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第五話 《市街巡視》

 ブレストの市街は、帝都ほどの華やかさこそないが、その静かな秩序と素朴な美しさを備えていた。

 石畳の通りを人々が行き交い、屋台と商店が軒を連ねる。市場からは賑やかな呼び声が響き、馬蹄が石道を打つ音と入り混じって、午後の空気に溶け込んでいく。


 馬を近衛に預け、エドリックとサイラスは並んで歩いていた。

 数名の近衛が距離を置き、目立たぬよう護衛についている。


「ここがブレストの中央広場だ。市の日には人であふれる。あちらが軍需品店で、北へ進めば穀倉と馬場がある」

 淡々とした口調。サイラスの声には、どこか事務的な冷たさがあった。


「……俺の案内、そんなに義務的か?」

 エドリックの紅の瞳が細められる。

 しかしサイラスは答えず、一定の距離を保ったまま歩を進めた。


 エドリックは唇の端を上げ、視線を横顔に滑らせると、柔らかく呟く。

「休暇明けにはまた顔を合わせるって分かってても……理由があれば、やっぱり見に来たくなるんだよな。お前の暮らしてる場所を」


 その一言に、サイラスの指先がわずかに動いた。

 無意識に、拳に力がこもる。


「……つまり、今回の巡視は口実か」


「半分はな」

 エドリックは肩をすくめ、子供じみた笑みを浮かべる。

「帝都より、こっちの方が面白いだろ?」


 サイラスは何も言わず、ただ歩き続ける。

 その沈黙を破ったのは、軽やかな声だった。


「お前、普段こういうとこで何か食ったりしないのか?」


 答えはなかった。

 だが、ほんの一瞬――サイラスの琥珀色の瞳が、路地の角にある店をかすめたのをエドリックは見逃さなかった。


 木枠の窓に蔦の彫刻が施された、趣のある茶館。

 暖かな灯りと、垂れ下がる布の暖簾が喧噪から切り離したような静寂を醸す店だ。


「……茶館か」

 エドリックの唇が愉快そうに歪む。

「行こうぜ」


「……お前、暇なのか」

 冷えた声で突き放す。だがエドリックは気にも留めず、するりと手を伸ばしサイラスの手首を掴んだ。


「せっかくブレストまで来たんだ、味見ぐらいしていこうじゃないか」


「離せ」


「やだね。……それとも、甘い物が嫌いか?」


 サイラスは一瞬、言葉を飲み込む。

 その沈黙を、エドリックは満足げに受け取った。


「否定しないなら、決まりだ」

 半ば強引に、二人は茶館の扉をくぐった。


 ──


 中は街の喧噪とはまるで別世界だった。

 木のテーブルと彫刻の施された窓格子、仄暗い空間に灯る蝋燭の光が、柔らかく揺れる。

 ほろ苦い茶葉の香と、菓子の甘やかな匂いが空気に溶け、どこか懐かしい異国の気配を運んでくる。


 エドリックは椅子に腰を下ろし、指先でテーブルを軽く叩いた。

「こういう場所、初めてだな」


 紅い瞳が、面白そうに周囲を見渡す。

「帝都にあるのは酒場ばっかりだ。……この文化、外から流れてきたんだろう?」


 サイラスは茶器を手に取り、淡々と茶を注ぐ。

 その声も静かだった。


「ここの店主はエスティリアの出身だ。昔、王宮の料理番をしていたらしい」


「王宮の……へえ」

 エドリックの眉がわずかに動く。


「エスティリアの貴族は茶を嗜む。ここで出される葉も、向こうからのものだ。菓子の作り方も同じだと聞く」

 茶の表面に揺れる琥珀色を見つめながら、サイラスは続けた。

「……ああいう職業、『茶農』とか『菓子職人』とか言ったか」


 その響きに、エドリックは笑みを深める。

「なるほどな。帝国より、あっちの方が文化は洗練されてそうだ」


 サイラスは答えなかった。

 ただ、茶を口に運び、そのまま瞼を伏せる。

 だが、その指先にこもる微かな力を、エドリックは見逃さない。


「……これ、帝都で流行らせたら面白そうだな」


「……可能だろう。ただ、時間はかかる」

 淡々とした返事。だが、その瞬間だけ――サイラスの声が、わずかに柔らかくなった。

 それは、普段の彼には似つかわしくない、微かな翳りを含む響き。


 エドリックの紅瞳が、鋭くその変化を捉える。


「……やっぱりな」

 声には出さず、ただ唇の端に笑みを浮かべた。


 そのとき、サイラスの指が――ふと、左耳に触れた。

 月長石のピアスが、淡い光を反射する。

 無意識の仕草。記憶に沈んだ鎖を探るような、慎ましい動き。


「……」

 エドリックは問い詰めない。

 時間はある。この氷は、じわじわと溶かしていけばいい。


 二人の間に、一瞬だけ静かな間が生まれる。

 窓の外では、誰かが笑い声を上げ、市場の鐘の音がかすかに響いていた。


 エドリックは、サイラスの前に置かれた未飲の茶杯へ視線を落とす。

 指先でそっと縁をなぞるように撫で――そして、ふと立ち上がった。


「――行くぞ」

 立ち上がりざま、彼は片手でマントを払う。

 紅の瞳に残るのは、熱を帯びた好奇心。

 サイラスを見下ろしながら、笑みを深めた。


 サイラスは無言で続く。

 だが、椅子を引くその動作の奥で、肩に張り詰めた硬さを、誰にも見せないまま隠して。


 扉が開き、陽光が二人を包む。

 長く伸びた影が、石畳の上に重なった。

 その先に、まだ終わらぬ駆け引きが待っている――。

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