石の記憶 番外編 海と空 恋は紺碧の色
1章 アロハ オハナ
飛行機の窓から見えた海は、どこまでも青かった。
安代真里亞は、窓に額を近づけるようにして、その景色を眺めていた。
日本を離れて、まだ数時間。
それなのに、もうずいぶん遠くまで来てしまったような気がする。
「……ハワイかぁ」
東亜大学国際学部国際学科の一年生。
将来は外務省で働きたい。
そんな目標を持つ真里亞にとって、今回の一年間の留学は夢への第一歩だった。
父親が公務員で、家計にもある程度の余裕があったからこそ、一年生のうちから海外留学という機会を得ることができた。
もちろん、不安がないわけではない。
英語なら学校でずっと勉強してきた。
けれど、教科書の英語と、実際に現地の人が話す英語は違う。
それくらいのことは分かっている。
――ちゃんと話せるかな。
そんな不安を抱えながら、真里亞はハワイの空港へ降り立った。
そして、到着ロビーで待っていた青年を見て、思わず足を止めた。
「マリア?」
「……はい?」
「僕、イーサン。スミス家の長男」
青年は明るく笑った。
日焼けした肌。
潮風にさらされたような、プラチナブロンドの髪。
そして何より目を引いたのは、海をそのまま映したような紺碧の瞳だった。
「安代真里亞です。よろしくお願いします」
緊張しながら英語で挨拶する。
「こちらこそ。今日からよろしく」
イーサンは自然な笑顔で手を差し出した。
その笑顔を見た瞬間。
イーサンの胸が、大きく鳴った。
黒い髪。
日本人らしい黒い瞳。
そして緊張しながら、それでも一生懸命英語を話そうとする姿。
――かわいい。
それが、イーサンの最初の感想だった。
そして本人にも、それが一目惚れなのだと分かってしまった。
「……どうしたの?」
「え?」
「何か考えてた?」
「あ、いや!」
慌ててイーサンは笑った。
「長旅で疲れてるかなと思って」
「少し。でも大丈夫」
「じゃあ、家に行こう」
イーサンが荷物を持つ。
「自分で持てるよ」
「いいよ。今日は僕がホスト役だから」
そう言って笑う。
その言葉に、真里亞も少しだけ緊張を解いた。
*
車に乗ると、しばらくしてもう一人の青年が現れた。
「兄貴、遅い」
「お前が早く来すぎたんだろ」
顔立ちはイーサンによく似ている。
しかし髪はダークブラウン。
「弟のアンドリュー」
「よろしく、マリア」
「よろしくお願いします」
「僕たち双子なんだ」
「すごい……本当にそっくり」
「でも中身は俺のほうがしっかりしてる」
「自分で言う?」
「事実」
「はいはい」
二人のやり取りに、真里亞は思わず笑った。
「マリア、こいつはこういう奴だから」
「兄貴より俺のほうが頼りになるからね」
「自分で言うなって」
車内に笑い声が響く。
その雰囲気が、真里亞には心地よかった。
英語の会話についていくのは大変だった。
それでも、笑うタイミングは何となく分かる。
それだけでも、少し安心した。
*
やがて車はスミス家に到着した。
「マリア!」
玄関から少女が駆けてくる。
「私はダイアナ。だけどヒナって呼んでね!」
「ヒナ?」
「ハワイ語の名前も好きなの。月の女神の名前なのよ」
「素敵な名前ね」
「ありがとう!」
ヒナは満面の笑みを浮かべた。
「高校二年生なんだ」
「そう。来年はプロム!」
アンドリューが横から、
「フラの格好で行くんじゃないぞ」
「行かないわよ!」
ヒナが頬を膨らませる。
「ハワイの伝統を大事にするのと、プロムでフラを踊るのは別!」
「兄貴たちがからかうからよ」
「面白いから」
「もう!」
そんな兄妹を見ていると、真里亞も自然と笑っていた。
「ようこそ、マリア」
柔らかな声がした。
日系三世のメラニー・ムラカミ・スミス。
「長旅で疲れたでしょう?」
「はい。でも皆さんが優しくしてくださるので、安心しました」
「ここでは遠慮しなくていいのよ」
メラニーはそう言って微笑んだ。
「今日からあなたも家族なんだから」
「家族……」
その言葉に、真里亞は少し戸惑った。
まだ会ったばかりなのに。
けれどメラニーは、当然のように笑っていた。
「オハナよ」
*
最後に現れたのは、ザックだった。
「ザカライア・スミス。ザックでいい」
大きな手を差し出される。
「よろしくお願いします」
「こちらこそ。ハワイへようこそ」
真里亞が握手をすると、腕に入ったタトゥーが目に入った。
首元にはサメの歯のチョーカー。
それに気づいたザックが笑う。
「気になるか?」
「はい。素敵ですね」
「サメはな、ハワイではアウマクアとして語られることがある」
「アウマクア?」
「家族を守る存在だ」
ザックは自分のチョーカーに触れた。
「だからこれは、俺のお守りみたいなものだ」
真里亞は興味深そうに頷いた。
「ハワイには、日本とは違う文化がたくさんあるんですね」
「そのうち嫌でも覚えるさ」
ザックが豪快に笑った。
*
夕方。
食卓には、見たこともない料理が並んだ。
「今日は歓迎のルアウよ」
メラニーが笑う。
カルアピッグ。
ラウラウ。
ポイ。
ロミロミサーモン。
「こんな料理、初めてです」
「いっぱい食べて」
真里亞は少しずつ味わった。
「……おいしい」
その言葉に、みんなが嬉しそうに笑う。
その光景を見ているうちに、真里亞は不思議な気持ちになった。
まだ今日会ったばかり。
それなのに、この人たちは自分を歓迎してくれている。
まるで本当に家族のように。
食事の途中で、ザックがウクレレを手に取った。
「歓迎の歌でも歌うか」
軽やかな音色が響く。
ザックがハワイアンソングを歌い始めた。
その歌に合わせて、ヒナが立ち上がる。
腕をゆっくり動かす。
波。
風。
花。
そして、誰かを迎え入れるような動き。
真里亞は息を呑んだ。
「素敵……」
曲が終わる。
拍手が起こった。
「マリアのために踊ったの」
ヒナが笑う。
「私のために?」
「そう!」
ザックが頷いた。
「今日から君もオハナだからな」
「オハナ……」
「家族って意味さ」
真里亞の胸に、その言葉が静かに落ちた。
家族。
まだその言葉を自分に向けられることに、少し戸惑う。
けれど。
嫌ではなかった。
むしろ――嬉しかった。
窓の外には、夕暮れの海が広がっている。
その青を眺めながら、真里亞は思った。
――ここで一年間、頑張ろう。
英語を学ぼう。
ハワイの文化を知ろう。
いろんな人と出会おう。
それが、自分の夢につながるはずだから。
そして真里亞は、まだ知らなかった。
その一年間が、自分の人生で忘れられない一年になることを。
そして。
自分を見つめる紺碧の瞳の青年が、この瞬間からすでに、自分に恋をしていることを。
海を越えて始まった一年は、静かに幕を開けた。




