第三話 回想
「ああ、ジェイ…!来てくれたのね…!」
「マヤリィ…まさかこんなことになるなんて…」
ジェイが現れるなり抱きつくマヤリィ。
今、ジェイは彼女のことを名前で呼んでいる。
流転の國に婚姻届は存在しないが、二人は『夫婦』として皆から認められている。配下達の中には、マヤリィが妊娠したことが明らかになるまで二人の関係を知らなかった者もいるのだが、誰もジェイを責めることはしなかった。配下でありながら主と関係を持った男というより、マヤリィ様の御子の父親として、ジェイは皆から認められたのだ。
今も時々、ジェイはマヤリィの妊娠が発覚した時のことを思い出す。
それは夜の11時頃。いつものようにマヤリィの部屋で過ごしていたジェイは彼女の異変に気付いた。
何も言わず、急にマヤリィがベッドに横たわったのだ。
「姫…!大丈夫ですか!?」
慌てて彼女の元へ駆け寄るジェイ。
「ジェイ…。最近、こういうことがよくあるの。吐き気がして、動けなくなるのよね…」
マヤリィは苦しそうに言う。よくある体調不良とは違う気がする。
「姫、すぐにシロマを呼びます。無理に動かないで下さい!」
マヤリィは横になったまま、黙って頷いた。
《こちらジェイ。シロマ、至急マヤリィ様の部屋まで来てくれ。頼む》
規則正しいシロマなら既に寝ているかもしれないと思いつつジェイは『念話』を送るが、
《こちらシロマです。畏まりました。速やかに『転移』致します》
すぐに返事が返ってきた。かと思えば、ドアをノックする音が聞こえる。
(シロマ、早っ!!)
主の部屋に直接『転移』することは出来ないので、ジェイはすぐにドアを開けた。
「失礼致します。ジェイ様、ご主人様に何かあったのですか…!?」
ジェイがマヤリィの部屋にいることを不思議に思いつつ、シロマは中へ入り、マヤリィの傍まで来る。
「シロマ…?来てくれたのね…」
「ご主人様…!」
苦しそうな主を前にして、シロマは瞬時に『ダイヤモンドロック』を取り出す。
「…こんな時間に悪いわね、シロマ……」
「とんでもございません、ご主人様。すぐに魔術をかけさせて頂きます!」
シロマはそう言うと『全回復』を発動した。しかし、マヤリィの容態は変わらない。
「『状態異常解除』『鎮痛』『体力強化』…!」
回復魔法が効かないことが分かったシロマは、次々と違う魔術を発動する。何が原因の体調不良なのかは分からないが、どれはひとつでも効けば、マヤリィの身体が楽になると思ったのだ。
「解除が無理なら…『状態異常緩和』発動せよ」
予想以上の手強さを前にして、シロマは魔術レベルを一段下げた。しかし、それが良かったらしい。
「『緩和』ね…。確かに効いたみたい。少し楽になったわ…」
「貴女様のお苦しみを完全に除去することが出来ず、申し訳ございません。…ひとつお伺いしてもよろしいでしょうか?ご主人様はいつからこのような状態に…?」
魔力値の高い人間相手に幾つもの魔術を発動したシロマは疲労を感じながら、それでも『ダイヤモンドロック』を引っ込めることはせず、二人の顔を交互に見る。
「最近、時々こういうことが起こるの。原因は分からないのだけれど…」
「そのこと、僕は今日初めて聞いたんだけど、さっきはとにかく姫がつらそうで…。それで、慌てて君を呼んだんだ」
シロマは二人の話を聞くと、
「そうだったのでございますか…。ところで、ジェイ様はご主人様のことを『姫』と呼んでいらっしゃるのですか?」
不思議そうに言う。流転の國においてマヤリィは姫ではなく女王なのだから。
「う、うん…。マヤリィ様のことだよ。二人きりの時はいつも…」
「二人きり…になることが頻繁にあるのですか?」
「そ、そうだね…。頻繁かもしれない…」
シロマは二人がそういう関係にあることを知らない。それゆえ、こんな時間にジェイがご主人様の部屋にいることからして不可解だった。
その時、マヤリィが落ち着いた声で言う。
「ジェイ、誤魔化すのはやめましょう。…シロマ、隠していたわけではないのだけれど、ジェイと私は男女の関係にあるの。だから、今日も私は彼を部屋に呼んだ。そして、今夜もセックスするつもりでいたわ」
マヤリィ様、そこまで話す必要ありました?
「そ、そうだったのでございますね…」
マヤリィの言葉を聞いたシロマは思わず頬を染める。
「詮索するようなことを言ってしまい、申し訳ございませんでした。…し、しかし、そういうことでしたら、ご主人様の体調不良の原因に予測がつきます…。少し、よろしいでしょうか…?」
「ええ。原因が分からなければどうにもならないもの。…何か魔術をかけるのでしょう?頼むわ」
「か、畏まりました…。それでは…失礼致します…」
シロマは動揺しつつ、もう一度ダイヤモンドロックを構える。
「『鑑定』…!畏れ多くも、ご主人様のお身体の内部を拝見致します……!」
最上位白魔術師が発動した『鑑定』はマヤリィの身体に何が起きているかを明らかにした。
「……分かりました」
「えっ?分かったの?」
「はい…。分かりました」
シロマは真っ赤になって震えている。
それを見たマヤリィは心配そうな顔で訊ねる。だんだん自分よりもシロマの様子が心配になってきた。
「シロマ、結果を聞かせてもらってもいいかしら?原因が何であっても受け止めるから、教えて頂戴」
「はっ!驚きのあまり言葉を失ってしまったことをお詫び申し上げます。いえ、驚きだけではございません!私は今、喜びに打ち震えております…!」
(シロマ、大丈夫かしら…)
いつになく感情の起伏が激しいシロマを見て、マヤリィはますます心配になる。しかし、彼女から『結果』を聞かされた瞬間、二人もまた激しく動揺した。
「畏れながら、申し上げます。ご主人様の体調不良の原因は『つわり』によるものではないかと思われます」
「ええっ!?それって、もしかして…」
「はっ。ご主人様が妊娠なさっていることが確認出来ました。そして、お腹にいらっしゃる御子様の父上様は、ジェイ様ということになります」
シロマはそう言うと、マヤリィの前に跪く。
「おめでとうございます、ご主人様。貴女様の尊い血を受け継ぐ御子様がお生まれになるのです…!」
「そうだったのね…。ありがとう、シロマ。貴女のお陰でこの体調不良の原因が分かって安心したわ。ちょうどつわりの時期なのね。けれど…まさか私が妊娠するなんて…」
マヤリィも思いがけない展開に驚いていたが、涙を浮かべて喜ぶシロマを見て、安心した。きっと、他の皆も喜んでくれるだろう。
「ジェイ、傍に来て頂戴…!貴方と私の子が、ここにいるのよ…!」
「姫…!嬉しいです!!本当に、夢みたいだ!!」
ジェイはマヤリィの傍に駆け寄ると、その身体を優しく抱きしめた。
「マヤリィ、愛してる…!」
いつの間にか名前で呼んでいる。
「結婚…って制度はこの國にはないのかな?」
「ええ。婚姻届はないけれど、日本にいたら私達は間違いなく夫婦になっているわね」
顕現してから数ヶ月。まだ日本は2024年だろうか。マヤリィもジェイも33歳である。
「マヤリィ…!」
ジェイは感極まって泣く。
そんな彼を見て、マヤリィは甘い声でささやく。
「大好きよ、ジェイ。いつまでも傍にいてね」
そして、二人は熱いキスを交わすのだった。
……シロマがその場にいることも忘れて。
(マヤリィが妊娠したと分かった時は本当に幸せだった。無事に王子が生まれた時も、皆で喜び合った。…なのに、どうしてこんなことになっちゃったんだろう)
幸せだったあの夜。
幸せだったあの時。
幸せだったあの日々。
それらを全て鮮明に覚えているジェイは、マヤリィが我が子の言葉に傷付いて苦しんでいる今の状況を誰よりも悲しく思うのだった。
ジェイは思います。
(王子が『元の世界』の人々と同じようなことを言ったのだとしたら、マヤリィの心は今、想像もつかないほど傷付いている…)
いまだに治らない精神病。それに付随するフラッシュバック。過呼吸。深い鬱状態。
母親になってもなお彼女の病状は好転していません。それどころか、今は我が子に接するのさえ危険な状態に陥っています。
マヤリィと王子の関係が修復不可能でないことを祈るジェイです。




