもの』はニア。


 イザベラは、人を馬鹿にしたあだ名を付けるのを好んだ。


「ねえ、ハンブン。救急箱は、なんで暗黒騎士の打倒に拘るの? あの髭のためって言うんじゃないわよね?」


 この質問に、ルークは意外そうに答えた。


「暗黒騎士が『アレスの珠』を持っているからだよ」

「え……?」

「何? レオから聞いてないのかい?」

「ちょっ……『アレスの珠』って、あの、聖書にあるやつのこと? ホンとに存在すんの? いや、けど皇竜がいるんだから、寧ろ存在してもおかしくない……在るべきではある、のかしら……でもそうなら……」


 これがどういう問題か。イザベラは即座に理解して更に質問を重ねる。


「暗黒騎士は、なんで『世界』を破壊しないの?」

「…………」


 ハーフエルフの司教、ルークは難しい顔になった。


「暗黒騎士には……珠の本来の使い方が、わからないんだよ。力を引き出せても、『世界』を壊せるほどじゃない」

「何よ、それ……。それがホンとなら、なんでそんなこと、あんたが知ってんのよ」

「知ってたのはレオだよ」


 イザベラは強い目眩を感じた。


 ――レオンハルト・ベッカー、おまえは何者なのだ?


 『世界の破壊者』――暗黒騎士ダークナイトを倒すため、アーティファクト――コバルト・アローを入手し、『アレスの珠』を得ようとする男。

 次は神でも出て来るか。

 笑えない冗談だ。だが興味深くはある。イザベラは深い思惟の檻に沈むのだった。



◇ ◇ ◇ ◇



 レオンハルト・ベッカーが帰って来た。

 マントとトーガを滴るほどの返り血で染め上げ、背中には重傷のニアを背負い、右手に暗黒騎士の剣『ライト・セーバー』を握りしめ、左手でアレン・バラクロフの死体を引きずって帰って来た。


 ――修羅。


 イザベラの印象はそれだ。レオンハルト・ベッカーという男を、初めて怖いと思った。

 その修羅の迫力に息を飲むイザベラとルークに、レオは大声で喚き散らした。


「アキラは戻って来てるか!?」


 事前の打ち合わせでは、アキラ・キサラギは別行動で宇宙母艦の推力を司る原子力発電推進システムに向かい、『ジゲンバクダン』を仕掛けて来る手筈になっていたが、レオが帰った今となっても未だ帰って来ていない。


「イザベラっ! コバルト・アロー発進準備!」

「わかってるわよ! うるさいわねえ!」


 アキラ・キサラギが帰還していないことと、アレン・バラクロフが死亡していることを除けば、ここまでは予定通りだ。イザベラは慌てることなく、コクピットの操作パネルのスイッチを入れて行く。


「レオ! やったのか!?」

「ああ、やった! だがニアが撃たれた。治療を頼む。俺はもう一度『クルーエル』に乗り込んでアキラを連れて来る!」


 ルークの言葉に怒鳴り返し、レオはアレンの死体を投げ出すと、一瞬、ニアと見つめ合った。


 どちらも酷く物言いたげな視線だった。


 レオンハルト・ベッカーという男は尊大であるし、復讐もすれば、時には人殺しも厭わない。だが仲間思いであり、戦闘中は頼りになる。そして何より、彼はいつも、結果を残した。それ故、パーティメンバーの信頼は厚い。

 相思相愛に映る二人の様子は、もう、レオと打ち解けることを諦めているイザベラには少しだけ、羨ましい光景だった。


「それで、レオ。君は無事なのか?」

「俺か? 俺は大丈夫。大丈夫だ」


 レオはいつもの答えを返し、ルークは安心したように息を吐く。

 その光景に、イザベラは軽く鼻を鳴らす。

 レオンハルト・ベッカーに気遣いは無用だ。この男は戦う為に生きている。その魂は木石で出来ている。

 その証拠に、レオは疲労の色を一切見せず、不敵に笑みを浮かべた後、猛スピードでコバルト・アローと宇宙母艦を繋ぐ接舷部分に駆けて行った。


 レオンハルト・ベッカーが行ったのだ。泥棒のアキラ・キサラギは、きっと命冥加に生き永らえて、帰って来るに違いない。


 忙しいことだ。イザベラはそう思う。

 そして、レオンハルト・ベッカーのことが気に入らない。

 帰還どころか、生存の可能性自体が薄いアキラ・キサラギを迎えに行くというレオンハルト・ベッカーのことが気に入らない。

 浅はかで短慮な行動が、全て大当たりのレオンハルト・ベッカーが気に入らない。

 エルフを――イザベラを馬鹿にするレオンハルト・ベッカーが気に入らない。

 常に結果を出しているレオンハルト・ベッカーが気に入らない。


 ――おまえは何者だ。レオンハルト・ベッカー。どんな秘密を隠している。


 気に入らない。気に入らない。気に入らない。ややあって――


「セーフ……!」


 興奮して少し上ずった、アキラ・キサラギの声がイザベラの耳に聞こえて来た。



◇ ◇ ◇ ◇



 メルクーア暦 6119年。

 惑星メルクーアを天災と戦乱の坩堝に叩き込んだ『世界の破壊者』ダークナイトは、レオンハルト・ベッカーに討ち取られ、歴史の表舞台から永遠に姿を消した。

 この戦果は一月余りの時間を掛け大陸中を駆け巡り、ついにはニーダーサクソンの皇帝ヘルムート三世の耳に入ることとなった。

 ヘルムート三世は、パーティ慰労の名目でイザベラに一時、首都への帰還を許可した。

 この知らせを耳にした時、イザベラは大きく胸を撫で下ろした。

 未だ勅命を果たしたわけではない。だが歴史を変える戦果だ。いずれ赦免され、完全に帰還が許される日も遠くない。その思惑があった。

 反面――あまりにも巨大過ぎるこの戦果に、イザベラ自身は、なんら寄与していない。複雑な思いだった。


 ニーダーサクソンの首都『サクソン』では連日連夜に渡ってパーティが催され、イザベラは、その席上に引っ張りだこだった。


 六度目の蘇生の後、アレン・バラクロフは、以前にも況してよく笑うようになった。――この男は、復讐から解放されたのだ。それでもパーティに留まるのは、恩義に思うからだろう。最後まで付き合うと言ったが、彼自身『アルフリード騎士団』に名を連ねる騎士の一人である。騎士団からの招致を受け、一度帰国の運びになった。


 アキラ・キサラギは、レオから金を巻き上げる算段に忙しいようで、何か用事を思いついてはレオに付きまとい、金をせびり、ニアと言い合いになった。


 ルーク・エリオットは、イザベラとアレンの帰郷に合わせ、自身の故郷であるザールランドに一時帰郷した。


 連日に渡って催されるパーティの余波はサクソンの街にも飛び火し、サクソンの宮殿『エーデルシュタイン』ではイザベラの逗留中、連夜、花火が打ち上げられている。


 暗黒騎士の打倒より一カ月。

 レオンハルト・ベッカーは体調が思わしくない。

 大きな戦いの後、彼が体調を崩すことは特に珍しいことでなく、パーティの面々の危機感は薄かった。ニーダーサクソン皇帝ヘルムート三世の勧めに従う形で、休暇を兼ね、イザベラの帰郷に同行した。

 当時のニーダーサクソンは、北の大国アルフリードとの間に不戦協定を結んでおり、ヘルムート三世が、レオに騎士の叙勲を授けることに何の不都合もなかった。宮殿からの招きにはイザベラが同行し、レオはエミーリア騎士団の末席に名を連ねることになった。


「ねえ、救急箱。あんた、顔色よくないけど、大丈夫なの……?」

「俺か? 俺は大丈夫。大丈夫だ」


 このやり取りに、イザベラは内心、首を傾げる。

 彼を毛虫のように嫌っているが、何故か心配してしまう。理由はいつも、わからない。


「あ、そ……。死人みたいな顔色なのに。クルーエルから帰って、ずっとそうよね。なんかあったの?」

「アキラを迎えに行ったとき、放射能を浴びたんだ」

「ホウシャノウ……何、それ?」

「大丈夫。問題ない」

「そ……」


 街中は、楽士たちの奏でる賑やかな旋律で溢れている。


 宮殿へ伺侯の帰り道、レオは街角で薔薇の花束を買い求めた。


「何、それ。誰かにあげるの?」


「ニアに」


「ふうん……あんたたち、デキてんの?」


「そうなりたいと思っている」


「そ……」


 この男が、誰かのものになるのか。

 イザベラは、何故か気に入らない。


 大嫌いだが、この男は頼りになる。

 大嫌いだが、この男はそれなりに優しい。

 決して万人受けするタイプではない。激しい一面があり、それは決してイザベラの好むところではない。

 一年の間、エルフの慧眼でこの男を観察して来た。

 何か秘密を持っていて、酷く苦しんでいることを知っている。

 弱気になった時、手のひらを見つめる癖があるのを知っている。

 本当は、とても繊細だということを知っている。

 そのレオンハルト・ベッカーは頻りに、


「根性だ。気合を見せろ……上手く行くさ……」


 と呟いている。

 イザベラは、ふっと笑ってしまった。

 子供を見守る親の心境とは、こんなものだろうか。そんなことを考える。これから、ほんの少しだけ、この男と打ち解けても構わない。


 街中は、楽士たちの奏でる賑やかな旋律で溢れている。


 サクソンの下町。旧市街――オールドシティと呼ばれるそこの中央に位置する広場で、ニアは男の獣人と抱き合って踊っている。

 ニアの垂れ目がちな眦は一層下がり、蕩け、頬は朱に染まっていた。


「……………」


 広場は、楽士たちの奏でる賑やかな旋律で溢れている。

 レオはその光景を遠目に見やり、口元に柔らかな笑みを浮かべていた。

 イザベラは嫌悪に眉を寄せ、言った。


「……ねえ、どうすんの?」

「どうもしないさ……」


 レオは踵を返し、近くの屑籠に花束を投げ入れた。


「つまらんところを見せちまったな。忘れてくれ……」

「忘れてって、あの犬、酒が入ってるわよ? 行けばいいじゃない」

「いいんだよ。俺、そのうち帰っちまうからな」


 イザベラの頭に、かーっと血が昇る。


「この腰抜け!」

「……」


 レオは応えない。お道化たように肩を竦め、雑踏の中に消えて行った。



◇ ◇ ◇ ◇



 レオンハルト・ベッカーが雑踏の中に消えて行く。

 余りにも儚い何かが零れ落ち、消えて行くような気がして、去ろうとするレオの背中から、イザベラは目を離せずにいる。

 背後から怒声が上がった。


「何やってんだ! このクソが!」


 アキラ・キサラギの声によく似ている。騒ぎは更に大きくなりそうな気配がしたが、イザベラは背後に視線を送ることはせず、駆け出した。

 今、行かねば、どうしようもないことになってしまう。そんな気がして、イザベラは、振り返らずに駆け出した。


 街中は、楽士たちの奏でる賑やかな旋律で溢れている。路上は軽食やアクセサリー、嗜好品の露店が立ち並び、行き交う人々でごった返している。


 雑踏をくぐり抜け、イザベラは駆ける。

 転んで、ドレスの裾が破れてしまっても、ヒールの踵が折れてしまっても、走る。

 でも、どの雑踏。どの暗がりにも、レオンハルト・ベッカーの姿は見当たらない。


「なによ、なによなによなによ、もう!」


 イザベラはもう、かんかんに怒った。

 気ばかり焦る。急がねば、と。

 気ばかり焦る。大事なものが、知らない場所で、手遅れになってしまわぬように、と。

 そして、たまたま飛び込んだ吹きだまりの暗がりに、イザベラ・フォン・バックハウスは、レオンハルト・ベッカーを見付けてしまう。


 レオは人込みを避けた路地裏で、夜空に上がる花火を見上げている。


「ね、ねえ、あんた、大丈夫?」

「……」


 レオンハルト・ベッカーは、大丈夫とは言わなかった。

 とても嫌な咳を二回して、疲れたように壁に凭れかかり、真っ赤に染まった袖で、口元を拭った。


 緩やかな旋律が、二人の居る暗がりに流れ込んで来る。


「だいじょうぶ……?」

「……花火が、綺麗だな」


 夜空に上がった花火の光が、レオの纏う血染めのトーガを照らし出す。


 レオンハルト・ベッカーはもう、大丈夫、とは言わなかった。



◇ ◇ ◇ ◇



 イザベラは何も聞かないし、レオも何も言わない。だが、レオは助けを求めたし、イザベラはそれに応じていた。

 イザベラは療養と銘打ち、レオの逗留場所をルーク・エリオットの合流まではエーデルシュタインに移すように手配した。平民と獣人は訪問を許されない。自然、ニアとアキラは遠ざけられる結果となったが、レオは異論を述べなかった。

 レオは貧血と発熱を繰り返し、そして些細な出来事で出血を繰り返した。帰還したルーク・エリオットがこの症状の解決に尽力したが、改善の兆しは見受けられなかった。

 レオは気にした様子もなく言う。


「俺の旅も終わりが近い、そういうことだ。まだ戦える内に、竜の巣に行くとしようか」

「…………」


 本懐を遂げるため、この申し出は嬉しいはずだったが、イザベラは喜べなかった。


 そしてまた、冒険の旅に戻る。


 イザベラは意識してレオの隣に寄り添うようになった。その意図を汲むように、ニアは遠ざけられ、アキラは自ら距離を取った。

 この変化に付いて行けないニアは酷く混乱し、戦闘中の連携にも悪影響を及ぼしたが、レオはこれに関して一言だけしか言及しなかった。


「もう、外れろ。おまえ」

「あ……う……」


 ニアは深く傷ついたようだったが、戦闘中は集中するようになった。


 ――後始末をしている。それがイザベラの印象だった。

 依存心が強いニアに殊更冷たく当たるのは、独立心を植え付けるためと思われた。

 だが、なんとも不器用なやり方だった。極端なそのやり方は、誰にも理解されない。レオンハルト・ベッカーという男の、決して万人向けではない愛。困ったことに、イザベラには理解できてしまう。素直でない意思表示は、彼女の得意とするところだ。


 この頃から、イザベラは強い怒りを覚えるようになった。


 戦闘はますます激しく危険なものになったが、補助をするニアは、咳き込むレオの異変に気遣いを見せるものの、


「大丈夫。俺は大丈夫だ」


 その一言で、いつも納得したかのように引っ込んでしまう。


 ……犬の獣人の馬鹿さ加減に底はない。イザベラはそう思うようになった。


 アキラ・キサラギはとても怒っているようで、たまに口を開いたと思ったら、金の話しかしない。日増しに要求は拡大し、レオは装備品の幾つかを売り払わねばならなかった。


 ……奪うことしか頭にないこの泥棒は、いつか踏み潰して思い知らせてやる。


 アレン・バラクロフとルーク・エリオット。男たち二人の考えは、イザベラにはまるで理解できない。具合の悪いレオに、一切の容赦がない。以前より厳しいくらいだった。決して休ませず、リーダーとして苛酷な判断と行動を突き付ける。


 イザベラの胸に、激しい怒りが沸き上がる。



 おまえたちは、寄ってたかって、レオンハルト・ベッカーを殺すつもりか!!


 この男が、死ぬまでやれば満足か!!


 愛さず、奪い、休む時間すら与えない。

 そんなおまえたちは、埋葬されるといいだろう。



 イザベラは『性悪女』の本領を発揮させ、以前より、ずっと高飛車に、威圧的に振る舞うようになった。だが、その言動は不思議な気高さを持つようになり、誰の反発も許さない。

 精神系スキル『威厳』の発露だった。

 このスキルを持つ者は、パーティ内の不和を強制的に打ち消し、戦闘では指揮下にある者を鼓舞し、力を底上げする。更には『威圧』に対しても強い耐性を持つ。


 最後の戦いを前に、イザベラ・フォン・バックハウスは『メインヒロイン』として覚醒して行く。


 空を飛ぶ皇竜を相手に、地上から圧倒的不利を背負って戦う『空中戦』。レオンハルト・ベッカーは主力として、七二回の投擲を行った。

 墜ちた皇竜を追撃し、『軍』を率いて戦う『地上戦』。レオンハルト・ベッカーはますます傷つき、壊れる。手のひらを見つめる時間が増える。


 誰も愛さぬというなら、イザベラ・フォン・バックハウスは愛したい。


 奪うというなら、それ以上にイザベラ・フォン・バックハウスは与えたい。


 『メインヒロイン』――イザベラ・フォン・バックハウスは静かに強くなる。

 四つのエレメント(地水火風)を完全に支配下に置いた時、隠された五つ目のエレメント――『無』の存在を知覚する。


 『禁呪』エンド・オブ・ザ・ワールド――『終わる世界』の修得である。


 レオはこの『禁呪』を、


「危険だ。絶対に使ってはならない。世界を破滅へ導くぞ」


 と切り捨てた。

 だが『皇竜』との戦いに決着を着けるのは、この『禁呪』を於いてあり得ない。


「大丈夫。とっておきがある」


 レオンハルト・ベッカーが笑う。

 秋の日差しのようにじんわりと優しい、悲しい笑顔。


「私も行くわ」


 五つ目のエレメント『無』に耐性を備える生物は、世界のどこにも存在しない。イザベラの力は、レオの助けになる。

 『威厳』を持つ者は恐れない。イザベラは、『禁呪』を発動させるつもりでいる。


 イザベラとレオは、引き付け合うようにして距離を近づけて行く。

 レオンハルト・ベッカーという男が、イザベラの元でしか休めないことを思えば当然の成り行きだった。



「ねえ、あんたのことが好きよ」


「……ありがとう」


「あんたって、不思議な男……。最初は、大嫌いだったのに……」


「…………」


「ねえ、あんたって、何者……?」


「俺は……」


 あまりにも長い夜。全ての秘密は語られる。


 ここじゃない『何処か』――ゲンジツ。余りにも遠すぎるレオンハルト・ベッカーの故郷の話。


 『ゲーム』の世界。そして――『イベント』。

 それが『星の船』の在りかへと彼を導き、暗黒騎士打倒への道しるべになったのだという。


 全てを吐き出したレオンハルト・ベッカーは、帰りたい、と言った。

 同じように帰郷を許されないイザベラには、分からない話ではない。だが――


「……未練はないの?」


 それでも、レオンハルト・ベッカーは、帰る、と言った。


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