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人魚は龍の盤上で躍る

掲載日:2026/06/21

I. カモミール嬢

「またいつか。」

衝撃があって一瞬、世界がとても静かになった。

脳が冴えて浮遊感とともにありありと目の前の光景が流れ込んでくる。


小魚がハンドバッグと戯れている。

美しい鮮やかな尾鰭を靡かせているのは、熱帯魚だろうか。マティーニグラスから浮き上がったオリーブをつついている。


華奢なライムグリーンの、リボンをあしらった素敵なパンプスがゆっくりと沈んでいく。


どこもかしこも細かな泡がきらきらと、波と戯れながら昇っていく。


なんて美しいのかしら。


カモミール嬢は髪とドレスを海に揺らがせながら、銀色の小魚の群れに手を伸ばした。


その時地響きのような轟音とメキメキという音がしたかと思うと、彼女の純白のドレスを着た体を、熱湯が激しく打ちつけた。


II. デスゲーム

数時間前、山奥のシュヴァイツァー・フォートレスでは煙龍会によって極秘の集会が執り行われていた。

「素敵な館ね。」ローレルは、いかにも貴婦人といった気取った口調で言った。

孔雀の羽をあしらった黒紫のカクテルハットに、体のラインが出るドレスを着ている。

「秘密結社というだけあって謎めいているわね。ああいう模様すら何かの暗号みたいだわ。」

ケイレヴはちらとクリーム色の壁紙に目をやった。

楕円や長方形や線が芸術的に組み合わさり、抽象画のようにも見える。

「任務に集中してくれ、名探偵殿。」

チリンチリン、と音がして参加者の視線が一斉に主催者へ集まった。


「先見の明ある皆々様、本日はこのシュヴァイツァーの館にお集まり頂いたことに感謝します。」

主催者のアルベルト・シュヴァイツァー、彼は煙龍会の五大巨頭の1人であるーーはスプーンを置き、上等なワインを掲げた。

「それでは皆様方のご健勝と私達の絆を祝って乾杯としましょう。」

「灼熱のリヴァイアサンに」

賓客はそれぞれ「灼熱のリヴァイアサンに」といってワインを飲んだ。正確にはほんの数名の豪胆な者以外は、飲んだふりで口をグラスにつけただけであった。


アルベルトが眉を上げて小さく頷くと、会場の脇に待機していたジャズバンドの生演奏が始まった。


「早速ですが、皆さんが気になって仕方がない案件について話していきましょう。」

顧客一人一人に視線を合わせつつ、スーツは派手すぎず腰が低い。

カフスボタンの銀龍がなければそれと気付かない程、煙龍会の権力者とは思えない誠実さを身に纏っている。


「皆様ご存知のようにリヴァイアサンは我が社ゼンエックスが誇る世界一の殺傷能力と、セントリー社による対防衛戦線のスーツが合体した新型兵器です。

皆様、これを目当てに来られましたよね?

この所有権を手に入れられた者がこれからの世界の覇者となる。そう言っても過言ではありません。」

アルベルトは爛爛と目を輝かせて聴衆を煽るように並べ立てた。


「幸運にもここにいらしている沢山の方々から契約をご提案いただき、既に配送の船が出立しております。このままなら最短で六日後にでも皆様に献上できます。」 

満足そうなざわめきが漏れる。

アルベルトはそれが静まるのを待って、勿体ぶったように言った。


「しかしその権利を誰もに与えてしまっては、この武器の実践上の固有のメリットが半減してしまう。それは面白くない。そうですよね?」


いくつかのテーブルでグラスをちょいと上げて賛同する姿が見えた。


「ですから、これから皆様にゲームをして頂きます。勝者の船舶を除いて、積荷と共に仕込んでおいた爆弾を爆発させて剪定させて頂きます。」


どよめきがホールにこだまする。

全員がそれぞれの船舶に同乗した役員を人質に取られていると言うことだ。

動揺する者、憤慨する者、興味をそそられる者、それぞれの異なった視線が主催者に注がれる。


「何のことはない、ただのチェスです。


しかし、普段と違うことは、盤上に顧客の皆様の名前が書かれていることです。

そのマスで駒が取られた場合、その顧客のリヴァイアサンは海の藻屑となる。


どんなに大型顧客であっても逃れられませんので悪しからず。


皆様には黒白2チームに分かれ、チームの中でも交代制で駒を進めていただく。

それ以外のことには私は干渉致しません。」


つまりは我々同士で部下を殺し合えと言うことか。ケイレヴは胸糞が悪くなるのを感じた。

ローレルは考え込んでいた。

これはただの弱肉強食の知略ゲームではない。

顧客の人脈を見ている。白黒どちらの誰を味方にするか。権力者や賢い者とどれだけ手早く交渉し臨機応変に立ち回れるか。


参加者を間接的に手を汚した気にさせることで、この秘密結社の結託を強め裏切らせない目的もある。

升目の顧客名が見えるならば、相手との関係を考えて駒を取れない場合もある。人脈が多すぎるのも不利かしら。


殺伐とした空気を愉しむように優雅に両手を組むと、軽やかに彼は告げた。


「皆様の知略をもって私を唸らせてみて頂きたい。」


アルベルトはスノードロップ、と近くにいた秘書に呼びかけると、バケツリレーのように他の女性が大きめの高級そうなチェス板を台座に乗せて押しながら歩いてきた。


後ろの方のテーブルについていた毛皮の男が人差し指を掲げて手を挙げた。

「どうぞ」

「我々顧客の人数がとても少ないようだが、一顧客の船舶はまとめてひと升が命運を分けるのか?」

「続けて」

「そうだとしたら公平ではないな。契約の台数に合わせて升目の数を増やすべきではないか?」

恰幅良くたっぷりと口髭を蓄えて小さな丸メガネを鼻に乗せている。


……男爵は他を犠牲にしてどれか一つの船が残ればいいとでも思っているのか。


苛立ちで貧乏ゆすりを始めそうな秘書の腕を掴んで、ハリントンCEOは「これも経営者としての手腕なら、あながち間違っていないわ、」と囁いた。 


「面白い意見ですね。いいでしょう。升目に書き加えておきます。」

ジャックドウ、と呼ばれた男が回れ右をして裏へ入っていった。歩き方からして軍隊の出だろうか。


「あぁそれから、皆様を男女の1組ずつお呼びしましたが、キューピッドの代わりがしたい訳じゃあありませんよ。


どちらかお一方に駒を進めて頂くためです。男性が参加される場合は黒、女性が参加される場合は白チームとなります。


…勿論、我が社のリゾートホテルに関しては、お二人様水入らずで楽しんで頂いて一向に構いませんがね。」


チェス台を運んできた女性が微笑んで言った。

「それでは皆様、一斉にコースターを掲げて白か黒をお選びください。」

ローレルはコースターを裏返してみた。黒だ。なるほど、表裏で違ったのね。



「あぁ、ゲームの参加者の指し手となった方は

ゲームが終わるまでここに残って頂きます。」

互いに探りを入れる視線が飛び交った。

明日は重要な企画に自ら出向く必要がある、電話しなければ。


パラパラとスマホやタブレットを開く姿が見える。一昔前ならタイプライターの騒音が全てを掻き消しただろう。


グレゴリー卿は都合が悪いらしい。愛人同然の秘書は実質共同社長、白で確定だろうか。

プレイドゼネレーションの前途有望な若社長は部下に手を汚させるだろうか?

あのハンドサインはなんだ?誰に送っている?

チェンCEOは自らが決めないと気が済まぬタチと聞くから黒だろう……

どちらに付くか。それが問題だ。


III. ボン・ボヤージュ

その頃、カモミール嬢は父の開催する学会に出席するためクルーズに乗っていた。

エーミール・レナードは国内最大手の医療機器メーカーの社長であった。


豪華客船と言って差し支えない設備内装であるが、この船は貨物の運搬も兼ねており、商品のプレゼンに打って付けであった。確かゼンエックスが製造運営しているんだったかしら。


彼らは日々先進的な技術を開発しており、医療機器メーカーとしても共同開発・かたやライバルとして切磋琢磨する相手であった。


それほどの技術があるなら、このクルーズだって色々もっとこう、やりようがあるでしょうに。

「私のペルシャちゃんが恋しいわ。どうして最新式のペットルームは作らなかったのよ。」


メイドが困ったように、「そうですね」と適当に同調した。


お嬢様は馬鹿ではない。ペットルームなんぞ、この船舶が最初に作られた目的上、製造時に頭の片隅にも置かれなかったことは百も承知だ。

…だから、いちいち反応に困ってしまう。


カモミールにとって、無理難題を押し付けたり文句を言うのは単なる戯れの一環だった。周囲が素直に同意するのは面白くもあり寂しくもあった。


船舶の担当者が通りがかり、カモミールに面と向かってこう言った。

「お客様、ペットルームがあったとして、飼い主様が適切に施設を管理できないことが多いので、他のお客の健康に配慮して、禁止のルールを置かせていただいております。」


令嬢は拍子抜けして、「教えてくださってありがとう」と言ったまま、まじまじと相手の顔を見つめた。


「貴方の名は?」

「ペイジです。」

円窓から差し込んだ陽が、こちらを見据えるライトブラウンの瞳を照らしている。


印象の薄い顔立ちに、特徴のない立ち姿だ。補聴器のようなものをしている。

「もしよろしければ、私、このジョーンズ号のご案内も出来ますが如何ですか?」


IV. 盤上の戦争

一方、客船から遠く離れた奥地ーー曇天に佇むシュヴァイツァー・フォートレスは、大の大人の欲望と絶望が煙のように渦を巻いて取り囲んでいるかのようだった。


一手毎に対戦者が変わり、盤上では騎士やポーンが勇猛に戦った。


滑らかな盤上を、駒が滑る音がこだまする。

トン、トン、スー、トン…


黒檀の升目の上でコトンと言う音と共にポーンが崩れ落ちると、遠い海域で轟音と共に船舶が散り散りに爆発した。


参加者は盤を囲み、互いに激しく目配せをしながら駒を進めた。

トン。

こちらに指せばプレイドの企画に不利になるが、こちらは昔から支えてくれている方だ。まずは穏便に。

スー。

トン、トン、

なぜ白のナイトをそこに指す。まるで、そうか、あなたは黒のSSKと結託したのね。

スー、トン。

「グレゴリー卿、恨まないでくれ。お互い様だからな。」コトン。

爆発。グレゴリー卿は紋章付きの指輪をなぞりながら思案しているようだった。

スー、

必死で勢力図を描きながら、ローレルも駒を一つ進めた。

トン、トン、コトン。

爆発。

裏切るのか、契約は打ち切りで良いのだな。

トン、スー、トン。


無彩色のステンドグラスが腹黒い野心を映し、大理石のパッチワークの床が、人の誇りも財産も失った経営者の呟きを冷く受け止めていた。


V. ジャクリーン

しばらく案内しているうちに、ペイジはこの我儘な令嬢がひどく純粋であることに気づいていた。

指令はまだ来ていなかった。

私も真っ当に育てられていればこんな娘に育っていたのかもしれない。


向かいからハンチング帽を被った若い男性がぶつかってきて、「悪いね」と言って去って行った。

背後でモーター音に紛れ、微かに水飛沫の音がする。


ブラウスの袖に仕込まれた紙には、「起動。退却せよ。」と書かれていた。


一瞬迷ってペイジは視線を泳がす。

だが意を決したように振り向くと、カモメを眺めていたカモミール嬢にそれとはわからない造形の酸素マスクを渡した。「これをつけてください。」

令嬢は渡された薄緑のツヤっとした透明な被膜を興味深そうに触っている。

「これは何?」


背後でグラスが割れて誰かが海に落ちる音がする。


驚いている令嬢の腕にナノテクノロジーの腕輪を無理やりはめると、こう言って突き落とした。

「またいつか。」


白いドレスが他靡いて遠くなって行く。


この海域には障害物や変な海流がないからうまくいけば北方の潜水艦に回収してもらえるはずだ…


振り向いたその時、天井に点滅する爆弾の赤い小さな光と目があった。


ああ。


終わりだ。ジャクリーンは強く目を閉じた。


次の瞬間鋭い爆風と共に豪華客船の上部は炎と共に宙に舞い、船底から冷たい濁流が流れ込んだ。


VI. 触らぬ神に祟られるとき

「続けて、16日の大西洋海上での爆破事故についてです。発見から4日、依然として救助活動が続いています。

今入ってきた情報によりますと、世界各地、複数の船舶に同様の事件が発生している模様です。

爆発には秘密結社煙龍会の関与が疑われており、警察は組織の実態解明に動いています。


死者184人、行方不明者17人、身元不明者3人。


エーミールは異国のホテルの部屋の中で、画面の向こう側から、妻の手を握りしめてヘリが海上で旋回するのを見ていた。


「煙龍会…」 

「あなた、変なことに関わってないわよね?」

エーミールの脳裏で、先日商談に来た男のカフスボタンがフラッシュバックする。

彼は取引が決裂するや否や風のように去って行ったのだ。後日連絡しようとしても一向に正体が掴めなかった。

まるで煙のように。

「あぁ、関わってないさ。」

「信じるわ。あなたも、あの子の無事も。」


VII. エピローグ

彼ら夫婦の愛娘は、シチリアのリゾートホテルで束の間の自由を満喫していた。

ゼンエックスと刻印された酸素マスクは、ピッタリとして海水の一滴の侵入も許さなかった。

膨らんだリスのほおのようなタンクにはシュワシュワと酸素を発生させる薬品が入れられていた。


そう言えば、うちのリプロ部門が人工羊膜を発展させて酸素透過性被膜の開発を始めたとか言ってなかったかしら。

あの人はきっとスパイだったのね。

でもゼンエックスが自分の船を爆破するかしら?

「色々調べる事がありそうね。」

純金のイヤリングが夏の日差しを激しく反射している。

それに負けず劣らず、彼女の瞳は生き生きと輝いていた。


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