第六話 願望
ジェイ、私を許してくれて、ありがとう。
「ここがレイン離宮……」
離宮の近くに転移したマヤリィはとりあえず『透明化』して周囲の様子を伺う。
(このまま中に入りましょうか…それとも……)
マヤリィはそう思いながら、自分の髪を触る。
自分の髪を触りながら、彼の言葉を思い出す。
彼の言葉を思い出しながら、そっと呟く。
「ジェイ…貴方は許してくれたのよね……」
ここに来る前、ジェイはマヤリィの肩先まで伸びた髪をバッサリとベリーショートにした。そして、後頭部を刈り上げている最中に小さな声でこう言ったのだ。
「マヤリィ。君が望むなら、桜色の都の理髪店に行くといいよ。…本当は、王子と同じ髪型にしたかったんじゃないの?」
「っ…。そんなこと、許されるの…?」
二人の会話はバリカンの音にかき消されて、ルーリには聞こえていない。
「君はこれから療養生活を送るんだよ?今はベリーショートに留めておくけど、君の心の傷が少しでも癒えるなら、もっと短くしたっていい。…しばらくは流転の國のことを忘れて、自分の為だけに生きて欲しいんだ」
「ジェイ……」
「誰も許してくれなかったとしても、僕が許す。それだけじゃ…駄目かな?」
王子と同じ髪型にしたい。でも、許されるわけがない。…そんなマヤリィの気持ちが、ジェイには痛いほど分かっていた。だから、許すという言葉を使ったのだ。
(綺麗に仕上げてもらったばかりだけれど…ジェイの言葉に甘えることにしましょうか)
そして、マヤリィはレイン離宮に入る前に、ある場所へと赴いた。
(ここかしら…)
少し歩いた所に、その店はあった。
どこの世界にもサインポールは存在するらしく、ひと目見ただけでそこが理髪店であることが分かる。
(早く見つけられてよかったわ。後は、他にお客さんがいないといいのだけれど…)
マヤリィが意を決してドアを開くと、すぐに店員が出迎えてくれた。
「いらっしゃいませ。…女性の方ですか?」
若い理髪師の女性は不思議そうな顔でマヤリィを見る。
「ええ。…髪を切って頂けますか?」
桜色の都の女性は皆ロングヘアであり、毛先を整える程度にしか鋏を入れないことは知っている。
その為、マヤリィは曖昧ながらもヘアカットの理由を説明する。
「私は女ですが、事情があって髪を短くしなければならず、この姿になりました。…されど、自分の力ではこれ以上切ることが出来なくて、こちらにお伺いした次第です」
「そんな…!さらに短くされるとおっしゃるのですか…?」
都の女性としては有り得ないほど短い髪を見て、理髪師は悲しそうに訊ねる。見れば、彼女は腰まである長い髪を後ろで三つ編みにしていた。
「はい。私はこの髪を全て落とし、丸坊主に致します」
「っ…!そこまでしなければならないのですか…!?髪は女の命と申しますのに…」
戸惑う理髪師に対し、マヤリィは静かな声で答える。
「覚悟は決めて参りました。どうか、私の髪を残らず刈り落として下さい。よろしくお願いします」
哀しみを秘めた美しい瞳に見つめられ、理髪師もようやく決意を固める。どうやら、他人であっても、女性の髪を短く切るのはつらいことらしい。
「丸坊主とおっしゃいましたが…長さはどのくらいに致しましょうか…?」
理髪師の女性は当然のようにアタッチメントを使うつもりで訊ねるが、返事を聞いて一瞬手が止まる。
「一番短い丸刈りにして下さい。それが…決まりですので」
マヤリィは真面目な顔で言う。
しかし、内心では、
(せっかくだもの。アタ無しのバリカンで丸坊主になりたいわ)
バリカン好き女子の願いが暴走している。
「か、畏まりました…」
女性はマヤリィの言葉に動揺しつつ、手早く準備を進める。…とても悲しそうに。
その様子を見て、マヤリィは優しく声をかける。
「私は大丈夫ですから、そんなに悲しそうな顔をなさらないで。…無理を言ってごめんなさいね」
「と、とんでもございません!」
女神のように慈悲深い眼差しを向けられ、理髪師の女性は反射的に跪いた。
「きっと貴女様の方がおつらいのに…私などの心配をして下さるなんて…」
そう呟くと、女性は真剣な顔でマヤリィに言う。
「貴女様の美しい肌を傷付けぬよう、細心の注意を払って職務にあたらせて頂きます」
もはや理髪師と客の会話ではない。
マヤリィ様は流転の國を出てもやっぱりマヤリィ様だった。
こんなところで配下増やさないで下さいね。
「では…始めさせて頂きます」
マヤリィは黙って頷く。
(ジェイ…ありがとう……)
彼が許してくれたから、私は丸坊主になれる。
(ああ、夢にまで見た瞬間ね…!)
額の真ん中にバリカンが当てられたかと思うと、頭頂部まで一気に刈り落とされた。
頭のてっぺんを刈られたら、もう後戻りは出来ない。
(気持ちいいわ…)
側頭部の髪もあっという間になくなり、快感に浸っているうちに襟足にもバリカンが潜り込んだ。
理髪師の女性は丁寧に念入りにマヤリィの髪を残らず刈っていく。
頭全体にバリカンを感じる。風も感じる。
(私…もうすぐ丸坊主になるのね…!)
マヤリィは仕上がりが楽しみだった。
今、鏡を見る限り、凄く似合っている気がする。
まもなく理髪師はバリカンを置くと、小さなシェーバーで産毛を剃ってくれた。
そして、鏡を持って仕上がりを見せる。
「いかがでございましょうか…?」
マヤリィは後ろも綺麗に刈られているのを確認して、満足そうに頷く。
「ありがとう。完璧な仕上がりです。…これで、安心して帰ることが出来ます」
丸坊主にしなければならないと話しつつ、詳しい理由を語ることもなく、最後まで曖昧な言葉で終わらせようとするマヤリィ。
一方、理髪師の女性は坊主頭になった女性客の姿を改めて見て、その美しさに息を呑んだ。
「不謹慎かもしれませんが…お客様はとても丸坊主がお似合いになりますね。頭の形も良くて…本当に美しいです」
「…そう言ってもらえると救われます。女の命は捨てることになってしまったけれど、心まで捨てたわけではありませんから」
そう言って微笑むマヤリィ。
髪を落とした彼女は元々の美しさに加えて、不思議と艶めかしさが際立ち、とても魅力的だった。
(本当に美しい…。この御方は…もしかして女神様の化身かしら…)
マヤリィの優しい微笑みを前にして、理髪師の女性はそんなことを考えていたが、彼女の言葉で我に返った。
「今日は本当にお世話になりました。私はこれで、失礼しますね」
「はい…!ここまでお越し下さり、ありがとうございました。どうか、お元気で…!」
「ありがとう。貴女も心穏やかな日々を過ごせますように」
そう言うと、マヤリィは店を後にした。…カット料金の三倍のコインを置いて。
(桜色の都のお金を持っていてよかったわ。お釣りを受け取るのもなんだから適当に置いてきてしまったけれど、大丈夫よね)
現金の受け渡しは苦手なマヤリィ様。
(…さて、レイン離宮まで戻るとしましょう)
念の為『透明化』すると、マヤリィはその場を立ち去った。
その頃、理髪師の女性は困惑していた。
置かれたコインの額が多いことに気付き、慌てて店を飛び出したものの、彼女の姿はどこにも見当たらなかったのだ。
(こんなに多く頂いてしまうなんて…。あの御方の美しさに見とれていて気付かなかった…)
本来受け取るはずの金額の三倍。しかも、まだ新しい硬貨だ。
(発行されたばかりの硬貨みたい…)
王都から遠く離れたこの地域では、新しいコインはあまり出回っていない。
(あの御方は…もしや貴族…!?それとも、やっぱり女神様の化身…?)
麗しい微笑み、穏やかな言葉遣い、優美な立ち居振る舞い、そして…。
(坊主頭の女性があんなに美しいなんて知らなかった…)
出来るなら、もう一度彼女に会いたい。
そう思いながら、理髪師の女性は、腰まである自分のロングヘアを鏡に映してみるのだった。
ジェイの言葉を思い出したマヤリィは、レイン離宮の近くの理髪店で丸坊主になりました。
変わった事情を持つ不思議な女性客を装い、理髪師に対して敬語で話すマヤリィですが、その気品と美しさを隠しきれるはずもなく…。
整った顔立ちに綺麗な素肌を持つマヤリィは頭の形まで美しく、忽ち理髪師の女性を魅了してしまいました。
…そう。マヤリィは元いた世界で許されなかった為か、今も化粧をすることはなく、常に素肌のまま過ごしています。
ジェイやルーリは勿論知っていますが、それに気付かない一部の配下達は「畏れ多くもマヤリィ様のメイクを真似する会」を発足させたとか。
流転の國の主様は、魔力だけでなく美しさも反則級です。




