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S・D・G  作者: ピジョン
第2章 黄金病

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第11話 永眠りにつくまえに

 レオンハルト・ベッカーは高級スイートの自室で『黄金病』についての考察を進めている。

 ニューアークのマップを紙に写し取り、そこに幾つも赤い丸を書き込む。今日、一日の診察で黄金病の症状と思われる病状を呈していた者の住所だ。ニアの言うとおり、猫の獣人が多い。

 患者は海辺に集中しているようだ。猫獣人の集落も海辺にある。


「赤い川の河口の辺りだな……」


 ここに至るまでの道程で、状況を見抜くヒントは既に出揃っている。答えは既にそこにある。だが何かを失念している。

 レオは、ニューアークのマップを睨みつけ、身じろぎ一つせず、思考を深める。

 ……海。

 河口から海岸線の一帯に何かある。

 推測だが、これは恐らく間違いない。

 そんなことは、基本的な教育を受けている日本人なら大抵はわかる。

 だが、具体的なことはわからない。

 調査するつもりではいるが、その行為にどこまでの意味があるか。



 黄金病の病理を解明せよ。



 このイベントの解決には特殊な専門知識が必要だ。

 あいにく、彼は病理学者でもなければ、医者ですらない。

 このイベントは、彼の能力の限界を超えている。

 SDGのシステムは、『レオンハルト・ベッカー』に何を見せ、何をさせたいのか。それを知ることが奥深い意味でのイベント解決に繋がるのではないか。

 レオは首を振る。

 思考の焦点がずれている。 ……時間が欲しい。黄金病のことだけでなく、様々な事象に関して思考する時間が欲しい。



 賢きものは、口を噤み、そっと黙っていよ。

 内なる研鑽こそ、テオフラストが我らに遣わされた最も美しい徳の一つ。



 内省と熟慮を貴ぶアスクラピアの神官がはまり込み易い思惟の監牢。『アスクラピアの沈黙』の正体はこの教義による。


 彼が日常で沈黙を選びがちなのは、その教義故だが、今のところ本人は気付かずにいる。


(一人になりたい……ここじゃなく、もっと静かな……)


 そこまで考えた時、取り乱した様子のニアが部屋に飛び込んで来た。


「どうした。なにがあった?」

「レオ、レオ……うう~」

 レオは、短く息を吐き、思考を追い払う。


 その後、動揺甚だしいニアをベッドに寝かせ、頭を撫でてやる。最近のニアのお気に入りだ。寝息を立て始めたのを確認し、リビングに戻る。

 一人でやらせるのは早かったか。そんなことを考える。失敗してもよかったのだ。要は機会を持たせることと、見放さないことだ。何事も最初は上手く行かないものだ。本人のやる気が続く以上、これからも機会を与えるだけだ。

 その後、アキラからの呼び出しでラウンジに向かう。


 いつもはそれなりに賑わうアデライーデのラウンジは閑古鳥が鳴いている。

 『黄金病』は本当に伝染病なのか。それは至急解明せねばならない謎になりそうだ。いや、既に結構なことをやらかした。アデルに叩き出されても文句の付けようがない。


「やれやれ……」


 前途多難である。アキラの呼び出しの理由も、おそらくそれだろう。レオは深い溜め息を吐き出した。


 彼は酒の類いは多少嗜む程度だ。ソフトドリンクに近いアルコール度数の飲み物を注文した後は、景色のよい窓際の席に腰掛けてアキラを待つ。

 猫獣人のウェイターが一礼して去ろうとするのを呼び止める。


「今日、黄金病が出たことは知ってるか?」

「はい」

「俺が怖くないのか?」

「レオンハルト様は我々獣人の希望です。貴方に仕えているエルやアルに羨望を抱いても、恐れを抱くことなどございません。どうかお気になされぬよう」

「そうか。呼び止めてすまなかった」


 一瞬の沈黙があり、ウェイターと目が合った。


「やはり、貴方は……レオンハルト陛下……」


 呟くように発せられた言葉はレオの耳に届くことはなかった。

 メルクーアの騎士が獣人の風評を、ましてや形式とは言え、謝罪の言葉を述べるなどありえないことなのだが、それは彼の常識ではない。


 窓越しに夜景を見ているとアキラがやって来た。

 アキラが襟首の匂いを嗅いだり、袖を払ったりしながら身なりに気を使っている様子が、ガラス越しに見える。


「やあ、待たせたね」

「そうでもない」


 僅かに笑みながら、席を勧める。

 アキラは『後始末』の結果を簡潔に済ませた後、静かにグラスを傾けた。


「予想よりかなり多いな」


 レオはショップに卸したであろう霊薬の代金を受け取り、眉を寄せる。


「特別なことはしてないよ。店主は、キミをとても心配していたけどね」

「……」


 レオンハルト・ベッカーは基本的には静かな男だ。いたずら好きであるにしても。一つ頷いて、ニューアークの町並みに視線を向ける。


「キミは猫の獣人に人気があるみたいだね。見なよ、今はエルとアルがいないからね。キミの目に留まろうと必死だ」


 窓ガラスを見ると、確かに猫の獣人たちが男女の別に拘わらず、こちらを遠巻きに見守っている。


「ありがたいことだ」


 レオは言葉少なく言って、仄かに頬を染め、短く息を吐く。

 アキラはその横顔をじっと見つめ続けていた。



◇ ◇ ◇ ◇



 レオンハルト・ベッカーは静寂を好む。考え事をしている時は特に。先程から、幾らかの杯を重ねているが無駄に口を動かすことはしない。

 しかし、アキラはその静寂を持て余している。話したいことは山ほどあるが、静かに杯を重ねる彼を見ていると、この場で言葉を発することがとてつもない悪事のように思えて、つい口を噤んでしまう。

 レオは場の雰囲気には寛容な性格だ。場が盛り上がれば、それなりに口を利く。

 アキラは先程から、後背に控える猫の獣人に視線を飛ばして、何か動きを見せるよう促しているが、皆惚けたように動かない。見惚れているのだ。


(くそ、猫の誼みはどうした? ボクが困っているのに……!)


「話すことがないなら、もう帰らせてもらうが……」


 ほろ酔いといった様子で言ったレオの言葉に、アキラはぎくりとした。


(待ってたのか!)

「ニ、ニア!」


 慌てたアキラは、ついそんなことを言ってしまう。だが、レオは思い当たったようだ。


「ああ、君に後を任せてしまったようだな。代わりに礼を言っておく」


 ではな、と中座しようとして蹌踉めいたレオの腰を、素早く飛び出した猫のウェイターが支える。


「……すまない。しかし……おまえたち猫の獣人は優雅だな。時折、見惚れてしまう」


 エルもアルもそうだが、猫の獣人は総じてスマートな体格をしており、見目に優れる。

 このアデライーデにて、猫の獣人が多く雇われているのは、容姿に優れる彼ら猫の獣人と、やはり同じように容姿に優れるエルフとの種族間の相性の良さ故だが、この場でそれを知るのはレオだけだ。


「そ、そのような、お戯れを……」

 ウェイターは、かっと赤面してもごもごと口の中で呟いた。後方では口さがない猫のメイドたちが、ひそひそと囃し立てる。


「そんな……! 男なのに……」

「まさか、そっちもいけるなんて……」

 レオは苦笑しながら、首を振る。


「駄目だな、これは。男女の見境が着くうちに退散するとしよう……」


 アキラは蒼白になった。


「待って!」

「なんだ?」


 ほんのりと頬を赤くするレオは案外、酔いが回っているようだ。元々少ない酒量を増やして、アキラの口が開くのを待っていたのだろう。それは尚更、アキラを焦らせた。


「キミは、そのう……ええっと……犬と猫と、どっちが好きなの?」

(なに馬鹿言ってんだ、ボク……)


 アキラは泣きたくなってきた。


「……犬の獣人は従順で大人しく、とても穏やか。猫の獣人は敏捷で優雅。どちらも見る者を和ませる。俺ごときが、どちらか一方に優劣をつけるなど……まして好き嫌いで語るなど……それでも言うとするならば……獣人は須らく、愛すべき存在ではあるな……」


 レオは、ひっくと肩を震わせる。


「これはいよいよ……逃げ出すとしよう……」


 ととっ、と酔いどれ足で逃げ出すレオに、わっと猫の獣人が群がる。


「陛下……!」

「王さま!」


 我勝ちに、と獣人たちに支えられ、レオは上機嫌に笑った。


「俺が王? ここに居るのはただの酔っ払いだよ」

「――本当に、ただの酔っ払いなら良かったんですけどねぇ」


 背後から声を掛けて来たのは、『アデライーデ』の女支配人アデルだ。


「アデル……」


 レオは振り向いて、アデルのいで立ちに眉を顰める。

 真紅のドレスを身に纏い、高価そうな装飾品に身を飾る彼女に受けたレオの印象は、『気高い』。或いは『孤高』。

その格好にどのような意思表示があるかは分からなかったが。


「少し、お時間を宜しいでしょうか。レオンハルト様」


 レオンハルト・ベッカーの長い夜は、ここから始まる。



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