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S・D・G  作者: ピジョン
第2章 黄金病

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第8話 メッセージ

 レオは、ぎりぎりと歯を食いしばり、脅えるアデルの方を睨み付けていたが、不意に、打たれたようにびくりと震え、力なく椅子に腰掛けた。


 重苦しい沈黙があった。


「街を歩くとな……」


 レオは、ぽつりと呟いた。


「ガキが擦り寄って来るんだ。レオさま、レオさまーって……」

「……」


 この瞬間、アキラは理解した。どういう経緯かはわからないが、レオンハルト・ベッカーという男は傷ついた。とても深く傷ついたのだ。


「これがまた、きったねえガキだ。パンを恵んでやるとよ、ありがとーって、目ぇキラキラさせんだ。馬鹿じゃねえのか」


 ゲームのパンだ。彼はなんとも思わない。


「猫の女がさ、お慈悲をって、乳飲み子抱えて縋り付くんだ。これもまた、きったねえ。けちって銀貨を渡すとさ、これで一カ月生きられるって、泣いて喜ぶんだ。ハッ! 脳みそ沸いてんじゃねえか?」


 ゲームの金だ。プレイヤーはそれに価値を見いださない。


「俺がミスするとよ……弱い奴から死んじまう。だから、俺はミスできねえ」


 それはやっぱり、ゲームだから。


「俺は、でかい力を持ってる。へばりつくガキの一匹、二匹笑わせて、何が悪い。流れる涙の一つや二つ、拭ってやって何が悪い」


 レオンハルト・ベッカーはこのゲームの『主人公』だ。この『世界』をより良く導く義務がある。だが、そんなことより彼の胸を震わせるのは、彼が本当に困るのは、


「あいつらの流れる涙や、溢れる笑顔は、本物なんだ」


 それはやっぱり、ゲームだから。プレイヤーの心を揺らすようにできている。

 幾千、幾万の笑顔と涙によって、レオンハルト・ベッカーという名の『主人公』の存在が彩られている。


「俺は……あいつらのために、全能になってやりたい……」


 だからこそ、レオンハルト・ベッカーは独りで戦わねばならない。だれもが諦めるどうしようもない瞬間に、独りで立ち向かわねばならない。


「でも、うまく行かなくて……」


 サディスティックシステムはプレイヤーを痛めつける。現実は、人を傷つける。なればこそ、現実は尊い。命は尊い。それが、このSDGが全プレイヤーに送るメッセージ。


 この日、一つの可能性が死んだ。


 開かれたままになっているイベントの進行欄。


 アデルの秘密を暴け!


 暗く、霞んだようになって消えている。その横に、failure (失敗)の文字が浮かび上がっている。

 レオンハルト・ベッカーのステータス欄に、lost hero の文字が刻まれて既に幾らかの時間が経過している。

 その後、このニューアークにて発生したイベントは実に1083。

 その中で深刻、かつ優先順位の高いイベントから捌いたつもりである。『大魔法』しかり。『サバントの殲滅戦』しかり。

 だが、彼が取りこぼしたイベントは、既に一つや二つではない。以前の彼なら、無理だと言って笑い飛ばしたろう。

 しかし、現在。

 レオンハルト・ベッカーという名の彼の現実は、このメルクーアにある。

 SDGの世界に於いて、プレイヤーのミスは最も高い代価で支払われる。


 ――命。


 弱い者から消えて行く。

 無邪気な子供。乳飲み子を抱えた女。笑みを浮かべた順に消えて行く。


 レオンハルト・ベッカーは泣いていた。


 肩を震わせ、湧き上がる嗚咽に全身を震わせて泣いていた。


 アキラは、音もなく腰の脇差に手をかける。

 全能になりたいと言った彼の言葉は戯言だ。

 だが、この戯言を笑うやつは許さない。

 レオンハルト・ベッカーの流した涙を笑うやつは許さない。


「…………」


 周囲を見回すと、ある者は心打たれたように俯き、ある者は天を見上げ、溢れそうになる涙を堪えている。


「海沿いの宿……」


 ニアがぽつりと呟いた。

 アキラは笑った。はちきれそうになる怒りを押さえ付け、笑った。しかし、その胸には怒りより優先させねばならない感情があった。


「おい、これ以上、彼に恥をかかせるな。だれか、彼を静かな場所へ」


 言って、アキラは笑う。


(恥をかかせるな、ね……)


 レオンハルト・ベッカーの流した涙には、万金の価値がある。

 少なくとも、アキラはそう思うのだった。



◇ ◇ ◇ ◇



 猫の獣人の血を引くアキラは、無駄に広い空間を嫌う性質がある。そこに理屈は存在しない。ただ、落ち着かないのだ。本能のようなものだ。

 しかし、アキラはホテル『アデライーデ』にて、広めのスイートルームに逗留している。そこに、レオとニアの二人を通したのは、この状況を見越してのことではない。

 ……前者に関しては、そのうち通すつもりではあったが。


 レオンハルト・ベッカーが泣いている。子供のように、己の無力に泣いている。

 アキラがこれを放置しているのは、この問題に根深いものを感じたのが一つ。今は、少し吐き出させた方がよいという判断からだ。泣き濡れる彼も悪くない、と思ったのはそっと胸の奥にしまっておく。

 もう一つの理由は、蹲り膝を抱えるレオにまとわりつくニアのせいだ。


「な、レオ。ニアがついてる。もう泣きやもう、な?」


 頭を撫でたり、胸を押し付けたりと、とにかく気を引こうとニアは必死だ。

 それを冷たい視線で見守るアキラの心境は、


(むかつくな、こいつ……)


 アキラはニアの膝を軽く蹴った。


「もうやめろ。馬鹿のおまえじゃ、レオは慰められないんだからさ」

「ウウウ……」


 ニアは威嚇するように低い唸り声を上げた。

 アキラはそれに鼻を鳴らして一瞥すると、レオの髪に指を巻き付け、囁くように耳元で呟いた。


「追い詰められてるんだね。キミのデタラメな行動の理由は、それなの……?」

「……!」


 ぴくりと震えるレオ。それはこの場合、雄弁な肯定でもある。


「うん……いいんだよ、それで。泣きたいたときは、ボクが支えてあげる。キミは、ありのままのキミでいいんだ……」


 悩ましげに囁きかけるアキラの頬に笑みが浮かぶ。その肩に、ニアの爪が食い込んでいなければ、それは彼女の人生で最高の瞬間にすらなり得たかもしれない。


(ホンと、邪魔だな。この犬! こいつさえ居なきゃ、もうレオなんて食ってるのにさ)


 ――うん、殺す。


 アキラがニアに見えない角度で腰の短刀に手を回したのと、レオが顔を上げたのは同時だった。


「すまん……もう落ち着いた」


 レオは立ち上がると、ニアの頭をぐりぐりなで回した。続いて、アキラの頭に、ぽんと手を置いて……慌てて手を引っ込めた。

「?」


 きょとんとするアキラに、レオは言った。


「す、すまん。失礼した」

「いいんだよ、ちびだからね」

「そんなことはない!」


 レオは閊えながらも言い直す。


「君は、その、小柄だが、その、大人の女性だ。今のはとても失礼な行為だった」

「……」


 見えない角度からやって来た衝撃は、アキラのハートを打ち砕いた。


(大人の女性……ボクが? ……それは新しい常識かなんかだろうか……)


 レオのアキラに対する印象は、あくまでも『完成』している、というものだ。

 落ち着いた視線。颯爽とした物腰や、取り乱した自分に対する態度。一人称は、まあアレだが、それを除けば、彼女の態度は一人前の大人のものである。


「ありがとう、アキラ。少し、元気が出た……」


 改めて謝意を述べるレオの手は胸に添えられている。


「どういたしまして……」


 と、ぼんやり答えながら、これはやばいぞ、とアキラは考える。かつて、彼に大人の女性としての扱いを受けたことがあっただろうか。いや、無い。今すぐ、至急速やかに、この男――レオンハルト・ベッカーを……


(食いたくなって来た……)


 アキラは、唇をぺろりと嘗める。


「何を考えている。いやらしい……!」


 牙を剥くニアの言葉に、アキラは妖艶な眼差しで答えるのだった。



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