第17話 SadisticでDramaticなGameの世界
全力疾走で駆けるレオは、姿勢を低くし、速度を落とすことなくバンクの入り口目がけて突っ込む。
話し合いの余地はない。入り口を粉砕してやるつもりだった。
だが――
予想された衝撃はなく、その手応えのなさに、レオは前のめりにすっころんだ。
「ぶへっ!」
潰れた蛙のような情けない悲鳴を上げたレオが、身を起こすと、視界には一面の星空のスクリーンが広がった。幾度か来たことがある場所だ。ステータスには、現在地――『星の部屋』と表示されている。
「星の部屋? まんまだな……」
周囲は見渡す限りの星空のスクリーン。
左手の方向に九つのドアがあった。あるのはそれだけで、人影はない。
レオは腰に吊った小剣『グリム・リーパー』の感触を確かめながら、歩を進め、九つあるドアの一つのノブに手をかける。
レオは、一つ深呼吸した。
目の前に九つのドア。その他には、何もない、あるのは星空のスクリーンだけだ。
――一つ選んで、くぐれ。そういう意味だろう。レオはそう考え――鬼が出るか、蛇が出るか。瞬時に覚悟を決めドアを開け放つのと、
「あ、そこは……」
という女の無気質な声が背後から聞こえたのは、ほとんど同時だった。
ドアを開け放つと、生ぬるく湿った風が吹き付け、レオの視界には切り立った山肌が広がった。
そして、突然――その視界を塞ぐように、金色の大きな瞳が出現した。
「お……」
レオは、ごくりと息を飲む。
目前の瞳は、レオの身長ほどもあり、細く長い瞳孔は何の体温も感じさせない爬虫類のものだった。
瞬時にして鳥肌が立ち、背筋が凍る。全身から冷たい汗が吹き出し、血の気が引く音がレオの耳に、はっきりと聞こえた。
レオは、そっとドアを閉じ、かちん、と音が鳴るほど扉を押し付け、跪き、震えの止まらない肩を抱き締めた。
CONDITIONの欄には、
panic(恐慌)
という文字が浮かんでいる。
「……呆れた。貴方は、これっぽっちも待てないんですか……?」
「お……あ、あ、あ……」
背後からの声に、レオは呻きながらも必死で頷く。
「もろに『竜圧』の影響を受けてますね。なんの準備もなく、心構えもせず、ドラゴンに向かうから、そうなるんですよ」
(あれが……ドラゴン、か……)
心臓は早鐘を打ち鳴らし、目眩と頭痛に吐き気を催すほどのプレッシャー『竜圧』(dragon pressure)。
ドラゴンや巨人等、一部強力なモンスターは、『威圧』能力を持つ。レオはその影響を受けたのだった。
「レオンハルト・ベッカー。平常時、あなたが『竜圧』を防御できる可能性は、43%です」
「……」
レオは未だ吹き出し続ける冷たい汗を拭う。
「この前、もう少し真面目にやれというようなことを言ったつもりですが、一体どういうことですか。あまり手を焼かせないで下さいよ」
くすんだ金色の髪の女――チュートリアルの女は、苛々と腹立たしそうに言う。
「ううう、待て、待ってくれ……」
レオはマインド・ヒールの魔法で回復を図ろうとするが、集中の難しい状況にある。
「馬鹿ですね。今の貴方は恐慌状態にあります。魔法は一切使用できません。このような時のために、腰のポーチに『鎮静剤』を入れてあるのではないのですか?」
チュートリアルの女は、ぴったりとしたスーツを纏い、タイトなスカートを履いている。蹲るレオの視線が気になるようで、スカートの裾を直しながら言い募る。
「まあ、馬鹿な貴方にはいい薬です。そのままで聞きなさい」
「あ、ああああ……」
レオはポーチを探り、『鎮静剤』を取り出そうとするが上手く行かない。ぼろぼろと多種多様な回復タブレットを辺りに撒き散らしながら、ようやく目当ての薬を取り出すと押し込むようにして口に詰め込む。
「先ず、ここに来るのが早すぎます。イベント『黄金病』は、ストーリーの後半で昇華するイベントです。今はその時ではありません。放置して、ストーリーを進めなさい。貴方の現在の状況は、非常によくありません。ストーリーの進行が遅延しています。
即、アキラ・キサラギをパーティに加え、イザベラ・フォン・バックハウスの保護に向かうべきです」
「…………」
レオは肩で息をしながら、胸に手を当てた格好で女を睨みつけ、呼吸を整えている。
「あの犬の従者とは縁を切りなさい。彼女は、ずるをしています。過度の『予知』を行って、ストーリーに大きく変化を与えたのは彼女です。貴方がこんなにも早く、ここに来てしまったのは彼女のせいです」
「うるさい……黙って聞いていれば、ぐだぐだと……」
薬効が現れ、多少落ち着きを取り戻したレオが漸くやり返す。
「何がうるさいんですか。このSDGで、ストーリーの遅延が何を意味するか、知らない貴方ではないでしょう」
「皇竜は討伐した……。サディスティックシステム、最強の具現者は、もういない……」
SDGの世界を支配する『サディスティックシステム』は、ストーリーの進行にも強く影響を与える。
ストーリーの遅延は『皇竜』との強制的戦闘を誘発する。
――駆け抜けて行け。それが出来ないのなら、死んでしまえということだ。
やり込み要素の殆どを排除するこのゲームシステムは『クソゲー』のクソゲー足る所以でもある。
女は形のよい眉を吊り上げ、言った。
「確かに皇竜はもういません。ですが、このメルクーアに、あなたが倒すべき敵が存在します。あなたにしか勝てないドラゴンが存在します」
「なんだと……?」
「イザベラ・フォン・バックハウスは、それを『ハートレスドラゴン』と呼んでいます」
レオは忌ま忌ましそうに鼻を鳴らして応戦する。
「ハートレスドラゴン……『心ない竜』、か。つまらん」
「……その竜が、白い竜と聞けば、どうします?」
「――!」
レオは打たれたようにびくりと震えた。
SDGで『白竜』はただ一頭。スキル『竜化』を使用した『レオンハルト・ベッカー』のみだ。
『竜化』はチートスキルだ。使用には数多くの制限と大きな代償が付きまとい、その力を完全に制御するには『アレスの珠』を必要とする。
「馬鹿な……あり得ない話だ……」
「……」
レオの反応に、女は薄く笑う。意地の悪い、冷たい笑みだった。
「だから今は……レオンハルト・ベッカー。ストーリーを前に進めなさい。その謎も、明らかになるでしょう――」
「ふざけるな!」
レオは何度も首を振る。
「ふざけるな! ふざけるな! ふざけるな! そんなことはどうでもいい!」
「どうでもいい……?」
女は少し驚いたように、鼻の頭に皺を寄せた。
「俺がここに来たのは、そんなどうでもいい理由じゃない! 黄金病? 知るか! 好きなときに死ね! ストーリー? くそっ喰らえだ!」
レオの表情が鞭打たれた者のように苦痛に引き歪んだ。
「帰せ! 俺を元の世界に帰せ!」
「今更、何を……やはり、再構築が上手く行かなかったことが原因でしょうか……」
呆れたように呟く女の言葉は、後半が独白に近い小声だった。
レオは叫んだ。
「おまえなら出来る! それが出来るはずだ! ――テオフラスト!」
◇ ◇ ◇ ◇
星空のスクリーンの下で、ついに、レオは、テオフラストと対峙する。
「……『より高き場所』……そして、『見守る者』……」
この星の部屋――『より高き場所』でただ独り、メルクーアの行く先を『見守る者』。偶然にも、『竜の巣』に繋がるドアを開いた時、すべてのピースが繋がった。
メルクーアの柱神の一人にして、偉大な哲学者――テオフラスト。チュートリアルの女の正体は、それしかない。
くすんだ金色の髪の間から、僅かに尖った耳が見え隠れしている。テオフラストは、己の姿に似せ、『エルフ』を造った……。
「帰りたいのですか?」
「ああ、帰りたい」
レオがそうはっきり答えた時、テオフラストの無表情に、僅かな曇りが生じた。
「知る者のない町並みを行くとき、孤独が貴方の心を刺しますか……?」
「……ああ」
「セシリアの一件は、堪えましたか……?」
「……あ……」
レオの頬に、涙の筋が流れる。
生きながら腐り、殺して、と懇願した少女の顔を、忘れるわけには行かない。
「おかしなひとです。勝手に死ねと言い切るくせに、よく知らない娘のために泣くのですね」
レオは涙を隠すことはせず、額を掻き毟った。
「帰りたい! 俺はもう、帰りたい! 帰らせろ!」
「あなたは何も変わらないんですね。昔と同じことを言っています」
「――!」
レオは瞬間、怯んだものの、瞳の聖痕を血の色に染め上げ、テオフラストと睨み合う。
テオフラストは残酷に言った。
「今は、ストーリーを進めなさい。帰還はクリア報酬の一つです」
「……………………!」
星の部屋に、レオンハルト・ベッカーの声なき悲鳴が木霊する。
決定付けられた事実が変わることはない。それがこの世界の理だ。セシリアの逃れられない死が、確定した未来を告げている。
どこまでも――サディスティックに、ゲームは続く。
◇ ◇ ◇ ◇
「ナメんなよ……」
身体中の血液が、熱く沸騰する。
視界が赤く燃え上がり、世界から音が消え去るが、不思議なことにレオの意識は醒めたままだった。
(不思議だ。こんなことは、前にもあった……)
――『主人公』レオンハルト・ベッカーは、腰の『死神』――グリム・リーパーに手を伸ばす。
「なんのつもりです。レオンハルト・ベッカー」
それには応えず、レオは星の床を一歩、踏み締める。
テオフラストは言った。
「私は『神』に分類されます。『アレスの珠』を持たない貴方が、私に勝てる確率はゼロです。『グローバルパワー』も使わせません」
「だから……?」
「そんなに、納得できませんか?」
「当たり前だ。それだけじゃない……」
『ころ、して……』
『ちくしょう……アスクラピアも、テオフラストも、アレクエイデスも、みんな、みんな、くたばっちまえ……』
その苦しみと怨嗟の声を、彼――レオンハルト・ベッカーが忘れるわけにはいかない。
ぎゅう、と拳を握り込む。力は無限に湧いて来る。
――背負った悲劇と怨嗟の声が――剣を奮えと彼を押す。
SDGの主人公『レオンハルト・ベッカー』の背負う悲劇は軽くない。
SDGの主人公『レオンハルト・ベッカー』の背負う期待は軽くない。
ミステリアスな数値『アライメント指数』の正体は『主人公』レオンハルト・ベッカーに対する世界の期待値だ。行為の浄、不浄に拘わらず――或いはそれ故か――彼の背負った期待は、既に限界を突破して、数値化することは不可能だ。
力は無限に湧いて来る。
レオンハルト・ベッカーは言った。
「この世界にサディスティックな神は必要ない。おまえが死ぬ理由は、それで十分と思わないか……?」
レオは、じりっと歩を進める。
「俺は何も納得していない。よくもこんなところに、喚び出してくれたな……?」
「私を殺しても、貴方が帰れるわけではありません」
「帰還の方法は、お前を殺してから、ゆっくり考えることにしよう……」
圧し殺すように低く呟くレオの声に、明確な殺意が走る。
その意志に、『死神』が彼の命を吸って応えるだろう。
「……なんという我の強さでしょう」
テオフラストは僅かに怯み、後退して間合いを広げる。
「これが、私の剣……アレクは、貴方の目を……」
「うるさい、黙れ」
レオは身を屈め、マントで隠すようにして静かにグリムに手を掛ける。
対峙する二人の間には、未だ明確な行動はない。だが、バトルステータスは目まぐるしく展開し――
テオフラスト
――god power(威圧)!
レオンハルト・ベッカー
――guard!
テオフラストが叫んだ。
「オットマー・バウムガルドの死には、眉一つ動かさなかったくせに!」
「奴が死んでも、俺の心は痛まない!」
レオンハルト・ベッカーという男は善人ではない。場合によっては『神』をも斬る。
――故に、世界の『悪』は、彼に期待を寄せている。
「貴方は利己的です!」
「だから、なんだ!?」
善に寄らず、悪に染まらず。全ての価値基準は己の胸の内にある。『プレイヤー』としては当然の真理(心理)だ。
レオンハルト・ベッカー
――pressure(威圧)!
テオフラスト
――resist(無効化)!
二人に未だ動きはない。だが、水面下では激しく火花を散らし合い――
レオンハルト・ベッカー
――spirits(闘志)!
――STR(腕力) UP! AGL(敏捷性) UP! ST(体力) UP!
「テオフラスト! 壊してやるぞ、この世界!」
瞳が深紅に燃え上がる。
「今の貴方は危険過ぎます!」
テオフラストの目前にコントロールパネルのエフェクトが出現したのを認め、レオは激しく舌打ちする。
レオンハルト・ベッカー
――power strike! OFE(攻撃力)320% UP!
――first attack!
精神系スキル『果敢』が発動し、レオは先制攻撃に成功する。 星の海の中、マントを翻し、瞬時にして距離を詰めるレオを戦士系のパッシヴスキルパワーストライクが後押しし、圧倒的スピードとパワーでテオフラストに接近する。
鞘から抜き放たれた死神は、レオの意志に応え、即座にその形状を凶悪な一三本の帯に変化させた。
鞭のようにしなやかにうねる一三本の刀身、『サーティーン・スネーク』。
レオの手で振るわれた一三匹の蛇が、辺りの空間をなぎ払うのと、後方に飛びのくテオフラストがコントロールパネルの赤いボタンを押すのは、ほぼ同時だった。
「――!」
テオフラストの右の頬に数本の筋が走り、赤い血を滴らせる。――躱された。同時に、レオも飛び退き、こちらは蹲った姿勢で再び攻撃の態勢を整える、が――
レオは立ち上がり、音が鳴るほど歯を噛み鳴らした。
うっすらと消え行く一三本の刀身と、脈打ち、右腕に根を下ろす黒い蔦を睨みつけ、怒鳴った。
「俺を何処に送った!?」
「……」
テオフラストは答えない。
レオは殺意を、テオフラストは無関心を持って睨み合う。
「次は殺す」
そう言い残し、レオンハルト・ベッカーは星の海に消え去った。
メルクーアを見守る星の部屋――『より高き場所』。
『より高き者』――テオフラストは苦衷に歪んだ表情で呟いた。
「それでも、ゲームを続けてもらいます……」
ドラマチックにゲームは進む。
後に残るは静寂のみだ。
作者の英語能力は非常に低いです。
気が付いたときは、そっと指摘してあげましょう。
……そっとですよ?




