幕間 偽りのヒロイン
高級宿場アデライーデの二階にある多目的用途のグレートホールからレオが去り、不機嫌丸出しのアキラと、上機嫌のニアが残された。
「おい、クソ犬。これからどうするつもりなんだ?」
「ニアは賢いからな。これから掃除をする。箒でゴミを掃くんだ」
険のある口調で言うアキラに、ニアは、つんと形の良い胸を張って見せる。
「おまえ、ホンとにバカだな。そんなことは使用人にやらせればいいんだよ。もっと他にやらなきゃいけないことがあるだろ?」
「なに?」
首を傾げるニアに、アキラはもう爆発しそうだ。
(なんでレオは、こんなバカを当てにするんだ?)
「このままじゃ赤字だろ? レオの作った薬をショップに卸さなきゃいけない。ああ、その前に怪我人にも薬を出さないとな。それからここで起こったトラブルをアデルに説明しなきゃならない。場合によっては補償しなきゃならないかもな。レオはそういうことを言ったんだ。わかってんのか?」
「レ、レオはそんなことは言ってなくて……」
「なんだ、おまえ賢いんじゃなかったのか? レオのせいにするのか?」
うろたえるニアに、アキラは詰め寄る。
「エルとアルはどうするんだ? レオは気にかけろって言ったよな? あのままにしておくのか?」
アキラは今もまだ、ぐったりとした様子の姉妹を指す。
「う、部屋に連れて行く……」
絶対におかしい。納得できないアキラはさらに詰め寄る。
「あのな、これは結構重要な問題だ。レオはさ、適当だし、無茶するし、時々は短気を起こしもするけど、やらかしたことの後始末を蔑ろにしたことはない。それは自分の足元を掘り崩すようなもんだからな。レオは、バカじゃないんだ」
だが今回はそれをやった。アキラが腹を立てるのはそこだ。同時に、とてつもない不安を感じる。
ニアが期待に応えることはないだろう。だが、それを承知でやっているのだとすれば? これはとても恐ろしいことだ。新たに抱えた『黄金病』という問題が、大事を瑣事にしてしまうほど大きな問題であるということだ。
レオンハルト・ベッカーは強いサポートを必要としているのではないか?
アキラは不意に黙り込み、考え込む。
「…………」
「で、でもレオは前より優しくて、ニアを大事にしてくれる。だから、だから……」
ニアの言い訳にすらならない言葉が雑音となって、アキラの思考を停止させる。頭三、四つ高いニアを睨みつけ、言う。
「……幾つか教えてもらいたいことがある。いいか?」
徐々に勢いをなくし、不安に尻尾を丸くしていたニアの表情が緊張する。
「……なんだ?」
「最近、レオは死んだか? ボクを覚えてないように思う時がある」
最も強い違和感を感じたのは初対面の時だ。思わず、確かめたくなってしまうほどに。
「ニアが守ってる。レオは死なない。死んでない」
「……ボクが何も知らないと思ってるのか? 逆に守られたろう、おまえは」
「違う! あれは、あれは……!」
関所での一件だ。アキラには独自の情報網がある。そこから彼女が導いた結論は、
「レオには広範囲に渡って記憶の欠落がある。八年もロストしていたものな、無理もない。……ああ、だからか。おまえを側に置いているのは。それなら納得行く」
「違う違う! あれはニアのせいじゃない! レオを傷つける気はなかった!」
アキラは忌々しげに鼻を鳴らした。
「それだけじゃない。おまえ、『アイツ』のことを、ちゃんとレオに言ったか?」
「それは……それは……」
「あれはメルクーアの何処かにいるぞ。黙っていても、そのうちレオに見つかる。『アイツ』がおまえの仕業だと知ったら、レオはどんな顔をするんだろうな……」
「うぁっ、でもあれは、あれ以来見かけなくて……だから……だから……」
「黙っていれば、レオにはわからない、か?」
困惑、後悔、絶望、歪んだニアの表情にはそれらが見て取れる。
アキラは残酷な気分になって来た。
「クソ犬、安心しろよ。今はまだ、おまえを壊さない。少しづつ壊してやる。最後は、もっとも恐ろしい方法で、そして……」
後には何も残さない。
かくして『路地裏の少女』は舞台に上がる。舞台袖でハンカチを噛むのは彼女の性格には似合わない。
逃げるなら捕まえる。認めぬなら、認めさせるまでだ。
アキラ・キサラギは、己こそが正しいヒロインであると知っている。




