エピローグ 失われた英雄
ニューアークの狭い路地を馬を飛ばして駆け抜けて行く。
騎乗する彼女は、遠い祖先に猫の獣人とホビットの血を引いており、体格には恵まれていないものの、バランスの良い肢体は、見る者全てにしなやかな流線美の印象を与える。
空が暗くなり、エメラルドグリーンのオーロラが見える。
治癒に関連する『大魔法』の発露の兆候だ。
ニーダーサクソンから、三カ月に及ぶ道程を早馬で駆け抜け、僅か1カ月半でやって来た彼女は、平時なら抑揚のない表情に、珍しく焦りの色を浮かべている。
(レオさまの……レオさまの命が消えていきます……!)
猫の獣人には特殊なシンパシーがある。同族の上げる悲鳴にも似た心の叫びに、アキラ・キサラギは唇を噛み締める。
ニューアークのほぼ中央にあるエデン広場を、速度を落とす事なく突き進んで行く。
アキラは勢いを落とすことなく、幾重にも敷かれた『召還兵』たちの厚い円陣に騎乗のまま飛び込んだ。
グラディエーターの繰り出す剣撃が、あっという間に彼女の愛馬を切り刻む。
その瞬間、アキラ・キサラギの体は九つにばらけた。一人一人が同じ意志と同じ判断能力を擁するそれらは彼女の『分身』だ。
『分身』はそれぞれの意志を持って、一つの終着点を目指す。彼女の身長ほどもある長刀『菊一文字』が一閃して道を切り開く。
稲妻のように進撃する『彼女たち』の行く手を遮る人影が一つ。
疾風のように飛び出した『一の従者』は鋼鉄製の棒を構え、九体の『分身』を前に僅かに戸惑う様子を見せた。
「グルルルルル……」
威嚇の唸りを上げる『一の従者』。
空からエメラルドグリーンの輝きが落ちてくる。『大魔法』による命の輝きが新たに彩りを与え、戦闘は加速する。
『一の従者』は、あっと言う間に二人の『分身』を叩き伏せ、圧倒的な力の差を見せつけた。
「ノロマ」
残った七体の『分身』は返事を返すことはなく、ニヤリと笑って背後を晒す。彼女の目的は戦闘ではない。
稲妻のように幾多に分かれ進撃する『分身』を追う『一の従者』は疾風のスピードで追撃を開始する。
雷神と風神とは競り合うように一つの終着を目指す。
周囲では民衆の間で驚きの声が広がっている。
覚めぬ者が覚め、立てぬ者が立ち上がる。
光を知らぬ者が世界の輝きを知り、音を聞かぬ者が祝福の歌を耳にする。
それでもエメラルドグリーンのオーロラは、尽きぬ加護を振り撒き続ける。
エターナル・グレイス。
術者の命を媒介に、尽きぬ祝福は加護の力を与え続ける。
『失われた英雄』は、降り注ぐ加護の中、エメラルド色の球体に包まれ、静かな眠りに就こうとしている。
力の差ではなく、目的の差が勝負の軍配を分けた。終着点に先んじたのはアキラ・キサラギだ。
アキラ・キサラギは臆する事なくエメラルドの球体に飛び込む。球体の中は過剰な加護によるエリクシールの嵐だ。異物である彼女を拒絶するかのように、その身を幾重にも切り刻んだ。激痛と共に吹き出した赤い血が、エメラルド色の球体を深紅に染め上げる。
それでもアキラは止まらない。その表情に笑みを浮かべながら。
指先が、レオンハルト・ベッカーに触れた。
「セーフ……!」
指先に感じる微弱な、だが確かな鼓動にアキラ・キサラギは狂喜する。
前進を止めず、アキラはエメラルドの球体を突き破った。
その両手にレオンハルト・ベッカーを抱き締めて。彼はもう、『失われた英雄』ではなかった。
「うがあああっ!」
雄叫びを上げるのは怒れる『一の従者』だ。鋼鉄製の棒を振り上げ、アキラに襲い掛かって来る。
刹那、アキラとニアの目が合った。共に英雄の元にありながら、袂を別った曾ての仲間。しかし、良くも悪くも、二人の間に友誼というものは存在しない。水と油。陰と陽。それが二人の関係だ。
アキラは不敵に笑って、眠り続けるレオンハルト・ベッカーと身体の位置を取り替える。
「う…」
レオンハルト・ベッカーが小さく呻く。その眼前で、棒がびたりと停止する。
「きさま!」
怒声を張り上げるニア。アキラは笑う。『一の従者』は彼女の敵足り得ない。
言った。
「おまえはもう、おしまいだ」
勿論、第2章に続きます。




