第十五話 夢幻
寄り添って眠った二人の次の日…と言いたいところですが、ジェイはマヤリィのことを『姫』と呼んでいます。
「姫、朝ですよ」
珍しくジェイがマヤリィを起こす。
「大丈夫ですか?顕現させた薬が効きすぎてるような気がしますけど…」
前にツキヨから借りた医学書を用いて、元々この世界にはない睡眠薬を顕現させたマヤリィ。
そこまでは良いのだが、彼女は起きるのが極端に遅くなった。
今朝もなかなか目覚めないマヤリィを心配して、ジェイが声をかけたのだ。
因みに、ここはマヤリィの部屋。午前11時。もはや朝ではない。
「…今…起きるわ……」
そう言って目を開けるマヤリィ。
「ああ…もうこんな時間なのね」
マヤリィはゆっくり起き上がると、ジェイの方を見る。
すごく眠そうだが、寝起きとは思えない美しさである。
「姫って…本当にメイクしてないんですよね?」
「ええ、してないわ。元の世界で禁止され続けた結果、そっちの方は面倒になったのよ」
本人が言う通り普段からノーメイクのマヤリィは、起き抜けだろうと入浴後だろうと、変わらず美しい。
一部の配下達は「畏れ多くもお美しいマヤリィ様のお化粧を真似する会」を発足させているらしいが、その活動が実を結ぶ日は永遠に訪れないだろう。
強いて言えば、玉座の間にいる時は威厳ある女王の顔をしており、ジェイと過ごしている時は可愛らしい恋人の顔をしている、という違いくらいはある。
「今日の会議を午後からにしてよかったわ」
そう言いながらまだ眠そうなマヤリィだが、とりあえず立ち上がってテーブルに移動したのを見て、ジェイが聞く。
「姫、コーヒーをお淹れしましょうか?それとも、カフェラテの方が良いですか?」
「そうね…貴方のコーヒーが飲みたいわ、ジェイ。会議が始まるまで、一緒にいて頂戴」
マヤリィはそう言って微笑む。
「分かりました、姫。すぐに用意しますね」
ジェイは嬉しそうに頷く。
午後の会議までマヤリィと過ごせる幸せを感じながら、コーヒーを淹れに行くのだった。
「…ところで、姫。今日はどんな夢を見ていたんですか?」
コーヒーを飲みながらジェイが訊ねる。
「夢?」
「はい。珍しく寝言を言ってましたから」
「そうなの?嫌ね」
マヤリィは苦笑する。
「私、何を話していたのかしら」
「聞きます?」
「覚えているの?」
「はい」
「別に聞きたくもないけれど…気になるわね」
(私、いつから寝言なんて言うようになったのかしら…)
マヤリィは椅子の背に肘を置いて頬杖をつき、聞きたくない話を聞く体勢になる。
「それが、とても不思議だったんです。『私の愛しい子、生まれてきてくれてありがとう』って言ってたんですよ」
「えっ?私、夢の中で子供産んだの?」
マヤリィは怪訝そうな顔をする。
「はい。そういう夢だったみたいですよ。覚えてませんか?」
「全く覚えていないわ」
そう言ってマヤリィは首を横に振るが、ジェイは期待に満ちた表情で言う。
「姫、もしかしたら僕達の間に子供が出来る前兆かもしれませんよ」
マヤリィもジェイもまだ33歳。
可能性は十分にある。
しかし、
「子供が出来るのは良いけれど、私はその前に病気を治さなければならないわね」
「確かに、そうですね…」
テーブルの上には大量の薬が置かれている。
「元いた世界のことを思い出すと、ちゃんと育てられる自信もないし…」
そう言ってマヤリィは一瞬哀しそうな顔をしたが、すぐに笑顔を見せる。
「…心配しないで頂戴。私は貴方とこうして過ごせるだけで嬉しいのよ?」
「姫、僕も貴女と一緒にいられて本当に幸せです」
ジェイはそう言うと、マヤリィを抱き寄せ、優しい声で訊ねた。
「これからも貴女の傍にいていいですか?」
「当たり前でしょう?」
マヤリィは即答する。
「これから先もずっと私の傍にいて頂戴。たとえ流転の國を離れることがあったとしても、絶対に私から離れないでね」
夫…ではなく、恋人のジェイを見つめ、甘えるような声で彼女は言う。
「分かりました、姫。僕はどこまでも貴女についていきます…!」
ジェイは笑顔でマヤリィを抱きしめる。
彼はいつまでも彼女を『姫』と呼ぶだろう。
今のマヤリィは33歳。
あの6年後の出来事は全てゆめまぼろし。
決して実現しない世界線の物語である。