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S・D・G  作者: ピジョン
第1章 失われた英雄

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幕間


 ニューアーク一の宿泊設備を自負するホテル『アデライーデ』では、支配人のアデルが夜半過ぎになっても、未だ帰らぬ客をロビーで待ち続けている。

 レオンハルト・ベッカーが『アデライーデ』に逗留するようになり、一カ月余が過ぎようとしているが、これまでの間、このように帰りが遅くなることはなかった。


 彼女なりにではあるが、このレオンハルト・ベッカーという客のことは分析している。

 アデルが思うに、レオンハルト・ベッカーという人間を測るのであれば、その口ぶりより行動を見るべきであった。


 レオンハルト・ベッカーは口ぶりほど、行動は粗雑ではない。決めた予定はしっかり守る。この一月あまり、アデルの知る限りでは、ほぼ毎日のように決まった時間に外出し、同じ時間に帰宿した。

 この行動が知らしめるレオンハルト・ベッカーの本質は、几帳面でイレギュラーを嫌う神経質な男のそれだ。


 この人物評を聞けば、レオは感心すると同時に笑っただろう。几帳面でイレギュラーを嫌うのは、一つのミスが死を招くSDGをプレイする者としては当然のことだからだ。

 誤った人物評を元に、レオを待ち続けるアデルであるが、その胸中に去来するのは粘るような不安である。


(まさか……)


 夜も更け、日付が変わり、焦れたアデルは行動に移した。

 冒険者ギルドと連絡を取ることにしたのだ。

 冒険者ギルドはアデルを初めとするニューアークの商売人たちをスポンサーとして活動している。有力なスポンサーとして名を連ねるアデルの要請を無下にできるわけがない。

 幸い、レオンハルト・ベッカーはこのニューアークでは注目株だ。神官としても騎士としても注目を集める彼の行動を、冒険者ギルドの長マティアス・アードラーが見落とすはずがないのだ。


 使用人に命じて、即座に冒険者ギルドに連絡を取ると、レオの現状を探らせる。


 時を置かずしてマティアス・アードラーの元から訪れた使者の報告を受け、アデルは額に深い皺を寄せた。


 現在、レオンハルト・ベッカーは、ホテル『ブリギッド』に宿泊している。

 劇場で一暴れしたことについても使者は説明したが、アデルはそのことについては特に言及しなかった。

 彼が本物の『失われた英雄』であるなら、それくらいのことは平然とやって退けるだろう。偏見からレオを『失われた英雄』本人であると見做すアデルにとって、むしろ、それくらいのことはやって退けてもらわなくては困る。


 レオンハルト・ベッカーはホテル『ブリギッド』のラウンジで少し酒を飲んだ後、一番高い部屋を取って、そこをこの日の宿泊先に決めたようであった。

 一番の賓客が、商売敵の『ブリギッド』に宿を取る。アデルにとって耐え難い仕打ちであった。


「旦那……なんでですか。ラウンジも、備え付けのバーだって、うちのほうが上じゃないですか……」


 悔しそうに呟いたアデルであったが、はっとした表情になると、ギルドの使者に多少の金を握らせて一礼する。


「ご苦労さん。マティアスには、よろしく言っておいておくれ」

「はあ……」


 使者である若い剣士は、何か言いたそうに握らされた銅貨を数えている。聡いアデルは、さらに銀貨を握らせながら周囲に人影がないのを確認する。


「今なら独り言だねえ……」


 若い剣士は、うつむき加減にぼそぼそと喋りだす。


「先日、広場で見つかった焼死体は、行方不明中のアレクサンダー・ヤモの可能性が濃いです。暗殺みたいですね……」

「は? あの野蛮人、見ないと思ったら、地獄に行ったのかい。アレクエイデスも重い腰を上げたってことかね。それが何か?」

「ベッカーさんに疑いがかかってます」

「!」

「盗賊ギルドも知らないようですし、もちろんウチのギルドも知りません。ギルドに属さないで、それでいて、ヤモ将軍を殺れる野郎なんてのは、最近やって来たベッカーさんくらいしか想像つきません。ウチのおやっさんも、まず間違いないだろって言ってましたし……まあ、証拠は何もありゃしませんけど」

「…………」


 アデルは素早く頭を回転させる。ギルドの次の行動はなんだ?


「旦那をアルタイルに突き出すのかい……」


 若い剣士は首を振った。


「マダム、そんなに単純な問題じゃないんすよ」

「?」

「大体、あの旦那は何者なんです? 目ん玉にきっつい聖痕焼き付けて、サバントたちを蹴っ散らかして、ケルベロスまで引き連れて……」

「ケルベロス?」


 剣士は、はっきりとした嫌悪を浮かべた。


「あのワン公ですよ。あいつが地獄の猟犬です」

「えっ! あの犬っ娘、そんな物騒なやつだったのかい?」


 地獄の猟犬。

 二年前、エアレーザーの森からニューアーク間の街道『赤い道』に住み着いた犬の獣人のことだ。ギルドからも討伐隊が何度か派遣されたが、五体満足で帰って来た者はいない。そもそも『赤い道』はエアレーザーの森を終点としており、国家間の移動もなければ、物資の輸送路にもなっていない。ニューアークへの入り口もサバントが封鎖していたこともあり、『赤い道』は忘れられた街道となりつつあったのだが……。


「ギルドから何度か、旦那に接触しようと使者を出したんですが、あのワン公を見て、皆、回れ右ですよ」


 若い剣士は、疲れた笑みを浮かべる。


「そりゃ、また……ギルドも知らないとこで苦労してたんだねえ……」


 アデルは絶句する。若い剣士は、言い足りないようで不満たらたらで続ける。


「あの旦那も旦那で、おかしいですね。俺がこの前、話しかけたとき、まるっきり無視されましたから。ワン公もいない、千載一遇のチャンスだったのに……」

「ああ……分かるよ。旦那は、知らないやつとは口を利かないんだ」


 若い剣士の苦労話に、アデルは泣き出しそうになった。


「……まあ、俺の苦労話はどうでもいいです。今、ギルドマスターたちの意見は二つに割れてます」


 アデルは身を固くした。


「旦那を売るか、売らないか……」

「はあ? マダム、ちゃんと聞いてましたか? アルタイルのクソ共に、なんで旦那を売らないと駄目なんすか?」

「違うのかい?」

「違いますよ」


 剣士は、やれやれと言った感じて肩をすくめる。


「あの旦那は規格外なんすよ。売ろうとしたって、売れるもんじゃありません。アルタイルが何人差し向けるか知りませんけど、サバントが二十体もいて無理だったんですから、アルタイルだってそう簡単には捕まえられないでしょ。だとすりゃ……」


 アデルは、ぽんと手を打った。


「報復が怖い、と」


 剣士は強く頷く。


「なにせ神官騎士ですからね。味方にできりゃ百人力ですけど、敵に回せば容赦ない」

「それじゃ、ギルドは何を話し合ってんだい?」

「そりゃあ、旦那にどうやって恩を売るかですよ。知らんぷりするのがいいのか、積極的に庇い立てするのがいいのか」


 アデルは深いため息を吐き出した。


「こりゃまた……ギルドもえらくへりくだったもんだねえ」

「しょうがないです。ニューアークみたいな国家に属さない弱小な自治体にゃ、あの旦那は扱い兼ねます」

「ん……」


 確かにそうかも知れないとアデルは納得する。あのレオンハルト・ベッカーが『失われた英雄』であるならば、このニューアークに収まり切らない器であったところで何の不思議もない。

 そのアデルの思惑を裏打ちするように、若い剣士が言う。


「レオンハルト・ベッカー……『失われた英雄』と同じ名前……です」

「それがどうかしたのかい……?」


 アデルは用心深く言う。

 あの偉そうで憎たらしいレオンハルト・ベッカーが、本当に『失われた英雄』本人であるなら、その存在価値はいかばかりか。それはアデルの想像を超えている。


「いえ……同じなんですよ、劇と」

「劇?」

「召喚兵を使うやり口は、失われた英雄の『レオンハルト・ベッカー』と同じなんですよ」

「…………」


 アデルは押し黙った。

 『失われた英雄』がよく用いた戦闘法が『召喚兵』を含む集団戦だ。


 これはいよいよ本人の可能性が高い。


 剣士は難しい表情で首を振った。


「本人なんですかねぇ……」

「だとしたら……」


 アデルと剣士は息を飲む。異口同音に、言った。


「「竜になる」」


 嘘か真か。

 かの『皇竜』との決戦時、『失われた英雄』は白い竜になって戦った。

 あくまでも噂だ。

 あまりにも有名な噂であるとしても。

 信憑性はどこにもなく、失われた英雄の元の仲間たちも、そんなことを口にしたことは一度もない。

 剣士は吹き出した。


「ひどい嘘っぱちです。あの旦那にしても、他人の空似なんてことはよくあることですし……」

「だね。そればっかりは、あたしも信じられないね」


 笑い飛ばす若い剣士の表情はどこか堅い。振り切るように、別の話題を口にした。


「……あとマダム。言っておきますけど、あの猫の嬢ちゃんたちの態度、何とかなんないっすかね?」

「エルとアルのことかい……?」

「旦那のことで二、三質問したんすけど、何を聞いても、知らないの一点張りで話しになりゃしない。あの犬の子だって、旦那が拾って来たんでしょ? 名前だって言いやしない。こっちが強く出りゃ出たで、旦那に言い付けるって開き直る始末で……」

「ごめんよ……うちの者が悪いことしたねぇ」


 アデルの謝罪に対して、ギルドの使者である若い剣士は頷き掛けた。


「とにかく……しばらくニューアークは荒れそうです。マダムも身の振り方を考えたほうがいいと思います。俺の独り言はここまでで」


 ギルドからの使者が去り、アデルも自室に引き返した。どうやら今夜の待ち人は、帰りそうにない。そのことに深い失意を覚えながらの帰室である。


 娘のセシルの体調は日を追う事に悪化の一途を辿っている。


 以前、内耳炎の治療の際に紛れ込んでいたエルとアルの親戚の症状は、黄金病の症状に近い。

 不治の難病『黄金病』。

 恐らく、レオンハルト・ベッカーになら治療は可能だろう。


 アデルは、絶望的なくらいレオに嫌われている己の立場を理解している。忌避されているといってもいいだろう。

 アデルはこれからの展望にとてつもない不安を覚えた。

 セシルはどうなる? あの症状はなんなのだ? 見たこともなければ聞いたこともない。涎を垂れ流し、四肢を痙攣させるあの様子ではこの先、長くない。


 セシルの現状を周囲に知られるわけにはいかない。それは誇り高い彼女の望むところではない。だが……セシルは仮にも血を分けた娘だ。アデルが胸を痛めないわけなどない。その反面で、高すぎるエルフのプライドと板挟みになっているのも否定できない事実だ。


 エルフの矜持は命より重い。テオフラストが己の姿に似せて作った最初の命だ。メルクーアに存在するあらゆる種族の中で、最高の知性を誇り、最も美しい容姿を持っている。

 メルクーアの創成を綴る聖書にも、エルフは最もテオフラストに寵愛されたという記述がある。


 これからどうなるというのか。あの憎たらしい若造のレオンハルト・ベッカーはエルフの矜持など毛頭理解する気はないだろう。アデルの眼前で、これみよがしに犬や猫を可愛がっている。


 種の矜持と娘の命を天秤に掛ける自分を、レオンハルト・ベッカーは笑うだろうか。


 そんなことはない。アデルは自分に言い聞かせる。『失われた英雄』は、賢く見目麗しいエルフの娘を愛したではないか。だからきっと、なんとかなる。自分は自分らしくいればよいのだ。


(そうさ。旦那とは少し誤解があるだけさね)


 レオンハルト・ベッカーが『黄金病』との戦いに乗り出すまで、いましばらくの時間を必要とすることになる。


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