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S・D・G  作者: ピジョン
第1章 失われた英雄

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第22話 メルクーアの神官

 エルとアルは、ニアが飛び出すようにして『アデライーデ』から出て行くのを見計らい、レオの居室に戻った。中途半端になってしまった清掃や食器の片付けをしなければならなかったし、なにより姉妹は、敬愛する英雄の側に侍りたかった。

 用心深い彼女らは、先ずは幼いリンを先行させ、こっそりとリビングの様子を窺う。

 リビングでは、レオがリンに何やら説いているようだった。


「世界を巡り、様々なものを見て回るのはいいことだ。世界の法則を知ることができる」


 姉妹にとって、レオンハルト・ベッカーは騎士であると同時に、神官でもある。説法を行っていてもなんの不思議はない。


「お姉ちゃん、あれ……」

「私たちも行きましょう」


 エルとアルは説法を続けるレオの前に、ちょんと正座する。

 レオは姉妹に気づくことなく、続ける。


「好きなように世界を見るといい。世界は昼と夜の二つ顔を持っている。世界が昼と夜の顔を必要とするように、俺たちもまた二つの顔を持っているのかもしれないな」


 エルとアルは強く頷いた。リンは瞬きを忘れたかのように話に聞き入っていた。


「生きていく上では、一つのことに執着してはならない。そんなことをすればおかしくなってしまう。色々な物事を雑然と頭に置くことだ。人はそれでいい」


 メルクーアの柱神であるテオフラストは偉大な哲学者だ。レオの言葉は、テオフラストの薫陶に篤いそれではないか? 特にエルの場合、信仰深い側面がある。感動して目元を潤ませ、ひたすら傾聴した。


「人の欠点を笑ってはいけない。賢き者は、欠点をあげつらうことではなく、美点を認めることによって利益を得るものだ」


 不意にレオは話を止める。目前で正座する姉妹に気づいたのだ。


「ああ、エルにアルか。恥ずかしいところを見られてしまったな」

「とんでもないです!」


 アルは恐縮して平伏しそうになったが、ぎりぎりで止まることに成功した。

 信仰の篤いエルは、レオに対しての敬意をますます深める。心酔して言った。


「レオンハルトさまは、やはり、とても信仰深くいてらっしゃるのですね」

「神ね……」


 レオは肩を竦める。


「神というものは、結局のところ信じる者次第じゃないか?」

「そうなのですか?」

「そうでなければ、神とかいうやつが度々笑い者になることはなかっただろう。おまえの敬意は素直に嬉しいが、己の信ずるところを見失ってはいけない」


 エルの耳と心に、レオの言葉は強く響いた。

 アルが膝の上に抱えているシーツを見やり、レオは続ける。


「おまえたちは働き者だな。よいことだ。うらやましい。今の自分を大切にしろよ」

「うらやましい? わたしたちがですか?」

「仕事の圧迫は心を豊かにする。その重荷から解放されると、心は自由になり、一段と遊ぶ。働かずのんびりとしている者はどのような美点をも疎ましく感じるものだ。そのような生活は死んでいるようなものだ。息をしているだけでは生きているとはいえない。おまえたちは、もっと自分に誇りを持つべきだ」



「猫と狼に説法とは……旦那も物好きですねえ」



 呟いたのはアデルだ。彼女の存在にレオは気づいていたが、エルとアルはまったく気づいていなかった。背後で正座して説法を聞くアデルに仰天して、姉妹は悲鳴に近い叫びを上げた。


「マ、マダム?」

「なんだい、素っ頓狂な声出して。あたしが畏まっちゃ、そんなにおかしいのかい?」

「そんなことありませんけど……」


 レオは眉を寄せて首を振った。


「アデル」

「はい、なんでしょ?」

「おまえはなぜ、獣人を悪し様に言う。獣人には獣人の優れた面があるだろう」

「そりゃまあ、そうですが……」


 アデルはやれやれ、と肩を竦める。そんな彼女の心境は、


(今度はあたしに説教かい。とんだとばっちりだよ!)


 というものだ。そもそも、彼女は神というものの存在を信じていない。このニューアークでは信仰など腹の足しにもなりはしないことを知っている。


「……」


 アデルは短く苛立ちの籠もった息を吐く。


「説教ですか。まあ、旦那のことは尊敬してますけどね。あいにくとあたしゃ、無神論者の罰当たりなんですよ。坊主の説教にゃ聞く耳ありま――」


 そこまで言ったアデルの背筋に冷たいものが伝う。


「…………」


 アデルの背後では、眉間に深い縦皺を刻んだニアが、きつく目を閉じ、胡座をかいた姿勢で話に耳を傾けている。


「……アデル。おまえとは一度話し合うべきだと思っていた。言いたいことがあるんだろう? この際、はっきり言ったらどうだ。存外、すっきりするかもしれない」

「あ、いや、そのう……」


 とアデルは歯切れが悪い。何せ、彼女の背後にいるのは地獄の猟犬だ。喉笛を食いちぎられる覚悟がない限り、本音を言うのは憚られる。


「ニアには何もさせない。約束しよう」


 レオは居住まいを正し、膝の上のリンを抱え直した。

 アデルは一度舌打ちし、やけくそで反撃する。


「くっ、こうなりゃヤケさ。あのですねえ、旦那。猫は臆病惰弱で一人じゃ何もできゃしない。犬っころはうすのろ間抜け。狼はアポステルの引きこもり。端にも棒にもかかりゃしない役立たずを軽蔑して何が悪いってんですか」

「……」


 いつになく厳しい表情のレオと視線がぶつかる。その迫力にアデルは、うっと口ごもる。

 レオは言った。


「他者の優れた点を認めないことは、野蛮であると言えないか?」

「ハッ、言うに事欠いて、エルフを野蛮呼ばわりですか。旦那は、よっぽど上等なんですね」


 レオは悲しそうに首を振った。


「自分を実際の価値以上に思い上がること、実際の価値以下に相手を蔑むことは共に大きな間違いだ」

「坊主の小難しい話はよく分かりませんがね」


 アデルは、すっと立ち上がるとその場を後にした。表情には諦観が漂っている。


(さすがに……これでおしまいかねえ……)


 なぜ、自分はレオンハルト・ベッカーに対して反発したのだろう。彼より『神官』らしい『神官』を知らないからか。彼より神に近い人物を知らないからか。


 そもそも彼は何者なのだ? 神官騎士とは言うものの、現在のメルクーアではその地位は厳しい戒律と共に形骸化され、神事や祭事にのみ、その役職を神官や騎士が負うことが多い。


 アデルがレオに抱く感情は複雑だった。



◇ ◇ ◇ ◇



 用件を済ませたエルとアルが幾分名残惜しげではあったものの、リンを伴って退室し、室内にはレオとニアの二人が残された。


 ニアは目をきつく閉じたまま、ずっと胡座をかいたまままの姿勢でぴくりともしない。眉間に刻まれた深い皺が、彼女の強い不満を物語っている。


「猫は嫌いなんだ」


 ニアは静かに言った。


「エルフも大嫌いだ」

「それを責めはしないよ」


 レオはニアの嗜好に関心はなかった。人は公平であるべきと思う彼であったが、それは強制させるものではなかったし、そもそも彼自身、公平ではあっても不偏不党ではない。

 ニアがうっすらと目を開く。


「レオ、八年だ。八年もニアは待ち続けた。もう絶対にレオから離れたくない。だから、出て行けなんて言わないでほしい」

「……ああ、悪かった」


 力なく答えるレオに、ニアは猫の有害な性質とエルフの傲慢さについて一頻り熱弁を奮った後、緩やかにではあるものの緊張を解いた。眉間の皺が消え、いつもの眠そうな垂れ目がちな表情に戻る。


「ニアは、レオだけなんだ……」


 掠れる声で悩ましげに呟くと、ニアはレオの足元に擦り寄る。


「レオンハルト・ベッカー、か……」


 人事のように呟いて、レオは窓の外に視線を送った。

 その日は快晴であったが、彼の心が晴れることはついになかった。



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