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第二章~日常の始まり~

ガドネア歴九九八年 五月五日   ラミア・スナー


 明日はいよいよ王都へ出発する。目指すはスニラフスキーの宿。アルちゃんには話したとおり、住み込みの仕事をして、ある程度お金が貯まったら旅に出ようと思ってる。一ヶ月分の給金なら、ある程度余裕があるかなってね。

 宿まではアルちゃんが一緒に来てくれることになったけど、アルちゃん、その後の予定はどうなってるのだろう。宿はともかくとして、旅も、できれば一緒に来てくれると嬉しい。


 旅の目的にしている聖霊剣。聖龍島を出る前に文献などで調べたことはあるのだけど、調べれば調べるほど信憑性がなくなる。各々の文献で書いてあることが違ってて、比べると全部矛盾している。でも、この矛盾が、まるで意図したかのように私は感じている。家にあった資料はもう調べ尽くしてしまったから、今度は王都の図書館が入れるなら、もう一度調べてみたいなって思う。

 旅に出る前に、冒険者の資格も取っておきたい。自分の身分を証明してくれることと、いろいろなところで割引サービスが受けられる恩恵は大きい。特に馬車便の料金の一割引は大きい。パルスからデニアス王都までなら、宿二日分の料金が浮く。とても魅力的だ。

 馬車の護衛の仕事を請ければ旅費は当然浮く。けど、この仕事は冒険者成り立てでは受けられないし、希望者が多ければ抽選だ。抽選漏れも考えて、旅費はしっかりと稼いでおくべき。

 それ以外でも、余りお金とか無駄にしたくないので、是が非でも冒険者の資格は取りたい。けちゆうな。




第二章~日常の始まり~


 アルフ達二人を乗せた馬車便は、首都ユニスへと走る。馬車便は単独で走ることはなく、多いときは数十台を一つのキャラバン隊として編成し、隊列を組んで移動する。数台集まれば、単純な数の暴力という理由だけでも、野盗や魔獣魔物といった類いに襲われにくくなるためである。

 馬車の速度は、人が長距離を走る速度とほぼ同じ。一定の速度であれば馬にそれほど負担をかけない塩梅だ。とはいえ、人も馬も無休憩ではさすがに走破はできない。一時間に数分ほどの休憩、昼時には昼食をかねて一時間程度の休憩を挟み、予定通り首都入りを果たす。このときには夕焼けとなり場所によっては足下が暗くなってしまう頃合いだ。

 なお、昔はもっと馬車は遅く、一泊いれていたらしい。より強力な馬への品種改良は勿論、車体の軽量化や技術発展などのおかげで、今はギリギリではあるが、何とか日があるうちに移動できるようになった。

 街の中に入ってからは、魔法の明かりを点した街灯が立ち並び、暗くは無い。速度も、人が早足で歩く程度まで落とす。突然の飛び出しに対応するためでもあるが、それ以外にも利点があった。

 御者と相談し、荷物を担いで馬車から飛び降りる客がいた。彼は無事に着地すると、急ぎ足で通りを曲がっていく。ラミアは、なんだろうとその先を目で追えば、小さな宿屋があることに気づいた。いわゆる接舷ダッシュならぬ到着ダッシュだが、まだ発着場に到着すらしていない。御者曰く、飛び降りは危険であり、怪我の元にもなるので余りお薦めはしていない、とのことだった。

 そうやって数人の客が馬車からいなくなってしばし、一行はユニスの発着場へと無事に到着した。

 到着ダッシュをする客はまばらで、ほとんどの人はゆっくりと荷物を担いで歩いていた。人を下ろした馬車は、荷物の積み下ろしのために、隣接する操車場へと向かっていく。

「…んんっ」

 馬車から降りたラミアは、それらを見送りながら体をほぐすようにのびをする。

「一応アンナさんとの約束で、従業員用なんだけど部屋を確保してもらってるわ。…アルちゃんはどうする?」

「そうだな…、まあ行ってみてから考える」

 発着場を少し北に進むと、大きな噴水広場があった。戦後の復興では王城をも後回しにし、一番最初に復旧されたのがこの噴水広場である。当初は水道インフラの復旧までの間、生活用水の確保という意味もあったが、この国の平和の象徴ともなっているため優先されたという。現在では戦前の姿を取り戻し、豊かな水をいつでも空へと吹き出していた。周りはベンチなども置かれ、ちょっとした休憩所にもなっている。

 噴水広場を東に足を向ければ、目的地はすぐ目の前だ。二人は間もなくして、目的の場所に到着した。

 スニラフスキーの宿も、営業形態はごく普通の宿酒場と変わらない。夜は酒場にもなっており、その喧噪は扉の外にまで漏れていた。

 扉をくぐると、左手が食堂兼酒場、右手が宿の受け付け、という様子だった。

「いらっしゃ…、ラミアじゃない、ひさしぶりだねぇ!」

 カウンターに立つ女性と目が合った瞬間に、彼女は嬉しそうに声をかけてきた。

アンナ・スニラフスカヤ。三八歳。この宿屋の女将を務める。中肉中背、ラミアより背は高い。緩やかにウェーブのかかる金髪は肩の高さで切りそろえる。目は青く、瞳孔の形はラミアと同じで縦に長い。耳は少しだけ長く、先は丸みを帯びている。彼女もまた人龍だが、おそらく遠い祖先にエルフの血が混じっている可能性が高い。

「あはは、お久しぶりです」

 ラミアはやや恥ずかしそうにしながら、挨拶を返した。そんなラミアの後ろにいるアルフに気づき、言葉を続ける。

「アルフ君も久しぶり。というかどうして二人で?」

「あ、うん、パルスで偶然にも。アルちゃんはこっちの協会に報告があるからって」

 ラミアは偶然出会った事を話す。

「ふむふむ。…で、ラミアちゃんの部屋はともかくとして、アルフ君はどうする? 宿を決めてないなら安くしとくよ。二〇〇ルドーリア。あいにく今はツインしか空いてないから、シングルよりは高めだけどね」

 ルドーリアとは、このガドネア大陸での共通通貨。三〇ルドーリアで安めの定食が食べられる価値となる。宿代はツインで三〇〇ルドーリアが一般的で、冒険者割引で二五〇ルドーリア前後。シングルはその半額程度となる。これは食事無しの素泊まりでの料金となる。

「うん、それで大丈夫」

 と部屋の説明をしていたアンナは、ふといたずら心が芽生える。

「ラミアちゃんも一緒にどう? 積もる話もあるんだったら今日だけそっちでも良いよ?」

「アルちゃんと? …そうしようかな」

 アンナは一瞬不服そうな表情となる。舞い上がらせようとしたのだが、不発に終わったからだ。

 内心で舌打ちをしつつ、アンナは話を続ける。

「先に部屋に案内する? それとも先に食べてく?」

「じゃ、先に部屋に案内してほしい」

「わかったわ。…アリーナ!」

 アンナは奥に向け、大きな声で呼び出しをした。厨房からひょいっと顔を出した女の子も、ラミアの知った人物で、看板娘のアリーナだ。一三歳で、ラミアの二つ下。アンナの娘で、同じく金髪。親譲りのくせ毛の金髪をポニーテールにしている。体つきは華奢で小柄。それ以外、瞳も耳も、形状はほぼアンナと同じ。

「ああっ、ラミアお姉ちゃん!」

 目が合った瞬間に彼女は破顔し、駆けてきた勢いのままラミアにぎゅっと抱きついた。アルフを含め幼馴染同士で、ラミアのことを姉のように慕っているのだ。

 アンナ達一家と、ラミア達が知り合ったのは先にも触れたとおり。あの頃のアリーナは、まだ首も座らないような赤子だった。

 当時アンナは、二人の子宝に恵まれながら、数人の従業員を雇って冒険者の宿を経営していた。アリーナはまだ生後七ヶ月であり、アリーナの兄もまだ幼く手が離せない年齢だった。彼女の夫は当時は冒険者を続けており、任務のため家を空けていた。

 そんなある日のことだった。魔軍が北の隣国バース王国を占領し、その勢いでユニスにまでその手を伸ばしてきたのである。バースが攻め入られたその翌日にはユニス王国に情報が持ち帰られ、すぐに避難が始まった。避難は比較的落ち着いて行われていたため、大きな混乱は起こってはいなかった。アンナ親子達も従業員や周りのサポートもあって、東の軍港へと円滑に進んでいた。が、そこに不幸が訪れた。

 避難の最中に、ガーゴイルからの襲撃を受けたのである。この襲撃のときに、アリーナの兄は落命してしまった。絶望するアンナや訳も分からず泣きじゃくるアリーナを、周りの大人達がどうにか軍港まで連れて行き、そのまま船で聖龍島へと疎開したのだ。

 聖龍島に到着後、ラミアの両親、アルフの両親達と相次いで出会い、焦燥しているアンナをスナー家で引き取る形で、三家族の交流が始まったというのが詳細となる。

 以後、アンナは自分の娘、ラミアとその弟、アルフとその弟の五人の幼子に囲まれる毎日となった。ラミアの両親、アルフの両親はそれぞれ忙しい日々で、子供の面倒を任されることが多かったためだ。我が子を失った悲しみはあっという間に忙殺されてしまい、逆に余り落ち込まずに済んだとも言えるだろう。それを狙ったかどうかは定かではないが、考える暇を与えてくれなかったことに対し、今現在はは感謝もしている。

 その数年後、占領された王都を奪還すべく、聖龍島やデニアス王国方面へと逃れた人たち、またその他大勢の人が立ち上がり、ユニスの王都を奪還するに至った。この戦いは、現在ではユニス奪還戦争と呼ばれている。

 奪還後、ラミアの両親とラミアの弟ホリーの三人が王都へと発ち、アンナ達一家は王都の宿へと戻る事を決めた。アンナはこのとき、復興に関わる人たちに宿を提供することが私達の仕事、と闘志すら燃やしていたという。まだ情勢が不安定だということもあったが、アリーナは両親について行くことを決めた。

 ラミアとの再会は、それから数年後、というわけではない。実は数ヶ月前となる。このときは、ラミアが島からほとんど出たことがない事を懸念した母が、旅の心得を教えるという建前で家族旅行をしたのだ。ラミアとアリーナは再会時、互いの成長にびっくりしていたが、すぐに昔のように打ち解けることができた。


 アリーナはラミアの腕にぎゅっと抱きついたまま、アルフをにらむ。

「ラミアお姉ちゃん、部屋はこっちだよ」

 そしてアルフを露骨に無視するように、案内を始めた。ラミアもなんとなく事情を察して苦笑する。アリーナは、彼のことを嫌っているわけでは無く、なんとなく姉を取られてしまうんじゃないか、と嫉妬してしまったからだ。今回は二人での登場だったため、なおさらだろう。

 宿の二階、奥まった場所が、今晩の宿となる。小さめのベッドが二つ並び、荷物が置けるスペースが少しだけある程度の、こぢんまりとした部屋だ。ラミア達は荷物を置き、三人そろって食堂へと降りてくる。アリーナはもう少しラミアと話したがっていたが、わがままは言わず厨房の仕事へと戻っていった。

 ラミア達二人はアンナに料理を頼み、空いている席に座る。

 すぐにアリーナが食事を持ってきた。パンに野菜と獣肉のスープ、獣肉ステーキ、果実を搾ったジュース、それら全部が三人分。アリーナも同じ席に座った。どうやら休憩がてら三人で夕食を、と言うのがアンナの計らいのようだった。

「なんか肉、多くない?」

 スープもステーキも、肉が多めだったり分厚く大きかったりと、普通に考える料理と比べると明らかに多い。

「ここはどうしても最前線だからね。倒す魔獣も多いから。腐らすなんて勿体ないじゃ無い?」

 ラミアの疑問に、アンナが答えてくれた。

 料理に出される肉のほとんどは、魔獣の肉となる。

 魔獣とは、自然界に漂っているとされる魔力の源、魔素と呼ばれるものの影響を受けて変貌・凶暴化し、魔物に従うようになった野生動物を指す。僅かに魔力を帯びている肉だが、人間が食するには問題なく、ものによっては動物だった頃よりも熟成された旨味がある、と言われている。王都が最前線と言うこともあって、倒される魔獣は多い。むしろ乱獲されていると言っても過言ではない。そのため食肉としては供給過多となっている。近隣の町や村にも格安で売却しているが、腐りやすい部分は基本的に王都内で消費される。それでも、食べきれない量となっているのが現状だ。その他、毛皮や骨に至るまで、武器や防具等の素材にも活用できる部分は多く、余すところはほとんど無い。

 供給過多ゆえ格安となってしまっているが、魔獣の肉や素材で得られた資産は、王都の復興資金や、防衛のために冒険者や傭兵を雇うための賃金として活用されている。

「魔獣で思い出したんだけど、魔獣って、魔力を吸収しすぎると魔物になっちゃうよね?」

 席に着いたアリーナが、ラミアに尋ねる。

「ああ、そうだ。厳密に言えば魔素だな。一応このあたりは冒険者の筆記試験に出る部分だから、覚えておくと良いぞ」

 アルフが先に答えてしまうが、アリーナは特に嫌な顔一つしなかった。

「そうなんだ? このあたりはホリーちゃんから一応聞いてるんだけど…」

 野生動物が魔素を一定以上吸収すると、魔獣になってしまう。そして魔獣が更に魔素を吸収すると、魔物に進化する。魔素は世界中至る所に漂っているが、それらを呼吸や食べ物として吸収してしまうと、そのように変化を遂げてしまうのだ。

 また、野生動物から魔獣に変化する場合、大きく異なる姿に変貌することもある。その代表例としていつもあげられるのが、猪だ。多くは凶暴化し大型化したものになるが、希に猪の痕跡をほんの少ししか残さず、二足歩行型の、『オーク』と呼ばれるものへと変わることがある。

また、その他にも例外はある。例えば人間。魔獣肉を食べても人間が魔獣になることは無い。これは、魔法を普段の生活で使うため、魔力をため込むことで起こってしまう悪影響が起こらないのだ。

 話を戻し、魔獣は魔物へと進化する。その進化がどの様にして起こるのかは、実のところ解明されていない。ただ、進化して魔物となると、一般的な生物とは明らかに一線を画す存在となる。命が散れば体も崩壊してしまい、地に帰ることすら許されない存在となってしまうことが代表例だろう。そして魔素をため込んだ魔物は、倒されたときに周りに魔素をばら撒き、或いは魔素が結晶化したものを落とすことがある。この結晶は不純物の塊だが、一定以上の魔力を秘めていることがある。ただ、斃せば必ず落とすようなものでもないし、これまでのところ活用方法がなかった代物だ。それ故一定の名称が定められておらず、魔石、石ころ、魔導石。人によって呼び方は様々だ。

 最近になって、この結晶から効率的に魔力を取り出して様々な分野に活用できないか、という研究が進められるようになってから、呼称は『魔石』に定着しつつある。

「その中心人物が、ホリーちゃんだよね」

 と、アリーナは求めてもいない説明を先ほどから行っている。

 ホリーとは、ラミアの弟である。現在はユニス王城に家族と住んでおり、宮廷魔導師見習いとしてその頭角を現し始めている。彼個人の研究室も王城内に有り、様々な研究を行っている。因みにラミアの二つ年下で一三歳。七月に誕生日を迎えてもなお一四歳という若さだ。

 アリーナは、王都に来てからもホリーの元を度々訪れており、自分で作った弁当を振る舞ったり、お話をしたりしている。

 元々弁当作りは、アリーナの料理の腕を磨かせるため、アンナからの課題で父に届けさせていたものだったのだが、いつの間にかホリーの分まで作るようになっていた。

 ホリーも彼女を邪険にはせず、彼女の話の中から研究のヒントを得ているそうだ。そして、研究が一段落している現在、父からスナー流の手ほどきを受けているという。彼自身は前線で戦うほどの持久力は無いというが、剣技はそれなりに扱える。たが、『スナー家の長男』として受け継ぐべきものを、もう一度学び直しているという。

 お肉の話から何故にホリーの話にすり替わったのかはもうどうでも良いと考えるが、ラミアはふと思うことがあった。

 ホリーは、ラミアの弟である。しばらく会えていなかった弟の近況を話すのは、彼女なりの優しさもあるし、特に普通なことだと理解できた。それでも、疑問に思うことはある。

 彼が研究していることは広く、それでいて深い。そのうちの一つが、先ほどアリーナが説明してくれたことだ。一応冒険者の資格試験でも軽く触れられているらしいが、魔素を吸収した動物が魔獣になる、そして更に魔物へと進化する、人間は例外、という下りは、そう言うものだと漠然と知っておけば良い話だ。だが、アリーナは芯の部分で理解している様子だ。ホリーのすぐ近くでずっと話を聞いていれば、自然と覚えられるような類いの部分では無い。自らちゃんと勉強しなければ覚えられないものなのだ。だからこそ、アリーナとの会話から研究のヒントを得られる事に繋がるのだろう。

 アリーナは、冒険者の宿の看板娘だ。多くの冒険者の会話から魔獣や魔物の情報を耳にしたり、或いは直接会話するなどして、それらの情報を仕入れる。そして彼の役立ちそうな情報を抽出し、それを持っていくのだろう。ただ、アリーナのそぶりから察すると、おそらくこれは無意識でやってのけている。

 いろいろなことを、ホリーを中心としていると、ラミアは感じた。

 アリーナの性格は、素直で人なつっこい。裏表が殆ど無く、その性格が宿屋でも人気となる理由の一つだ。そんな性格であれば、彼に対し打算なんて何も考えていないのだろう。だとすれば、彼の側にいる理由は一つしか考えられない。

 その感情は、ホリーの話をするとき、その節々に見え隠れしていた。魔物とかその研究とか、そんな深いところを言及しなくても、見え隠れするその感情だけでもそう言うことだって気づけるか、とラミアは苦笑する。

「ホリーの話ばっかりしてるけど、アリーナってホリーのこと好きなの?」

「ふぇ? わたしが、ホリーちゃんのこと、すき?」

 アリーナは呆けた顔をして、首をかしげる。

 すると、関係ない席から小声で話しているのが聞こえてきた。

「……あー、それ言っちゃダメなやつ」

「でもそうだよな。いっつもそいつのことばっかり話しているしなぁ」

 どうも常連客のようだった。ラミア達が来る以前からも、アリーナは常連客を相手に話していたのだろうが、今はそれはどうでも良いだろう。

 アリーナは顔を朱に染め、頬を両手で挟む。しばらくそのまま固まっていたが、より顔を真っ赤にしてうつむいてしまった。

「そっか、わたし、ホリーちゃんのこと、好きなんだ、…えへへっ」

 指摘されたアリーナは、慌てる様子もなく、目をうるうるとさせながらも、嬉しそうな表情だった。アリーナ自身、言語化できないものをずっと抱えていたのだろう。それがラミアに指摘されたことで、ようやく自覚できた、納得できた、という所なのだろう。

 その後はしばらく静かだったアリーナだったが、夕食にあてがわれていた時間が過ぎると、話もそこそこに厨房へと戻っていった。


 食事も終わり、部屋に戻る。

 アリーナの反応も多少は気になったが、夕食後のまったりとした気分で、ラミアはベッドに体を埋めた。

「喰ってすぐ寝ると、牛になるぞ」

「大丈夫大丈夫」

 手をひらひらと振って答える。

「…実は食い過ぎてえれーでかん」

 ひらひらの手は力を失い、ベッドに落ちた。口調も少し砕け、聖龍島独自の訛りが混じっていた。「荷物取ってー」

「はいはい」

 アルフはラミアのサックを拾い上げる。そのまま腹の上にでも落としてやろうかと思ったが、表情が本気でつらそうにしていたのでやめておくことにした。

「ありがとー」

 お礼を言いながら、枕元に置かれたサックを紐解き、体を起こす。そしてそれを逆さにして中身をぶちまけた。そして最後に、鉄製洗面器がごわんっと音を立てて山に刺さった。

「おいおい、何やってんだよ」

「腹ごしらえついでに、ちょっと聞きたいことがあってねー」

 ラミアはぶちまけた荷物を整理し始めた。

 幅広な短剣二本と、柄の部分が特殊な形状をした二本の短剣を並べた。

 特殊な方の柄の形状はこうである。まず、分厚い幅広の刃を支える部品があり、その両脇からまっすぐに二本の棒が伸びる。その中間あたりで横向きの棒が二本並んで橋渡しされており、ここを握りとする。刃も含め、全体がつや消し黒で光をなるべく反射しないように塗られていた。ランプの光は殆ど反射ない。この武器は、ジャマダハルと呼ばれるものだ。

 その他、古ぼけた短剣一つ、換金目的の宝石が三つ、あとは日用品やら寝間着やら下着の替えやら。あとはひときわ大きな包みが一つ。下着はアルフの目に入らない位置にさりげなく移動させて洗面器を被せ、山にした荷物の中から真新しいノートと筆記用具を取り出す。そしてぱらぱらっとめくりながら、ラミアは口を開いた。

「アルちゃんって、聖霊剣って知ってる?」

「ああ、伝説の武器だったか? 確か千年前の魔王との戦いで、勇者が使ったとかなんとか。でもそれぐらいかな、知ってる事って」

 鉛筆を左手に持ち、アルフの言葉をそのままノートに記録していく。因みに、ラミアは左利き。というよりは、多くの人龍が左利きの傾向にある。

 ラミアは、旅を始める直前から、冒険者がするように日誌を付けている。毎日ではないが、何か印象に残ったときに記録している。また、これからの指針を考えるとき、その考えをまとめるのにも使っている。

 アルフが今言ったことは、ごく一般的に言われていることだ。

「私、聖霊剣を探してみたいって考えてるの」

 曰く、勇者が作らせた剣。曰く、地水火風の四徴の精霊を宿した剣。曰く、魔王を倒すために使われた剣。

「勇者も魔王も、実在するって知ってる身としては、ね」

 約一〇〇〇年前に起こった、人間と魔物との大きな戦い。この話は娯楽小説としては余りにも有名なお伽噺である。三人の英雄たちが魔王と対決し見事に勝利した、と言うのが大まかなストーリーである。子供向けの絵本にされていたり、年頃な男女向けに恋愛小説にされていたり、史実を追求するもの、文学的なアプローチがされているものなど、作者の見解を含め、様々な形で幾度となく書籍化されている。これらの一連の話を、『英雄伝』と一括りにして親しまれている。これらは一貫して、『キメラ』と呼ばれる人造生物を人間が作ったことで魔王が怒り、人間を滅ぼそうとした、だから戦いに勝った英雄達は、第二第三の魔王が現れないよう技術を禁じよう、というテーマで書かれている。

 『キメラ技術=悪の所業』ということを、まるで植え付けるかのごとく、だ。

 なお、この英雄伝にまつわる戦いなのだが、これは本当にあったことなのだ。だが、そうと知る人物は、現在ではほんの僅かとなっている。そんな僅かな者たちが、ラミア、そしてアルフである。

 何故知るのか。答えは、実に単純だ。

「英雄リーン・スナー。私達人龍のすべての母たる存在」

「カース・ユニス、俺たちユニス王家の創始者。二人とも俺たちの遠い祖先だよな。このあたりは『記録』としてちゃんと残っていることだし、お前んとこの一族も常識、だったか?」

「まあね」

 三大英雄として語られているうちの一人、カース・ユニス。彼はユニス王国を建国した初代王であり、その妃として選ばれたのが、もう一人の英雄、リーン・スナーだった。カースは滅びた村の出身で、村を再興する形で国を作ったが、彼女の出自は不明とされている。ただ、人龍族と呼ばれる一族の始祖であることもまた、直系の子孫であるアルフとラミアは代々伝えられている。

 ただ、英雄の時代から多くの子孫が世界中に散らばっていったが、そのほとんどは、リーン・スナーが人龍の始祖だという史実自体が伝わって居ない。

 今現在では、ユニス王家と、そこから再びスナー家として分岐した一族しか伝えられていない。

 アルフは、本名をアゼナルフ・テナイ=ユニス。ユニス王家のものだ。身分を隠し、一六歳修行の旅に出ている。ラミアは古い時代にユニス王家から分岐したスナー家の末裔。共に、英雄達の子孫なのだ。

「でもまた、何であるかどうかも解らない武器を、何で探す気になったんだ?」

「ちょっとした疑問から」

 娯楽小説はともかくとしても、英雄達については古くから真面目に研究されているテーマでもある。その中で、聖霊剣に絞って研究された文献もまたいくつか存在する。ただ、それらの文献においては、聖霊剣に関しての解釈が全て異なっており、互いに矛盾している。この差違がまるで意図されているかのように、邪推さえさせるぐらいにである。

 文献では、等しく魔王を斃した、とされる聖霊剣。しかし、娯楽小説は作者ごとに見解が異なる部分であり、文献通り力を借りて魔王を倒した、聖霊剣そのものが登場しない作品など、多くの『創作』に発展している。ラミアが一番しっくりしたニュアンスのものは、『破壊神』を『封印した』とされるものだ。ラミアの生家には、そう書き記されているものがある。所々破れているほどに古い一冊で、封印の際に四本の聖霊剣が使用された、という事なのだ。おそらくは、英雄伝としては最古の『初版』かもしれない。

 聖霊剣について一通りの話が進む中、アルフは一本の古ぼけた短剣がずっと気になって仕方なかった。話が途切れたところで、アルフはようやく口を開いた。

「それはなんだ?」

「ちょっと気になって、聖龍島出発する直前、朝市で買ったの」

 ラミアはそれを手に取り、柄と鞘を握って左右にこじり、ゴリゴリと音を立てながら刀身を引き抜いた。刀身の一部は錆びており、今引き抜いたときに、その錆びた鉄粉が舞い落ちたほどに傷んでいる。短剣としては既に寿命を迎えているような代物で。

「ゴミじゃん」

 一言で言えばそんな代物だ。

「こんな見てくれだったから五〇ルドーリア。売ってるとき鞘から抜けなかったからこの値段。なんかゴリゴリしてたら抜けるようになって、それで気づいたんだけど」

 ラミアはボロボロの刀身の一箇所を指さしながら話を続けた。

 五〇ルドーリアは、昼食を少し奮発したらそれぐらいの値段になるだろうか、という程度だ。ゴミとしては結構高い。

「ほらここ」

 そこには小さく、何かしらの文字が刻まれていた。

「…寿命来ててあと何回使えるかは解らなけど、何かしら怪我の治療魔法が使える、魔法剣だったの。使ってみるまでどの程度のものが使えるかは分からないけどね」

「…お宝じゃん」

 アルフの言葉が一八〇度変わった。

「特に、鞘と柄に文様彫られててね、これが結構凝ってるの。風をモチーフにしているっぽい。これがすっごく綺麗だなって思って。思わず買っちゃった」

「ほお…」

 言われてみれば、である。くすんで輝きが失われているものの、柄や鍔に至るまで彫られた意匠は、かなり凝ったものだと分かる。

「もし壊れちゃったとしてもね、磨いて綺麗にして、自分の部屋に飾ろうかなって思ってるわ」

 鞘から抜けなかったため魔法剣とは気づかれなかったとはいえ、この意匠だけでも、骨董品としての価値はそれなりにあるはずだった。これを見れば、五〇ルドーリアなら丁度良い値段となるだろう。

「…ホントに五〇?」

「ホントに五〇」

 オウム返し気味にラミアは答えた。意匠の溝をなぞりながら、ラミアは冗談交じりにつぶやいた。

「案外、これが聖霊剣だったりしてね」

「ははっ、夢語りだな」

「ということで」

言いながら、ラミアは剣をアルフに向けた。

「で、何をする気かな?」

「アルちゃんで実験」

 と、爽やかな笑顔で言い切り、おもむろに刀身の呪文を指でなぞった。

「をいっ!」

 刀身が鋭く目映く緑色の光を放ち、はじけた。

「わあっ!?」

 それはラミア自身も驚いたらしく。余りのまぶしさに目を開けられなかった。

 しばらくはそのまぶしさに目が見えなかったが、先に視力が回復したアルフが、ラミアの頭に拳を振り下ろしていた。

 ごづっ!

「ぎゃんっ!」

余りの痛みに、ラミアはベッドに転がった。

「な、何を」

「何を、は俺の台詞だからな? これが攻撃魔法だったりしたらどうするんだ!」

 アルフは握った拳はまだ下ろしていない。いつでも追撃可能だった。

「だ、大丈夫よ、そのあたりは確認してたからっ!」

 周りには、まだ緑色の光の残滓が漂っており、ラミアの体にあたってはばちっと音を立てて消えていた。ラミアは涙目でアルフを見上げるが、彼は結構真剣に怒っているようだった。

「…ごめんなさい」

 ラミアは真剣に謝った。

 アルフは謝罪を受け取り、拳を下ろした。

「まあそれはもう良いとしよう。…光が強すぎて目がくらんだけど、それが一瞬で引いた。回復魔法としてはかなり強い部類かもしれない。それに、こうしてまだ光の塊が漂っているのは、普通のものじゃ無い」

アルフは少し考えながら、短剣に刻まれている呪文を見ながら、推論を述べた。

「…『神の息吹(ゴッド・ブレス)』、いや、範囲型の『神の涙(ゴッド・ティア)』かもしれないぞ、これ」

「…そんなに?」

 魔法の体系にはいくつか種類がある。一般的な魔道士は自身の魔力を力に変換し、様々な事象を起こすものが主流だが、教会僧侶などが使う魔法は、神から力を借りて奇跡を代行するものがある。それらはひとくくりにして神聖魔法と呼ばれる。逆に、魔族に力を借りて暴虐をまき散らすのが、黒魔法と呼ばれている。『神の息吹』や『神の涙』は、神聖魔法の一つとされ、どんなに深い傷でも癒やすことができる魔法とされている。

 ただ、神や魔族という存在が果たして本当にあるものなのか、という疑問もあるため、神聖魔法にしても黒魔法にしても、余り知名度はない。

 なお、アルフの父は、『神の息吹』が使える。その事から、アルフはすぐに気づいたのだろう。

「…でも私には効かないっぽい」

 ラミアは姿勢を変え、近くを漂っていた残滓に頭を突っ込むが、ばぢっと音を立てて弾け消えただけで、アルフの一撃を受けての痛みは全く引かない。

「ま、そこは致し方ないだろうな」

 ラミアは、一切の魔法を打ち消す体質である。いや、そう言った状態に陥っている、といった方が良いだろう。言葉にすれば、絶対魔法防御、と呼べるだろうか。魔法が一切使えない代わりに、どんな魔法も完全に打ち消してしまうものだ。

これは、ラミアの魔力が封じられていることに起因している。この事実はラミア本人も知っているが、その時の記憶がはっきりとしていないラミアよりも、アルフの方がより詳細を知っている。

 ただ、この特性を利用するつもりは無い。魔法を体当たりなどで無効化するのが癖になり、いざ封印をなんとかできたその後、その癖でうっかり敵の魔法に突っ込んでしまうのはさすがに勘弁したいからだ。

 二人はしばし押し黙っていたが、アルフが何かを思いついて口を開いた。

「一つ提案なんだけどさ、これ、常備しておいたらどうかと。武器としてはもう役立たずだけど、回復魔法は使える。お前自身には無効だとしてもさ、何かしらの時に、役立つかもしれない」

 ラミアも少し考え、アルフの提案を受けるのだった。


 一度ぶちまけた中身を、サックの中に再び戻していく。その中で、ひときわ大きな荷物だけしまわず、巻いていた布を取り払った。

 それは一対の篭手だった。つや消しの、やや暗めの灰色。その片方が妙にひしゃげていた。ひしゃげた部分の塗装がはげて地金が出ており、そちらは白金のように輝いている。何かしらの意匠が、灰色の塗料で塗りつぶされているようだった。

「こっちは、休みを取ったら一度ファーゲンのお店に行こうかなって」

「これはマリアさんの?」

「そ。お母さんからもらったんだけど、その後練習してて壊しちゃって…」

「いや、どうやったらこうなるんだよ?」

この篭手は、そう簡単に壊せるような代物では無いはずだった。何せ材料にオリハルコンが含まれており、硬度も相当なものなのである。それを、どうやったらこのように潰してしまえるのが想像できない。

「なんか急に体が軽くなった瞬間があって、そのときに変な力が入ったみたい。魔力なのかな、使えないハズなんだけど一瞬流れた気がしたと思ったら、こうなってた」

 ラミアは首をかしげながら、当時のことを考える。

 ラミアは、自身にかけられている封印について、正しく理解している。そしてこれを誰が施したのか、その理由もまた。

 幼少の頃、何かがきっかけでラミアは魔力を暴走させた。それを何とかするため、ラミアの母が、暴走状態のまま魔力を封印したのだ。その時に使われたのが、『四大精霊封印術』と呼ばれるものである。この封印術の特性として、術者の魔力を絶えず吸い続ける、術者と封印との距離は全く関係が無い、術者の体調次第で弱まる瞬間があるかもしれない、術者が止めるか死亡することで、封印が解かれる、というのがある。ただ、この封印自体が原因か、それとも他に原因があったのかは不明だが、ラミアの記憶はこの前後の記憶がとても曖昧になっている。

 それから幾年か過ぎて、両親は仕事のため、ラミアを祖父に預けて、ホリーを連れてガドネア大陸に渡る。それからは、母は週に一度、聖龍島に住まうラミアのもとを定期的に訪れていた。母の生家で伝承されるファルアスタシア流の剣技と、その他の一般的な教養を教えるためだ。壊したタイミングは今年の一月、自主練の時で、そのことは母にも伝えている。

 そのとき母は、風邪を引いたからかな、とは言っていた。ただ、それは違うのでは、と疑問に思っている。その程度の体調不良で揺らぐような封印では無いはずだからだ。

 ラミアは、いつかは来るであろう封印を解かれる日にそなえ、魔法に関する知識を独学で勉強してきたのだ。封印術に関してもちゃんとした知識を身につけているからこそ、そうした細かい部分に気づくことができるのだ。

「…今年の初めごろ、お母さん体調崩してない?」

 アルフはしばし考え、首を振る。

「悪いけど、知らないな。俺は去年末から街にいるから、詳しくは知らない」

 アルフは、ガドネア大陸の風習に則り、一六歳の誕生日を迎えてから親元を離れている。その親元でラミアの両親が働いているわけだが、親元を離れたという理由を根拠に、()()()()()()()()

「うーん、そっか、ありがと」

「ところでさ、さも当然のように準備をしてるけどさ、お前本当はこの部屋じゃ無いんだろ?」

「…あ!」

 ラミアは驚きの声を上げた。このまま放置していたら、さも当然のように隣のベッドで夜を明かしていたかもしれない。気心の知れた幼馴染であるし、先日まで手紙をやりとりしていた仲でもある。ただ、しばらく会えなかった間に、ラミアは女性として魅力的に成長しているのだ。アルフとて男である。そんな魅力的な女性と同じ部屋で夜を明かすことになれば、間違いの一つを起こす自信があると、暗に示唆する。

 ラミアは顔を赤らめながら、ぶちまけた荷物をしまい直す。慌てている風であるが、鉄製の洗面器を一番最初に入れて底板の代わりにするなど、その辺りはちゃんとしていた。

「じゃっ、またすぐ来るね?」

 そしていそいそと、退室していった。

 アルフは小さく溜息を吐く。身内だからって無警戒すぎる、と。

 二人の関係は、幼馴染であり、親同士が決めた許嫁同士だ。許嫁に関してはアルフもラミアも了承していることであり、そういった意味において、二人の将来は決定づけられている。ただそれだけでは無く、もっと愛情を深めた関係になりたいと、アルフはそう考えているのだ。

 先ほど食堂で交わされた会話で、ラミアの弟ホリーが、この宿の看板娘にどうやら好かれていることを思い出す。ホリーは彼の三つ年下になるのだが、好きだと言ってくれる人が居るのは、やっぱり羨ましく感じてしまうアルフだった。

 それからしばらくして、ラミアは戻ってきた。

「えへへ…」

 照れ隠しに微笑み、ベッドの上に座る。

「さっきまで何の話してたっけ?」

「アリーナの話。いやビックリしたかな」

「そうだったかな? まあいいや。うん、アリーナがねー」

 ラミアはなんとなくだが、母親の話から逸らされたことは気がついていた。

 篭手を壊した後日も、母は聖龍島に住まう自分の元を訪れていたし、そのときに変わらず『ファルアスタシア流』の手ほどきをしてくれていた。母の生家に伝わる剣術で、これはかなり激しい動きを見せるものだ。体調不良を引きずっていれば、その動きを発揮するのは無理である。

 ラミアはその時にも、母には何かあったかと尋ねていた。ちょっと風邪を引いてしまった、と言うのがその時の回答だった。その後も元気にしていることから、ラミアは特に隠すようなことは無いのかな、と考えていた。

 篭手を壊してすぐ後も、一家全員でユニスを観光する機会を作ってみたりと、母とは何だかんだと過ごしている。なので深刻には捉えていなかった。


 開けて翌日、五月七日。

 アルフを含め、泊まりの客のほとんどがチェックアウトした後、アンナはラミアの衣装合わせを行っていた。宿で働く人は、基本的に侍女服を着る。上下のセパレート式とワンピースタイプの二種類あるが、アンナは最初からワンピースタイプをあてがっていた。

「これが一番小さい服なんだけどねぇ…」

実際に着てみないと解らないが、あてがってみるだけでも大分裾が長く感じられる。普通の身長であれば膝下ぐらいになる侍女服だが、ラミアの場合は足首あたりにまでなる。長すぎれば裾を踏む。階段があるので危険だとアンナは判断する。

「大丈夫だと思うけど」

「ダメ」

 アンナは、厳しい表情で否定した。アンナの友人の一人に、裾を踏んで階段を転んで階下まで転落し、流産に至ったという最悪の顛末を迎えた、という人物が居るのだ。そんな轍は誰にも踏ませたくないと考えているのだ。それはラミアもよく知る人物の話であり、そんな話を持ち出されては、何も言えなかった。

 ワンピース型を推すのは、ラミアのお腹の傷のことを案じてのことだ。セパレート式の場合、状況によってはその傷跡が見えてしまう可能性がある。それでラミア自身が恥ずかしい思いをするだろうし、傷を不快に感じる客も、もしかしたら居る可能性があるのだ。

 二人でしばし考え、妥協案を模索した。


「皆さん、集まって」

 朝の仕事が一段落したところで、アンナは従業員を集めた。

「今日からこの娘が仲間入りをします。さ、挨拶」

「ラミア・スナーと言います。よろしくお願いします」

 衣装は、折衝案としてセパレート式の中に、分厚いブラウスを着込み、ブラウスの裾をスカートの中に入れてしまうというものだった。ブラウスはアンナが用意した。ブラウスも制服も背中が大きく開いた人龍用のものだった。冬ということもあり、その上から腰まで、この侍女服のデザインに合わせた外套を引っかける。

「よろしくー」

「まあ、カワイイっ」

「大変な時期だけど、よろしくな」

 従業員からは好意的な声が返ってきた。

 挨拶が終われば、すぐに仕事の説明が始まる。一日の流れとしては、早朝から朝ご飯の用意、完成すれば宿泊客を呼ぶ。平行してチェックアウトのために窓口業務も行う。チェックアウトが済んだ部屋から順に掃除やベッドメイキングを行う、等。休憩後は食堂の営業時間となるので、人気メニューの仕込みなどをおこなったり、食材を市へ購入に出る、そして食堂の時間なら調理や注文処理など、様々な仕事がある。

 もちろんいきなり全部は無理なので、ラミアはこの日よりしばらく、料理を担当することになった。

 ラミアの料理の腕は、レシピさえあればちゃんとできるし、ある程度手を加えてより美味しくすることもできる、という具合だ。祖父との二人暮らしの時、交代で料理を作っていたこともあり、その経験が活かされる形となった。

 この宿で出される料理の多くに、千切り野菜が添えられる。サラダもそうだし、昨晩ラミア達が食べた獣肉ステーキにも添えられていた。そのため消費量は多い。

 昼はまかないも含めて三〇食分、夜は四〇食分。まずは昼の三〇食分を用意することになったのだが。

 ラミアは左手で、包丁を頭上まで振りかぶった。

「ちょっ! ラミアお姉ちゃん!?」

 驚きの声を上げるアリーナに対し、ラミアは無表情で包丁を振り下ろす。

 だんっ! だんっ!

 振り落としでまず真っ二つ、そのままもう一度振りかぶって真っ二つ。綺麗に四分割されたキャベツの一つをとり、右手でまな板に押さえつける。そして左手で包丁を振りかぶり、千切りを開始した。

 だだだだだだだだっ!

「…え、えええええ?」

 ものすごい勢いで、等間隔でかつ細めの千切りキャベツが大量生産される様は、圧巻だった。ここまで素早く切れる人材は、見たことが無かった。

 ラミアの実家では、なんの準備もしていないときに限って、祖父が大工仲間を連れてきて宴会を開くことが多く、それに合わせて料理をしていたから、必然的に包丁は素早く使えるようになった、と手を止めず振り返って答えるのだ。よそ見したら手を切る指を切る、と周りが慌てるが、最後までその手を止めることは無かった。

 しばらくすれば、正確無比に切りそろえられた千切りキャベツが積まれ、このときラミアは、『覇級の千切りキャベツ製造機』という称号を得るに至った。

「んな称号いらないって…」


 昼食堂の時間も終われば、今度は酒場としての準備が始まる。一時間ほどの休憩を挟んだ後、千切りキャベツ製造機はものの数分で必要量を切りそろえ、すぐに肉の下ごしらえを手伝う。

 調理をして、料理をテーブルに運んで、そして一日は過ぎていく。

 そして夕刻。冒険者達が仕事を切り上げ、各々の拠点に戻ってくる頃合いとなった。アルフも同じく、スニラフスキーの宿へと戻ってきた。

 暖簾をくぐったアルフは、なんと無しにラミアの姿を目で探す。彼女はこれから酒場として営業される食堂の準備を手伝っていた。朝はタイミングが悪く会えなかったが、今こうして彼女の侍女服姿を見て、一瞬見蕩れてしまった。ラミアのそういった姿は新鮮だったのもある。

 アルフはいつまでも見ていたかったが、邪念を追い出して声をかけた。 

「よお」

「アルちゃんいらっしゃい。冒険者協会の方はどうだったの?」

「ま、ぼちぼち。ほとんどが周辺の魔獣や魔物討伐って感じだね。まだ冒険者としては駆け出しだから北側には行けないけど、西側も結構多い。今日の肉は多分俺が狩ったやつかもしれないな」

「あらそうなの?」

 おどけて答えるアルフに、ラミアもおどけて答えた。

 専属契約をしているならまだしも、協会依頼で討伐された魔獣は、一度協会倉庫に集められてから売却される。それらが各市場に廻され、消費者の元に行くのだ。誰が狩った物かは普通は分からない。

「泊まりか食事かは受け付けに言ってね」

「ああ、わかった」

 アルフは受け付けに立つアリーナに、一泊二食付きのプランを頼んだ。

「うん、アルフお兄ちゃん。今日は一人部屋が空いてるよ。お姉ちゃんとお話ししたいなら二人部屋もあるけど、どうする?」

 アリーナの態度は、昨日とは一変して敵愾心などはない。元々これが自然なものであり、昨日はアルフがラミアと先に再会していたことに、ほんの少し嫉妬を感じていたからに過ぎない。

「そうだな…、いや話すだけなら一人部屋でも大丈夫だろう」

「うん。わかった」

 アリーナはカウンター脇から鍵を取り出して渡す。

「二一四号室。角部屋だからね」

「ああ、ありがとう」

アルフは料金を手渡し、鍵を受け取る。

「夕飯はもう始まるからすぐに食べられるよ。朝は六時から。…後お肉と千切りキャベツはお姉ちゃんが担当したからね」

 荷物を置いたアルフは、軽く翌日の準備を済ませてから食堂に降りてきた。

 そのほんの僅かの時間に客が押し寄せてきており、昨日に引き続き結構賑わっていた。空いている席に座ると、ラミアが料理を二食分運んできた。

「おまたせ」

「いや、全く待っていないぞ?」

 苦笑するアルフに、ラミアは笑顔だけで答えながら着席する。

「なんかアルちゃん来たんだったら一緒に飯食えって、アンナさんが」

 変な気を回されてるな、とアルフは思う。

 アルフも娯楽小説を読むし、今のシーンが特定のシチュエーションで多いことに気づく。

 超がつくほどの鈍感主人公と、それに好意を寄せているヒロインをひっつけようと外野が動いている場合が殆どだ。そして結果も大概不発に終わる。

 アルフは、それほど鈍感では無い、と考えている。目の前でご飯をおいしそうに頬張るラミアの気持ちを、それなりに知っている。ただそれが、自惚れなのかそうであって欲しいという願望なのか事実なのか、その判断が付いていない。そしてそう考える自分こそ、ラミアに好意を寄せているということに気づかせてくれている。

 周りの思惑はともかくとして、ゆっくり考えたいな、とアルフは考えていた。


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