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S・D・G  作者: ピジョン
第2章 黄金病

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第1話 死とは

 レオンハルト・ベッカーによる『大魔法』の奇跡は、鳴り止まぬ歓喜と歓声の中、終結した。人々は口々に『失われた英雄』の名を讃え、尽きせぬアスクラピアの祝福に信仰の言葉を交わし合った。

 ホテル『アデライーデ』のバーでは、未だ覚めやらぬ歓喜の中、人々が酒を酌み交わし、互いの肩を叩き合い、乾杯の音頭を上げている。


「失われた……帰って来た英雄に!」

「テオフラストの叡知に!」


 給仕に忙しいエルとアルは、繰り返される乾杯の音頭を冷ややかに聞いている。


「みんな笑うのね……」

「悔しいよ、おねえちゃん。レオさま、命削ったのに……」


 冒険者ギルドの長、マティアス・アードラーの、この件に関しての述懐が、エルには忘れられそうにない。



『本物、か。可哀想に……』



 明かりの消えたスイートルームの一室では、ニアとアキラの二人が沈黙を守ったまま、レオの容体を見守っている。


 レオは眠り続けた。


 この昏睡はマジックドランカーによるものではない。事態は深刻でなおかつ危険でもあった。途中で停止させたとは言え、発動したエターナル・グレイス『尽きぬ祝福』がどの程度彼の生命力を奪うのか。二人には知る由もない。


「……いつ目を覚ますんだ?」


 沈黙を破ったのはニアだ。不安な表情で問いかける。


「身代わりになって杖は砕けていたからな。四、五日というとこだろ。後少し遅れれば、やばかっただろうけどね」


 アキラは腕組みしたまま、冷静に私見を述べた。


「レオは……死にたかったのか……?」

「おそらく」


 ニアは泣き崩れた。声もなく。ただ、ただ、泣き崩れた。


 アキラは腕組みのまま動かない。深く青いコバルトブルーの瞳は一心にレオンハルト・ベッカーだけを見つめている。



◇ ◇ ◇ ◇



 アキラ・キサラギがレオンハルト・ベッカーに出会ったのは、今から十一年ほど昔の話になる。

 当時のアキラは、オールドシティのスラムではそれなりに有名な盗賊の一人だった。

 生きるためには何でもやった。街で起こった大抵の悪事に彼女は関係していた。スリや強盗はもちろん、空き巣や誘拐、なんでもござれの悪童だった。

 その日、アキラはオールドシティの宿場で身なりのいい騎士を見かけることになる。女の犬型獣人を従者に連れた、白い胸当てをした黒髪の少年だ。

 どこのぼんぼんか知らないが、自分の縄張りに入ったのが運の尽きだ、と内心笑った。有り金全部スってやろうと思った。

 その二、三分後には彼女はふん捕まって、石畳みの床の上に叩き付けられることになった。

 捕まるなんて、最悪だ。この時はそう思った。


「……すごい特性値だ」


 このときのレオの言葉は、アキラにはよく意味が分からなかった。

 その後、とにかくレオはアキラを褒めちぎった。


「おまえには素質がある。こんなところで才能を食い潰すな。俺と一緒に来いよ」

「ふざけんな、クソ野郎。さっさと殺せよ」

「勿体無い。勿体無さ過ぎる。おまえをこのまま、ここに置くなんてのは、プレイヤーとしてはあり得ない話だ」


 レオンハルト・ベッカーはアキラ・キサラギという名の才能を惜しんだ。そこに付け込むようにして、アキラはレオのパーティに入ることになった。擬態ではあったが。


 その日の晩には、アキラは有り金を全部持って逃走した。


 アキラがまたしてもレオに捕まったのは、それから二日後のことだ。

 レオは、かんかんに怒って、割れるんじゃないかと思うくらい、アキラのお尻を引っぱたいた。アキラは、生まれて初めて泣きを入れた。

 生きて行く上で、プライドが必要だとは思ったことはなかった彼女だが、仲間の前で顔を潰されたことで仕事はやりづらくなった。

 やむを得ずレオンハルト・ベッカーに同行することにした。

 同行の条件として、アキラが出したのは金銭契約だ。

 毎月、給与として金貨一枚支払うこと。働きによっては支払いを増やすこと。宿泊費や装備費用もレオ持ち。こんな法外な条件はどこにもない。さすがのレオも諦めるだろうと思ったが、彼はこの条件を飲んだ。


 アキラ・キサラギにとって、オールドシティは、クズのはき溜めみたいなところだったが、それでもやはり故郷だった。故郷恋しさから当初のアキラは、それはもうレオに反発した。戦闘中、逃げ出すなんてのは日常茶飯事にやらかしたし、食事に一服盛るなんてことは平然とやった。

 そんなアキラの悪事はニアに全部見抜かれた。ニアとアキラは、このころから既に壊滅的に不仲だった。


 時を同じくして、レオンハルト・ベッカーは騎士として、メルクーアの表舞台に立ち始める。

 アルフリードとオンデュミオンの間で起こった戦争に、アルフリード側の傭兵として参加した彼は、オンデュミオンの将軍を一騎打ちで討ち取ったのだ。


 レオンハルト・ベッカーが参加した『戦争』は七回。名だたる宿将、名将が彼の剣によって、永遠にメルクーアから消えた。


 アキラは給与を貰う傍らで、レオの装備を売り払ったり、馬の尻尾に火を点けたりとやりたい放題だった。喧嘩でニアに殺意が見え隠れするようになったのはこの頃からだ。

 アルフリードでナイト号を得たレオは神官魔法を使い出した。聖書を読み、時には寺院の神官とも意見を交わす彼は、祈る時間が増えた。アキラにかまう時間が減った。彼女はそれが面白くなかった。

 坊主臭くなったレオは、説教臭くもなった。


「なあ、アキラ。そろそろ真面目にやらないか?」

「うるさい、死ねよ」


 それがアキラの答えだった。


 そして、レオンハルト・ベッカーは死んだ。アキラ・キサラギを庇って死んだ。


 だからなんなんだ? アキラはそう思った。ニアに血反吐を吐くまで叩きのめされたが、そんなことで真っすぐになるような根性じゃない。唾を吐きかけてやった。

 レオを蘇生させたのは、司教のルークだ。

 蘇生がうまく行く確立は、六割程度だ。アキラは後で知った話だが、レオは危なかった。実際、三度の蘇生に失敗し、回復したのは二日程経ってのことだった。


「キミはだれだ?」


 回復したレオの、アキラに対する第一声。

 蘇生には高いリスクとペナルティが付きまとう。レオは、アキラに関する記憶をなくしていた。だが、なぜか給与の約束だけは覚えていて、支払いに応じた。

 アキラが問いただすと、レオはこう答えた。


「繋がりなんだ。これで……誰かと繋がってる。キミじゃなかったのか?」


(……金か)

(ボクとの繋がりは、金か……)

(ボクを護って、ボクのために死んで、ボクに金を払う……)


 それからのアキラは、月末を恐れるようになった。給与の度に死にたくなった。いらないと言うと無理やり握らされた。レオは、それを自分が嫌われていると解釈した。給与はニアを通じて支払うよう計らった。

 ニアは月末になると、金貨を持ってアキラを殴りに行った。


「泥棒。おまえが盗んでるのは金だけじゃない」


 アキラはこの世界で、己が最悪のクズになったことを自覚した。


 その最悪のクズには最悪な望みがあった。


 それでも、レオといたい。


 そしてできれば、彼のために、死にたい。


 当時、パーティの中ではアキラは鼻つまみの嫌われものだった。当然だ。一切の仕事をせず、やりたい放題の我がまま放題。あげくの果てにパーティリーダーを死なせる。慈悲と慈愛の戒律を持つ司教のルークですら、アキラを嫌悪していた。


 パーティ内で白眼視されるアキラは、レオには意外だった。彼の蘇生後、心を入れ替えた彼女に以前とは違った印象を持つようになったためだ。ことある事にアキラに話しかけ、それはこの上なく彼女に鬱陶しがられた。


 アキラは考えた。


 この男は、どうしたら愛想を尽かすのだろう。死ぬ目に遭わせても、いや実際死なせても駄目だったのだ。恐らく……永遠に見捨てないだろう。


 不思議な感覚だった。好きなのか? と問われれば「好きだ」と答えることができたろう。けど、愛しているか? と問われれば首を傾げる。この時は未だ、アキラの気持ちはそんな不確かなものでしかなかった。


 真面目になったアキラは、めきめき腕を上げた。レオは過保護な親みたいに喜んで、アキラの給与を上げた。それは益々、アキラを苦しめた。

 アキラはもう、金は欲しくなかった。捨ててもよかったが、それは彼の気持ちを踏み躙ることになるような気がして、どうしてもできなかった。


 レオンハルト・ベッカーには、感謝の気持ちを金や物で示すよくない癖がある。それに神官騎士の戒律である『無私』と『無欲』が拍車を駆け、彼は益々金をぞんざいに扱うようになった。

 レオが言う。


「どうせゲームの金だろ? なくなりゃ稼げばいいんだよ」


 アキラには訳が分からない。少なくともレオにとって、金は不要な代物の一つだった。その不要な代物を、大量に自分に押し付けるのはやめてほしかった。

 時が経ち、冒険はますます過激に、危険になって行った。リーダーとして、レオは戦闘に、癒しにと忙しい。

 そんな中、自然な形でアキラの好意は、愛情と呼べる代物に育まれる。


 自然な成り行き。


 それがこの上なく、アキラの胸を震わせる。だが、同時にアキラは金を使った暴力でレオに傷つけられていた。自然とアキラの愛情は歪んだ形になった。


「いくら出す?」


 それがアキラの口癖だった。


 金貨を山のように積まれたところで、竜の巣までついて来るような冒険者は、そうはいない。レオンハルト・ベッカーがそれに気づく日はいつのことか。

 アキラ・キサラギは、その日を待つ。



◇ ◇ ◇ ◇



 メルクーア暦 6128年 9月


 『大魔法』の奇跡から三日。

 レオンハルト・ベッカーは眠っている。彼はひたすら眠り続けた。夜が明けるほど、一層深く眠り続けた。

 不意に、アキラは言った。


「ナナセって、だれだ……?」


 何人の来訪にも反応を示すことのなかったニアだが、この質問に関しては興味を持ったようだ。答える。


「……知らない」

「そいつは殺す。おまえより……イザベラよりも先にだ」


 ニアは疲労に淀んだ視線をレオから離さぬまま、言った。


「じゃあ、競争になる……」


 アキラは鼻を鳴らした後、小さく伸びをした。


「ボクは食事と入浴を済ませてくる。汚くしているとレオに嫌われるからな」

「――!」


 ニアは、はっとして着の身着のままの衣服の匂いを嗅ぎ、絶望し、それから忌ま忌ましげにアキラを睨み付けた。


「なんだ、不服なのか? じゃあ、レオはボクが見ててあげるからさ、先に行ってもいいよ?」

「……」


 ニアはあたふたと周囲を見回し、それから途方に暮れたような表情になった。


「……おまえは、レオが絡むと相変わらず優柔不断だね。けど、まあボクは、おまえをからかって遊ぶほどの余裕はないし、好きにするといいよ」


 アキラは寝室のドアに手をかけようとして、思い出したように振り返った。


「一人で入浴できる? 汚い野良犬は捨てられるよ?」

「いやらしい猫め……!」


 ニアはぎりぎりと歯を食いしばり、睨み殺さんばかりにねめつけた。


「じゃあね」


 アキラは言い残し、今度こそ寝室を出て行った。



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