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S・D・G  作者: ピジョン
第2章 黄金病

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第6話 黄昏に

 レオンハルト・ベッカーがニューアークの北部にある港で戦端を開いて数時間後。


 アデライーデの高級スイートの一室では、怠惰の悪癖と物思いにふけるアキラ・キサラギが寝室で丸くなっている。


「アキラさん! アキラさん!」


 大声で呼ぶ猫の獣人の少女エルの声に、アキラは憂鬱な視線を上げる。


「なんだよ、もう……」


 レオと違い静寂を好むわけでもないアキラであるが、それは殊更喧噪を好むというのとは違う。そもそもこの日のアキラの機嫌は最悪に近いものがあった。ニアに叩かれて痛む脇腹を押さえ、渋々応対する。


「レオさまが! レオンハルトさまが!」


 切迫したエルの声色にアキラは表情を変える。


「何があった?」

「レオさまが、港でサバントの集団と戦っています!」

「なんだって!?」


 アキラは室に駆け戻ると愛刀『菊一文字』を引っつかみ、廊下に飛び出した。


「クソ犬は? もう行ってるのか?」

「……」


 アキラの問いかけに対し、エルは目を逸らし、無言だった。


「どういうこと……?」

「犬の従者さんには……言ってません」


 急な事態を先ず自分に伝えてくれたエルの心遣いは素直に嬉しいアキラではあるが、こればかりはそういう問題ではない。


「犬にも知らせるんだ! すぐに!」

「……」


 だが、エルは頑ななまでに強情に口を噤んでいる。


「もういい! ボクが行く!」


 アキラ・キサラギという女性は、往々にして手段を選ばぬ性格ではあるが、この時、懸かっているのはレオンハルト・ベッカーの命だ。万が一にも失ってしまってよいものではなかった。


 ニアは一階にあるフロントで見つかった。


 長椅子に腰掛け、所在なさ気に手をもじもじとしているニアの襟首を引っつかみ、アキラは怒声を張り上げた。


「この馬鹿、こんなとこで何をやってる! レオが港で戦ってる、行くぞ!」


 ニアは、少し虚ろな目付きでされるが侭にされている。その様子はこの上なくアキラを苛立たせた。だが、次の一言はアキラの想像のはるか上を行くものであった。


「……知ってる」


「なんだって? おまえ、知っててレオを一人で行かせたのか! 何故だ!?」


「レオが……来るな、来たら嫌う、捨てるって言った……」


 その言葉にアキラの怒りは忍耐を超えた。ニアの鼻面に頭突きを食らわせ、短刀を首筋に突き付けた。


「嫌われろよ。捨てられたらいいじゃないか。死なせるよりまだマシだろ……?」


(こんなやつに殴られてやるんじゃなかった……!)


 ニアは痛む鼻面を押さえながら、鼻声で言う。


「死なない。レオが勝つ……」


 獣人が持つ超能力『予知』の存在はアキラも知っている。だが、予知という能力はそんなに便利な能力ではない。未来は無限の可能性を秘めている。獣人の予知はその可能性の一つを覗いているに過ぎない。外れる場合もある。特に、ニアの超能力は完全なものでないことをアキラは知っている。

 獣人が完璧に超能力を制御するためには、超能力の養成施設に入る必要がある。ニアの場合、その施設での訓練をしていない。

 そのため、アキラの言葉は辛辣を極めた。


「おまえの出来損ないの超能力のことか? そんなもので知る未来に何の意味がある。今はいいかもしれない。でも、それがいつかレオを殺す」


 アキラが言っているのは『大魔法』の一件だ。自殺紛いの行為をやらかしたレオを誰も責めない。アキラの苛立ちは、全てこの一点に集約されている。

 猫のシンパシーとホビットの奇運がなければ、レオンハルト・ベッカーは死んでいただろう。蘇生に成功したとしても、待っているのは厳しいペナルティだ。記憶の損壊は、魂の損壊と同義である。アキラは身を持ってそれを知っている。この世界での蘇生は、死より厳しいのだ。忘れられる恐怖はアキラ以外の誰にもわからない。


「ボクはおまえとは違う。覚悟がある。今、嫌われても、それとは違う明日を掴んで見せる。……おまえは、ここで腐って行け」



◇ ◇ ◇ ◇



 ニューアークの北端にある港へ向かうアキラであるが、その胸中は怒りに溢れている。

 ニアはレオが勝つと予知した。

 苛立ちから言ったものの、犬の獣人の『予知』は信頼に値する。恐らくそうなのだろう。だからと言って、彼に一人で行かせてよいものか。


 レオンハルト・ベッカーは仲間の命を気遣うあまり、再々、自己の命を軽く取り扱うという極めてよくない悪癖がある。このケース、彼が勝てば、益々その悪癖を増長させることになるのではないだろうか。それはアキラにとって恐怖以外の何物でもない。


 ニアに打たれた脇腹が痛む。アキラは怒りのあまりおかしくなりそうだ。


 レオがサバントと戦端を開いてから、結構な時間が過ぎている。生きていても、死んでいても、それは決していい結果には結び着かない。そう信じる『路地裏の少女』は、ニューアークの町並みを一路、港へと向かう。

 夕暮れの町並みにはひどく騒がしい空気が流れている。


「おい……! 港が、すげえことになってるぞ」

「ありゃあ、どえらい。やっぱりあのお方は……」


 アキラの耳には先程から気になる言葉ばかり飛び込んで来る。


 港の入り口は大勢の人だかりで一杯だった。

 アキラは臍を噛む思いで人だかりを押しのけ、目の前に広がる光景に愕然となった。


「なんだよ、これ……。なんだよ、これ!」


 それはスクラップと化した機械兵サバントと、トルーパーの残骸の山だった。その異様な光景に、人々は後込みしたのか誰も近寄ろうとしない。ふらふらと進むアキラに誰も追従しようとしない。


 港の中には動くものは何一つなかった。人も、物も。


 このメルクーアに『ダークナイト』が持ち込んだ恐怖を知らぬ者はいない。百二十年もの永きに渡り戦乱の渦中にあった彼の正体を知る者は少ない。実際、対峙したアキラですら、あれは、人間ではないということしか知らずにいる。


 レオンハルト・ベッカーがダークナイトを打倒して既に十年近い年月が流れているが、持ち込まれた恐怖は、このニューアークに未だ存在している。それは万人の知る所だ。それが、すべて破壊されている。


 歩を進めるアキラの目に『悲しみの海』が見えてくる。


 その昔、堤防であったであろう大きな岩の固まりの、その先に見える古い桟橋に、レオンハルト・ベッカーはいた。


「あっ……」


 生きている。アキラは先ず、そのことに安堵する。

 レオは壊れたサバントの胴体部分に座り込み、くたびれた表情で茜色に輝く『悲しみの海』を見つめている。その周囲に数体のグラディエーターたちが膝を着き、指示を待つ光景は、物語の中の一枚の絵姿にも似ていて、アキラは胸が締め付けられる思いがした。


「レオ……」

「……少し、後にしてくれ。今、とてもいい気分なんだ」


 レオは、ただ『悲しみの海』を見つめ続けた。

 一人で先走った彼には、きつい罰を与えねば。そう思っていたアキラだが、レオの様子は何かが違う。うまく説明できない変化がある。それにアキラは大きな戸惑いを覚える。


「ねえ、キミは……レオンハルト・ベッカーだよね?」


 しばらくの沈黙を挟み、レオは言った。


「……どうやら俺は自由なようだ」


 その言葉の意味はアキラには分からなかった。

 レオは、ただ『悲しみの海』を見つめ続ける。

 その姿が遠い。まるで夢の中のように。



◇ ◇ ◇ ◇



 今のレオには近づき難い雰囲気があった。

 アキラは僅かに後ずさる。

 この日、レオンハルト・ベッカーに何かが根付いた。それは精神的な、とてつもなく大きな何かだ。アキラに解るのはそれだけだ。

 はっとして、辺りを見回すと周囲はギルドの冒険者たちに囲まれていた。皆、惚けたようにレオンハルト・ベッカーを見つめている。その中には、冒険者ギルドの長マティアス・アードラーの姿もある。

 遠く離れた岸壁の陰では、こちらを窺うニアの姿も見えた。

 アキラは駆け出した。


「ニア! ニア!」


 その場にへたり込むようにして、ニアは泣いている。


「あれは、レオに何があったんだ!」


 ニアは頷いた。


「レオは……時々、変身するんだ」

「変身? おまえ、いい加減にしろよ!」


 アキラには焦りがあった。得体の知れない焦りだ。恐らく、ニアになら答えることができるだろう。その思いから詰め寄る。


「ニアは、ばかだから、よくわからないけど、レオは時々、ああなるんだ……」

「なんなんだよ、よくわかんないよ!」

「最近のレオは……凄く辛そうで、苦しそうで……でも、ニアに何も言ってくれなくて……でもそれは、レオの問題で……そういうときは、見てるしかない」


 ニアは必死に言葉を探している。以前の彼女には答えることが、できなかっただろう。だが彼女は答える。答えてしまう。


「男の子は、成長するんだ……成長するときは、あっと言う間に成長してしまう。ニアは、それがとても嬉しい、でもとても悲しくて……また、レオが遠くなる……」


 アキラの唇が震える。理解してしまったのだ。


 ニアは、信じていたのだ。レオンハルト・ベッカーという男を。予知に頼ったのでなければ、闇雲に盲従したわけでもない。乗り越えるべき壁にぶつかったレオンハルト・ベッカーという男が、その壁を乗り越えることを信じたのだ。


 つまり、ニアは見守ったのだ。


 理解はできる。そのような形もあるのだと。アキラには逆立ちしても無理だ。彼女のやり方は、まったく正反対なものだ。ニアのように大人しいものではない。もっと凶暴で我が儘なそれが、いつもアキラを衝き動かす。


「見ろ……レオを。あれは、おまえがやったんだ」


 レオンハルト・ベッカーは成長した。アキラの見立てでは、悪い方へ。


 いずれ、レオンハルト・ベッカーは行ってしまう。その時もやはり、独りを選ぶだろう。アキラには確信に近い予感がある。


「ボクとおまえは、やっぱり合わないな」


 座り込み、ただ泣き暮れるニアを見下ろす。そうしている限り、ニアはアキラの敵足り得ない。


「あれはボクのものにしよう」


 桟橋に佇む、彼女の英雄を見つめる。


「ずっと前から、そうしたかったんだ。おまえはそこで泣いているといい」


 危険なら助ける。逃げるなら捕まえればいい。嫌うなら屈服させるだけだ。失わなければ、それでいいのだ。

 かつての『路地裏の少女』は、不敵に笑むのだった。


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