第14話 emergency
ホテル『アデライーデ』の高級スイートの一室では、ニアとアキラが睨み合っている。
「どういうことなんだ……?」
びっしりと全身に冷たい汗を張り付け、ベッドに横たわるレオを見つめ、ニアがぎりぎりと歯を鳴らす。
臨戦態勢のニアを前に、アキラは小さく首を振り、セシルの件についての説明を始める。
「アデルのやつ、死にかけた娘を隠してやがった。レオは、その娘を治したんだよ」
アデルに限ったことではないが、アキラは、プライドの高い『エルフ』という種族を好まない。この件に限り、ニアと争う理由は一つもなかった。
アキラの説明に、ニアは時に憤り、時にやるせなさそうに唇を噛み締めた。
「レオが自分で選んだことだ。ボクには止められない。それは、わかるよな?」
「……」
レオンハルト・ベッカーは、パーティリーダーだ。どのようなパーティにおいても、リーダーの意志を尊重しないメンバーに居場所はない。納得できないが、ニアは渋々頷く。
余計なことを尋ねて話を混ぜ返さないのは、従順で大人しい犬の獣人の性質が深く関係しているのだろう。ニアのそういった所は、アキラも嫌いではない。
「それより、レオを着替えさせよう。手伝え」
「ん」
陰と陽の二人だが、パーティを組む以上、決定的に息が合わないわけではない。腕力のあるニアが眠ったレオを支え、器用なアキラが装備を解除して衣服をするすると脱がせて行く。
アキラは、疲労に青ざめたレオの頬を一つ撫で、言った。
「そろそろ、性悪女が来る」
「……」
エミーリア騎士団元帥、イザベラ・フォン・バックハウスが、ニューアークに来る。そう聞いて、ニアは一瞬、身体を強ばらせはしたものの、特に動揺はなかった。
アキラは続ける。
「先の大魔法の件は報告してある。かなり、やきもきしてるみたいだ。ボクとしては、このままレオに会わせてもいいかと思ってる。おまえの意見は?」
その質問に対するニアの答えは、アキラには意外なものだった。
「レオと性悪女は、会わせちゃだめだ」
「なぜ? レオには記憶に欠落がある。あれは『エルフ』を本気で嫌ってる。まあ、アデルのばあさんのお陰だけどな。以前のようにならないとボクは思ったんだが……」
そこでアキラは、片方の眉を吊り上げた。
「ああ、未来を見たのか。教えろよ。この件に関してだけはボクも協力する。性悪女……イザベラのやつは、どんな手段を使うんだ?」
「わからない……何かの、魔法……だと思う……」
超能力の養成施設『ムセイオン』に入ってないニアの超能力は、完全なものでない。
ニアは超能力の初歩である『ヒーリング』を習得していない。そけだけでなく、『予知』には色と音がなく、情報の収集には決定力に欠ける。そのため、ニアの答えは甚だ心もとないものだった。
「魔法……魅了か? ……レオは人間だからな、あれもはまれば強力だ。よし、抵抗策を――」
「意味がない」
ニアは少し迷う素振りを見せたものの、言った。
「ニアは……二七回、見た。二七回とも全部、取られた……」
様々な行為、行動から生じる全ての未来のことを言っている。ニアの説明は言葉に欠けたが、その意味するところを正確に理解し、アキラは動きを止めた。
「なんだって……?」
事象の確定要素が濃い。つまり、決定付けられた未来ということだ。
アキラは沈黙し、思慮深げに視線を伏せる。
現在、アキラとイザベラの縁は切れていない。様々な事柄を考慮した結果、エミーリア騎士団を切り捨てるのは、未だ早計であると踏んだからだ。
アキラは、ニューアークに入り、以降、電報で定期報告を行っているが、イザベラからは質問ばかりで、その現状については分からない。『大魔法』の直後に動きがあって然るべきだと思ったが、それもない。
アキラはこう推察する。
イザベラの方でも、何かがあったのだ。それも、のっぴきならない『何か』だ。そして、アキラは、最もあってはならない可能性について言及する。
「しばらく前……クソったれのアレクサンダー・ヤモがここに――」
「死んだ」
遮って言うニアの言葉に、アキラは絶句した。イザベラが電報で重ねた質問の中で、唯一レオに関係ない質問だったため、これに関する思考を放棄していたのだったが……
「れ、れれれれ、レオが殺ったのか!?」
卒倒しそうなアキラに、ニアは偉そうに頷いて見せる。
「死体は、ニアが処理したんだ」
アキラは頭を抱え、ふらふらと後ずさり、偉そうに胸を張るニアと、少し落ち着いた様子でされるがまま、衣服を剥ぎ取られ、眠るレオを見比べた。
レオンハルト・ベッカーは『騎士』だ。暗殺には向かない。彼がいくら警戒したとしても、決して完璧なものではないだろう。『何か』の証拠を残したはずだ。
そのレオが、ヤモ将軍の『レールガン』を所持しており、それはクローゼットの中で、他の雑貨の上に無造作に置かれていることなど、アキラに分かるはずもなく――
事態は、動く。
◇ ◇ ◇ ◇
その瞬間、レオンハルト・ベッカーは覚醒し、跳び起きた。
衣服を剥ぎ取られ、上半身裸の己を確認し、少し訝しんだ後、驚いた様子のアキラとニアとに視線を走らせる。
「なにがあった!?」
突然張り上げたレオの怒声に、窓ガラスが震え、ニアとアキラは仰天して互いを見合わせる。
レオは、開いたままになったステータス画面で赤く点滅を続ける文字を睨みつけた。
a state of emergency!
a state of emergency!
――非常事態。
そればかりを繰り返し、操作不能になっている。
キャンプによる睡眠中の不意の襲撃、或いは、パーティメンバーが単独行動中、トラブルに見舞われた時に発生するこの状態の最も注意すべき点は、
「誰かが死にかけてるぞ!」
命に関わるトラブルを抱えたことの警告だ。
レオが『ステータス画面』にて所在の確認が可能なパーティメンバーは、ニアと非戦闘員としてのリン。友好的なゲストメンバーであるアキラだ。
「――リン!」
レオはソファに掛けてあったガウンを羽織り、グリムを引っつかむと、
「アキラ! ニア! 続け!」
リビングを飛び出して行く。
『プレイヤー』としての彼に付き従う以上、アキラもニアも経験はあり、それだけに事態は深刻であることを理解している。普段の折り合いの悪さは一先ず置き、レオの後に続く。
レオは乱れた格好のまま、隣室に控えるエルとアルの部屋のドアを蹴破って突入した。
室内では口元に手を当てたエルが驚いた表情で固まっていた。夜更けとはいえ作業中だったのか、メイド服のままだ。
そのエルを一瞥し、レオは更に奥にある寝室のドアを蹴破った。
轟音と共にドアが弾け飛び、ベッドの上では、こちらもやはり驚いた表情のリンがきょとんとしていたものの、レオと視線が合うや否や、尻尾を振ってこの突然の来訪を歓迎した。
「リン、無事か!?」
レオは小さなリンを抱き抱えながら、警戒した面持ちで周囲を見回す。
「どういうこと――」
そこまで呟き、レオの唇がわなわなと震える。
全身が、かっと灼熱した。身体を駆け巡る怒りの奔騰に瞳を赤く染め上げて、
「セシル……! クソゲーが……!」
呟くと同時に、全速力で駆け出した。
◇ ◇ ◇ ◇
――レオンハルト・ベッカーの見たもの。
アデルの私室にて、前掛けを揉み絞り、動揺も甚だしいアルと、水差しを手にしたまま、微動だにしないアデル。
そして――
白目を剥き、口から血の混じったピンク色の泡を吹き、疑いの余地もないくらい絶命している栗色の髪の少女――セシル。
「…………」
リンを抱えたまま、レオは瞬きもせず、血が出るほど唇を噛み締めたまま、セシルの姿を凝視して動かなかった。
NEME セシリア
SEX femare
HP 0/0
ST 0/0
MP 42/42
CONDITION death(死亡)
増やした筈の生命力とHPが0になっている。昼間、死亡した猫の獣人と同じ状態――『完全死』だった。
アキラは棒立ちになったレオを見て、これ以上ないくらい後悔した。
エルフは必要以上にプライドの高い連中だ。セシルがあのような状況に追い込まれたのは、アデルのそのプライドの高さ故と、アキラは推察する。
助ける価値などなかったのだ。この結果を経て、アキラは尚のこと確信する。
「おい、ばばあ! 何をやらかしたんだ!」
「……」
アデルは、アキラの声に反応せず、ひたすら死に続けるセシルを食い入るように見つめている。
自失状態のアデルにアキラは舌打ちし、続いて、おろおろとするアルに視線を向ける。
「何があった! 説明しろ!」
ぴん、と張り詰めた声で厳しく問い詰めるのは、エミーリア騎士団少将アキラ・キサラギだ。
そのアキラの迫力に恐怖し、アルが答える。
「マ、マダムが、お薬――『生命の水』を、お嬢様に飲ませたら突然……」
「生命の水……?」
呆然としていたレオだったが、その言葉を聞き咎め、険しい表情でアルを見つめる。
「なんだ、その『アイテム』は。SDGにそんなアイテムは存在しないぞ……!」
アキラがアデルが手にしたままの水差しを奪い取り、レオに突き出す。
「これは……」
アイテム識別のため、水差しを手に取ったところで、レオの表情が固まる。
その眉間に深い皺が寄り、瞳の聖痕が新なる怒りに燃え上がる。
「このアイテムは……!」
所持アイテムの備考欄にはこうある。
『生命の水』―― a powerful drug
見たことのないアイテムだ。『白錬金』を使う彼に覚えのない回復アイテムはない。『レオンハルト・ベッカー』がロストしていた八年という空白期間に生まれたアイテムだろう。
「この水は……!!」
a powerful drug その意味するところは――
「劇薬だ!!!」
レオは怒鳴ると同時に、力の限り、水差しを床に叩きつけた。
「システム……!」
低く呟き、レオンハルト・ベッカーは踵を返す。
(簡単に殺しやがって!)
この怒りをどこに向かわせるべきか。
自失状態のアデルにも、死んだセシルにも、もう用はない。ただ、彼の全身に流れる血潮が煮えたぎり、胸の内で沸き上がる。
「「レオ!」」
アキラとニアが不安に塗れた声色で呼び止める。
(俺は……そんな名前じゃない!)
決して消えぬ怒りの炎を胸に抱き、レオはその場を立ち去った。




