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S・D・G  作者: ピジョン
第1章 失われた英雄
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第15話 還ってきた英雄


 レオンハルト・ベッカーとニアの逗留するホテルの高級スイートの一室で、エルはこの日何度目になるか分からない溜め息を盛大に吐き出した。

 昼下がりであるこの時間に、エルが洗濯物を取り込んでいるのは、ちょっとしたわけがある。

 銀色の鬣を持つウェアウルフの少女が、レオの衣服を頑として離さなかったせいだ。一時、興奮したリンとアルとの間で綱引き状態になり、危うく衣服を破いてしまうところだった。

 呆れると同時に、僅かな羨望を覚える光景だった。リンを見ていると、エルは、


(子供はいいなあ……)


 とそう思わずにいられない。

 昨夜の一件を経て、レオの態度は柔和なものになった。無論、レオがエルとアルの二人に、乱暴な態度であったことなどない。だが、いつも引かれていた強固な一線は今朝になって取り除かれたように思われる。

 リンの世話に関する限り、レオは姉妹にその殆どを委任するようになったためだ。


 ニアがブレスレットに目を留め、アルの腕を掴んだときは正直、肝を冷やした。レオが説明すると大人しく引き下がったが、口元を僅かに引きつらせ牙をちらつかせるその様子は姉妹を戦慄させるのに充分な光景だった。


 リンの昼食を運んできたのはアデルだった。将を射るには、まず馬から。リンを手なずけることで、レオとの距離を縮めようというわけだ。

 アデルが用意したのは骨の付いた大きな肉の塊である。それはまさしく、犬のエサであった。レオが出払っていたのは、正に天啓としかいいようがない。


 リンは床に置かれた生肉に尻尾を振って飛びついたが、それを見たエルとアルは顔色を変えた。


「上等な肉だよ、たんと食いな!」


 腰に手を置いて言い放つアデルであったが、聡い彼女は青ざめる姉妹の様子に、状況を察したようであった。ばつが悪そうに眉を寄せると、


「あたしゃ、またやっちまったみたいだねぇ……」


 と肩を落とした。

 アデルには獣人蔑視の強い嫌いがある。その嫌いは特に犬の獣人に対して向けられている。レオはアデルのその性質を見抜いているに違いなかった。態度がいささかも軟化しないのが証拠だ。


「マダム、子犬さんが嫌いなんですか?」

「そんなんじゃないけどさ。狼も犬だろ?」


 ぬけぬけと言い放つアデルに、エルはこの上なく不吉な予感を隠せなかった。



◇ ◇ ◇ ◇



 その晩、レオはエルとアルを通じてアデルを呼び付けた。話の内容はリンの件だ。


 レオの要求はただ一つ。面倒を持ち込むな、というものだ。


 事象の説明をすべて省いた彼の行動は、金貨をアデルに押し付け、他言無用の一言だけだった。

 その後、アデルの目の前で、リンの目立つ鬣を黒に染めるよう指示を出す。レオは一切アデルと視線を合わせようとしなかった。この時、珍しいことにニアはいなかった。


 リンはレオの首にしがみつき、鼻面を押し付けて匂いを嗅ぐのに必死なようだ。そのお気楽な光景とニアの不在に、アデルはうっかり口を滑らせた。


「いくら犬っころと言っても、そんだけ懐きゃ、可愛らしいもんですねぇ」

「…………」


 レオは無言だった。この場合の沈黙が岩より重いことに、アデルは間を置かず気づいたが、それは永遠に手遅れであった。


「呼び立ててすまなかったな。もう、行っていいぞ」


 一瞥するレオの瞳には、どのような感情も認められなかった。怒りもなければ、嫌悪すらない。路傍の石を見る冷たさだけがあった。


 エルとアルは俯いて視線を合わせず、ひたすら沈黙を守った。アデルにどのような思惑があったのか、それは姉妹の預かり知らぬところだ。ただ、これだけは分かった。レオンハルト・ベッカーは、これから先アデルに対し、どのような好意の表現もしないということだ。


「…………」


 目前で閉ざされたドアを見つめ、アデルは小さく肩を震わせながら、彼女にしてはとても珍しいことに目元を赤くしていた。


「やっちまったよ……」


 かける言葉が見当たらず、姉妹は、そっと女主の肩に手を掛ける。

 アデルは姉妹にとって悪い主ではない。食い詰め、行き場のない姉妹の面倒を見たのは彼女だった。そこには若干の蔑みも含まれていたものの、奴隷として売り払われていった者たちのことを思えば、随分と恵まれた環境であると思われたからだ。


「ねえ、おまえたち……旦那に、よろしく言っておいておくれ……」


 力なく呟く哀れな主人に一礼して、姉妹はレオの後を追った。


 広いリビングでは、レオが外套を脱ごうとしているところだった。姉妹は駆け寄るとその手伝いをする。


「すまんな、二人とも」


 レオは言って、くしゃりとリンの頭を撫でる。その後、持っていた紙袋の中から、饅頭や串焼き、お菓子や果物など昼間買い漁った軽食の類いをテーブルに並べる。


「あっ、わたしたちがやります」


 アルの言葉を遮り、レオは姉妹に席を勧める。


「おまえたちも食べるだろ?」

「は?」


 姉妹はお互いを見合わせる。

 このようなことは度々あった。しかし、今回の行動は姉妹の想像を遥かに超えていた。

 レオは姉妹を強引に座らせると、自ら紅茶をいれ、あまつさえ果物を剥いて、それを振る舞った。この行為は、メルクーアの騎士の常識からは、かなり外れている。

 彼は実に器用にオレンジの皮を剥いた。姉妹には分かる。その手つきは、ただ刃物の扱いが得意な者のそれではない。きちんとした修練を積んだ者の技術だ。


「あの、これは……?」


 卓上に広がるのは、どれも安上がりで、このニューアークでは庶民の味として親しまれているものばかりだ。


「結構いけるんだよ。おまえたちの分も買ってきたんだ」

「はあ……」


 事態の飲み込めない姉妹をよそに、レオは串焼きの肉を串から外し、リンの小さな口でも食べ易いように取り分けはじめた。その行為も姉妹を驚愕させた。


「あのう……レオさまは?」

「もちろん、俺も食う」


 レオは自然だった。そこにはなんの陰日向もない。姉妹の聞いたことのないメロディを口ずさみながら、果物も食べ易いように小さく切り分けて行く。

 その様子を小さなリンが目を輝かせて見つめていた。


「…………」


 なんてことのない日常風景。それは姉妹に与えられなかったものだ。


「なんだ、おまえたち。食べないのか?」


 レオは行儀悪く、ひょいっとアルの皿から饅頭を一つ摘まみとる。


「ああっ!」


 アルはこの世の終わりを告げられたかのような悲鳴を上げた。


「うわっ、冗談だよ。冗談。今、すごい顔だったぞ?」

「もうっ! レオさま、ひどいです!」


 レオはしばらく笑っていたが、不意に真剣な表情で姉妹に向き直る。


「なあ、二人に聞きたいことがあるんだが、いいか?」

「はい、わたしたちでよければ」


 その返事に、レオは一つ頷く。


「まず……この果物なんだが、名はなんというんだ?」


 言いながら、切り分けた果実をリンの口に運ぶ。


「うい……」


 口を尖らせて、リンは酸っぱそうな顔だ。妙な声を上げた。


「はい? グレープフルーツですが」

「ふむ……では、これは?」

「それはキウイ。あっちのは苺ですけど……」

「……やはりそうか」


 レオは感慨深そうに頷き、考え込むようだった。


「あのそれが何か……?」


 首を傾げるアルの横では、エルがレオの盛り合わせたフルーツをぼんやりと見つめている。


「…………」


 レオは切り分けたフルーツの幾つかを自らの口に運び、幾つかをリンの口に運ぶ。しばらく思い悩むように、沈黙を挟んだ後、言った。


「俺は……遠いところから来たんだ。だから、常識に欠けたところがある。それを確認したくてな」

「遠いところ……」


 エルがぼんやりと反芻する。レオは相槌を打つ。


「ああ、遠い。とてつもなくな」

「それってネメジスのことですか?」


 アルの口から飛び出した言葉に、レオは怪訝そうに眉を寄せた。

「ネメジス? 知らないな。メルクーアにはそんな国はない。『悲しみの海』の向こうには何もないはずだ」

「……冗談です。ネメジスは、アルタイルの言う嘘っぱちです」

「その話をくわしく……」


 レオは果実を剥く手を止め、話の続きを促した。



◇ ◇ ◇ ◇



 アルの語ったのは次のようなことだ。

 アレクエイデスの故郷、『ネメジス』。

 ネメジスは、プトレマイオス王が宇宙中の『アーティファクト』を集めることを目的に設立した国の名前で、他の銀河系に属する国家の一つだという。


「アーティファクト……聖遺物……」


 SDGにおいては、この惑星メルクーアではあり得ない技術や知識を用いられて作られた(と思われる)自然遺物や人工物の総称だ。


「はい」


 そもそも、とアルは得意げに語り出す。


「アレクエイデスはこのメルクーアの主神です。故郷なんてものは、このメルクーアに決まっています。聖書にだって、そんな記載はありませんし……適当なことを言うアルタイル族には、いつかバチが当たりますよ」


 アルはにっこり笑った。

 その笑顔を一瞥して、視線を伏せるレオをエルは瞬きもせずに見つめている。


「レオさま、どうされました……?」

「……どこでプトレマイオスの名を?」

「聖柩の島ですよ。『アレスの宝珠』をあきらめきれないアルタイル族が未練がましく調査団を送り込んだんです」

「行ったのか、あそこに。大勢死んだろうな」


 レオは、面白くもなさそうに言った。


「はい、それはもう。いい気味ですよ。さんざん犠牲を出して、発見したのはプトレマイオスの薄汚れた石碑一つ――って、え? レオさま、『聖柩の島』に行ったことあるんですか?」

「ああ。到達推奨レベルは三十。モンスターがドロップするアイテムも貴重なものばかりだ。地下に通じる迷宮の奥には、水晶竜がいて……」


 星の船――宇宙船を護っている。レオはその言葉を飲み込んだ。


 SDGのストーリーでは、主人公とその一行は宇宙船に乗ってダークナイトの搭乗する宇宙母艦に乗り込み、激しい戦いの末、ついに『ダークナイト』を打ち倒すのだが、そんなことはエルとアルには関係のない話だ。


(中世の世界観を持つこのメルクーアで宇宙船か。ゲームにしても荒唐無稽な話だ……)


「……まあ、あそこには何もないな」


 宇宙空間を移動してやってきたアルタイルにとって、宇宙船はあまり価値のない代物だろう。アルの話を聞く限りでは、アルタイルの調査団はそこまで到達していないようだったが。


「…………」


 ふと姉妹を見ると、二人とも目を見開いてレオを凝視している。

 アルが言った。


「光の剣……」

「……なんだ、薮から棒に?」

「皇竜を討ち取った伝説の剣……」


 しばらく考え込むように腕組みしていたレオであったが、眉を片方吊り上げると、思い出したように言った。


「……ライト・セーバーのことか? ダークナイトのドロップアイテムだ。最後まで使える強力な武器だ。まあ……無くしちまったが」


 その返答に、ひぐっ、とアルが息を飲み込んだ。


「ダ、ダークナイトから光の剣を奪ったのは、う、失われた英雄です」

「失われた英雄? なんだ、それは?」


 エルは頬を上気させ、陶酔したように言った。



「レオンハルト・ベッカー」


「なんだって?」



 レオは軽く唇を噛み締めた。

 SDGはドラマチック型RPGだ。ストーリーの節目で強制されるボス敵との戦闘は主人公との一騎打ちが多い。劇的に演出された主人公が伝説化するのはあり得ない話ではない。


 ――反吐が出そうだった。


 伝説になったのはSDGの主人公『レオンハルト・ベッカー』だ。それがプレイヤーたる彼の現し身であったとしても、他人の功績を横取りしているような気がしてならない。

 姉妹の向ける崇拝の視線が、レオの神経を逆なでする。

 エルは平伏したまま続ける。


「ダークナイトを討ち取ったのは……あなただったんですね?」

「…………」


 居たたまれない思いで目を逸らすレオの膝の上ではリンが、床に跪いて頭を下げる猫の姉妹をきょとんとした表情で見つめている。


「委細は存じませんが、よくぞ……メルクーアにお帰りになられました。万民に成り代わり、不肖の身ながらお礼申し上げます」

「やめろ、やめてくれ」


 平伏し、微動だにせず感謝の言葉を述べる姉妹は、レオの言葉に首を振った。


「レオンハルトさまにおかれましては、卑しきこの身に過分なご厚意を戴きまして、感謝の言葉もございません」

「マジでやめろ……」


 胸中に怒りが込み上げる。ダークナイトを打倒したのは、彼にとってはあくまでもゲームの世界の話だ。額を床に擦り付け、平伏する姉妹の姿は、滑稽なものにしか映らない。


「支配人のアデルも、レオンハルトさまの逗留をさぞ光栄に思うことでしょう。つきましては、まずは身の証しを立てられまして、しかる後……」

「二人とも、やめろと言ったぞ!」


 張り上げた怒声に身を震わせるリンを見て、レオは、ぎりっと歯を噛み締める。


「俺は、おまえらの言う『失われた英雄』とかいう偉そうなやつは知らん。今の俺は……ただの冒険者だ。行く当てのない身に過ぎない」

「ですが……」

「くどい!」

「ひうっ」


 と悲鳴を上げ、姉妹は尚更、床に額を擦り付ける。


「聞け、二人とも」


 脅えるリンの背中を撫でながら、レオは続ける。


「命に貴賎などない。老若男女に拘わらず、公平に死が訪れるように、命は万民に公平に与えられたものだ。俺たちもしかり。命とは等価値なのだ。つまり、俺たちの間に貴賎は存在しない。故に――」


 詭弁だ。綺麗事でもある。内心、レオは吐き捨てる。


「俺に対する崇拝は許さん。どのような意味においてもだ」


 彼に自己崇拝や自己神格化の趣味はない。


「二度は言わん。頭を上げろ」


 圧し殺した声は最後通告の響きを帯びていて、姉妹はひたすら困惑と恐怖の渦中にあった。


「…………」


 永い沈黙があった。レオは言葉を継がなかったし、姉妹も平伏したままだった。

 ややあって、エルが頭を上げるが、膝はまだ折られたままだ。


「それでは……レオンハルトさま」

「なんだ?」

「一人の男性として、貴方を慕うことをお許しください」

「はあ?」


 レオは間抜けな返事を返した。剣呑な空気と緊張は一気に霧消しつつあった。

 姉の言葉に、はっとしたようにアルも頭を上げる。


「レオさまを好きになっていいかって、聞いてるんです」

「い、言い直すな」


 よく分からない展開に、レオは少なからず動揺を隠せない。なぜこうなった?


「…………」

「黙るんですか?」


 とがった声で追及するエルは、非難の表情を隠さない。


「犬の従者さんが怖いんですか?」


 アルの挑発に、レオは、ぐっと声を詰まらせる。


「……気持ちは嬉しいが、それには応えられない」

「あなたの気持ちは聞いてないんですよ、レオさま。私たちの気持ちの有り様をお許しになるかどうか聞いてるんです」


 レオは周囲を見回した。どうなるんだ? そんなことを考える。


「気持ちのことまで止められん。好きにするといい……」

「分かりました」


 エルは、すっと立ち上がった。ぽんぽん、と膝の埃を払うと輝くような笑顔でこう言った。


「それではレオさまのお望みどおり、敬意や崇拝などでなく、純然たる好意のみで身の回りのお世話に当たらせて貰います」

「全力で」


 続いて立ち上がったアルが付け加える。


「……」


 レオは天を仰いだ。


(どうにでもなれ、だ……)


 そんなことを考えた。


ダークナイトのイメージはベイ◯-卿。

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