第八話 《影に潜む信頼》
砂塵が舞い上がる広大な模擬戦場。
焼けつく陽光に照らされた起伏の多い地形には、折れた木杭や崩れた防御柵が散乱し、まるで本物の戦場を切り取ったかのような荒涼とした光景が広がっていた。
そこかしこに立つ旗印は敵陣を示すもので、風に翻る様は戦の残滓そのもの。
重々しい馬蹄の響きと嘶きが空気を震わせる。
騎士生徒たちは小隊に分かれ、戦場を縦横無尽に駆け抜ける。
――ここでは情けは通用しない。
勝者のみが残り、敗者は退学。それがこの試験の掟だった。
サイラスの所属する三人小隊。
彼の背後に従うのは、青髪のノイッシュと緑がかった髪を持つアレック。
ノイッシュは背丈こそ低いが、引き締まった筋肉に覆われた体は、獣のような俊敏さを秘めていた。
馬上で重心を落とし、握る鈍剣には獲物を狙う猟犬のような緊張が宿る。
対するアレックはその正反対。
落ち着き払った金褐色の瞳、端整な顔立ちに、どこか老成した風格を漂わせている。
彼の騎乗姿勢は隙がなく、まるで防壁のような安定感があった。
砂煙を裂くように、アレックが低声を放つ。
「敵部隊、左前方――来るぞ!」
その言葉に呼応するかのように、風が唸り、戦場に緊迫の色が走る。
旗影の向こうから現れた三騎の影。
敵小隊が、矢のような勢いで側面から突撃してきた!
「くそっ、速い!」
ノイッシュが思わず悪態を吐く間もなく、衝撃が走った。
敵の騎兵が繰り出した盾と鈍剣が、轟音と共に襲いかかる。
「ノイッシュ、受けろ!」
アレックが叫ぶが、すでに手遅れだった。
ノイッシュは鈍剣で必死に受け流すものの、盾の一撃に腕が痺れ、剣を落としかける。
馬体が大きく揺れ、彼の体が鞍から半ば浮き上がった。
「後退しろ!」
アレックが馬を翻し援護に向かう――だが、その刹那、別の敵兵が斜めに切り込む。
鈍剣が閃き、アレックの肩を狙う。
鈍い音が響き、彼の手から剣が弾かれた。
「陣形を崩したな――終わりだ」
敵隊長が冷たく笑う。
騎兵戦で隊列を乱すことは即ち、死を意味する。
一度瓦解した陣形は、二度と立て直せない――そう、この試験では。
だが――
琥珀の瞳が、戦場を冷ややかに見渡した。
その奥に宿る光は、凪のように静かで、しかし鋭利な刃を孕んでいる。
サイラスは一度だけ、小さく息を吐いた。
そして――
次の瞬間、彼の馬が砂塵を蹴り裂いた。
「――ッ!」
ノイッシュの目が見開かれる。
単騎。
まるで影のごとく、サイラスは敵三騎のただ中へと切り込んでいった!
馬蹄が轟音を響かせ、風が彼の暗紅の髪を荒々しく払う。
その手に握られた鈍剣が、閃光のように振り抜かれた。
「一人で……だと!?」
敵隊長が驚愕の叫びを上げ、剣を構える。
次の瞬間、鋼と鋼がぶつかり合う甲高い音が戦場に響いた。
衝撃が腕を痺れさせるが、サイラスは一歩も退かない。
馬体を捻り、流れるような動作で再び一閃。
剣圧が盾を弾き、敵の体勢を崩す。
「ちっ……!」
隊長が呻いた瞬間、風が裂けた。
サイラスの馬が旋回し、二騎の敵兵が左右から迫る。
だが彼は――退かない。
むしろ、わずかに笑ったように見えた。
「――来い」
足が馬腹を蹴り、獣のような加速。
挟撃を仕掛けてきた二騎の間を、疾風が駆け抜ける!
鈍剣が横薙ぎに閃き、敵兵の盾を叩き弾く。
衝撃に馬が嘶き、陣形が崩壊する。
その刹那、ノイッシュが息を吹き返し、叫ぶ。
「今だ、押せッ!」
アレックも剣を拾い上げ、馬を駆る。
三人の動きが再び一線に収束し、敵隊を押し返した――
「――そこまでッ!」
乾いた笛の音が、戦場に響き渡る。
模擬戦終了の合図。
敵隊は悔しげに退き、砂塵の向こうに消えていった。
サイラスたちの小隊は、辛くも資格を守り抜いたのだ。
ノイッシュが額の汗を拭い、サイラスを見やる。
その青い瞳に、わずかな敬意が宿る。
「……助かった」
アレックも黙って頷く。
その沈黙は、言葉以上に雄弁だった。
だがサイラスは――
ただ視線を逸らし、冷ややかに言い放つ。
「勘違いするな。俺は――負けたくないだけだ」
馬首を返し、彼は隊を離れた。
砂塵が舞い、陽光がその背に落ちる。
風にたなびく暗紅の髪と、琥珀の瞳に宿る影。
――それは、戦場に生きる者の光と影を、鮮やかに焼き付けていた。