第四話 限界
そして現在。日本の暦上は2030年。
「…ねぇ、ジェイ。貴方は私と王子の間に何があったか知っているの?」
ジェイの腕の中で泣きながらマヤリィが訊ねる。
「ううん、聞いてないけど…。王子の髪型を見たらなんとなく分かった。王子は、君の望みを許してくれなかったんじゃないかな?」
(さすがはジェイ。よく分かってる)
ジェイが来るまでずっとマヤリィに寄り添っていたルーリは、二人の会話を黙って聞いている。
「…その通りよ。あの子ったら、自分ばかり坊主にして、私には髪を伸ばせって言うの」
マヤリィは心底悲しそうに言う。
「そんなの嫌だけれど…。私が髪を切ったら、きっとあの子は悲しむわね…」
…そう。だからマヤリィは髪を切ることを躊躇う。自分の心を抑え込む。
「あの子の悲しむ顔なんて見たくないわ」
「それはそうだけど…君は優しすぎるよ。やっと日本から解き放たれたのに、また自分を殺して生きていくつもりなの?」
ジェイは悲しそうな顔で言う。
流転の國で自由に生きて欲しいと育ててきた王子が、今は逆に母親であるマヤリィを縛っているのだ。
「髪、切りたいんでしょ?今までだって、王子が君の髪を嬉しそうに引っ張って遊ぶから切らなかったようなものだし…」
「確かに、王子様は赤ちゃんの頃から、マヤリィ様に抱かれるたびにその御髪を引っ張っておいででしたね。…もしや、その為に短くなさらなかったのですか…?」
ジェイとルーリにそう言われ、マヤリィは肩まで伸びた自分の髪を触る。
「…そうかもしれないわね。私の髪を掴むとあの子はご機嫌だったから…。短くしようと思えばいくらでも出来たはずなのに、完全にタイミングを逃してしまったわ」
そう言ってため息をつく。
「思えば、あの子も私の両親と同じ。女だからとか綺麗だからとか、そういう理由で私を止めるのよ。こんなところで隔世遺伝なんかしなくていいのに…」
『元いた世界』の家族の価値観を受け継いでしまったかのような王子に、知らず知らずのうちにマヤリィは縛り付けられていたらしい。王子が成長すれば、さらに干渉は酷くなるかもしれない。そうなれば、元いた世界と同じように、マヤリィの身に危険が及ぶ可能性だってある。…勿論、マヤリィの配下達がいる限り、そんなことはさせないが。
「けれど、実際どうなの?私は髪を伸ばすべきなのかしら。…ジェイ、どう思う?」
「僕はベリーショートのマヤリィが好きだよ。長くても短くても綺麗な髪であることには変わりないし、何よりマヤリィ自身が気に入っていたってことが大切だと思う。だから、とてもじゃないけど僕は君のご家族の意見には同意出来ない」
ジェイは即答する。
(さすがはジェイ…。今の質問が私に向けられていたら、うまく答えられなかったかもしれないな)
ルーリは感心する。彼はマヤリィの欲しい言葉をよく知っている。
「…マヤリィ、今から髪を切ろう。これ以上、君に苦しい思いをさせたくない」
ジェイはそう言うが、マヤリィは首を横に振る。
「いえ、切らないわ。…あの子が悲しむ顔を見たくないの。というより、怖いのよ。髪を短くしたら、王子は私のことをどう思うかしら。覚えたばかりの魔術を使って、私に意地悪するかもしれないわね」
マヤリィの思考は昔と変わらない。
「でも、あの子の言う通りにしたら、私は昔に戻ってしまうのね。長い髪の私に……」
その時、急にマヤリィの呼吸が乱れる。
「マヤリィ様!!」
過呼吸を起こしている。
「マヤリィ、落ち着いて。大丈夫だから。ここにはルーリもいる。…ほら、マヤリィ」
ジェイがそう言うと、ルーリがマヤリィを抱き寄せる。
「マヤリィ様。ルーリはいつでも貴女様の味方にございます。世界の全てを敵に回したとしても、私は貴女様の盾になります。…愛するマヤリィ様。貴女様の御為に私が出来ることはないでしょうか?」
「ルーリ……」
マヤリィが目を上げると、ルーリは優しく微笑んでいた。歳月を経ても、彼女の美しさは全く変わらない。夢魔というより女神のような佇まいでマヤリィを見守っている。
「大好きです、マヤリィ様」
今となってはジェイが事実上の夫なのでルーリに勝ち目はないが、顕現してまもない頃、マヤリィはルーリと愛し合ったことがある。
「…………」
しばらく経って、ようやくマヤリィは深呼吸が出来るようになった。
「ありがとう。少し、落ち着いたわ…」
しかし、次の瞬間とんでもないことを言い出す。
「…私、流転の國を出ようと思うの」
「えっ!?」
「ごめんね、ジェイ。私、やっぱり耐えられないわ。あの子を悲しませたくはないけれど、一緒にいたらきっと私はフラッシュバックを起こしてしまう。一緒に暮らし続けるなんて無理よ……」
マヤリィはそう言うと、ルーリの目を見る。
「お願い、ルーリ。流転の國の最高権力者になって頂戴。私の代わりに、皆を導いて欲しいの」
それを聞いたルーリは跪き頭を下げる。
「畏まりました、マヤリィ様。貴女様のご命令とあらば、身命を賭して最高権力者としてのお役目を果たさせて頂きます。…されど、貴女様はこの國を出て、どちらに行かれるとおっしゃるのですか…?」
「旅に出る、と言いたいところだけれど、私にそんな力はないから……どうしたらいい?」
過呼吸は落ち着いたが、心の中は全然落ち着いていない。
ジェイは混乱する。マヤリィの言葉が突然すぎてついていけない。マヤリィ自身でさえ、自分が何を言っているか分かっていないかもしれない。
「畏れながら、マヤリィ様。大切な御身を安全でない場所に送り出すわけには参りません。…貴女様のご病気を知っている桜色の都のツキヨ様にご相談するというのはいかがでしょうか?」
今、一番冷静なのはルーリである。
「ツキヨ様に…?確かに、彼ならマヤリィの病気の詳細も知ってるけど…エアネ離宮に匿ってもらうってこと?」
ジェイが聞く。
「ああ。現国王のヒカル様はご存知ないだろうから、あくまで内密に…ということになるが」
ルーリは説明する。
エアネ離宮は桜色の都の前国王であるツキヨの現在の居住地で、王都から離れた場所にある。
かつて桜色の都の者が引き起こした一連の騒動の後、ツキヨは王位を退きエアネ離宮に移り住んだ。聞けば、その離宮は人も少なく、とても寂しい場所だと言う。ルーリはそれを思い出し、内密にツキヨに相談してみてはどうかと考えたのだ。
ジェイとルーリが考え込んでいると、
「ごめんなさい。私、もう無理です…!」
マヤリィは完全に冷静さを失って、突然その場に座り込み、頭を下げた。
「お願いします…!どうか、私に心安らかな時間を下さい…!」
主という立場も忘れて、配下である二人の前で頭を下げ、懇願する姿はとても哀しく、とても痛々しい。
《限界だな、ジェイ…》
先に念話で呟いたのはルーリだった。
《マヤリィ様にこれ以上無理をさせるわけにはいかない》
《そうだね…。このままだと本当に取り返しのつかない事態になってしまうかもしれない。…ルーリ、君の言う通りツキヨ様に連絡を取ってみよう》
これまでずっとマヤリィを共に支えてきた二人は、流転の國以外で唯一彼女の病気について知っているツキヨに相談することを決めた。
その後どうなるかは分からないが、最終的にはマヤリィの意思を尊重し、これまで通り支えていくだけだ。
「マヤリィ様…!お顔を上げて下さいませ…!貴女様の願いとあらば、何としてでも叶えて差し上げたく存じます!」
ルーリはマヤリィの手を取り、力強い声で言う。
「マヤリィ、君が心安らかに過ごせるなら、僕はなんだってするよ。必ず君が心安らかに過ごせる所を確保するから、少しだけ待っててね」
ジェイは泣きたいのを堪えながら、笑顔を見せる。
「分かったわ…。ありがとう……」
マヤリィはそう言うと、もう一度頭を下げた。
その後、ジェイから連絡を受けたツキヨはすぐに返事をしたためた。『念話』は使えないので、抜群の飛翔力を持つ白い鳩に手紙を託した。
そこには、マヤリィ様の助けになりたい旨が書かれており、転地療養先としてエアネ離宮ではない場所の地図が同封されていた。
「桜色の都の南部、レイン離宮…?」
ルーリが地図を覗き込む。
「初めて聞く所だね」
ジェイも不思議そうな顔で手紙の続きを読む。
【レイン離宮には、私の妹にあたるリッカという魔術師が住んでおります。強大な魔力を持ちながら魔術師として活動することはせず、離宮から外に出ることもない変わり者にございますが、彼女ならばマヤリィ様を守って差し上げることが出来ると存じます。よろしければレイン離宮に連絡を取りますが、その際はマヤリィ様のご病気についても伝えることになりますので、どうかご了承下さいませ。それでは、お返事をお待ちしております】
「…これしかないな」
手紙を読み終えたルーリは即決した。
「ジェイ、すぐに返事を送るぞ」
「う、うん!待って、今書くから…!」
そんなわけで、物凄いスピードで手紙が交わされ、マヤリィの療養先が決まった。
「後のことは全部、任せていいかしら。…ごめんなさい、理由も言い訳も何も思い付かないわ」
自分の姿が見えないことを王子や配下達になんと説明させればいいか、マヤリィは分からなかった。
「マヤリィ様、何も心配なさらず、全て私達にお任せ下さいませ。貴女様が心安らかにお過ごしになれるよう、全力でお役目を果たすことを約束致します」
「ありがとう、ルーリ…」
マヤリィはそう言うと頭を下げる。
「本当に…ごめんなさいね……」
そんな彼女をジェイが抱きしめる。
「謝らないでよ、マヤリィ。君は何も悪くないんだから。…レイン離宮にいる間は全部忘れて、ゆっくり過ごしてね」
それを聞いたマヤリィはもう何も言えず、静かに涙を流していた。




