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S・D・G  作者: ピジョン
第2章 黄金病

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第15話 平和な暴力(完全版)

 冒険者ギルドのニューアーク支部の二階では、予定されている会合のため、各ギルドからギルドマスターたちが集結しつつある。

 二階の大会議室は、この日のためにマティアス・アードラーが直々に細心の注意を払って椅子から円卓、使用人の人選まで手配を済ませた。

 無論、ギルドマスターたる彼の仕事ではない。

 だが、やって来るのは、あの『失われた英雄』レオンハルト・ベッカーだ。

 神官騎士の戒律には礼節が含まれる。それがマティアスの気持ちを重くさせている。


「おい、おまえら、英雄どのに粗相するんじゃねえぞ」


 ギルドの職員に言いながら、マティアスの胸はまた重くなる。



◇ ◇ ◇ ◇



 同時刻。

 『アデライーデ』の高級スイートでは、レオとニアの二人が、口を噤んだまま、静かに朝食を口に運んでいる。

 大麦のパンをスープに浸してから口に運ぶレオは、セシルの死後、固い沈黙を貫いている。

 レオは、セシルの死について何も言及しない。だが、眉間に刻まれた深い皺が、強い怒りを物語っている。それが今朝も給仕を務める猫の姉妹のみならず、対面で同じように朝食を摂るニアの心境すらも重苦しいものに変えている。


「わ、私たちは、セシルお嬢さまのことは、何も知らなくて……」


 その沈黙の齎した緊張に耐え切れず、口を開いたのはアルだ。続いて、エルがその後を引き取る。


「お嬢さまは、オンデュミオンのさる貴族のお方の所へ奉公に行かれたと聞いておりました」


「……」


 レオは黙って首を振る。どうでもよかった。

 ……結局、何も分かりはしないのだ。あの『生命の水』がなんであるか、『黄金病』との関連性も、分からない。その思いが今朝の陰鬱な一時の理由だった。


 レオの膝の間から、小さなリンの顔が覗いている。

 心配なのだろう。セシルの死後、ずっと離れない。時折、喋ろうと言葉を紡ぐが未発達な声帯は、意味のある言葉の発音を許さない。


「あ……」


 リンは喉を押さえ、何か言おうとしては失敗し、口ごもるという仕草を何度も繰り返して見せた。

 レオの横で無造作に開いたままになっているステータス画面に、


 リン は五才になりました。誕生日、おめでとう!


 という記載がある。

 レオは肩の力を抜き、首を振る。子供のリンにまで気を遣わせる自分が腹立たしい。


「リン……誕生日、おめでとう。何かほしいものはあるか……?」


 そのレオの呼びかけに、周囲の雰囲気は和らいだものになる。


「また少し、背が伸びたんじゃないか?」


 レオは、リンを膝に抱えて考える。

 リンの切れ長の瞳が笑みの形に綻ぶ。可愛い、というよりも、美しい風貌をしている。今はまだ幼いが、将来、きっと美人になる。そのときは――


「リン、結婚してくれる?」

「あ、あうっ!」


 リンは激しく動揺し、エルがティーカップをパリンと割った。同時に、アルが花瓶を床に落とし、ニアがガタリと席を立つ。


「……」


 リンは気の毒なくらいに赤面し、だが、小さく頷く。


「本当に? でも、きっと苦労させてしまうよ。それで構わない?」

「うぁ……」


 リンは幾分、悲しそうに頷いた。


「リンは優しいね。でも、本当に大変だから、覚悟しておいた方がいいよ?」


 勿論、レオは本気で言ってない。悪戯半分、残りの半分は何も考えていない。


「一日三食、昼寝付の待遇を求めるし、夜も……」


 レオンハルト・ベッカーという男が、子供に言うには悪ふざけの過ぎるこの冗談を後悔するのは、もう少し後のことになるが、この時は急に濃度を増した剣呑な雰囲気に唇を尖らせ、面白くなさそうに口を噤んだ。



◇ ◇ ◇ ◇



 いつもの『アスクラピアの沈黙』とも違う静かな朝に、来客があった。

 訪問を知らせるチャイムが鳴り、エルが応対する。


「やあ、今、朝食かい?」


 エルに伴われ、姿を現したのはアキラ・キサラギだ。


「……ああ。アキラ、おまえは?」


 アキラは、レオの膝に腰掛けたリンの姿に一瞬、固まったものの、頬に笑みを浮かべて言った。


「ボク? まだだよ?」

「そうか。アル、彼女にも朝食を――」


 レオは自然な態度で朝食の席に加わるアキラに席を勧めながら、瞳を少し驚いたように見開いた。

 いつもなら青いリボンで一まとめに括られているアキラ・キサラギのポニーテールが、ない。さっぱりと、ない。短く、乱暴に切り揃えた感じのあるアキラの髪の毛は、所々、跳ね上がり、強く自己主張している。

 アキラは、照れ臭そうに頬を染めながら、髪に触れる。


「手入れが面倒だからね。今朝、自分で切ったんだ。……どうかな?」


 レオは一言、


「可愛い」


 それだけ言って、再びパンを齧る。少し、幼さが増し、年より若く見えると思ったことは言わないでおく。


 レオは、ちらりと隣のニアにも視線を向ける。こちらも元は跳ね上がっていたが、最近は手入れが行き届いているのと、特徴的な鬣を襟から覗かせていることもあり、見様によっては長髪に見えないこともない。

 跳ね上がり、自己主張の旺盛な体毛は、二人が獣人である、もしくはその血を引いていることの証左である。ハイブリッドを見抜く際、常識とされる知識の一つであり、このメルクーアでは一般常識の一つでもある。

 エルやアルについても同様で、個人差はあるものの、髪質には独特な癖がある。このある種、没個性と言ってよい『設定』には意味がある。


 このSDGの世界では『獣人』は『汎用キャラ』だ。


 それらのことを、つらつらと考え回しながら、レオは、食事の手を止める。

 アキラは少し、そっぽを向いて、緩んだ頬を揉みほぐしておいてから、真顔になった。


「アデルは駄目だ。ぼんやりしてる。今は話が出来る状態じゃないね」

「……」


 レオは卓上に置いた手の甲を見つめ、それからひっくり返して、手のひらを見つめる。


「あの水……『生命の水』とか言ったか? あれは……」

「調べてる。少し、時間が欲しい」


 ニューアークに配してあるアキラの密偵は未だ健在だ。昨日、黄金病を発症し、死に至った獣人の一件についての風評調査とともに、『生命の水』についても洗わせている。

 アキラが勝手にやっていることだ。


「すまん、アキラ……手間ばかりをかける……」

「いいんだよ」


 笑顔を浮かべながら、やって来た朝食に、早速手を伸ばすアキラの横で、ニアは口をへの字に曲げていたが、和らいだ雰囲気に、いつもの言葉を口にする。


「レオ、今日は、これからどうするんだ?」

「マティアス・アードラー主催の会合が、今日だったな……。護衛を頼む。俺は、これしか持ってないからな」


 ぽんと腰に下げた小剣――『グリム・リーパー』を軽く叩くレオの隣で、ニアは、ほっとしたように柔らかい笑みを浮かべる。


「うん、がんばる」


 アキラは、その様子に冷めた視線を送りながら、レオの腰をちらりと見やる。


 グリム・リーパー――『死神』とも呼ばれる『魔剣』である。使用者の命を糧に強度と形状を変える。


「キミ……その剣……」

「これは勘弁してくれないか……?」


 レオは何故か困ったように、グリムを背後に隠す。昨夜、『命の輝石』の代償に言質を取られたことを気にしているのだ。

 それに気づき、アキラは笑った。


「売れば、いい金になるだろうね」

「う……」


 がっくりと項垂れるレオの様子に、アキラは意地の悪い笑みを浮かべる。

 ――その内、取り上げてやる。

 短くなり、生来の癖が顕著になったためか、跳ね上がりがちな髪を撫でつけながら、アキラはその方法について思いを馳せるのだった。



◇ ◇ ◇ ◇



 冒険者ギルド、ニューアーク支部では、ギルドマスターのマティアス・アードラーが頭を抱えている。

 ニューアークが『ダークナイト』に占領されたのは一三〇年も昔の話だ。当時の領主は既になく、その後の混沌とした状態を経て、現在、このニューアークは政治的には空白地帯になっている。隣接しているのは広大な『エアレーザーの森』と街道『真っすぐな道』を越えた場所にある獣人の聖域『アポステル』。

 聖域『アポステル』は、狼の獣人ウェアウルフ『ブリュンヒルト』女王が治める永世中立国であり、ニューアークに軍を向けるにはそこを通る必要がある。無論、ブリュンヒルト女王がそれを許すはずはなく、よしんば通過し得たとして、待ち受けているのは血の通わぬ機械兵『サバント』と『トルーパー』である。更には、これを退けたとしても、『無法都市』の統治には並ならぬ苦難が予測される。

 ニューアークは大陸の南端に位置し、どちらかといえば辺境であることから、無理をして侵攻、制圧せねばならないほどの価値はない。というのが、諸国の思惑であった。

 『レオンハルト・ベッカー』がダークナイトを打倒し、ニューアークには主を失った機械兵サバントだけが残り、善くも悪くも、変化なしという状態が続いた。

 だが、ここに至り、そのバランスを崩す者が現れた。


 ――レオンハルト・ベッカーである。


 『エミーリア騎士団』、『アルフリード騎士団』、『ザールランド騎士団』から騎士として叙勲を受けている。『三大騎士団』に所属する騎士は、大陸広しといえどレオンハルト・ベッカーだけだ。


 『レオンハルト・ベッカー』は、オンデュミオン、ノルドラインの名将、宿将の数多くを戦場にて葬り去り、アルタイルでは最高評議会に紛れ込み、上級議員の無差別殺戮を行った。特に『アルタイル』のレオンハルト・ベッカーに対する怨恨は根深く、生死不明の現在にあってなお、永久指名手配している。

 そして、『皇竜』を討伐した彼に纏わる逸話。


 曰く、レオンハルト・ベッカーは『光の剣』で皇竜を討ち取った。


 ――エミーリア騎士団を抱えるニーダーサクソンに於いて、光の剣はアーティファクトに指定されている。少なくとも『光の剣』は実在する。


 曰く、レオンハルト・ベッカーは、皇竜との戦闘時、大きな白い竜になって戦った。


 こればっかりは眉唾ものだ。もし事実なら、レオンハルト・ベッカーは、個人で国家に対抗し得る力を持つということになる。


 高級宿場『アデライーデ』に逗留するレオンハルト・ベッカーは、紛うことなく本人その人だ。

 『一の従者』ニア――地獄の猟犬と、最新の調べでは、エミーリア騎士団の宿将、『小柄な悪魔』アキラ・キサラギを連れている。

 それに、マティアスは見た。見てしまった。

 レオンハルト・ベッカーは、港でサバントとやり合った際、『発砲』した。あれは間違いなく、『アレクサンダー・ヤモ』の所持する『レールガン』だった。


 ここまで考え、マティアス・アードラーは、ぶるっと肩を震わせた。


 このニューアークのギルドマスターたちは、何も分かっていない。

 レオンハルト・ベッカーを金払いのいい、ただの上客と言う者もいれば、子供や獣人に対し、頭の上がらぬお人よしと言う者もいる。

 それらは確かに事実だ。そういう側面があることを、マティアスは認める。

 だが、レオンハルト・ベッカーは、アルタイルの王族を秘密裏に殺害しているし、一人で港のサバントを殲滅するほどの実力者であり、且つ、『地獄の猟犬』と『小柄な悪魔』を引き連れていることを忘れてはならない。


 このニューアークに『サバント』たちの姿は、北の関所に数体を残すのみになった。このサバントたちが、善くも悪くも色々な方向に対して抑止力になっていたという側面は否めない。不自然だが、一三〇年の時間を掛けて形成された事実だ。

 港が開かれ、他国が干渉しないという確率は、ほぼ無くなった。

 幾ら『無法都市』とはいえ、それなりに纏まっている。それなりに平穏がある。いずれある他国からの干渉に、どう対応すればよいのだ。

 『無法都市』は、現在、変化を要求されている。それはよい。避けられぬ変化とマティアスは考える。このニューアークの経済的成長は、既に頭打ちだ。後は衰退するのみ。どこかの国家に属することになれば、色々と面倒だが、得られるものも多い。より良い治安や福利厚生。公共事業が行われることになれば、皆が潤うだろう。


 レオンハルト・ベッカーは、どう動く?


 マティアス及び、ニューアークの良識あるギルドマスターたちが頭を悩ませるのはそこだ。

 レオンハルト・ベッカーが港の所有権を主張するような俗物であれば、どれほど良かったか。

 彼が、自ら解放した港の所有権に関し、「興味がない」と切り捨てた噂は、マティアスの耳にも届いている。

 彼が港を、延いてはこのニューアークを欲する男であったなら、このニューアークの未来は明るいものだったろう。彼が三大騎士団に属する以上、三大騎士団を擁するどこかの国家が、このニューアークを拾う。マティアスは、『ニーダーサクソンの姫将軍』こと、イザベラ・フォン・バックハウスの存在するニーダーサクソンの干渉が最も濃厚と考えている。


 寺院の神官長、ノームのオットマーは、レオンハルト・ベッカーをペテン師、イカサマ師と言って憚らない。先の『大魔法』の一件で、このニューアークの寺院には市民の苦情が殺到し、利用者が大幅に減った。稼ぎが減ったオットマーの機嫌は悪く、隙有らばレオンハルト・ベッカーを陥れようと画策している。

 そのオットマーだが、この会議場にやって来た時から、上機嫌の笑みを張り付けたままでいる。

 マティアスは不吉な予感を隠せない。レオンハルト・ベッカーとの会合が物別れに終われば、その影響はニューアーク全体に波及するだろう。


 このニューアークは、変化を要求されている。

 何の誼みもない国家が、このニューアークに踏み込んで来た場合、この会合に出席する面々の何人が無事でいられるか。

 いずれ、何処かの国家に属するのであれば、レオンハルト・ベッカーとの関係は大きな分岐点になるだろう。

 これから行われる会合の目論みは、マティアス含む良識的なギルマスたちが、どうにかして、レオンハルト・ベッカーと誼みを結ぶためのものだ。

 だが、今朝になり飛び込んで来た急報が、事態を剣呑なものにしている。

 レオンハルト・ベッカーが臨時で開いた診療施設――『アデライーデ』の多目的用途のホールで『黄金病』による死者が出たというのだ。おそらく、オットマーの上機嫌はそれに起因するものだろう。

 詳しい事情を知りたいマティアスであるが、アデルとは連絡が付かない状況だ。


「おやっさん」


 司会の席で、ああでもない、こうでもないと頭を捻るマティアスに、冒険者ギルドの若い剣士が耳打ちする。


「ベッカーさんが来ました」

「そうか……」


 マティアス・アードラーは今年で五一歳を数える。この年になって、息子のような年齢の男に対して下手に出なければならないことなど考えもしなかった。


「おめーら、相手は『神官騎士』だ。気を付けろよ」


 マティアスの頭痛の種は尽きないのだった。



◇ ◇ ◇ ◇



「レオンハルト・ベッカー。呼び出しに応じ、参上した……」


 現れた男――レオンハルト・ベッカーは視線を伏せ、軽く胸に手を置き、心なしか少し窶れた表情を上げる。


「マティアス・アードラー。郷には、先の『大魔法』の時分、世話になった。エルから聞いている。混乱を起こさぬよう、人員整理に骨を折ってくれたとか。本来なら、もっと早く礼に来るべきだったが、何分、多忙の身ゆえ、許されよ」

「う……」


 とマティアスは鼻白む。


「……」


 視線を伏せ、合わせようとしないのは、マティアスに対して敬意を払っているからだ。胸に軽く添えた手は謝意の表明である。レオンハルト・ベッカーの態度は、メルクーアの騎士としても、年相応の若者としても、申し分ない。礼儀作法に明るくないマティアスには、最も困る対応だ。


「今日の用件は、港の所有権を巡る会合だったな。早速、始めようか」


 レオンハルト・ベッカーは言って、背後に小さな騎士――アキラ・キサラギを連れ立って、出入り口に一番近い席に腰を下ろした。



◇ ◇ ◇ ◇



「ところで、レオ。このニューアークについて、どれくらいのことを知ってる?」


 アキラは円卓を囲むように腰を下ろすギルドマスターたちに油断なく視線を飛ばしながら、隣席のレオに耳打ちする。


「……ああ、あそこの親父には、この前饅頭をもらったな……」


 アキラは、はあ、と溜め息を吐く。

 アデライーデを出た当たりから、レオは明らかに集中を欠いている。考え事をしているようで、その応答は適当なものだった。


「あれは、ギルマスじゃない。スポンサーの一人だ。……キミが思ってるより、この会合は重要なもののようだね。だから、スポンサーもほっとけない」


 その中には、レオがよく利用するショップの店主もいて、ちらちらと、視線を飛ばしているのだが、当の本人は知らん顔で考え事に熱中している。

 各方面のギルマスたちが挨拶にやって来て、その度に、アキラはレオの臑を軽く蹴っ飛ばす。

 蹴られる度にレオは、


「お初にお目にかかる。レオンハルト・ベッカーだ」


 という台詞を機械的に繰り返した。

 そのレオに、一人のノームの神官が挨拶に訪れた。


「これはこれは……イカサマ師のレオンハルト・ベッカーどの。はじめまして、というべきですかな?」


 無礼極まる挨拶で思考を遮られたレオは、苛立たしそうに視線を上げ、言った。


「消えろ、ノームの小男、オットマー・バウムガルド。おまえは神官じゃない。ただの治癒者ヒーラーだ」


 レオは伊達に一カ月以上も遊び惚けていた訳ではない。彼なりにではあるが、このニューアークを仕切るギルドマスターたちについては見聞きしている。

 その上で、目の前の『神官長』オットマー・バウムガルドについては、一つの見解を得るに至っている。


「イカサマ師は、おまえだ。実力もなく神官を名乗り、未熟な知識と技術で、立場の弱い獣人や貧民から暴利を貪るか」


 全ての『治癒魔法』を司る『神官』は、上級職の一つである。そして、このSDGの世界では、上級職は須らく強い戒律に縛られる。『力』にはそれなりの義務と責任が付きまとうということだ。

 神官という職業は、『慈悲』、『慈愛』、『無私』、『無欲』、『奉仕』、『謙虚』の強い戒律に縛られる。取り分け、所持金の制限は神官騎士より厳しい。強欲で奉仕活動の実績がないオットマーが『神官』であるはずはないのだ。


「なっ……」


 ニューアークを取り仕切る重鎮が居並ぶこの会合の席で、自身を上回る無礼で接され、恥をかかされたオットマーは、その表情を青白く変えた。


「きっ、きさま……! わしを侮辱するか!」


 そのオットマーには付き合わず、レオは、ぱちりと指を鳴らす。


「ニア、つまみ出せ」


 次の瞬間、オットマーはこの重要な会合の席を失うことになった。


 出入り口に陣取り、成り行きを見守るだけだったニアが疾風のようなスピードで飛び出して、オットマーの襟首を掴むや否や、その小さな身体を窓へ向けて放り投げたのだ。


「な、なにを――おわっ!」


 室内に驚愕と恐怖の悲鳴を残し、大音量とガラス片を撒き散らしながらオットマーは窓ガラスを突き破り、消えて行った。

 三階だ。オットマーが死んだとしても不思議ではない。

 制止する暇も無い一瞬の出来事に、居並ぶ面々はぽかんと口を開け、言葉を失った。


 後には、静寂だけが残った。嵐の前触れを告げる静寂だった。

 その静寂の中、何事もなかったかのように、レオンハルト・ベッカーは言った。


「さあ、はじめようか」


 あまりに容赦ないこの寸劇に、マティアス・アードラーは息を飲んだ。


 二つの平和な暴力がある。法律と、礼儀作法である。



◇ ◇ ◇ ◇



「まず……」


 レオンハルト・ベッカーは言った。


「俺は、港には興味がない。所有権や利用法については、ここに居る面々に一任する。好きにするといいだろう」


 レオの宣言に対する返答はなかった。先程のオットマーへの容赦ない対応に、皆、萎縮しているのだ。その緊張した雰囲気の中、マティアスだけは粘り強く発言する。


「いや、それは……少し、無責任に過ぎるのでは……」

「何が無責任なんだ、マティアス・アードラー。このニューアークで責任の在りかを問うなど、冗談にしても笑えんな……」

「で、ではなぜ、港を解放なされた……?」


 これこそ、マティアスの最も疑問とするところであったが、レオから帰って来た返答は意外なものだった。


「……ただ、俺は……試したかっただけだ……」


 その言葉は真摯であり、苦悩にも溢れていたが、周囲の面々には意味不明の言葉だ。

 レオは、少し草臥れた表情で、手のひらを見つめる。

 SDGの主人公『レオンハルト・ベッカー』の手は、守る手だ。その手で、どれだけのものを掬い取れるというのか。そんなことを考える。


 レオは軽く頭を振り、思考を追い払った。


「現状回復をしたいのなら、桟橋のドアを開くといいだろう。恐ろしいというなら、帰りがけに俺が開けて帰っても構わない……」


 ――そのまま扉の向こうに、行ってしまおうか。


 不意に脳裏に過った誘惑は強烈、且つ魅力的で――


 オットマー・バウムガルドが出て行った窓から、緩やかな風が流れ込んで来る。


「い、いや、それは困る……!」

「そうか……」


 席を立ち、焦ったように言うマティアスに頷き返し、レオは視線を逸らす。


(まだ、その時ではないか……)


 辺りは、しんと静まり返った。現在、この空間を支配しているのは、司会のマティアスではなくレオであることに疑いの余地はない。


「好きにするといい。俺からは以上だ」


 そこで、レオは、港の一件の全てを打ち切った。


「ま、待ってくだされ……」

「我らは、これからどうすれば……」


 居並ぶニューアークの重鎮が次々と口を開くが、レオにとって、彼らは皆一様に『モブキャラ』だ。耳を貸す謂れはない。言った。


「好きなように生き、好きなように死ぬといい。それがニューアークの掟だろう」


 レオンハルト・ベッカーは、港にも、このニューアークにも興味がない。この場に居合わせた面々が、嫌と言う程思い知った瞬間だった。


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