第五話 変貌
マヤリィ、君をこのままの姿でレイン離宮に行かせるわけにはいかないよ。
レイン離宮での『転地療養』を明日に控え、その夜はジェイの部屋で過ごしたマヤリィ。
話したいことは沢山あったはずだが、よほど疲れていたのか、マヤリィは早々と眠ってしまった。
(マヤリィ…これで良かったんだよね…)
誰も先のことは考えていない。
今を乗り越えてから考えればいい。
(苦しい今の状態を乗り越えたら、また流転の國に戻ってこれるよね…)
ジェイはしばらくマヤリィの寝顔を見ていたが、やがて彼女に寄り添うように眠りについた。
次の日、ジェイの部屋で出発の準備をしているところへルーリが現れた。
「マヤリィ様、どうかゆっくり療養なさって下さいませ。流転の國は必ず私が守ります」
「ありがとう、ルーリ。貴女のお陰で、安心してレイン離宮に行けるわ」
「勿体ないお言葉にございます、マヤリィ様」
そんな言葉を交わしていると、
「マヤリィ、ちょっといい?」
ジェイが奥から声をかける。
「どうしたの?」
「ちょっと、そこに座って」
「ここ?」
マヤリィは言われた通り、そこに置かれている椅子に座る。
その時、
ジャキッ、ジャキン。
「っ!?ジェイ…!?」
いきなりジェイがマヤリィの髪を掴み、根元からバッサリと切り落としたのだ。
ジェイの右手には鋏が、左手には髪束が握られている。
「ジェイ!何をやってるんだ!?」
ルーリが慌てて駆け寄る。
しかし、ジェイは手を止めない。
ジャキッ、ジャキッ……
重い音を立てて、マヤリィの髪を切っていく。
「待って…そんなに短くしたら…」
そう言っている間にも、マヤリィの髪はどんどん短くなる。
鏡がないので今どうなっているのか分からないが、耳のすぐ近くで鋏の音が聞こえる。
何より、床には物凄い量の髪が落ちている。
「ジェイ……」
ルーリは何も出来ず、その場に立ち尽くしている。
やがて、ジェイは鋏を置いた。
「…ねぇ、ジェイ。私の髪、今どうなっているの?」
「見る?」
「見せて」
そう言われて、ジェイは鏡を渡す。
「っ…!どうして…?」
そこに映っていたのは変わり果てたマヤリィの姿だった。まだ粗切りの段階なので整っていない部分も多く、横の髪は耳が丸出しになるほど短く切られている。こうなってしまってはベリーショートにするしかないだろう。
「ジェイ、どうして…」
動揺するマヤリィに、ジェイは優しく言い聞かせる。
「まだ完成してないよ。…ほら、座り直して。これから、君の髪を刈り上げベリーショートにする」
ジェイはそう言うと、バリカンを手に取った。
「今切らなければ、君はいつまで経っても髪を切れない。だから…」
ジェイの声はいつの間にか涙に震えていた。
「…そうね。貴方の言う通りよ」
マヤリィは少し落ち着きを取り戻し、もう一度鏡を見る。
「ふふ、こんなに短くしたのなんていつ以来かしら。…ねぇ、ジェイ?ここまで来たら、私の髪、おもいっきり短く刈り上げて頂戴。…いいわね?」
突然髪を切られたことには驚いたが、もはやベリーショートにするしかないことが分かると、マヤリィは開き直った。
忘れかけていたバリカン好き女子が目を覚まし、髪を刈り上げる時の快感を求めている。
「ジェイ、いきなり私の髪を切った責任はとってもらうわよ?」
「…分かった。君の望む通りにするよ。容赦なく刈るから覚悟してね?」
ジェイは笑顔でそう言うと、マヤリィの髪にバリカンを入れた。
独特の機械音。髪が散っていく音。
みるみるうちにマヤリィの後頭部が青くなっていく。
(ジェイ…刈りすぎじゃないか?)
ルーリは心配になるが、マヤリィが嬉しそうにしているのを見て、そのまま見守ることにした。
「横はツーブロックよ?」
「了解。ジョリジョリにするよ」
とてもじゃないが王子に見せられない姿になって、マヤリィの断髪は終わった。
「ああ、気持ちよかった…」
切り始めとは打って変わって、マヤリィは恍惚とした表情を浮かべている。
「後ろはこんな感じですよ、姫」
ジェイがわざとそんな言葉遣いで話しかける。
マヤリィの後頭部はかなり上まで刈り上げられていた。触ってみると、ジョリジョリとした手触り。彼女が動くと、耳の上で切られた髪が軽く揺れる。ツーブロックにいたっては、アタッチメントを付けずに刈られていた。
「ふふ、さっぱりしたわ。…ありがと、ジェイ」
「喜んで頂けて何よりです、マヤリィ様」
二人が楽しそうに笑っていると、いつの間にかルーリがマヤリィの前に跪いていた。
「マヤリィ様。畏れながら、私も貴女様の御髪に触らせて頂きたいと存じます。…お許し下さいますか?」
マヤリィにはすぐにその言葉の意味が分かった。
「ええ、許すわ。…貴女と同じ色がいい」
「はっ。有り難きお言葉にございます、マヤリィ様。では、早速始めさせて頂きます」
(さすがはルーリ。っていうか、いつの間にカラーの準備してたんだろう…)
肩まであった黒髪から刈り上げベリーショートに変貌を遂げたマヤリィは、今から金髪になる。
(そういえば、流転の國に顕現した時、マヤリィの髪は肩まである黒髪だった。…顕現直後はあんなに嫌がっていたのに、ここ数年の間はあの時と同じ髪型だったなんて…。もしかして、ずっと我慢してたのかな…)
王子は抱っこされるたびに母親の髪を引っ張って遊んでいた。そうして、誰も気に留めないうちに、マヤリィの髪が肩より短くなることはなくなったのだろう。王子の為に。
一方、マヤリィも黙って王子のことを考えていた。
(貴方が少し大きくなったら、私は髪を切るつもりでいた。…けれど、皮肉なものね。自由に育ってきた貴方が、あろうことか私の断髪を拒絶するなんて。…きっと、元の世界のあの人達に似てしまったのね。王子が私に何を望んでいたのか今まで知らなかったけれど、あの人達の娘である私の血を受け継いだ子なのだから仕方ないわね。だからって、それは本当に嫌なことだけれど。…貴方は幾つになったら、短い髪の母親を許してくれるのかしら。それとも、永遠に許してくれないかしら。『変化』にしたってウィッグにしたって限度があるものね…。とにかく、今はまだこの姿を王子に見せるわけにはいかないわ。あの子に拒否されたら、きっと私は死にたくなる。…って、それなら逃避行なんかしないで死ぬべきだったかもしれないわね。もしかして、今からでも『宙色の魔力』を発動すれば…)
マヤリィの気持ちに呼応するように宙色の耳飾りが僅かに光る。その時、
「マヤリィ様。畏れながら、今何を考えていらっしゃるか伺ってもよろしいでしょうか?」
ヘアカラー真っ最中のルーリが後ろから声をかけてくる。
「宙色の耳飾りが光ったような気がしたのですが、気のせいにございますよね?まさかとは思いますが、宙色の魔力を使って魔術を発動されようとしているわけではないですよね…?」
ルーリさん鋭い。そして怖い。
「何のことかしら…?今、魔術を発動する必要なんてないでしょう?…貴女の気のせいよ」
「失礼致しました、マヤリィ様」
ルーリはそう言って頭を下げるが、一時的に感じた宙色の魔力は気のせいなどではないと思った。
(マヤリィ様…。貴女様はそこまで追い詰められていらっしゃるのですね…。宙色の魔力を使えば、この世界に存在する全ての魔術を発動出来る。それはすなわち、自傷行為の道具にもなってしまう。…いや、魔力が強すぎて自傷行為に留まらず、マヤリィ様が自死する結果になるかもしれない…。宙色の耳飾り、預からせてもらった方がいいか?)
ルーリはジェイに相談しようと思ったが、もし流転の國の外で何かあった場合、宙色の魔力が必要になるかもしれない。
(…マヤリィ様はこれから療養の為にレイン離宮に行かれるんだ。私がマヤリィ様を信じないでどうする)
ルーリは念話の発動をやめ、目の前の作業に集中した。
そして、お馴染みの姿に戻ったマヤリィは準備を済ませ、『長距離転移』の魔法陣を展開した。
「ジェイ、ルーリ、ありがとう。後は頼んだわよ」
「はっ!畏まりました、マヤリィ様」
ルーリが跪き頭を下げる。
ジェイは魔法陣に入る直前のマヤリィに近付き、
「マーヤ、愛してる。ここに顕現する前からずっとね」
そう言って優しく抱きしめる。
「ジェイ、私は必ず帰ってくるわ。そうしたら、今度こそ貴方から離れない。…約束する」
マヤリィはジェイを見つめると、その唇にキスをする。
「大好きよ、ジェイ。…行ってくるわね」
「うん。気を付けてね、マーヤ」
そして、マヤリィは魔法陣の中心に立つと『長距離転移』を発動した。
「…ジェイ、さっきから思ってたんだが」
マヤリィが『転移』してしばらく経った後、ルーリがジェイに聞く。
「『マーヤ』とは、マヤリィ様のことだよな?」
「そうだよ。彼女と僕が元いた世界での、マヤリィの愛称だ」
ジェイが元いた世界のことを思い出そうとすると記憶に靄がかかったような感覚に陥るが、かろうじて彼女をそう呼んでいたことは覚えている。
一方、ルーリには元いた世界というものが存在しない。
「時々、なぜ私には元の世界がないのかと考えることがある。…出来たら、お前と同じように、マヤリィ様と元の世界からご一緒したかったよ。そして、その可愛らしい愛称でお呼びしてみたかった…」
ルーリは寂しそうに笑うと、そのままジェイを連れて玉座の間に転移するのだった。
突然の強制断髪に戸惑うマヤリィでしたが、最終的には嬉々としてバリカンで髪を刈り上げてもらうのでした。
我が子への複雑な感情を胸に秘め、マヤリィはレイン離宮へ。
必ず帰ってくることを約束して『長距離転移』を発動しました。
流転の國に残されたルーリは、マヤリィの命令に従い、今日から最高権力者として皆の前に立つことになります。




