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婚約破棄からはじまる物語

うつけ者ですが愛する殿下が破滅するのを見過ごすわけにはいきません

作者: 弍口 いく

「イザベラ・マンゾーニ、君との婚約を破棄する!」

 芝居がかった口調で声高らかに宣言したのはこの国の王太子ジェレミー・スウェイン殿下です。


 ハニーブロンドにエメラルドの瞳、容姿端麗で性格は明るく裏表がない、誰からも好かれるタイプのキラキラした十六歳の王子様。運動神経も抜群で剣の腕は一流ですが、脳筋で深く考えずに行動する単細胞です。


 そんな彼に、たった今、婚約破棄を言い渡されたわたくしイザベラは、隣国王家の血を引くマンゾーニ公爵家の長女、王立学園に通う十六歳です。サラサラストレートの銀髪にアメジストの瞳、自分で言うのもなんですが、すこぶる付きの美少女です。見かけだけでなく中身も一流、頭脳明晰で品行方正、思慮深い淑女の鑑と言われていますの。


 今は王家主催の夜会の真っ最中、招待客が何事かと注目していますわ。国王陛下と妃殿下も程なく騒ぎに気付くでしょう。どう収拾をつけるつもりなのでしょうか? いったいなにを考えているのでしょう?このうつけ者は……私には理解できません。


 ジェレミーの傍らに寄り添っているのは初めて見る少女でした。彼の交友関係は把握しているはずですが、見覚えがありません。彼と同じハニーブロントにエメラルドの瞳の美少女、二人ともキラキラしていてお似合いですけど……。


「俺はナディアを愛しているんだ」

 不自然に芝居がかった口調で続ける彼に、私は冷ややかな目を向けました、とんだ大根役者ですこと。


「真実の愛を知ってしまったんだ」

 ああ、このセリフは聞き覚えがありますわ。どこかの国の王太子が身分の低い男爵令嬢と恋仲になり、婚約者である公爵令嬢との婚約を破棄した。この〝真実の愛物語〟は流行になり演劇にもなりましたわね。


 そのストーリーに則しますと、このあと、そのナディアさんに嫉妬して虐げていた私が弾劾される運びですのね。でも、残念ながらそれは無理です。先ほども言いましたように、私は彼女とはじめて会ったのですもの、学園の生徒でもなさそうですし……。どう続けるつもりなのでしょうか? 臭い三文芝居を見ていられなくて、イラっとしてしまった私は口を挟みました。


「それで? そのご令嬢と婚約し直すとおっしゃるのですか?」

「いや、それは……」

 あら、違ったのでしょうか?


 それにしてもジェレミーの様子が変ですわ。いつも予想外の行動で驚かされますが、これはなにか違うような気がします。違和感を覚えた私の目の端で、国王陛下が立ち上がるのが見えました。


「詳しいお話を聞かせていただきましょう、別室で」

 これ以上騒ぎが大きくなる前に連れ出さなければなりません。ジェレミーに絶対零度の視線を突き刺しました。魔力で彼を拘束しましたの。私は強い魔力の持ち主です。王族に魔力を行使するなど許されることではありませんが、非常事態です。


「うっ……」

 発言も封じました。

「皆さま、お騒がせ致しました。私たちは失礼させていただきますが、このまま夜会をお楽しみください」


 そして軽くお辞儀をしてから出口に向かいました。魔力で拘束したお二人を伴いさっさと退出させていただきました。



   *   *   *



「それで、どういうことか詳しく聞かせて頂きましょうか」

 私たちは別室へと移動しました。

 そして、従者を全員下がらせました。


「どういうことって、さっき言った通りだ、君との婚約は破棄する」

 魔力で従わせたことへの非難がないところをみると、後ろめたい気持ちがあるようですわね。ジェレミーはバツ悪そうに目を逸らしながら言いました。


「その理由を伺っているのですが、そちらのご令嬢が原因なのですか? 彼女と婚約し直されるつもりなのですか?」

 先程は言葉を濁したので、もう一度問いただしました。

 彼女は居心地悪そうにジェレミーの横に座っています。

「ああ、俺はナディアを愛している」


 やはり変ですわ、答えるのを避けているような……。いつものジェレミーなら答えは完結、YesかNoです。嘘をつけない彼が無理をしているのは見え見えですわ。何年付き合っていると思っていますの?


 私たちが婚約したのは五歳の時、それから十一年、私は一途にあなただけを見てきたのですよ、私の初恋ですもの。あなたのことは、あなた自身より理解していると自負しております。


 それにこの方、ナディアさん、どこかでお会いしたことがあるような……。やはりジェレミーに似ていますわ。まさか、陛下の隠し子? 妹と言われれば頷けます。


 でもそうなら、私との婚約破棄とどう繋がるのでしょう。


「では、もう私のことは愛していないとおっしゃるのですか? この十一年間、愛し合っていると思っていたのは私の独りよがりだったのですか? それとも最初から愛しているのは私だけでしたの?」


 瞳を涙で潤ませてみせましょう、いつも毅然としている私が別の顔を覗かせればジェレミーの心は揺らぐはずですわ。彼が私にベタ惚れなのはわかっております、すぐに白状するでしょう。


「違うわ! 二人は確かに愛し合っていたわ!」

 ところが、なぜかナディアが身を乗り出しました。

「おい」

 ジェレミーが止めようとしましたがナディアはかまわず続けます。


「五歳までの記憶だけど、お父様とお母様は仲睦まじくて、誰の目から見ても愛し合っていたわ」

「はい?」

 お父様とお母様って、この方、何をおっしゃってるのかしら? 話が嚙み合わない系のご令嬢なのでしょうか?


「変なこと言ってると思ってるのね」

 呆れたような私の表情を見てナディアは真剣な目向けました。

「でも、あなたたちは私の両親、私は娘よ」


 ええ、とても変なことを言っていますよ。お医者様をお呼びするレベルですわ。ジェレミーも手に負えなくて話を合わせているのでしょうか? そうしなければ暴れるとか……。お見受けしたところ、彼女は魔力をお持ちのようですから。


 私はどう対応していいか戸惑ってしまいました。するとジェレミーが、

「本当なんだ、ナディアは俺たちの娘だ。二十年未来から、時を超えてやって来たんだ」


 そういう設定で話を合わせろと? それにしては真顔ですわ、ナディアさんも真剣そのもの。


「ナディアは君の強い魔力を受け継いだ、その魔力を使って、二十年の未来から時を遡ったんだ」

「そんなこと不可能ですわ」


「ええ、普通なら考えられないでしょうけど、でも命を賭けたから成功したのよ。もう魔力は少ししか残ってないから戻ることは出来ないけど、それでも、過去を変えられるなら」

「過去を変える?」

「お父様とお母様が結婚するのを阻止するために来たのよ、弟に間違いを起こさせないために」


「話が読めませんわ、(それが真実なら)最初から順を追って話しくださる?」


 このような荒唐無稽な話、他人が聞いたら頭が変だと思われかねませんわ、従者を無理に下がらせて正解でした。


「二十年未来から来た私は、これから先に起きることを知っているわ。お父様とお母様は王立学園を卒業してすぐ、十八歳で結婚する。その二年後、私たち双子、私と弟のナイジェルが生まれるの。その二年後、先王の急死により二十二歳の若さでお父様は王位につく。そして三年後、二十五歳で二人とも毒殺されるのよ」


「はあ?」

 私としたことが思わず淑女らしからぬ間抜けた声を漏らしてしまいました。


「両親が殺され、私たちも危険だと思った側近が、すぐに逃がしてくれたから私たちは助かったわ。すべてを画策したのは先代からの宰相デュポン公爵よ、彼は自分の娘婿である第二王子のサミュエルを次期国王に据え、傀儡にして実権は自分が握り、権勢を思いのままにしたのよ」


 近隣諸国との関係も良好で、戦のない平和な時世と油断していたところ、身近な裏切りにより、毒殺と言う卑劣な手段で王位を奪われるのですか。

 ナディアの話を鵜呑みには出来ませんが、嘘をついているようには見えないほど真に迫っていました。


「私と弟は逃亡生活を強いられた。王家の血を引いている私たちをデュポンは亡き者にしようと暗殺者を放ったから、常に命を狙われる恐怖の日々だったわ。でも、生き延びることが出来たのは、私たちが母親譲りの強い魔力を持っていたからよ」


「私たちを保護してくれていた忠臣たちからすべてを聞かされていたし、いつか正当な後継者である弟を王位につけようと機を窺っていた。でも、ナイジェルは精神がか細過ぎたの。命の危険と隣り合わせの逃亡生活に耐えきれず、心を病んでしまった。そして闇に落ちたの」


「闇に落ちた、とは?」

「憎悪に心を支配されて、闇魔法でこの国を破壊してしまったの」

「国を破壊って、どういうことですの?」

「文字通り破壊よ、憎しみの炎に焼き尽くされて国が無くなった。国土は焦土と化したのよ、国民を全員巻き込んで」


 ショッキングな話に愕然としてしまいました。ジェレミーは私の横に来て動揺を隠しきれない私の肩を優しく抱いてくれましたわ。ああ、やっぱり私は愛されているのですね。


「ナイジェルは私より強い力を持っているから、暴走した弟を止めることは出来ない、だからここへ来たのよ、私たちが生まれる前の時代に」


 ナディアがこの時代に来てジェレミーと会ったのは一週間前らしいです。そう言えば、その頃からジェレミーの様子が変でしたわ。まあ、彼はいつも変ですから、あまり気にしていなかったのですが、こんな話を聞かされていたのですね。


 それからナディアは認識阻害の魔法で存在を隠しながら、ジェレミーの部屋に居座っていたらしいです。年頃の男女が寝食を共にするなんてふしだらですけど、彼女の話が真実なら、娘に発情する父親はいないでしょう。もしかしたらいるかも知れませんが、ジェレミーに限ってはありません。


 でもそんな話、すぐに信じることは出来ません。ジェレミーはこの一週間、事細かに聞かされて、信じるようになったらしいですが、私は、今、聞いたところですもの。

 本当にナディアが語ったことは、これから起きることなのでしょうか?


 でも、思い当たることはあります。宰相のデュポン公爵は信用できない腹黒ですし、さらなる権力を手に入れ私腹を肥やそうと考えていても不思議ではありません。


 第二王子のサミュエルが傀儡にされる、それも考えられることです。頭脳明晰で努力家のサミュエルが、さして優秀でもないのに妙に人望があるジェレミーに対して劣等感を持ち、嫉妬しているのはわかります。そんな心の隙に付け込まれたのかも知れません。


「この国が亡びるんだぞ、それも俺たちの息子の手によって、そんな悲劇は起きてはならないんだ」

「それが婚約破棄とどう繋がるのです?」


「つまり俺は腹心たちに裏切られて毒殺される愚王になるわけだ。それならいっそ最初から王位を継がなければいいだろ。公爵家の令嬢で優秀な君との婚約を破棄するような愚行を冒せば、俺は恐らく廃太子になる。俺たちが結婚しなければナイジェルは生まれない、国を亡ぼすこともない」


 なぜそのような考えに至るのか、二人の思考回路が理解できません。

「一週間、二人で考えた結論がそれなのですか?」

 なんという浅慮。


「私たちが結婚しなければ、双子は生まれません。今、ここにいるナディアの存在もなくなるのですよ、それは理解していますの?」

「ええ、二人が結ばれなければ私は消える、もちろんナイジェルも」

 ナディアは理解しているようです。


「消えるって!?」

「そこには考えが至らなかったのですね? 彼女は命を賭けてこの国の滅亡を阻止しようとしていますのよ」

 いつの間にか私は、ナディアの話が全て真実だという前提で話をしていました。


「そんな大義名分のためじゃないわ、ナイジェルが苦しむ姿を見たくないだけよ、あんな辛い目に遭うなら、心を壊してしまうほど苦しむなら、いっそ生まれてこない方がよかった」


 私はゆっくり立ち上がり、ナディアの横に移動しました。なぜそんなことをしたのか自分でもわかりませんが、涙ぐんでいる彼女をしっかり抱きしめていました。


「浅はかですわ、これだけの情報を持っているのですから、もっと違うやりようがあるでしょう」

「えっ?」

 向かいに座るジェレミーはキョトンとした間抜け面を晒しております。


「むざむざあの男に国を乗っ取られてもよろしいの?」

「そうなれば罪のない国民が犠牲になることはない」

「いいえ、そのような男が権力を手に入れれば、ただただ私腹を肥やして好き勝手に権勢をふるうだけです、国民の幸せなど考えませんわ。貴族は汚職にまみれ、いずれ国は滅びの道を辿るでしょう、その過程で一番苦しむのは国民ですのよ」


「……」


「戦わずして退くなんて、王族として恥ずかしくありませんの?」

「そんなこと言っても、君も殺されるんだぞ、俺と関わらなければ、君ほどの女性なら他の誰かと幸せになれる道があるだろ」


「私が他の方と結ばれてもいいのですか?」

「う……」

 ジェレミーは滑稽なほど顔を歪めました。そんな顔をするくらいなら、最初から言わなければいいものを。


「あなたの傍以外に私の幸せはありませんのよ」

「イザベラぁ!」

 ジェレミーは涙目で私に抱きついてきました。横に娘がいるというのに。

 なぜかナディアも泣きやみませんが……。


 まったく……、ナディアの話を聞いての選択が、まず私との婚約破棄だなんて、話になりません。


 王たる器ではないかも知れませんね。国を統治するためには、危険物を排除する非情な選択をしなければならない時もあります。彼に出来ないのなら私がやりますわ。彼の甘さ弱さを補ってみせます。

 毒を飲まされるのではなく毒になってみせますわ。それにしても……。


「毒殺?とは少々変ですわ。私は五歳で王太子の婚約者になった時から準王族として扱われ、毒に耐性をつける訓練も受けていますのよ。簡単には死にませんわ」


「お母様のことをよく知っている者が犯人なのよ、お母様にも有効な毒を手配し、怪しまれずに飲ませることが出来た」

「そんな人物……」

「アルラウネです」


 この日一番の衝撃でした。

「まさか、彼女は公爵家にいる時から、私に仕えてくれていた侍女よ、王宮入りする時も付いてきてくれた」

 それが本当なら……信用していましたのに、まさか彼女に裏切られるなんて思いもよりませんわ。私も甘かったという訳ですね。


 でも怯んではいられません。

「ナディアの話で反乱分子は把握出来ました。その筆頭がデュポン公爵なら、彼を排除すればよいのです、私たちが身を引く必要はありませんわ」


「でも、どうすればいいの?」

「ですから、排除致します」

「おい、ちょっと待て、君が手をくだすつもりか?!」


「今のうちなら物理的に排除することも、私の魔力を行使すれば簡単なことでしょう。でも、それではあの人と同じになってしまいますわ」

「じゃあ」

「陰謀を暴きます」


「さすがお母様! 私は間違ってしまったのですね、最初からお母様のところへ行くべきでした。お母様は私たちに厳しかったらついお父様を頼ってしまいました」


「さしずめジェレミーは甘々にただ可愛がる父親で、その分、私が厳しく接していたのでしょう」

「おっしゃる通りです」


「なにをするつもりなんだ? なんか怖いんだけどその顔」

「淑女に対して失礼ですよ」

「でも……過激なことはするなよ、まだ何も起きていないんだから」

「わかっております」


 デュポンが実行に移すまで九年、念入りに計画が練られているはずですわ。今現在も、悪事に加担する仲間を募っているはずです。そう言えば第二王子のサミュエル殿下が宰相の娘グリニスと婚約したことにより、第二王子派という派閥が出来つつある兆候があると小耳に挟んだことはありますわ。


 まさかそれが王家乗っ取りにまで発展するなんて、考えが及びませんでしたわ。もう私たちを追い落とす計画がはじまっているのですね。相手は腹黒の古狸、まだ十代の私たちが気付かないのも無理なかったのかも知れませんが、娘が命を賭けて知らせてくれてこと、無駄にはしません。



   *   *   *



 しばらくして、夜会が終了したのか、陛下と妃殿下が様子を見に来られました。


「大変お騒がせして申し訳ございません。でも、ちゃんと仲直りしましたから、ジェレミー殿下を責めないでください。私にも悪いところがありましたし」

 私は立ち上がり、深々と頭を下げました。


 この話をお二人にするつもりはありません。陛下はデュポン公爵を腹心として信じ切っておられますから。近い将来、暗殺されるとは知らずに……陛下の急死は恐らくデュポンの仕業でしょう。


「ただの痴話喧嘩と申すのか?」

「お恥ずかしい次第です」

「その娘は?」

 陛下はまだ鼻を啜っているナディアに視線を流しました。


「彼女は何もわからずにただ巻き込まれただけです、お咎めなきようお願い致します」

「あなた……」

 妃殿下は食い入るようにナディアを見ておられます。女の勘なのでしょうか、まさか自分の孫だとは思わないでしょうが、ナディアになにかを感じているようです。


「我が公爵家で下働きをしている平民です」

「そう」

「とにかく、婚約破棄云々はございませんので、今まで通りよろしくお願いいたします」

 私はもう一度、深々と頭を下げ、ジェレミーにも促しました。


 そんな様子を見て陛下は大きな溜息を漏らしました。

「尻に敷かれっ放しのようだな」

「このくらいがいいのですよ、ジェレミーはうつけ者ですから」


 妃殿下は自分の息子をよく知っておられます。妃殿下との関係は良好で尊敬しております、だから妃殿下にも長生きして頂きたいのです。



   *   *   *



 王家に〝影〟が存在するように、我がマンゾーニ公爵家にも優秀な影が存在します。国王陛下は宰相であるデュポン公爵を信頼しているようですが、きっと巧妙に騙されているのでしょう。今現在も叩けば埃が出るはずと、我が家の影に、徹底的に調べさせました。


 しかし、怪しいところはあるものの、なかなか決定的な証拠は掴めません。さすが切れ者の腹黒ですわ、今の私では太刀打ちできそうにありません。

 仕方なく崩しやすいところから狙うことにしました。


 ナディアの話ですと、第二王子サミュエル殿下は将来デュポンの傀儡となり、実の兄であるジェレミーを裏切そうです。幼い頃は仲のいい兄弟でしたが、グリニスと婚約して、後に義父となるデュポンとの接触が増えて、徐々に洗脳されたのでしょう。もしくは薬を盛られたか……。でも、今ならまだ間に合うでしょう。


 デュポン公爵に隙はなくても、十四歳の小娘で甘やかされて育ったグリニスは隙だらけですわ。私にライバル心剥き出しの目を向けてくるところを見ると、きっと、太陽のように明るい王子ジェレミーのほうが好みなのでしょう。本当は彼と婚約したかったのだと思える節があります。


 それにサミュエルにはうまく隠しているようですが、真面目で内気な彼に満足していないのは見ていてわかります。だから甘い言葉を並べる遊び人の令息と懇意にしているようです。知る人ぞ知るという感じでバレていますよ。父親の思惑など知らない愚行ですわ。


 そんなグリニスの本性を知れば、兄と比べられるのを最も嫌うサミュエルが深く傷つきます。彼とはジェレミーを通して幼い頃から親しくしていた幼馴染のようなもの、だから今までは耳に入らないように気を配っていましたの。


 しかし、グリニスは父親の手先となる悪だったようなので、それならば今のうちに排除して、サミュエルを救ってさしあげましょう。



   *   *   *



 私はそれとなくサミュエルに接触しました。

「隣国ボルゾイのフリージア王女を覚えているかしら、私のハトコに当たるのだけど」


 私の祖母は隣国ボルゾイ王国の第三王女でした。ボルゾイ王国に留学していた祖父と恋に落ちて我が公爵家に嫁入りしたのです。つまり、現ボルゾイ国王陛下と我が父は従兄弟同士、マンゾーニ公爵家がスウェイン王家から一目置かれる存在である由縁です。


 唐突な私の問いかけに、サミュエルは意図が掴めず不思議そうに小首を傾げました。幼い頃は親しくしていましたが、ある程度の年齢になるとお互い婚約者がいる者同士として、二人きりの接触を避けていましたから。


「ええ、以前お会いしたことがあります」

「覚えていて下さったのね。フリージアはその時、あなたに一目惚れしたそうよ」

「はあ?」

 それは嘘ではない。金髪碧眼の美少年に熱い眼差しを送っていた。


「彼女、あなたの婚約が調って、ガッカリしていたのですよ」

「なぜ、いまさらそんな話をなさるのです」

 サミュエルは怪訝そうに眉をひそめました。ジェレミーと違って用心深い性格です。

「実はね、フリージアとあなたの縁談が持ち上がっていたことがあるのですよ」


 我がスウェイン王国と隣国ボルゾイ王国は、常に大帝国カサンドラの脅威にさらされています。帝国の侵略を防ぐためにも両国の連携と強固な結びつきが重要だと考えたボルゾイ国王と我が父が、フリージアとサミュエルの縁談をまとめようとしていたのです。


 しかし、それを察知したデュポン公爵が、国内での地位を盤石にしたいがために、強引にグリニスとの婚約を打診、国王陛下はデュポン公爵に全幅の信頼を置いていたので、すぐに調ってしまったのです。その時は既にサミュエルを駒にしようと考えていたのでしょうね。


 デュポンが胡散臭いと気付いているお父様は、先を越されたと悔しがっていました。

 あら? ディアナの話には登場しませんでしたが、お父様はどうなったのかしら? ディアナとナイジェルはお父様にとって孫にあたるのに、公爵家で保護できなかったのでしょうか?

 まさか……、考えたくはないけど、先に消された?


 それはともかく、今は、

「私はね、あなたとフリージアはお似合いだと思っていのですよ、それにもしフリージアとの婚約が調って、あなたがボルゾイへ婿入りすれば、二国間の繋がりは強固になり、両国の懸け橋としてあなたは歓迎されるでしょう」


 聡いサミュエルのことです、その意味は十分理解できるでしょう。

「それにフリージアは気が強そうに見えて一途ですから、浮気など致しませんし」

 ダメ押しもしました。


 サミュエルは黙っていましたが、これでもう気付いたと思います、私がなにを言わんとしているか……。そして、精一杯の演技で、将来義弟となるサミュエルと心配しているように瞳を潤ませてみせました。



   *   *   *



 サミュエルはすぐさま王家の影にグリニスを見張らせたようです。そして、彼女が複数の令息と親密にしている事実、そして、サミュエルの悪口を並べ、ジェレミーと婚約したかったと漏らしていたことが明るみに出ました。


 王家の影の調査報告書を見せられた国王陛下と妃殿下は、サミュエルの希望通り婚約破棄することを了承し、父親のデュポン公爵も同意せざるを得ませんでした。

 内容は幼稚なものですが、王族を中傷する不敬な発言と軽率な行動、なにより愛息サミュエルの心を傷付けたことは陛下の逆鱗に触れました。


 デュポン公爵家からの要望で結ばれた婚約にも関わらず、娘の浅はかな行いが明るみに出て、デュポン公爵は監督不行き届きの責任を取り、宰相の職を辞しました。グリニスはまだ十四歳と幼く、不貞を働いたとまではいきませんが、王族への不敬を問われ、しばらく領地で謹慎することになりました。その間に私が盛大に噂を広めますから、彼女は二度と王都の社交界に顔を出せないでしょう。


 その後、あっという間に、フリージアとサミュエルの婚約が調い、彼は我が国の王立学園ではなくボルゾイに留学することが決まりました。卒業後はすぐに結婚するでしょうから、もう、スウェインに戻ることはありません。これでサミュエルが悪に利用される未来は消滅したでしょう。


 デュポン公爵の勢いを削いだとはいえ、彼が筆頭公爵の地位にいることには違いありません。このまま大人しく引き下がるはずはないでしょう。きっと起死回生を試みるはずです。この先、どんな陰謀を企てるのかはわかりませんが、敵がわかっている今、こちらも監視の目を弛めませんし、先手を打つことも出来ます。


 未来で私に毒を盛る侍女のアルラウネは、よい嫁ぎ先を斡旋して寿退職していただきました。無下に辞めさせて恨まれては困りますから、本当に好条件の相手を見つけてさしあげました。


 まだ裏切り者は残っています、全員排除してみせますわ。



   *   *   *



 二週間後。


「これで私たちの結婚の障害は無くなったでしょ」

 マンゾーニ公爵家の庭園のガゼボで、私とディアナ、ジェレミーは優雅にお茶を楽しんでいました。


「凄いわお母様!」

 ナディアはピッタリと私に寄り添っています。

「グリニスが浮気だなんて、まだ十四歳だろ、男を欲しがる年じゃないと思うけど」

 十六なのにまだまだお子ちゃまのジェレミーは驚いているようです。ちなみにグリニスが彼に好意を持っていたことは伝えていません。


「市井では貧しい家の女の子は、そのくらいの年で娼館に売られるのですよ」

「ひえーっ、マジか、俺は世間知らずだな」

「わかったのなら、将来に向けてもっと視野を広げなさい」

「そうだな、このままじゃ俺は愚王になるみたいだし、もっと勉強しなきゃ」

 三日坊主にならなければいいのですが。


「これで未来は少し変わるはずだわ、いいえ、変えてみせますわ、だからあなたも安心して未来へ戻りなさい」


「それは無理、魔力が足りないわ。どのみち魔力が完全に枯渇したら、私はこの時代に身を置けなくなるのはわかっていた。元の時代に戻れずに時間の狭間に放り込まれるか……、こんなことをした前例を知らないからどうなるかわからない」

 ナディアは帰る時のことなど考えていなかったのですね。


「魔力が十分なら戻れるの?」

「たぶん」

「では、私の魔力を全てあなたにあげるわ」

「そんなことが出来るの?」

「血の繋がった親子なら可能よ、……たぶん」

「たぶんかぃ!」


「大丈夫、きっと戻れますわ、そして、変わった未来を見ることが出来るはず、ナイジェルも無事ですわ」



   *   *   *



 ナディアを送り返すために全ての魔力を注ぎ込んだ私は、魔力切れを起こして一週間、意識不明に陥りました。

 我ながら無茶をしたものです。


 私がなぜ魔力切れを起こしたかを知っているのはジェレミーだけですから、医師に原因がわからないと言われて、周囲をずいぶん心配させたようです。


 ジェレミーがずっと付き添っていてくれたそうです。やはり私は愛されているのですね。





 普通の生活に戻った私は、ナディアを未来へ送り返したあの日を、時々思い出します。彼女はちゃんと未来に戻れたでしょうか? そして、未来は変わっていたでしょうか?


 ジェレミーとの関係も良好、と言うかあれ以来、恥ずかしいくらい溺愛されています。

 もちろん反乱分子への監視も怠りません、少しでも怪しい動きをする者があれば迷わず排除致します。


 そして王立学園を卒業した年、私とジェレミーは恙なく結婚しました。


 二年後、玉のような双子を出産しました。ナディアとナイジェルです。


 しかし、その先は大きく違っていました。その二年後、国王陛下は急死せず、ジェレミーが二十二歳の若さで王位につくことはありませんでした。その理由はおそらくデュポンが完全に失脚したからでしょう。ナディアの未来で国王が急死したのはやはりデュポンの仕業だったと思われます。


 ずっと、王家の影とマンゾーニ公爵家の影、ダブルで監視し続けた結果、デュポンの悪事を暴くことに成功しました。横領に密輸、違法賭博、人身売買などあらゆる悪事に手を染めていた動かぬ証拠を掴みました。公爵家は取り潰され、デュポンは処刑されました。


 そして、二十五歳を迎えた私たちはまだ生きています。五歳になった双子はかわいい盛りで、すくすくと成長しています。


 でも、ふと考えます。

 十六歳になったナディアが二十年の時を遡り、十六歳の私たちに悲惨な未来を教えてくれたからこその今なのです。


 このままいけば、この子たちに辛い未来は訪れません。心を病んで闇に落ちたナイジェルがこの国を焦土に変えてしまう未来もないでしょう。それならばナディアが過去へ行く必要がありませえん。


 もし彼女が十六歳になった時、過去へ行かなければ、私はデュポンの陰謀を知りませんし、排除することもできません。

 だとしたら、どうなるのでしょう?

 今が変わってしまうのでしょうか?


「どう思います?」

 ジェレミーに聞いてみますが、

「そんな難しいこと俺にはわからないよ、この子たちが十六になった時わかるんじゃないか?」

 と駆け出した子供たちを追いかけます。一国の王太子がなにをやっているのでしょう。まるで三人の子供を世話している気分ですわ。


 ああ、この能天気な人が将来国王としてやっていけるのでしょうか? でもこの寛容で明るい性格は、国民から絶大な人気があります。

 現在、王太子としての公務のほとんどを私が影で取り仕切っていることは、忠臣しか知らないことなので、ジェレミーは将来、賢王になると言われていますが……。

 これからも私がしっかりしなければなりません。


「そうね、未来がどうなるかなんてわからないわよね、それに怯えて暮らすより、今、この子たちを精一杯愛してあげましょう」

「この子たちだけ?」


 戻ってきて、子犬のような目を向けるジェレミーはいくつになってもどこか惚けたうつけ者ですが、もちろん、

「あなたも愛していますよ、これからもずっと」


   おしまい


 最後まで読んでいただきありがとうございました。

 婚約破棄からはじまる物語をシリーズにしましたので、他の作品も読んでいただければ幸いです。

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