第12話 せめて、最後の祈りを
猫のメイドたちに支えられ、居住まいを正すと、レオはもう一度席に腰掛ける。
「アデル……来たのか……」
レオはアルコールに濁った視線を下げ、軽く俯いた。
「待ってくれ、酒を抜く……」
『サバントの殲滅戦』でレベルが上がり、現在、レオンハルト・ベッカーのレベルは43。詠唱破棄のスキルはカンストしたが、生命力、HPの最大値に対する懸念は依然残ったままだ。
レオは椅子に深く腰掛け、詠唱破棄による神官魔法『キュア・ポイズン』を使用して身体の酒気を抜く。
「王さま、これを……」
レオは額を押さえた姿勢のまま、メイドの差し出したコップを受け取り、中身の水を煽った。徐々に身体の火照りが収まり、意識が醒めて行くのが実感できる。
(魔法、か……)
便利だが、決して便利すぎない『技術』というのが、このSDGの世界に於いての『魔法』のポジションだ。
高位の『魔法』ほど暴走や逆流の危険が高く、より大きな代償を必要とする。
レオが使用したこの『キュア・ポイズン』の魔法は効果が弱い。
ステータスに表記される毒のステータスは三種類。
毒、猛毒、致死毒の三つである。『キュア・ポイズン』では『猛毒』以上のバッドステタースは回復不可能だ。この『SDG』のプレイに慣れた者は、より重篤な症状――『病気』を回復させるキュア・コンディション系の神官魔法を使う。
チュートリアルの女は、
『現在、メルクーアには優秀な神官が枯渇しています』
と言った。では、魔術師はどうなのだ? 『魔術』と言えば、『イザベラ・フォン・バックハウス』だ。
純血種のハイエルフにして、SDGのメインヒロイン。全てのエレメント(地水火風)を扱える『魔術師』は、彼女だけだ。
飲酒による酩酊状態は、正確にはバッドステータスではない。そのためか魔法の効果は、緩やかで、レオの思考はいささか纏まりに欠けた。
「上手く手なずけたもんですねぇ……。これじゃ、どっちが主か、わかりゃしない」
アデルは口元だけに薄い笑みを浮かべ、威圧するように周囲の獣人たちを見回す。
「レオンハルトさま……少し、お時間をよろしいでしょうか?」
「……ああ」
顔を上げたレオは、思わしげに視線を伏せたまま、小さく頷いた。
「黄金病が出たそうでございますね?」
「ああ」
「どうなさる……レオンハルトさまは、当ホテルの傷ついた風評に対し、どう責任を取られるおつもりで?」
「……」
レオは視線を下げたまま、黙り込むというより、何か考え込むようだった。
「なんだよ、ばあさん……!」
いきり立ったのはアキラだ。眦を吊り上げ、低く言う。
「その話はボクがしただろう……。恥をかかせるのか!」
「あたしゃ、レオンハルトさまと話をしているんですよ。黙っててくれませんかね、バロネス・キサラギ」
言って、アデルは袋詰めの金貨をテーブルの上に投げ出した。
百枚はあるだろうか。じゃらりと中身が飛び出して、テーブルの上に散らばる。レオはその様子に僅かに眉を寄せた。
「この、ばばあ……!」
全て内密理に済ませるつもりだった。ふつふつと沸き上がる怒りに身を焦がし、アキラが、ゆらっと席を立つ。
「アキラ」
色めき立つアキラを、レオが指を立てて制止する。『黙れ』の合図だ。
「ばばあ……よくも、ボクの顔を潰してくれたな……覚えてろよ……」
激しく舌打ちし、再び腰を下ろすアキラに鼻を鳴らして見せ、アデルは再びレオに視線を戻す。
「少し、落ち着こう……」
レオはアデルに席を薦め、ウェイターに新たに飲み物を頼んだ。
ニューアークの町並みを見下ろす窓際の席に、レオ、アキラ、アデルの三人が腰掛ける形になった。
そしてまた、レオは沈黙を選ぶ。
「…………」
アデルはじりじりと、アキラはコバルトブルーの瞳を苛立ちに染めて、じっとレオの言葉を待つ。
レオは視線をニューアークの町並みに向けたまま、言った。
「アデル……俺は、遠回しなやり方は嫌いだ。おまえが何を隠していたかは知らん。興味もない。ただ、それはもう、手遅れだと言っておく……」
プレイヤーである彼にとって、それは既に過ぎ去った事なのだ。
ただ、胸の内に重苦しさを感じるだけだ。力が有りながら為すべきを為さず、在るがままに任せた自身を、少し疎ましく感じている。
アデルは、びくりと震えて、それから納得できないと言ったように首を振った。
「やってもみないで、何が分かるってんですか……」
「俺は神じゃない。万能じゃないんだ……」
「でも……」
アデルは言う。
「旦那は特別な方です。あたしらとは違うんです」
「あきらめろ」
為すべきことを為し得るが、それを欲せぬ己と、為すべきことを欲するが、それを為し得ぬアデル。皮肉なものだ。そんなことを考えながら、レオはニューアークの町並みに灯った街灯の数を数えている。
……優位に『ゲーム』を進める上で、プレイヤーとして、必要なことをしているつもりだ。
だが、レオの胸の内は重苦しい。
何がそうさせるのか。この世界に属せぬ彼が、この世界で生きる以上、大切なことだ。
「二度、チャンスをくれるって、言ったじゃないですか……」
「……何も変わりはしない。それはもう、終わったんだ」
終わる気配のない問答に、レオは首を振って見せる。
「じゃあ、旦那は、何もせず、諦めるって言うんですか……。あたしのためだなんて言いません、でもせめて、挑戦するくらい……」
エルフの美貌を苦悶に歪め、零れ落ちそうな程の涙を溜めるアデルの心境は、レオにはわからない。だが――
「――挑戦?」
その言葉を聞き咎め、レオは動きを止めた。なるほど、この一件には、それが足りなかったのだ。すっきりしないわけだ。
先の『サバントの殲滅戦』を除き、彼は、何事も決して満足したためしがない。負い目に感じられるのはそのためだ。
彼はゲームのキャラクターではない。この世界の人間でない彼が、この世界のルールに甘んじてどうするのか。その思惑が、レオを動かす。
「いいだろう。言ってみろ」
レオはテーブルの上で静かに指を組み、乾いた笑みを浮かべた。
◇ ◇ ◇ ◇
「それでは、レオンハルトさま。こちらへ……」
アデルが静かに席を立ち、その後にレオが続く。
「ボ、ホクは――!」
「一人でいい。気を遣わせて悪かったな」
焦ったように、何か言い募ろうとするアキラの肩に手を置き、レオは頷いて見せた。
このことも、考えなければならない問題だ。SDGのストーリーは、『アキラ・キサラギ』というキャラクターを選んだ。
現実世界でのゲームプレイ時に、SDGのストーリーが強制的に選んだパーティメンバーは、『イザベラ・フォン・バックハウス』のみだ。
イザベラは、SDGのメインヒロインだった。このセカンドプレイともいうべきストーリーで、次に選ばれたのは――
「アキラ。また、ゆっくり話をしよう」
「でも……!」
レオは首を振り、これ以上の問答を避ける。
そろそろ、アキラ・キサラギに対する態度をはっきりさせねばならない。それは取りも直さず、まだ『ゲーム』を続けるか、それとも、やめてしまうか、という判断に直結している。
高級宿場『アデライーデ』は二つの多目的用途のグレートホールを備え、一階部分にダイニングルーム、ラウンジ、三階~七階部分には計一五〇室の客室が存在する。
ダイニングルームと繋がっているキッチンには、シンク、加熱機器、収納庫、食器洗浄機等が設備されており、客室の一つ一つには個別に空調設備と電灯が設置されている。電化製品の全ては『アルタイル』の技術から製造されていて、エルとアルの話では、『アデライーデ』の設備は全てアルタイル製の旧式のものであり、安価で引き取ったものであるようだ。それらはレオにとって、その殆どが現実世界の何処かで見たことがあるものばかりだ。
出張先のホテルで、或いは、彼自身の住まいで。
この事実が何を示唆するのか。
(アルタイル……か)
一階部分にある従業員の私室が並ぶ廊下を抜け、奥まった一室がアデルの部屋であるようだった。
「ここです」
アデルが静かにドアを開く。部屋の中に漂う臭気に、レオは訝しげに眉根を寄せる。不意に――
『消えろ、エルフ。おまえは臭いんだ』
というニアの言葉を思い出す。
オレンジの薄暗い明かりが照らす部屋の中は、あまり様子が窺えないが、さらに強くなる臭気――腐敗臭に、レオはごくりと息を飲む。
先ずレオが部屋の中に入り、アデルが続く。
「最初は……ちょっと、おかしいかなって思う程度だったんですよ」
カチッ、とスイッチを入れる音がして、室内は目映く白い光りに包まれる。
「強い癇癪を起こしたり、奇声を発したり……まあ、甘やかして育てたもんで、そのせいかな、なんて思ったんです」
「……」
レオの目に飛び込んで来たのは、朱色の絨毯。客室と同じアンティーク風の家具。違うのは、壁面に備え付けられた暖炉と、その上に掛けてある一枚の油絵だ。
油絵のモチーフは、アデルと同じ栗色の髪に灰色の瞳を持つ少女だ。微笑んでいる。絵の片隅に何かサインがあるが、エルフ字だ。レオには読めないが『セシリア』だ。
「娘のセシルです。可愛いもんでしょ? ま、五年前のもんですけど」
「……」
嫌な予感がする。来てはならなかった。不吉な予感が隠せない。背筋に冷たい汗が滲むのを感じる。そもそも、
アデルの秘密を暴け!
このイベントは何なのだ。騎士としてのものか? 神官としてのものか? 両方か? レオが一番恐ろしいのは、そのどれでもない。
lost hero――『失われた英雄』としてのイベントだ。
既に失敗している。だとしたら、どのような結果を突き付けられるのだろう。
セシルの肖像画を、じっと見つめるレオの背後で、アデルは続ける。
「次は手足の痺れでした。寺院の坊主共にも見せたんですけどね、なんの効果も、ありゃしませんでした。
しばらくして、流涎の症状がはじまって……時折、癲癇の発作みたいに震えて……」
アデルが隠していた事実の正体。それを掴んだレオは、軽い目眩を感じた。
「なぜだ……なぜ、もっと早く……」
豪奢な赤いドレスを身に纏い、着飾っているアデルの心理など、エルフという種の『矜持』など、彼には分からないはずだ。だが――
これが、エルフ――。
レオの脳裏に、湧き立つような金髪をかきあげる青い瞳の女の笑顔が、一瞬、浮かんで消える。
レオは血が滲むほど拳を握り締め、怒鳴り声を上げた。
「エルフの薄っぺらい見栄と御託は、もういい! おまえの娘はどこだ! 絶対に許さんぞ! おまえには罰を与えるが、それは後だ! 娘は――セシルはどこだ! どこにいる!!」
「……」
アデルはレオの背後にあるドアの一つを指し、その場に泣き崩れた。
猛烈な怒りに肩を震わせ、ぎりぎりと歯を鳴らすレオは、駆け込むようにしてその一室を目指す。イベントの進行欄で霞んだようになって消えている、
アデルの秘密を暴け!
その横に failure(失敗) の文字が浮かんでいる。
胸の中の熱くたぎる『何か』が唸りを上げ、とぐろを巻く。それが喉元まで出かかり、つっかえている。そのもどかしさに、レオは唇を噛み締める。
答えはここにある。そんな気がして――レオは、その扉のノブに手を掛ける。
◇ ◇ ◇ ◇
開け放たれたままのドアから差し込む光が、寝台で低く唸り続ける少女――セシルを照らし出している。
ドアを抜け、『それ』を見たとき、レオは、かっと全身が灼熱した。
セシルは全身を包帯で巻かれ、生きながら腐り、未だ死を許されず、苦痛に満ちた呻き声を上げている。
(暑いな……)
全身が熔岩のように熱く燻るが、レオの意識は、はっきりしている。
(不思議だ……何も、聞こえない……)
レオは両腕の袖を捲り上げ、セシルに歩み寄ると、包帯越しに額に触れた。
NEME セシリア
SEX femare
HP 2/3
ST 2/3
MP 42/42
CONDITION ?poisoning
レオは軽い立ち眩みを感じた。
(最大HPが、3? 3だと!?)
『エルフ』という種族は基本的に虚弱だが、あり得ない数値だった。種族の初基特性値を大幅に割り込んでいる。ごく単純に考えて、セシルはとても死にやすい。
そしてまた――
?poisoning
レオは額を抑えたまま、二、三歩、後ずさった。
「黄金病です……」
背後から消え入りそうな声を出し、腫れぼったい目を擦りながら、やって来るアデルをレオは手を上げて制止する。
「静かに、騒ぐな。明かりも点けるな。それだけでショック死する危険がある」
ひぐっ、とアデルが息を飲む音が響いた。
(既にダメージを受けている。俺が、触ったから……?)
視界が揺れる。レオの脳裏に様々な思考が浮かんでは、消えて行く。
――手遅れ。
――やっても無駄。
――failure(失敗)。
レオは額に湧き出した汗を手のひらで拭い、首を振る。その表情には、驚きと、失意と、諦観の色が浮かんでいる。
アデルが笑った。
「旦那でも、そんな顔するんですね。びっくりしましたよ」
「……」
「いつも、自分勝手で、偉そうで、憎たらしくて……」
「いや、俺は……」
『ゲーム』をしただけだ。自分本位のプレイ内容が齎した結果がこれだ。
レオは苦しそうに喉を抑える。……手の施しようが、なかった。
「……だめですか」
アデルが泣き笑いの表情で、剣とアスクラピアの蛇が刺繍されたトーガを引っ張るが、レオは答えることができないでいる。
「ちくしょう……アスクラピアも、テオフラストも、アレクエイデスも、みんな……みんな、くたばりゃいいんだ……結局、何にもしてくれないんじゃないか……この娘を助けてくれないんじゃないか……!」
アデルが吐き出した呪詛の言葉に、レオの表情がくしゃりと歪む。突き付けられた結果に、彼の決して冷酷でもなければ、シニカルでもない心根が悲鳴を上げる。
大きく鼻を啜ってから、アデルは、ぴんと背筋を伸ばし、胸を張った。
「旦那……レオンハルトさま……この娘……セシルに、最後の祝福を与えてやっちゃもらえませんか……?」
「最後の、祝福……?」
胸の奥に、どろりとした液体を流し込まれたように感じ、レオは僅かに鼻白む。
『最後の祝福』――図書館で読んだ本にあった。『死の言葉』によるアスクラピアの最期の洗礼だ。つまり、
(俺に、この娘を、殺せ……?)
レオは、その言葉を口にしたアデルと、苦痛に唸るセシルとを交互に見比べる。
「これまでの非礼の数々、お許しください……」
アデルは初めて謝罪の言葉を口にして、その場に平伏した。
「お願いします、レオンハルトさま。セシルを……楽にしてやってください……」
レオは両肩を震わせ、唇を強く噛み締める、。
過ぎたものは帰らない。このSDGの鉄則だ。事の是非は置き、アデルの言うとおりにすることが人として、最大の慈悲なのだろう。
だが、胸に、たぎるものがある。堪え切れない何かがある。アデルは、セシルを殺せと言う。楽にしてやってくれと言う。これもまた親の愛なのだろう。レオには理解できない。できないが――
「――とある町。或る宿場――
青ざめた唇の女が立ち尽くす――
彼女の名は――死」
『ワード・オブ・デス』……死の言葉だ。数多い神官魔法の中で、唯一この『ワード・オブ・デス』だけが、その呪文の性質上、詠唱を破棄することができない。
呪文の詠唱の一節を口ずさみながら、レオは全身に熱くたぎる血の流れを聞いている。
そのとき――音もなく、ステータス画面が開いた。
セシルに最期の祈りを……(new)
(――!)
『レオンハルト・ベッカー』は『守る』タイプの主人公だ。そのように作ったのは他ならぬ彼だ。彼自身が『守る』タイプの主人公を好んだ。
どくん、と一際大きく心臓が鼓動が打ち、レオは、ぎりっと音が鳴るほど歯を食いしばった。
「……アキラを呼べ……」
「え……?」
アキラ・キサラギは、ニーダーサクソンの『エミーリア騎士団』に所属している。『ニーダーサクソン』は、こと『医療』に関する限り、このメルクーアに於いては先進国だ。この症状に関して、何らかの打開法、或いは緩和の方法を知っているかもしれない。
「レオンハルトさま、一体何を……」
跪いた姿勢で困惑した表情を見せるアデルに、レオは険しい表情で首を振って答える。
「アデル……今は、為すべきを為せ。これ以上、俺を失望させるな」
アデルは、一瞬呆然として、それから、きゅっと顎を引き息を飲む。
「では、レオンハルトさま……」
「……治す」
「は、はい……」
テオフラストが最初に作った命、『上級種族』エルフの見栄や意地は、今は置く。失われた英雄『レオンハルト・ベッカー』が治すと言ったのだ。だとすれば、万難を排してでも、きっとやり遂げるのだろう。アデルは、新たに流れる涙を拭うと、踵を返して部屋から出て行った。
そのアデルを一瞥し、レオはセシルに向き直ると、ぺろりと唇を嘗め、ぐっと拳を握り込んだ。
「はじめる」




