第10話 暗殺
◇ ◇ ◇ ◇
レオとニアは、ニューアークの北側にある図書館に籠もるようになった。
午前中、プレイングマニュアルを読み進めるレオと一緒に、ニアも難しい表情で童話を読む。表紙が逆でなければ、レオになんらかの感銘を与えていたかもしれない。
瞳の聖痕についての記述は、レオをいささかうんざりさせた。
聖痕――皇竜討伐の証し。何かよいことがあるかもしれません。
(ふざけんなよ……)
謎の多かった『練金』スキルについても理解した。
元々、生粋の錬金術士ではないレオンハルト・ベッカーは、地水火風の属性を操る強力な常駐魔法『赤練金』の素質はない。金属を操りゴーレムの召還を可能にする『黒練金』についても同様であった。
レオンハルト・ベッカーに適性のある錬金術は白練金である。
『白練金』はエーテルやポーション等の霊薬を精製するための技術である。素材さえ揃えることができれば、霊薬の最高峰である『エリクサー』をも精製することもできる。
自分はこんな重要なことを忘れていたのか、と思わずにいられなかったが、この白練金のスキルにより、当面、金銭面での不安はなくなった。
安価ではあるものの、素材が安く揃い易いポーションや、高価で取引されるエーテルの売買が今後の資金を支えることになる。
レオの背中にニアが抱き着くころになると昼食を取る。ニアの腹時計は実に優秀で、常に正午の時刻を指した。
昼食の内容は、アデルに頼み準備させたものや、屋台のもの、日によって様々である。
午後になると二人は、ニューアークの中央広場で休憩しながら、行き交う人々を観察したり、サバントに占領されたままになっている港を見に行ったりした。
午前中は図書館に籠もり、午後は足取り軽く町中を見て回る。気分次第によっては、魔法の検証も兼ねた医療行為も行う。ここ十日ほどの二人の行動は概ねそうであった。
ニューアークはサバントたちに封鎖された街である。しかし、町外れに抜け道があるようで、商人たちはそこから出入りしているようだ。
街の商業や産業は意外にも活発であった。それは皮肉にもサバントたちのおかげである。 街の港と関所を封鎖するサバントたちが、このニューアークの政治的空白を助長していることは疑いない。それが検問や関税などの繁雑な手続きを無くし、経済的には自由な取引を可能にしている。
最低限の自治や警備は、冒険者ギルドが行っているらしい。彼らのスポンサーは、街を行き交う商人であり、ニューアークの商店街であるようだ。
ニューアークは経済的には潤っているようで、レオもポーションやエーテルの買い取りを拒否されたことはない。
それでもこのニューアークを、レオは『無法都市』と断ぜざるをえない。
ニューアークに流れ込む『赤い川』や商店街の裏路地で死体を見かけなかったことはない。人々にとって、それらは特に珍しい光景でもなんでもないようだった。
酒場では、無法者たちがいつもこのような会話を交わしている。
面倒事は赤い川に投げ込め。
このニューアークでは、金も命も奪られる方が悪いのだ。力のない者に生きる資格はないのだ。
そのような状況下にあり、レオとニアの二人には町中でのエンカウントが発生したことがない。盗賊や無法者の類いに襲われてもなんら不思議はないはずなのだ。レオは水面下で進行するイベントの存在を疑っている。
ステータス画面を開き、イベントの進行を確認する。
ホテルで確認した時と同じように、発生イベント数に変化はない。しかし、ヤモ将軍の暗殺イベントは着々と進行しているようだ。この二、三日イベント欄の
ヤモ将軍を始末しろ!
の文字が赤く点滅し始めた。
イベントの遂行期限が迫っているのだ。その事実に、レオは戦慄せずにいられない。それは、取りも直さず、彼自身が殺人を犯すという事実に直結しているからだ。
ニアの超能力でヤモ将軍の居場所は小まめに確認している。
ヤモ将軍は、隣接する都市『オンデュミオン』と『ザールランド』の間を行き来していたが、最近ではこのニューアークに移動しつつある。
イベントを遂行する、という観点から見ればこれは紛れもないチャンスであった。
◇ ◇ ◇ ◇
レオンハルト・ベッカーは、めっきり口数が減った。ホテル『アデライーデ』に取った高級スイートルームで膝を抱え、静かに虚空を見つめる時間が増えた。
ニアの気遣わしげな言葉にも、
「大丈夫だ。何の問題もない」
と口元に笑みを浮かべるのみだ。
ヤモ将軍は単独行動を好む。おそらく、このニューアークにも単独で乗り込んでくるのだろう。彼の指揮する部隊が到着するまでの短い時間が最高のチャンスになる。
レオは窓際に腰掛け、茜色の夕日に染まり出したニューアークの町並みに視線を走らせる。
ヤモ将軍の行動パターンは把握している。遂行のシチュエーションは何度も想像した。
(行ける……)
そう思う反面、命を奪うことに禁忌の念を抱かずにいられない。
(俺は、どうすればいいんだ……)
この数日、レオの思考は同じところを行ったり来たりしている。
このSDGの世界がプレイヤーである彼の現実になって久しい。そして……『レオンハルト・ベッカー』にはヤモ将軍を殺す理由は充分存在する。
ゲーム内時間で十一年前の話になる。メルクーア暦6117年のことだ。
オールドシティの酒場で、なんの脈絡もなくヤモ将軍は、レオンハルト・ベッカーをリーダーとするパーティ六人の内、三人を射殺した。
ゲームクリアを達成した現在となっても、このときのヤモ将軍の心理は謎のままだ。
このときプレイヤーとしての彼はヤモ将軍に対し、激しい憎悪の念を抱いた。無論、ゲームとしての話であるが。
未だヤモ将軍が生存しているのは、彼がゲームクリアのキーキャラクターであったという理由に他ならない。打倒の機会は何度もあった。それをクリアのための止むを得ぬ事情から見逃したのだ。
現在、SDGの舞台は彼の退場を示唆している。プレイヤーとして行動するなら、クリアのためにレオは彼を見逃すことができない。
そしてこの日、ヤモ将軍はニューアークに到着した。
夜遅く、レオは行動を開始した。
身元を隠すため、騎士の聖衣でなく地味な色の平服を身につける。下地にはアルタイル製の鋼糸で編み込まれた帷子を着込んでいる。
瞳の聖痕を隠すため、外套のフードを目深に下ろす。刀身が大きく、人目を引くブロードソードの携行は避け、魔剣グリムのみを帯剣した。
「ニア。今日は、もう外に出てはいけない。俺はやぼ用で外出するが、大丈夫、すぐ戻る。……いいね?」
優しく言うレオの瞳は、暗く淀んでいる。ここ数日の鬱屈した空気に思うところのあるニアは、一瞬表情を曇らせたものの、頷いた。
「いい子だ」
ニアの髪を、くしゃりと撫で踵を返したレオンハルト・ベッカーの瞳は、未だ殺意と逡巡の間に揺れていた。
◇ ◇ ◇ ◇
夜のニューアークに飛び出したレオは、迷わず街の中心であるエデン広場に向かった。
プレイヤーマップには赤い光点となってヤモ将軍の居場所が記されている。
(もうすぐだ……)
事の是非はさておき、この暗殺のイベントが強制である以上、このメルクーアの歴史に少なくない影響を及ぼすことになるだろう。
街灯の明かりが静かに揺れている。レオが知る限り、中世の世界観を持つSDGの世界においては、電化製品はすべてアルタイルの製品である。
(アルタイルか……)
考えてみれば、この剣と魔法の世界であるメルクーアに、科学を持ち込んだ『アルタイル』は正体不明の異物である。
SDGの混沌とした世界観に『アルタイル』が強く影響しているのは疑いない。
(今は集中しよう……)
レオは街灯の明かりを避け、昼間、ニアと休憩を取った『ディーダの樹』の影に移動した。広場の中央に位置する噴水のほとりに、ヤモ将軍……アレキサンダー・ヤモの姿を確認する。
アレクサンダー・ヤモはヒューマノイドタイプの異星人だ。姿形は人間のそれである。レオが彼の殺害を忌避する最大の理由がそれだ。
そのヤモ将軍は、恰幅の良い腹を揺らし、ゲラゲラと下卑た笑い声を上げていた。
噴水のほとりに腰掛けた彼は、両手に彼愛用の『レールガン』を弄んでいる。周囲は街灯の光源に溢れていて、『暗殺』を行う状況としてはいまいちだ。
ヤモ将軍は一人、獣人の子供を連れ回している。酔っ払っているようで、剣呑な言葉と雰囲気を当たりに撒き散らしている。
エデン広場の噴水は、恋人たちのスイートスポットでもある。ヤモ将軍は怒声を吐きながら、時折、周囲を散策している恋人たちにレールガンを向け、悲鳴を上げさせた。
その光景は、ヤモ将軍が事を遂行しやすいように人払いしているように見えた。
(相変わらず何を考えているのか分からないな……)
ディテクト・アイ(周囲探査)の魔法を使用して周囲の様子を確認する。
人影はない。だが……ヤモ将軍が連れ回している獣人の子供が問題だ。噴水のほとりに陣取っているため、光源に不足がないのもレオの行動を遅らせる理由になっている。
(どうする……? 行くか?)
不意に周囲の空気が緊張し、ヤモ将軍が獣人の子供の額にレールガンを押し付けた。
(殺される!)
子供を見殺すほど非情にはなれない。
心が決まった。
レオは街灯の明かりに姿を晒すと、静かに、だが確固たる意志と殺意とを持ってヤモ将軍に歩み寄る。
「だれだ!」
ヤモ将軍が誰何する。
「アルタイルの王族、アレクサンダー・ヤモだな」
レオは歩みを止めると、音も立てずに魔剣グリムを引き抜いた。そして、宣言する。
「おまえは、ここで死ぬんだ」
一瞬の空隙があり、レオはヤモ将軍に閃光のような瞬発力で肉薄した。
「馬鹿め!」
アレクサンダー・ヤモの指が、レールガンの引き金を引き絞る。そこから放たれた光条は、真っすぐ伸びて、フードを目深に下ろした暗殺者の胸を貫くはずであった。
金色の盾が展開し、辺りに激しい衝突音が響き渡った。
パーフェクトガードに弾かれ、レールガンの光条が近くの街灯を破壊する。
僅かながら視界が暗くなり、レオとヤモ将軍は激突するようにして交錯した。
「ヤモ……」
白く伸びた魔剣グリムの剣先が、驚愕と憤怒の色を浮かべたヤモ将軍の喉に突き立っている。
「貴様らしい、惨めな最期だ」
ヤモ将軍が、ごぼごぼと血を吐きながら声にならない悲鳴を吐き出す。ぐりっと、剣の柄を捻り、止めを刺す。噴き出る返り血が頬を濡らしても、レオは視線を逸らさなかった。
「いいか、アレクサンダー・ヤモ。この俺、レオンハルト・ベッカーがおまえを地獄に落とすんだ。よく見ろ、そして――死ね!」
この台詞は彼ですら思いもよらぬものであった。ヤモ将軍の断末魔を目の当たりに浮かんだのは、ひたすらな憎悪と仇を討ったという達成感だった。
こうして――
アレクサンダー・ヤモは日頃の蛮行の報いを受け、ニューアークにて無残な横死を遂げた。この顛末がメルクーアの未来にどのような影響を与えるのか。知る者はない。