第十二話 《首席を懸けた衝突》
卒業を目前にした軍学校の演武場は、ざわめきに包まれていた。
観覧席に並ぶ生徒たちの視線が、一斉に中央の石畳へと注がれる。
雲間を裂いて差し込む陽光が、磨り減った石床に鋭い光を反射させ、その上で二つの影が向かい合っていた。
二年間の鍛錬に幕を下ろす――最後の戦い。
その焦点は、ただ二人。
一人は、燃えるような紅の瞳を宿す王太子、エドリック・ノヴァルディア。
もう一人は、氷のように冷えた琥珀の瞳を持つ少年、カイン・ブレスト――否、かつて「サイラス」と呼ばれた男。
風が吹く。
金と紅の髪が陽光を受けて揺れ、対する暗紅の短髪が影を落とす。
片や炎、片や氷。
視線が交錯した刹那、場の空気が張りつめた。
「――始め!」
教官の鋭い声と共に、哨笛が鳴り響く。
エドリックが先に動いた。
黄金の髪を翻し、鈍剣を一閃。
空気を裂く音とともに、鋭い軌跡がサイラスの肩を狙う。
サイラスは身をひねり、最小限の動きで回避。
無駄のない反転から、逆袈裟に鈍剣を振るう。
――カァンッ!
剣と剣が噛み合い、乾いた音が演武場に響く。
エドリックの剣筋は華やかで強引、それでいて隙がない。
対するサイラスは、冷徹なまでに正確。
一撃ごとに、氷と炎がぶつかり合うような火花が散る。
観衆の息が、自然と止まっていた。
「……つまらなそうな顔だな。」
打ち合いの合間、エドリックが嗤う。
サイラスは答えない。ただ、冷ややかな瞳で相手の剣筋を読み続ける。
――決着は、一瞬だった。
激しく交錯する中、エドリックの剣が振り下ろされた瞬間――
サイラスの体が流れるように半歩外へ滑り、鈍剣の切っ先が弧を描く。
そして、そのまま――喉元へ突きつけられた。
時間が凍りつく。
紅の瞳が見開かれ、わずかに驚きが走った。
サイラスの剣先は、エドリックの喉から一寸の距離で静止していた。
「――そこまで!」
教官の声と同時に、哨笛が甲高く鳴り響く。
観覧席がどよめきで揺れた。
エドリックの敗北。
サイラスの勝利――首席の座は、彼のものになった。
サイラスは鈍剣を下ろし、淡々と呟く。
「……終わりだ。」
それは勝者の誇示でもなく、ただの事実を告げる声。
対するエドリックは、一瞬沈黙した後、低く笑った。
「……やるじゃないか。」
紅の瞳が複雑な光を帯びる。
敗北の屈辱と、押し殺せない愉悦。
「おめでとう、首席殿。」
サイラスは何も言わず、背を向けた。
暗紅の髪が風に揺れ、その足取りは機械のように淡々としている。
首席の称号など、彼にとって意味を持たない。
――ただ、終わらせたかった。この無意味な日々を。
演武場を離れた回廊は、茜色の光に包まれていた。
サイラスは一人歩く。その足音が、虚ろに石床へ響く。
「……そんなに急いでどこへ行く?」
軽い声が、夕暮れの静寂を破った。
立ち止まると、石柱に凭れた影があった。
風に乱れた金の髪。
紅い瞳が、燃えるようにこちらを射抜く。
「……またお前か。」
サイラスは無表情に呟く。
「何を望む?」
エドリックは柱を離れ、ゆっくりと歩み寄った。
肩が触れそうな距離まで近づき、低く囁く。
「……逃げられると思うなよ。」
サイラスは視線を逸らさない。
ただ、琥珀の瞳は静まり返った湖のように動かない。
「俺は……何も要らない。」
乾いた声。それは拒絶とも、諦念とも取れる響きだった。
「そうか。」
エドリックの唇が、わずかに歪む。
次の瞬間、紅い瞳が至近距離に迫り――
耳朶をかすめる吐息と共に、低い声が落ちた。
「……だが俺は、お前を欲してる。」
その声音は、驚くほど静かで、そして熱い。
サイラスの瞳が微かに揺れる。
胸の奥で、何かが音を立てて軋んだ。
――金紅に染まった光が、一瞬、左の虹彩に閃く。
彼はそれを押し殺し、短く吐き捨てた。
「……好きにしろ。」
それは突き放すようでいて、どこか空虚な言葉だった。
エドリックはその答えを、笑みで受け止めた。
指先が、さきほど掠めた耳の感触を思い出すようにわずかに動く。
「サイラス・ノヴァルディア――」
紅の瞳に宿る光は、炎のように揺れていた。
「勝ったからって、終わりだと思うなよ。」
夕陽が、二人の影を長く引き伸ばす。
その狭間に走るものは――戦いよりも、深く、鋭いものだった。
帝都の喧騒は、遠い世界の音にしか聞こえなかった。
卒業式の日、サイラス――いや、「カイン・ブレスト」は、淡々とした表情で首席の証を受け取った。
拍手の嵐も、讃える声も、彼の心には一片の波紋も起こさない。




