第26話 アキラ・キサラギ2
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メルクーア暦 6120年。
『竜の巣』――ドラゴンマウンテンの中腹で、レオンハルト・ベッカー率いるパーティ六名は、『皇竜』との決戦を控え、最後のキャンプを張った。
『空中戦』、『地上戦』過去二度の『皇竜』との戦いに於いて勝利を収めたパーティの面々は、疲労の色も濃いが、皆意気が上がっている。
ささやかな夕食を終え、きらめく星空の下、レオは、そっと胸に手を置き、言った。
「感謝を」
アスクラピアのいつものお祈りとは少し違う。パーティ全体に向けられた感謝の言葉に
アキラは口をへの字に曲げる。
髭の大男、重騎士のアレンが、がははと大声で笑った。
「いいってことよ! ここまで来りゃあ、勝ったも同然ってか!?」
「ああ、勝つさ」
レオンハルト・ベッカーも笑う。
秋の日差しのようにじんわりと優しく、悲しい笑顔だった。
司教のルークが窘めるように片方の眉を吊り上げる。
「レオ、油断大敵だよ? 君らしくもない……」
「わかってるよ、ルーク。でも、今のうちに言っておきたいんだ」
イザベラが不安を押さえ切れない様子で、レオの肩に手を掛ける。
「大丈夫だ、イザベラ。俺は負けない。そして……」
そして、どうなるのだ? レオンハルト・ベッカー。
お前は『皇竜』を下し、どうするのだ?
皆、何も言わないが、比類なき名声を手にするであろうパーティリーダーの去就は気掛かりなところだ。
「故郷に帰るよ」
「ニアもついて行く」
レオンハルト・ベッカーは答えない。
「そう言えば、三年も一緒に居るけど、キミの故郷の話を聞いたことはなかったね」
アキラ・キサラギは当時十六歳。小柄な体格のお陰で年より若く見られがちだが、その実力には皆、一目置いている。
その彼女の問いに、皆、はっとしたように顔を見合わせる。
「俺も知らねえなぁ……ニア、おまえさんは知ってるのか?」
アレンの言葉に頷きながら、ニアは足元の火に薪を投げ込む。
「ゲンジツ」
「聞いたこともねえや。レオ、そいつは何処にあるんだ?」
レオンハルト・ベッカーは、やはり秋の日差しのように優しく、悲しい笑顔で答える。
「ここじゃない、何処か」
「なんだそりゃ?」
またしても大口を開けて笑うアレンを他所に、イザベラだけは何かを知っているようだった。焦ったように、何か言おうとして失敗し、それを何度か繰り返した後、悔しそうに、結局は口を噤んだ。
あらゆる生命の存在を拒み、草木一本も見当たらぬ荒涼とした『竜の巣』の切り立った山肌に、冷たい風が吹き付ける。
「早く、帰りたい……」
ここじゃない、何処か。
レオンハルト・ベッカーのその呟きは、アキラ・キサラギ以外の誰の耳にも入ることはなく、風に飲まれて消えて行く。
◇ ◇ ◇ ◇
メルクーア暦 6128年。
エミーリア騎士団団長イザベラと別れ、単騎にて街道『真っすぐな道』を進むアキラは、眉間に深い皺を寄せている。
新しくアキラが手に入れた情報では、先日、レオがまたしても騒動を起こした。
ニューアークで行われた舞台劇『失われた英雄と暗黒騎士』の最中、突如取り乱したニアが原因で、大喧嘩になったようだ。
ニアが取り乱した事については、分かる話だ。アキラもあの演目が大嫌いだ。
喧嘩の際、レオが『召喚兵』を用いたことも、特に不自然な話ではない。彼が好んでよく用いる戦法だ。だが……
「もう、バカなんだから……。自分が何者だか知ってんのかな……」
現在、ニューアークでは『レオンハルト・ベッカー』が有名になりつつある。
例えば、到着早々、蹴散らした二〇体にも及ぶ機械兵サバント。
例えば、本人は遊び半分でやっただろう無償の治療行為。
例えば、劇中の『失われた英雄』と同じ戦法。同じ名前。
そして『ニア』を連れていること。
『失われた英雄』がその長きに渡る旅路に於いて、一人の獣人を最も長く、最も重用したのは余りにも有名な話だ。
「せめて偽名を使えよな……」
これでは自分の正体を吹聴して回っているようなものだ。
呆れる反面、アキラは不安を感じてしまう。
『レオンハルト・ベッカー』の立場は微妙過ぎる。
現在、和平が破棄され、冷戦状態であるニーダーサクソンとアルフリードの間には、衝突の気配が色濃く流れている。
その両国家間で騎士の叙勲を受けているのは『レオンハルト・ベッカー』だけだ。
イザベラが彼を求めるのは個人的な感情だけではないだろう。アルフリードが何らかの動きを見せるのも時間の問題だ。
そして厄介なことに、レオは幾つかの国家間で『指名戦争犯罪人』の指定を受けている。
アキラは、ぞっとした。
浄、不浄に関わらず、知らぬ者のない程の名声を持つ『レオンハルト・ベッカー』は、様々な火種を抱えた存在だ。
生きていて良かったと思う者がいる反面で、死ねばいいと願う者もいるだろう。
そのレオが、政治的に空白地帯であるニューアークに滞在している。これがどういう顛末に繋がるのか。
「これ以上、馬鹿なことをしないでいてくれるといいけど……」
呟いて、アキラは馬に鞭をいれる。
他者の思惑はどうでもよい。
『失われた英雄』は自分のものだ。イザベラにも、ニアにも、誰にも渡しはしない。まして、絶対に死なせなどしない。
一刻も早く、レオと合流する必要があった。




