第18話 観劇1
頬を赤くしたニアが、抜けるように青いドレスを身に纏い、透明感のあるガラスの靴を履いて、二階へ続く階段の踊り場付近でレオンハルト・ベッカーを待っている。
レオンハルト・ベッカーは、騎士のマント、聖衣の上に赤いトーガを纏い、金の拍車の付いたブーツを履いて、騎士の正装にてニアの手を取ると、その甲に口づけした。
「行こうか」
「う、うん……」
ニアの声は僅かに震えている。
世界のすべてが今の自分を祝福しているように感じる。昨夜、レオが言ったのはこういうことだったのだ。鈍い彼女も嫌と言うほど理解した。そして、この上なく得意だった。世界中に吹聴して回りたくなるくらい、レオンハルト・ベッカーのことが得意だった。
「足元に気を付けて」
「うん……」
ニアは卒倒しそうだった。不安定なガラスの靴のせいでなければ、慣れないドレスのせいでもない。不確かな足取りを助けるため、手を取り、軽く腰に手を回すレオのせいだ。
一歩、一歩、階段を下りる。胸元まで開き、背筋まで大きな露出のあるドレスは、普段は見えないニアの鬣を丸見えにしている。最近はつやの戻った彼女の鬣は、赤茶ではなくワインレッドに輝いて見えた。
美しく着飾ったニアは、とんでもなく人目を引いた。
男女や種族の別なく視線を集めるニア。ホテルの利用客であるノームの行商人や好事家のエルフも、ニアの姿に息を飲む。
「だ、旦那、これは美しいお方をお連れで……」
驚愕して目を見開くアデルのお世辞をレオは空気みたいに華麗にスルーした。
フロントでは、嫉妬に燃える猫の姉妹に遭遇した。普段なら睨み付けてやるところだが、上機嫌のニアは笑みさえ浮かべて見せた。
エルのスカートの裾に隠れ、うっすらと涙を浮かべるリンの姿は、ニアの優越感をなおさら煽った。
「綺麗だ」
レオが何の臆面もなく耳元で囁き、優しく鬣を擽る。涙を浮かべるリンも、嫉妬に狂う猫の姉妹にも一顧だにしなかった。それが益々、ニアの気分を良くさせた。
(いいドレスだ。即死に強い耐性がある。ガラスの靴だと? レアアイテムじゃないか! 魔法耐性も抜群だ!)
使い所は限られるが悪くない品だ。不埒なレオは、そんなことを考えている。
レオにエスコートされ、馬車に乗り込んだニアは夢見心地だった。
「ニア……」
レオは馬車の中でニアに赤水晶の腕輪を嵌めた。ひたすら、きょとんとするニアに、
「プレゼントだ……」
と囁く。
「レオ……ニアは、ニアは、もう……」
限界が近かった。際限無くニアを甘やかすレオの思惑は、
(知恵の特性値にボーナスがある赤水晶の腕輪……どうなる?)
という不埒に過ぎるものだ。
夕暮れから開催される舞台劇『失われた英雄と暗黒騎士』は、この日、特別にエデン広場に設置された大天幕にて催される。
レオはニアに向けられる好奇の人目を避け、少し離れた席に陣取り、薄暗い天幕の中で、一際高い壇上にあるスポットライトの当たった舞台上を見つめた。
ややあって、劇団長の少し長めの口上が終わり、舞台劇『失われた英雄と暗黒騎士』が始まった。
ニアは高熱に侵されたようにぼんやりと、レオは薄い自嘲の笑みを浮かべ、それぞれ異なった思惑で観劇に興じる。
長身のエルフ演ずるレオンハルト・ベッカーが舞台の上で大声を張り上げ、物語はついに山場を迎えた。
「ダークナイト! メルクーアの平和のため、おまえを倒す!」
劇に夢中で、はっと息を飲むニアの横で、レオは笑いを堪えるのに必死だった。
(何が平和だ。この劇自体もレベルが低すぎる。学芸会じゃないんだから、もっとセリフに心を込めろよ……っていうか、なんでエルフ?)
醒めた視線で周囲を見回すと観客たちはニアと同じように固唾を呑んで、じっと成り行きを見守っている。どうやら人気の演目であるらしい。
「おのれ、ベッカー! いつもワシの邪魔ばかりしおって! 今日という今日こそ、貴様に引導を渡してくれるわ!」
赤い派手なマントを被った鉄仮面の大男が、エルフに負けじと大声を張り上げる。
「死ねい!」
鉄仮面の大男……ダークナイトが腰に手を回し、さっと銃を引き抜いた。
レオは一瞬、ぎくりとした。撃たれる! 強くそう思ったのだ。
舞台の上で、ぱーんと情けない破裂音がして、エルフ男が悲鳴を上げた。
(そうだ……俺は、ブラスター(電子破壊銃)を躱せなかった……)
そのとき、突如襲った激しい頭痛に、レオは表情を顰めた。何かを思い出しそうになったのだ。この頭痛は『赤い川』で感じたものと同じだ。
頭痛を堪え、必死に記憶を手繰るレオを他所に、舞台の上ではダークナイトとエルフ男の間に割り込んだエルフの女が、きりきりと回転してその場に倒れ込むところだった。
「イザベラっ!」
エルフ男が必死の形相でエルフ女を抱き起こす。
「馬鹿! なんで俺なんかを庇った!」
「っつ、しょうがないじゃない! あんたが好きなんだから!」
スポットライトがエルフの二人に集まり、ダークナイトはそっちのけで熱い抱擁を交わす二人。
周囲から漏れるため息に、レオも顔を上げる。
(アホか)
白けるレオの横でニアが、すっと立ち上がり、わなわなと肩を震わせ叫んだ。
「違う! レオを庇ったのは性悪女じゃない! ニアだ!」
その怒りの叫びと共に、天幕は騒然となった。
「汚いエルフめ! ここでもニアを侮辱するか!」
饒舌に怒鳴るニアに驚愕したレオだったが、一瞬後には我に返り、騒ぎに反応して駆けつけて来る警備兵たちに、小さく舌打ちした。
「ニア、止めろ。落ち着け!」
「嫌だ! 嫌だ嫌だ嫌だ!」
激高したニアは、わめき散らしながら椅子を舞台に向かって放り投げた。
(くそっ、まずい。この展開は……)
これが普通の世界ならつまみ出されるくらいで済んだかもしれないが、このニューアークでは勝手が違う。殺されても文句は言えない所業だ。
他の観客から離れた席に陣取ったのが仇となった。レオとニアは、あっと言う間に包囲されて逃げ場を無くしてしまった。
警備兵たちは手に手に剣や槍などの獲物を持ち、ニアを取り押さえようと包囲を狭めてくる。
レオの耳元で、キンッ! と軽い音がしてステータス画面が開く。バトルステータスの解放だ。戦闘開始を意味している。
「バカ犬が。粗相しやがって!」
「着飾っても、所詮、犬は犬か!」
警備兵たちが口々に罵りの声を上げる。レオは内心悲鳴を上げた。
(やばい、武器が……!)
またしてもグリムしか持っていない。ブロードソードは観劇には無粋と置いてきたのが裏目に出てしまったのだ。
魔剣グリムは、魔力さえ解放しなければ、害のない優秀なサブウェポンである。彼がこのグリムを手放さない理由はそれだけではないが、多対一のこの状況では使用に向かない武器であることに間違いない。解放のリスクが大きすぎるのだ。
(やだよ、あれ、痛いから!)
冷たい汗を流すレオに、ニアは言った。
「下がって。ニアがやるからレオは見ててほしい」
冷静に言うニアに違和感を覚えながら、レオは首を振る。
「駄目だ。撤退する。こんなことで、殺しは許さん」
「でも!」
「やかましいっ! 喧嘩するためにドレスを買ったんじゃない!」
一喝され、ニアは、はっとして己の格好を見やった。見る見る内に表情が歪み、眦に涙が溜まる。
「どうしよう……」
「ばか……」
呆れたように首を振るレオであったが、その口元には不敵な笑みを浮かべている。
(まあ、実戦テストには丁度いいか)
レオは警備兵たちを制止するように、手を翳した。
「召喚……」
SDGには三種類の召喚魔法が存在する。『黒錬金』によるゴーレム召喚。『魔術』によるデビルの召喚。『神術』による聖戦士の召喚である。このとき、レオが行ったのは『神術』によるセイント(聖闘士)の召喚だ。
召喚魔法には一~六の召喚レベルが存在し、レベルが上がるほど消費魔力は大きく、強力な『兵士』を数多く召喚することができる。
(パワーレベル1。さあて、何体召喚できる……?)
召喚魔法による『兵士』の召喚数は、五体~十三体の間で、完全にランダムに召喚される。この時、レオが召喚に成功したセイントの召喚数は七体だった。
突如、警備兵たちの眼前に出現した魔法陣から飛び出した七体のセイントたちに、警備兵は勿論、周囲の観客たちもどよめきの声を上げる。
「行けっ、セイントたち! 足止めしろ! 決して殺すなよ!」
警備兵の前に立ち塞がるようにして、展開するセイントたちは手に手に金属製の棒を持ち、革鎧を装備している。パワーレベル1なだけに、武装は貧弱だ。
バトルステータスにセイントたちの表示が出る。
セイント レベル7×七体
「十分」
レオは、にやっと笑うとニアを庇うようにしてセイントたちの後方へと引き下がった。
「ニア、ずらかるぞ」
素早く耳打ちすると、
「ひゃあ!」
と悲鳴を上げるニアを抱えて、レオは一目散に天幕の出口に向かって駆け出した。